挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
75/251

1942エル・アラメイン砲撃戦5

 アレクサンドリア港の桟橋には、すでに日が高く上がっていた。太陽をものともせず働き続ける将兵達の防暑衣は、すでに汗だくになっていたが、愛車である一式中戦車の荷降ろし作業を行っている将兵たちの大半は、文句ひとつ言わずに働いていた。
 だが、第71戦車連隊の荷降ろし作業は、あまりはかどっているとは言いがたかった。少なくとも師団駐屯地の最寄り港で行われた積み込み作業に比べるともたついているようだった。
 先に下船していた連隊司令部との打ち合わせに出向いている中隊長の代理として、先任小隊長として荷降ろし作業の監督にあたっていた池部中尉は、苛々としていた。


 唐突に何処かから、池部中尉には唸っているようにしか聞こえない男の声が聞こえてきた。池部中尉は、元々細い目をさらに睨みつけるようにして周囲を見渡した。
 それは、ムスリム達からアッズィンと呼ばれている男の声だった。その声は、すぐに複数箇所から同じようなものが聞こえるようになっていた。もちろん一人の男が別々の個所から声を上げているわけではないし、録音でもなかった。複数箇所から同じような声が上がるのは、ポートサイド地区に宗派ごとに分かれて建築されているモスクからそれぞれの信徒たちに向けて呼びかけられているからだ。
 正確には、ムスリム達の礼拝所であるモスクに設けられた尖塔、ミナレットの回廊を回るアッズィン達が呼びかけていた。アレクサンドリアはエジプトの中でも多くの人口を抱える大都市だから、マドラサを併設する巨大なモスクも少なくなかった。

 アッズィン達が呼びかける声は、ムスリム達にイスラム教の重要な行事である、昼の礼拝の時間が来ることを伝えるアザーンという呼びかけだった。
 素人には同じように聞こえても、実際には宗派ごとにアザーンの文句には細かな違いがあるらしいが、ムスリムに知り合いがいるわけでもなく、多くの日本人同様にいい加減な仏教徒である池部中尉には違いはよく分からなかった。

 池部中尉はうんざりした顔になって、作業中の部下たちに休息を命じてから、一両の一式中戦車の上に登って桟橋の様子を見下ろしていた。アレクサンドリアに着いてからさほど時間は経っていなかったが、こうなってはもう作業が進まないことは、もう分かっていた。
 桟橋には、作業時間中であったにもかかわらず、アザーンが聞こえてきたと同時に、早々と仕事を無断で中断して礼拝の準備を始めた港湾労働者がいた。

 アレクサンドリア港は、北アフリカ戦線の構築以降に爆発的に増大した荷役量を受けて、英国本土や植民地から続々と運ばれてくる物資を荷降ろしするために桟橋の数が拡充されていた。
 だが、別に礼拝の時間だけが原因というわけではないのだろうが、全体的に手も荷役の効率はさして上がっていなかった。その理由は、港湾労働者自体の効率の低さにあるのではないのか、池部中尉はそう考えていた。
 かと言って、現地民の港湾労働者を排して、国際連盟軍関係者だけで作業を進めるわけにも行かなかった。もしも現地民を大量に解雇すれば、港湾労働者ばかりではなく、現地住民の意識そのものが国際連盟軍に反発するものと考えられていた。
 すでにアレクサンドリアには多数の独伊軍スパイが潜入しているらしいから、現地住民との意思の乖離はそのまま独伊軍を利することにつながりかねなかった。

 つまり、荷役作業の現地民の雇用は、彼らへの宣撫工作を兼ねていたのだ。だから、池部中尉のような小隊指揮官の意向など気にされることも無かった。正直なところ、その宣撫工作を兼ねた失業対策としての雇用という事実を見抜いているからこそ、多少の作業の遅れがあっても解雇などされないと高を括って、港湾労働者の効率低下につながっているのではないか、池部中尉はそうも考え始めていた。
 実際には、桟橋自体は単純な構造であったから、短時間で増設されたのだが、それに付随するクレーンや荷降ろし用の車両などの設備の拡大が追いついていないことや、高い気温による人間の行動力低下なども荷役作業の効率低下の原因となっていたのだが、池部中尉はまだそのことに気がついていなかった。
 厄介なことに、連隊が装備する一式中戦車や一式砲戦車は、これまで日本軍が装備する中戦車や軽戦車と比べると格段に重量があることから、増設された桟橋に急遽設けられた貧弱な装備では、通常船型の貨物船から下ろすのも一苦労だったのだ。


