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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942東京―ローマ13

 ボンディーノ大佐は、困惑して無言のままバルボ元帥を見つめていた。だが、静寂を破ったのはバルボ元帥ではなかった。
 脇に座っていた小柄な男が咳払いをしながらいった。
「少しばかり性急過ぎはしないでしょうか。ボンディーノ大佐に考える時間をさし上げたほうがよろしいのではないですか」
 小柄な男はバルボ元帥の方を向きながら言ったが、それに声を上げたのはチアーノ伯だった。チアーノ伯はわずかに身動ぎしながら、神経質そうな声でいった。
「ボンディーノ大佐には悪いが、大佐には我々の判断すべてを伝えてしまっている。大佐を疑うわけではないのだが……」

 そこで一旦口を閉ざしてから、チアーノ伯は遠慮するような目でボンディーノ大佐を見たが、意を決した様子で続けた。
「私は、ここで大佐に決心してもらうしか無いと思う。もし反ファシスト秘密警察に大佐が捕まれば、我々の損害は極めて大きいことを考慮すべきだ。我々は単なる細胞ではない。今の組織ならば末端の細胞を失ったとしても計画の修正は難しくないはずだ。
 しかし、我々指揮中枢の一人でも逮捕されれば、芋づる式に逮捕者が続出するのではないか。もしそのような事態になって指揮中枢が失われれば、この計画は破綻する。いや、それどころか統帥や背後のナチ・ドイツの警戒が強くなるから、現在の政権を失脚させることは格段に難しくなるはずだ。
 もう一度言うが、大佐にはここで判断してもらうしか無い。我々は不必要な危険を犯すわけには行かないのだから」
 言い終わると、チアーノ伯は気まずそうな顔で紅茶に手を伸ばしていた。ボンディーノ大佐が断ればどうするつもりなのか、それはチアーノ伯は口にしなかった。


 ボンディーノ大佐は困惑したまま、思案顔で黙り込んだバルボ元帥と、気まずそうな顔のチアーノ伯に交互に視線を向けていた。
 バルボ元帥は何を考えているのか、無言のまま視線を卓上に向けていた。
 沈黙に耐えかねたのか、サンソネッティ中将がどことなく不機嫌そうな顔でいった。
「ボンディーノ大佐は信用できる。現政権とのつながりもあり得ない。そのことは既に説明していたはずだ。外相も大佐をここに招くことは承知済みではなかったのか。それを今再になって大佐の信用度に言及するのはおかしいのではないのか。それとも外相は海軍を信用していないのか」

 サンソネッティ中将のやけに攻撃的な口調に驚いて、ボンディーノ大佐は、中将の顔をまじまじと見つめていた。大佐の信用度とはいうが、初対面の人間をそう簡単に信用するほうがおかしいのではないのか。
 ボンディーノ大佐が不愉快には思っても、チアーノ伯がそれほど不自然なことを言ったとは思えなかった。
 それとも何かサンソネッティ中将、あるいは海軍上層部とチアーノ伯との間にはなにか感情的なしこりがあるのではないのか。

 ――サンソネッティ中将は自主的にこの会合に参加しているのだろうか。

 ふとボンディーノ大佐はそんなことが疑問に思っていた。よく考えてみると、海軍最高司令部や艦隊司令部の参謀職などを歴任してきたサンソネッティ中将と、ファシスト党の幹部であったバルボ元帥やチアーノ伯との接点が考えづらかったのだ。

 どうにもよく分からなかったが、サンソネッティ中将自身は、海軍内の何らかの派閥を代表して、ここに参加しているだけなのではないのか。そう思えていた。別に根拠があるわけでは無い、ボンディーノ大佐の勘だったのだが、どことなく不自然なサンソネッティ中将の様子がそう思わせていた。
 どこか奇妙なほど融通がきかない様子が伺えたのだ。これはサンソネッティ中将独自の判断が出来ずに、誰か上部の人間か、海軍内部の派閥の判断で動いているからではないのか。
 そして、これまでは海軍に関する情報に話が行かなかったから、そのような不自然さが表に出ていなかったのではないのか。
 だとすればサンソネッティ中将をここに派遣したのは誰なのか。ぼんやりとボンディーノ大佐はそう考えていた。ふと旧知のファシスト嫌いの搭乗員の姿が思い浮かんだが、慌てて脳裏から追い出した。いくらなんでも、あの単純そうな男がこんな陰謀に加われるとは思えなかった。


