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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942エル・アラメイン砲撃戦9

 目の前で、唐突にふわりと姿を消した敵機に、一瞬デム軍曹は唖然としてしまっていた。だが、呆けていたのは、ほんの一瞬だった。
 次の瞬間、デム軍曹は自らの勘と経験に従って、半ば反射的に操縦桿とスロットルレバーを操作していた。
 砂漠に向けて、急に動力降下を開始したデム軍曹に、二番機についたマイザー少尉から戸惑ったような声で通信が入ったが、軍曹はそれを無視したまま、機首を下げて出来る限りの速度で急速に降下していた。

 戸惑いながらもマイザー少尉が追随していることは、気配で察していた。見習士官から正規の将校になったばかりのマイザー少尉は自分の経験が不足していることは自覚しているから、長機に従うだろうと確信していた。
 ブースト圧を全開にしたDB605が上げる轟音と振動を気にすることもなく、デム軍曹はちらりと後方を振りかっていた。デム軍曹が乗り込むBf109は、コクピット後方から尾翼まで連続したなだらかな曲線を描くファストバック型の構造をしていたから、最新型のG型に至ってもなお後方視界は悪かった。
 その限られた視界の中で、ぎこちないながらもデム軍曹に従って降下を開始したマイザー少尉の二番機と、恐ろしく小さな旋回半径で後方に回り込んだ敵機の姿が見えた。

 いつの間にか鮮やかな機動で後ろに回り込んだ敵機には、主翼に赤い真円が見えていた。英国軍もフランス軍も真円を基調としたラウンデルを国籍マークとしていたが、そのどちらとも似ていると言えなくもない赤い丸は日本軍の標識だった。
 主翼下面に描かれた国籍標識が見えていることに、デム軍曹は思わず安堵の溜息をついていた。急角度で降下を開始しているBf109のコクピットから主翼下面に描かれた国際標識が見えるということは、敵機はまだ水平飛行を続けているということを意味していたからだ。
 こちらと同じ緊密な2機編隊を保った敵機は、そのままデム軍曹達が水平飛行を続けていれば、通過したであろう空域の僅か後方に遷移しようとしていた。

 敵機は、高機動の軽戦闘機である日本軍の一式戦闘機だった。機体寸法はBf109と大して変わらないが、重量では一トン以上の違いがあるらしい。しかも比較的コンパクトにまとめられたBf109よりも、主翼幅は大きく、それを反映して翼面荷重は恐ろしく小さいはずだった。
 だから一式戦闘機の機動性は高く、欧州圏では旋回性能に優れるとされているスピットファイアなどと比べても鋭い機動を見せることが多かった。

 ただし、その機動性能は幅広い主翼形状と軽量にまとめ上げられた機体重量を反映させたものだった。機体重量はBf109の方が圧倒的に重いが、エンジン出力はG型から搭載された強力な水冷エンジンのDB605の方が上だったし、一式戦闘機は正面面積が大きい、つまり空気抵抗も大となる空冷エンジンを搭載していたから、最高速度では百キロ近い差があった。
 しかも、軽量にまとめ上げられた機体構造に問題があるのか、降下時の制限速度はBf109と比べて低いらしく、一式戦闘機に軽快な機動で後方に遷移されても、慌てずに増速しながら高速で動力降下を行えば、引き離す事は難しくなかった。
 逆に、一式戦闘機の方がBf109に後方につかれた場合でも、その機動性を持ってすれば回避は容易であるらしく、一式戦闘機とBf109では、双方の搭乗員がよほど戦意にあふれていない限り、戦闘そのものにならないケースも多かった。
 特にベテラン搭乗員であるほど、今のデム軍曹のように、Bf109で危険な格闘戦を避けて、一撃離脱の初撃に失敗した場合、ためらいなく退避に移る傾向が強かった。

 振り返ったままのデム軍曹の視界に、一式戦闘機が二番機のマイザー少尉の機体に向けて発砲する姿が入っていた。だが、マイザー少尉機も、デム軍曹に従って降下を開始していたから、一式戦闘機からの射弾は、虚しく中空をないだだけで終わった。
 安堵しながら、デム軍曹は、正面に向き直って降下を続けた。相手の一式戦闘機の機動は恐ろしく正確だった。もしもデム軍曹がとっさに判断しなければ今頃は2機とも撃墜されていてもおかしくなかった。