 日本本土からここまで連隊の戦車を輸送してきたのは、続々と建造が始まっていた戦時標準船二型の派生型となる一隻だった。戦車などの重車両を移送するために建造されたその型式の貨物船は、戦時標準船二型の標準となる汎用型貨物船と外観上はほとんど差はなかったが、重量物を移送するために、船倉下部の桁材が肉厚のものとなるなど一部の構造が強化されていた。
 もっとも、若干の性能向上はあったものの、戦時標準船の規格品であるデリックは他の型式と変わりなかったし、桁材などが強化されただけで船倉の基本的な構造に変化はないから、荷役作業は多くが人力作業となるから、桟橋の設備に左右されたり、大量の工数を要するのも無理はなかった。

 これが通常型の貨物船形式の船ではなくて、揚陸作戦用に建造されたSS艇などであれば、もっと戦車の荷役作業は容易なはずだった。SS艇などの特殊な揚陸用艦艇は、艦艇ごと海岸に乗り上げると、艦首に格納された道坂をおろして、船倉と海岸をつなぐ通路として使用することが出来た。
 だから、道坂を操作する乗員を除けば、揚陸作業には他に作業員は必要なく、戦車は自走して迅速に揚陸することが出来た。それに手頃な海岸さえあれば揚陸作業ができるから、貴重な桟橋を長々と占拠することもないはずだ。
 しかし、戦時標準船一型の派生型として建造されているSS艇はまだ数が少なかったから、上陸戦闘に特化した第5師団や本土で編成中とされる海上機動旅団に回されて、第7師団の将兵はその姿を見たものも少なかった。
 それにSS艇は小型で、船速も遅いことから、そもそも日本本土から北アフリカまでの長距離輸送には向いていなかった。


「小隊長殿、こっちで少し休みませんか、いつもの通りこいつらはお祈りが終わっても、しばらくは働きはしませんよ。少し早いですがもう昼にしませんか、どうせ小隊ごとの飯の時間が決まってるわけじゃないんだから、あいつらがお祈りしてる間に食っちまったほうが時間を無駄にせんでしょう」
 渋面を周囲に見せる池部中尉を見かねたのか、小隊長車の砲手を務める由良軍曹が、捉え所のない笑みを浮かべて一式中戦車のそばから声をかけてきた。
 池部中尉は、じろりと鋭い目で由良軍曹を一瞥したが、軍曹は、いつもの様に飄々とした笑みを浮かべたままだった。そんな由良軍曹の様子にため息をつくと、根負けしたように池部中尉も部下たちの方に向かった。

 小隊員達は、いつの間にか桟橋の隅にあった事務所らしき小屋に陣取って煮炊きをしていた。小屋の前には携帯式のコンロが置かれて、普段は戦車に括りつけられている鍋では、香ばしい匂いの汁物が煮こまれているようだった。
 小屋にいるのは池部中尉が率いる第三小隊の兵だけではなかった。残り2個小隊の兵の他にも、見慣れない顔がいくつかあった。どうやら他隊の兵も加えて煮炊きをしていたらしい。

 池部中尉は、昼食というにはやけに豪勢な内容に呆れたような顔を、由良軍曹に向けた。作業の合間にとる食事だから、乾パンを僅かな飲料水で流し込むような野戦食を想定していたのだ。
「随分と本格的に調理を始めているようだが……片付けるのに手間ではないのか、荷役作業後は、中隊ごとに郊外の仮駐屯地まで移動の命令が来ているが、あまり荷物を広げると移動までに片付けるのが面倒だぞ」
 苦々しい顔で池部中尉はいったが、肉をふんだんに使ったらしい汁物の匂いを嗅いでしまった体は正直なもので、言い終わる前に腹の虫が大きくなっていた。思わず中尉は赤面したが、由良軍曹は素知らぬ顔で、大して済まなくもなさそうな顔でいった。
「いやぁこれから砂漠の前線に向かうんでしょう。いくら、市街地が近いからと言って、煮炊きする水や野菜が簡単に手に入るとは思えませんからね。どうせ、しばらくは嫌でも乾パンと缶詰だらけの野戦糧食が食い放題なんですから、今のうちに残った野菜やら肉を食ってしまおうと。まそういう訳でして」