 チアーノ伯はうんざりしたような顔になっていた。しかし、何度かこのような事態におちいったことがあるのではないのか。面倒くさそうな顔になってはいたが、意外そうな様子はなかった。
「中将、問題をすり替えないでもらいたい。大佐が信用できるか否かは重要ではないのだ。秘密警察に大佐が拘束されれば、大佐本人の意思に関わらず情報は引き出されると考えた方がいい。それが早いか遅いかの違いにすぎない。だから大佐の意思をここでははっきりさせてもらいたいのだ。部外者を危険に晒すのは我々の本意ではない。
 この屋敷内の安全は確保されている。それにカルボーニ少将の協力で周囲も警戒されているから、秘密警察の要員が潜む余地はない。だからこの屋敷内であれば、ファシスト党から大佐の安全は保証されていると言っても良い。
 しかし、これ以上我々に関わればその限りではない。最悪の場合メンバーの誰かの行動で既に目をつけられているのかもしれんのだから。
 大佐に、ここで覚悟を決めてもらいたいというのは、そのような事態を想定してのことだ。もうここで話を聞いた以上は、大佐は部外者ではあり得ないのだ。あとは我々の同志になるか、ならないかだ」

「秘密警察は、大佐に関してはさほど脅威にならないのではないですか。大佐は生粋の船乗りと聞いております。だが、彼らは私と一緒で金槌だ。海の上までは秘密警察も追ってこれませんよ。いざとなれば航海にさえ出てしまえば、大佐の安全は確実ですよ」
 唐突に陸軍将官らしい小柄な男が話に割り込んできていた。サンソネッティ中将も、チアーノ伯も、どこか楽しげな男の口調に毒気を抜かれたのように呆けたような顔を見合わせていた。

 いつの間にかバルボ元帥が顔をあげていた。表情の浮かんでいない顔で、まっすぐにボンディーノ大佐を見つめながら、元帥はいった。
「カステッラーノ准将の言うとおり、大佐が洋上に出てしまえば当座の危険はないだろう。もちろん秘密警察からは、ということだが。だが、大佐が我々と深く関わるようになれば、その限りではない。
 先程も言ったばかりだが、我々は統帥を中核とした現政権の打倒を目的として行動している。それが公のものとなれば、統帥の息のかかった秘密警察は容赦なく我々を取り締まりにかかるだろう。
 しかし、その危険性を承知した上で、現政権に危険性を感じているのであれば、ボンディーノ大佐には自分の意志で我々の同志となってほしいのだ。私は命令や強制するつもりはない。自発的な意思に基づかない行動など、何の価値もないからだ」


 ボンディーノ大佐は何も言えないまま、バルボ元帥を見つめ返していた。何かを返さなければならないとは思っているのだが、頭のなかは混乱するばかりで、考えが全くまとまらなかった。
 迷っているボンディーノ大佐に気がついたのか、バルボ元帥の雰囲気が変化していた。頬が緩んだかと思うと、再び笑みを見せていた。ボンディーノ大佐もそっとため息をついていた。

 バルボ元帥は、小柄な男を手で示しながら言った。
「そういえば紹介していなかった気がするな。そちらは参謀本務勤務のカステッラーノ准将だ」
 陸軍の将官だったが、カステッラーノ准将の名前には聞き覚えがあった。確か今年の初め頃に陸軍参謀本部勤務となると同時に准将に昇進していたはずだった。参謀本部勤務の将官としては、これまでで最年少ということで、軍の内外で話題となっていたから記憶に残っていたのだ。
 当のカステッラーノ准将はわずかに頭を下げただけだったが、さらなる情報をさらけ出したバルボ元帥に、チアーノ伯は面白くもなさそうな顔になっていた。