 一式戦闘機は13ミリ級と思われる機関銃を2丁しか装備しておらず、火力が貧弱だという報告書があったが、デム軍曹にはとても信じられなかった。デム軍曹は、以前に友軍のJu87が一式戦闘機に撃墜される所を至近距離から目撃したことがあったが、その時一式戦闘機から放たれた射弾は、明らかに弾薬内部に装薬を充填させた炸裂弾だった。
 そうでなければ急降下爆撃時に発生する過酷な重力加速度に耐えるために、頑丈に作られたJu87があんなにあっさりと撃墜されるはずがなかった。

 しかし、常識的に考えれば炸裂弾を容量の限られる13ミリ級の機銃弾に装填できるとは思えない。つまり、実際には一式戦闘機が装備しているのは13ミリ級ではなく、もっと大きな20ミリ級の大口径の機関砲なのではないのか。
 あるいは装備機銃を13ミリ級としたのが初期生産型か何かで、現行の機体は20ミリ級機関砲装備に変更されているのかもしれなかった。
 これは、軽戦闘機としてはかなりの重装備であると言えた。一式戦闘機に比べれば、高速の重戦闘機であると言えるはずのBf109G型でも銃装備は、プロペラ軸内に装備した20ミリ機関砲一丁と機首上部に装備した13ミリ機銃2丁にすぎないから、実質上の火力は同等といえるのではないのか。
 だから、一式戦闘機の火力であればBf109を撃墜するのは難しくないはずだった。

 ただし、あの俊敏な機動を見る限りでは、一式戦闘機に乗っているのはベテランの搭乗員のはずだ。双方の機体性能に熟知したベテラン搭乗員であれば、高速で離脱するBf109を追尾するような無駄な行為はせずに、さっさと次の敵機を探し始めるはずだ。
 そう信じながら、デム軍曹は動力降下をやめて、機首を引き起こして水平飛行に移っていた。すでに、高度は危険なほど低下していた。平坦な砂漠地帯だから地面に衝突する危険性はないが、早いうちに高度を上げる必要があった。ただし、安易に速度を低下させる急角度の上昇を行うのは危険だった。
 一式戦闘機は、エンジン出力自体はBf109よりも低いのだが、軽量級の機体と組み合わされた結果、低空時の加速性能や上昇能力は意外なほど高かった。だから高速のBf109でも低空での戦闘には警戒する必要があったのだ。


 しかし、周囲を鋭い目で警戒しながら飛行するデム軍曹に、どこか苛立たしげなマイザー少尉からの通信が入っていた。
「軍曹、早く上昇して友軍の援護をしないといけないんじゃないのか」
 デム軍曹は、ちらりと上空で広がる飛行機雲を眺めた。直線で機動する友軍機らしいものと、旋回を続ける鋭い飛行機雲の数は少なくとも拮抗しているように見えていた。ここから見る限りではどちらが有利とも言えなかった。
 今のところ、慌てて援護にはいる必要があるとも思えなかった。それよりも無謀な機動をとって編隊を不必要な危険に晒したくなかった。それに、飛行機雲の動きや、急降下して爆撃を行っていたJu87の姿を見る限り、この戦闘は一旦終了しつつあるようだった。
 だが、若いマイザー少尉は血気にはやるあまり、危険性を軽視しているようだった。マイザー少尉は、訓練学校を出た士官候補生出身者で、つい最近見習士官から正規の士官に任官したばかりの新米搭乗員だった。
 再軍備直後に空軍に入隊して搭乗員となったデム軍曹などと比べると、マイザー少尉はまだまだ経験が不足していた。

 デム軍曹は、ちらりと燃料計に目をやりながらいった。
「少尉、残燃料はどのくらいです」
 無線の向こうから、息を呑む様子が伝わってきた。案の定、戦闘中に残燃料の確認を怠っていたらしい。だが、エンジン出力を激しく上げながら行う戦闘中は、燃料消費が多くなるから、いくら短距離の出撃とはいえ、残燃料には常に気をつける必要があった。
 ベテランの搭乗員なら当然のことだが、若手士官は、戦闘中の頭に血がのぼった状態で燃料まで確認しないものも多かった。
「戦闘は収束しつつあるようです。一旦帰投して再補給後に出撃します」
 そう言うとデム軍曹は、戦域から離脱を始めた友軍機に合わせるように、ゆっくりと高度を上げながら西へと機首を向けていた。
 内心では、我武者羅に敵機に突っ込んでいきたがる若手搭乗員のマイザー少尉に嘆息していた。