 池部中尉は、それに答えなかった。今までは死角になっていたようだが、小屋の裏には見慣れない戦車が鎮座していた。角ばった外観や所属部隊などを示す塗装などからすると、英国陸軍の戦車のようだが、欧州派遣前に行われた説明では見たことのないものだった。おそらく新型の戦車なのだろう。
 それは、どこか古めかしい感覚を抱かせる戦車だった。備砲は一式中戦車と同じ57ミリ程度の砲のようだが、砲身はもっと短いようだ。一式中戦車は、砲塔がエンジンに押されて車体前側にやや偏っていることを除いても、車体前部から大きくはみ出すほどの長大な砲身を持っていた。それに対して、この戦車が車体中央部に備える砲塔からつきだした砲身は、比較的短く、砲口は車体前縁よりもずっと後ろにあった。
 英国陸軍の戦車には大して詳しくないが、おそらく日本軍の九七式戦車のように、歩兵支援を前提とした短砲身の榴弾砲を主砲としているのだろう。池部中尉はそう結論づけていた。


 しかし、段々と戦車に近づくに連れて、そのような結論は揺らぎ始めていた。煮炊きする兵などを比較対象とすると、その戦車は意外なほど大きいことに気がついていたのだ。それは砲に関しても例外ではなかった。
 一式中戦車が装備する長砲身の57口径砲程ではないにしても、その戦車の砲は短砲身といえるほど短いとは思えなくなっていた。その砲塔が小ぢんまりとしているように見えたからそう考えたのだが、実際には砲身を含むこの戦車の砲塔の大きさは、一式中戦車と比べてもそう大差はないのではないのか。
 つまり、砲塔や砲身が小さいのではなく、それを載せた車体のほうが長大であったのだ。むしろ、長大なのは車体構造物そのものよりも履帯の方なのかもしれなかった。砲身は車体前縁よりも下がっているのに、履帯は逆に車体から大きく前に突きだしていた。これでは車体前部に位置する操縦手の視界は、履帯によって大きく遮られてしまうのではないのか。
 しかもその履帯の懸架方式も古臭いものだった。最近の戦車は、機動性を高めるために、クリスティ方式のように巨大な転輪と長いストロークのサスペンションを組み合わせたものが少なくないが、この戦車は時代に逆行しているようなコイルばね式の小型転輪がいくつも並べられていた。
 機動性は低いだろうが、接地圧は均質になるから、踏破性は高くなるのかもしれない。おそらくこの戦車は、機動性を大して求められない新型の歩兵戦車なのだろう。

 池部中尉が戦車を見つめているのに気がついたのか、由良軍曹は怪訝そうな顔で中尉の視線を追ってから、合点がいったような顔をしながらいった。
「ああ、エゲレスのチャーチル戦車だそうですよ。チャーチルってあちらさんの総理大臣みたいな人なんでしょう?山本戦車とか近衛戦車とか、そんな感じなんですかね。何だかおっかねえや。まぁあの車は故障中で部隊から取り残されたそうですが。なんでもまだ初期故障が多いとか何だとか言ってましたよ」
「言っていた…だと?まさか英国陸軍の将兵もいるのか」
 すこしばかり慌てて池部中尉が振り返ると、由良軍曹は、何でもなさそうな顔でいった。
「ええ、俺達が煮炊きを始めたら匂いにつられてきたのか、あの戦車の人たちが寄ってきたんで、あっちにも食い物を持ってきてもらって、日英共同で炊き出しをはじめたんですわ」
「おい、由良軍曹。そういうことは許可を得てからにしてくれよ……それで、イギリスさんには将校はいるのか」
 頭を抱えながら、池部中尉はいったが、由良軍曹は気にした様子もなかった。
「いますよ、部下に置いて行かれた小隊長という中尉さんが一人。あとの四人は下士官兵ですな。しかし……こういっては何だが、エゲレスさんのお茶はともかく、食い物はあんまり美味そうに見えませんな」
 お気楽な様子の由良軍曹を軽く睨むと、池部中尉はいった。
「個人の感想はいいが、イギリスさんの前ではそういうことは言うなよ。どうも軍曹は口が軽いからな」
 由良軍曹は、相変わらずとぼけたような顔で笑みを浮かべていた。
戦時標準規格船の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html
一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