「大佐に頼みたいことなのだがな」
 バルボ元帥がまたそう言いかけたので、ボンディーノ大佐は思わず身構えていた。さすがに依頼の具体的な内容を聞いてしまえば、サンソネッティ中将や自分の立場を考えると断れない状況に陥ってしまうのではないのか、そう考えたからだ。
 だが、ボンディーノ大佐はまだ迷っていた。というよりも短時間で膨大な情報を入手してしまったことから、情報の整理が追いついていなかったのだ。どのような判断を下すにせよ、情報を自分なりに整理して把握しなければ、後で公開することになる。そのような予感だけがあった。
 だからチアーノ伯には悪いが、これ以上は具体的な内容に踏み込むべきではない、ボンディーノ大佐はそう考えたのだが、言い方に迷って、大佐がそれを言うよりも早くバルボ元帥が続けていた。

「ボンディーノ大佐は護衛戦隊の指揮官に着任するそうだが、その戦隊は近いうちにトリポリに向かう船団の護衛任務につくことになっている」
 断りの言葉を考えていたボンディーノ大佐は、怪訝そうな顔になって首を傾げていた。自分が艦長に就任することになるボルツァーノが護衛戦隊の旗艦任務に就くことは確かだったが、大佐の職務は旗艦艦長であり、戦隊指揮官ではなかったはずだ。
 第一、ボンディーノ大佐の階級や経験では、巡洋艦戦隊相当の指揮官任務を任されるのは難しいのではないのか。所属する大型戦闘艦がボルツァーノ一隻だけで、他は駆逐艦級の小型艦艇で構成される変則的な部隊ではあったが、戦隊を構成する戦闘艦の数は少なくないから、少なくとも将官級の指揮官を充てるのが自然なはずだ。


 しかし、異様に思っていたのはボンディーノ大佐だけのようだった。怪訝そうな顔を大佐に向けられたサンソネッティ中将は、一旦首を傾げてから、思い出したかのように言った。
「そうか、大佐はまだ知らなかったのか。貴官が配属される例の戦隊だが、ちょうど戦隊指揮官を出来そうな人材が無くてな。当座は先任艦長が指揮をとることになっている。その代わり、戦隊参謀は兵科の中佐一名と事務下士官をつけてある」
 サンソネッティ中将は平然としていたが、ボンディーノ大佐は、苦虫を噛み潰したように顔を歪めていた。短躯で小太りの大佐がそのような表情を取ると凶相と言ってもいい顔つきになるから、顔を向けられたサンソネッティ中将はさすがに気まずげな表情でそっと視線を逸らしていた。

 思ったよりも厄介な事態に陥っていたようだった。ボンディーノ大佐は、そう考えていた。戦隊司令部の人員が付属するとはいえ、ただでさえ運用の難しそうな航空巡洋艦の艦長に加えて、先任艦長として実質上の戦隊司令官としての職務もこなさなければならないのだ。
 しかも、護衛戦隊は、大は重巡洋艦から、大型水雷艇と呼ぶのがふさわしい護衛駆逐艦までの、諸元が著しく異なる雑多な艦艇で構成されることになるから、単一の艦種で構成される巡洋艦戦隊などと比べても指揮統率の難易度は格段に高いのではないのか。
 そのうえ、船団護衛任務に就く際は、護衛艦は船団の周囲に散開して航行することになるから、専任の指揮官や幕僚でも、指揮下の各艦を統率するのは難しいはずだ。
 ボンディーノ大佐は、思わずため息をついていた。現在のイタリア海軍が、高級指揮官不足であることは把握していたが、ここまで問題が深刻だったとは思わなかった。

 ボンディーノ大佐の様子をうかがっていたバルボ元帥が、再び口を開いていた。
「ともかく、大佐を指揮官とする戦隊がトリポリに向かうのは間違いないのだが、その際、カステッラーノ准将も同行させてもらいたい」
 だが、バルボ元帥が言い終わる前に、室内の雰囲気は一変していた。チアーノ伯は恐ろしく鋭い目でバルボ元帥を睨みつけていた。当のカステッラーノ准将も表情が抜け落ちたような冷徹な顔を元帥に向けていた。
 サンソネッティ中将だけはおろおろして他の二人の様子を伺っていたが、バルボ元帥の言葉に動揺しているのは一緒だった。
 どうやらこの事は彼らにとってどうしても秘匿しておきたい事項のようだった。
 しかし、陸軍参謀本部に所属するカステッラーノ准将の乗艦が何故問題となるのか、ボンディーノ大佐にはよく分からなかった。