 だが、経験不足の新米搭乗員はマイザー少尉だけではなかった。昨年の春頃から北アフリカ戦線に投入されている第27戦闘航空団は、シーソーのように激しく東西に移動した陸軍の前線部隊を支援して移動と戦闘を繰り返した結果、機材も人員も大きくすり減らしていた。
 だから、残存機材を他隊に引き渡して、北アフリカ戦線の後方地帯とされたシチリア島で、残存人員の休養を兼ねながら、機材、人員の補充を伴う大規模な再編成を実施していた。
 一ヶ月前に、ようやく戦闘航空団としての編制が一応は整ったと判断された後、この大攻勢に参加するために再び最前線へと前進していたのだ。


 ただし、装備機材は同じBf109でも従来のF型を全面改装したG型に切り替わり、部隊規模も昨年度に北アフリカ戦線に投入された当初と変わらないレベルにまで回復していたものの、第27戦闘航空団の内実は大きく変化していた。
 かつての第27戦闘航空団は、熟練した搭乗員を多く抱えたドイツ空軍きっての古豪の戦闘機隊だった。敵機5機以上を撃墜したエクスペルテンも多く所属しており、その中には北アフリカ戦線だけで150機以上の英国空軍機を撃墜したアフリカの星ともてはやされていたマルセイユ大尉も含まれていた。
 だが、そのマルセイユ大尉も最前線上空で続けられる消耗戦の中で、今年秋に戦死していた。他のエクスペルテンの多くも撃墜されて戦死するか、負傷して後方に送られており、残り少ないベテラン搭乗員も、後方に下げられた再編成期間中に前線で戦う他隊に引きぬかれて転属したものが多かった。現在のドイツ空軍には、熟練した搭乗員を何ヶ月もの再編成期間中に遊ばせておくほどの余裕がなくなっていたからだ。

 代わって新たに配属されたのは、マイザー少尉のように訓練期間を終えたばかりの新米搭乗員が大半で、デム軍曹のようなベテラン搭乗員は数が少なかった。
 それでも部隊としての質を保ち続けていられたのは、最前線に出撃する飛行中隊の指揮官クラスにはエクスペルテンクラスのベテラン飛行士官を配置していたからだ。
 つまり、第27戦闘航空団は、かつてとは大きく異なり、少数のベテラン指揮官に率いられた若手搭乗員に入れ替わっていたのだ。

 もっとも、デム軍曹もあまり他人の事は言えなかった。軍歴はもう7年近くにもなるから、空軍でも最古参と言っても良かったが、運が悪いのか、負傷して後方で療養していた期間も短くなかった。
 この第27戦闘航空団への配属も、東部戦線で負傷して後方で療養を終えてからだったから、配属期間は新米搭乗員と大して変わらなかった。そのうえ、戦闘への参加は少なくないが、単独撃墜経験もないから、その軍歴の割には、撃墜数や勲章でベテランの搭乗員達を推し量ろうとする新米搭乗員達から侮られることも多かった。

 ――どうも俺は、貧乏くじばかり引いているような気がするな。
 デム軍曹は、いつの間にかそんなことばかりを考えてしまっていた。


 友軍機と合流するために高度を上げながら、デム軍曹はどこまでも続くような気がする砂漠に憂鬱な視線を向けていた。
 実は、デム軍曹が補充として北アフリカに上陸して第27戦闘航空団に配属されてから一ヶ月ほどしか経っていなかった。他の北アフリカ戦線に従事する兵達と比べると、まだ砂漠地帯の過酷な環境に慣れたとは言えなかった。
 それに、つい数ヶ月前まで駐留していたイタリア本土は、占領地というわけでもなく、同盟国内の駐屯地だったから、周囲に民間人も多く、新鮮な食料などを現地で買い付けるのも容易だった。
 そのような安穏とした雰囲気に慣れきってしまったものだから、余計にほとんど敵味方の兵士しかいない北アフリカの砂漠地帯に嫌気がさしていたのだ。

 デム軍曹は、永久服役となる下士官の階級ではあったが、もともと好きで軍隊に入ったわけではなかった。
 もしも、もう少しばかり年を取っていれば、現在まで軍隊に関わりなく生活していたかもしれなかった。実際に、彼よりも年上の世代は、フランス戦直前になって、陸軍が部隊規模を急激に拡張するために根こそぎ徴兵が行われるまで入営していなかったものも多かった。