 北アフリカ戦線ではイタリア陸軍に所属する複数の軍団がアフリカ装甲軍の指揮下で行動中だった。これに加えて同盟国のドイツ国防軍もアフリカ軍団を派遣している。さらに、最近では新たに枢軸国に加わったヴィシーフランス陸軍も師団級の部隊を派遣し始めようとしていた。
 公式にはフランス領モロッコ、アルジェリア、チェニジアの植民地駐留部隊への増援という形をとっていたが、すでに部隊の一部はフランス領を離れて、前線に移動しつつあった。

 そのような多国籍の大規模部隊が同じ戦域で行動しているのだから、参謀本部などの上級司令部に所属する将官級参謀が現地に調整や、視察のために訪れるのはそう不自然なことではないはずだった。
 既に一年以上同じ戦域で行動している独伊両国軍はともかく、新参のフランス軍まで加わればかなりの混乱が生じるはずだ。だから、これから先フランス軍部隊が前線での戦闘に加入するようになれば、何らかの調整作業が必要となってくるはずだった。


 それとも、チアーノ伯らの反応からすると、カステッラーノ准将の北アフリカ入りは、陸軍参謀本部の正式な命令系統から逸脱した行動なのかもしれなかった。
 ボンディーノ大佐はそう考えながら、自分には似合わないと思いつつも無難な答えを返そうとしていた。

「自分が護衛戦隊の先任指揮官だということは理解しました。そのうえでカステッラーノ准将の乗艦ですが……」
 そこでボンディーノ大佐は、ちらりとカステッラーノ准将を一瞥してから続けた。
「陸軍参謀本部からの正規の要請であれば、断る理由はありませんな。もちろん艦隊司令部からの承認は必要ですが。もし、バルボ元帥の個人的な依頼というのでしたら、この場では回答しかねますが……しかし、移動するだけならば襲撃の可能性の少なくない船団に同行するよりも連絡便を使用したほうが容易かとは思いますが」
 ボンディーノ大佐は、暗に考える時間が欲しいと告げたつもりだった。だからそのような曖昧な言葉になっていた。チアーノ伯はじろりとボンディーノ大佐を睨んだが、何も言わなかった。
 カステッラーノ准将に至っては何の反応も返さなかったし、サンソネッティ中将も何も言い出す気配はなかった。

 だが、バルボ元帥は別の捉え方をしたようだった。躊躇すること無く、ボンディーノ大佐の間違いを正そうとしていた。
「この行動は必ずしも陸軍参謀本部の正規の命令というわけではない。ただし、カステッラーノ准将に対する指揮系統は陸軍参謀長アンブロージオ大将からのものであることは明言しておく」

 ボンディーノ大佐は、首を傾げていた。陸軍参謀長アンブロージオ大将からの指揮を受けるということは正規の命令系統にあるということではないのか、そう考えていたからだ。
 だが、ボンディーノ大佐が誤りに気がつく前に、バルボ元帥が続けていた。
「カステッラーノ准将の行動は我々の総意に基づくものだと言っておく。准将には、北アフリカ上陸後にはアフリカ装甲軍とは別行動をとって、講和条件策定の為に国際連盟軍の司令部と接触を図ってもらう。だから、北アフリカへは密かに移動する必要がある。ボンディーノ大佐に依頼する意味もここにあると考えてもらいたい」
 そう言ってバルボ元帥は、ボンディーノ大佐を見つめていた。だが、大佐は眉をしかめて何も言えないままだった。いつの間にかこの会合の深いところにまで達してしまったものだから、反応できなかったのだ。
 ボンディーノ大佐も、押し黙ったままバルボ元帥を見返していた。
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