 ワイマール共和国軍は陸軍の定員に制限が掛けられていたし、ヴェルサイユ条約によって徴兵制の施行も禁止されていたから、軍務につくこと無く徴兵年齢の上限に達した空白の世代と呼ばれる男達は少なく無かったのだ。
 元々1935年にヒトラー総統が再軍備宣言を行った時までデム軍曹は軍隊に関わりない生活をしていた。そして再軍備宣言と同時に、新たなドイツ空軍に志願していた。

 だが、空軍に志願した理由は大したものではなかった。その時、デム軍曹は高校を卒業後ろくな仕事もなく、たまに見つかる日雇仕事で糊口をしのいでいた。
 年齢からあらたな国軍となる国防軍に徴兵されることは間違いなかった。だが、陸軍に徴兵されて泥まみれの歩兵になるくらいならば、空軍で航空機を操縦したほうが颯爽としている。その程度の考えに過ぎなかった。
 それに、当時の空軍は、大拡張を続けていたから、自分でも何とか潜り込めるとも考えていた。この大拡張時期でなければ、自分程度の腕では搭乗員になどなれずに弾かれていたのではないのか、そう考えていた。
 デム軍曹は、先の大戦で父を無くしていた。だから高校卒業後は就職して家計を助けなければならなかったのだが、その頃は、まだドイツ国内には不況の波が強かった。だから、もしも陸軍を徴兵解除となっても、大した成績でもなく高校を出ただけで、コネも無かったデム軍曹には行く宛は無いと思っていたのだ。

 ナチス党が政権を握る前後の、ドイツ共和国は、ヴェルサイユ条約に基づく賠償金の支払いのためにアメリカ資本を大々的に導入して経済的に依存する関係になっていた。
 だから、アメリカ政府が輸出市場の開拓に失敗して、過剰生産を抱えたことで発生した世界恐慌の影響を、日英露を中核とした立憲制国家群が友好国同士の経済体制を連結してブロック経済を構築して不況を乗り切っていたのに対して、ドイツ共和国は連鎖的にアメリカ経済の零落を同時に受けることになってしまっていた。
 失業率は日を追うごとに悪化し続け、ドイツ経済は第一次大戦から復興するどころか、どん底へと突き落とされていた。
 そんな状況では、何か手に職がないと食っていけないはずだ。デム軍曹はそう考えて軍に志願していたのだ。


 ナチス党が政権を握ったことで大幅な軍備拡張が行われ、これによってデム軍曹も搭乗員として空軍に潜り込めたのだと考えていたのだが、かといってもっと年若いマイザー少尉のように、ヒトラー総統に盲従する気はなかった。
 デム軍曹の世代は、マイザー少尉達と違って、政権を取った後に始まったナチス党の教育は受けていなかった。それに特にヒトラー総統の言うとおりにユダヤ教徒に憎しみを抱くこともできなかったし、今次大戦の意義もよく分からなかった。
 先の第一次大戦では、まだ幼かったデム軍曹が戦争に抱いた印象は、飢餓状態しか無かった。少なくとも幼子の頃、腹一杯に何かを食べた記憶はなかった。
 英国海軍による海上封鎖と、前線に送られる兵士となる労働者人口の減少によって、第一次産業が軍事方面以外崩壊したころから、ドイツ国内の食糧事情は極端に悪化していた。
 だから、東西の戦線から遠く離れた中部ドイツ出身のデム軍曹が子供だった頃は、顔もよく覚えていない父親が居なくなった以外には、ひもじい思いをした以外の記憶がほとんど無かったのだ。

 実際には、彼の父親のように徴兵された労働者人口の多くが前線へと送り込まれて、少なくない数が戦死したり、精神や体に消すことのできない傷を追っていたはずだが、デム軍曹が物心ついた頃にはもう戦争が始まっていたから、世界とはそのようなものなのだろうと子供ながらに考えていたのだ。
 戦争が終わってからも敗戦国ドイツには厳しい環境が取り巻いていたが、やはりデム軍曹はそれが当たり前なのだろうと考えてしまっていた。実はそれこそが異常なのだと気がついたのは、もっと大人になってからだった。
 その頃には、デム軍曹は人生というものを諦観するようになっていた。
 そして、それは今も変わりがなかった。
一式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1lf1.html
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