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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942東京―ローマ12

 使用人らしき老人に案内された部屋には、テーブルを囲む四人の男がいた。
 初老に差し掛かった一番年かさに見える男は、ボンディーノ大佐をここまで招いたサンソネッティ中将だった。
 サンソネッティ中将と向かいう合うように座っている男は、ボンディーノ大佐よりも少しばかり年上に見えた。ただし短躯でいつもしかめっ面をしているボンディーノ大佐よりも若く見えるだろう。
 背はさほど高くなく、全体的に小柄に見えるが、端正な顔立ちの慎重そうな男だった。男は、ボンディーノ大佐に向かってわずかに笑みを見せながら頭を下げた。

 残り二人の男たちは対照的な表情をしていた。二人とも年の頃はボンディーノ大佐とそう変わらないだろう。扉に背を向けていた男は、不審げな顔で振り返りながら、ボンディーノ大佐を見つめていた。
 そして、顎髭が印象的な窓際の男は、人好きのする笑みを浮かべていた。その男だけは椅子に座っていなかった。椅子の代わりに車椅子に座っていたからだ。
 おそらく足を悪くしたのだろうが、車椅子から連想させるひ弱さは、男からは全く感じられなかった。

 このテーブルを囲む向きからすると、この車椅子の男がこの家の持ち主なのかもしれなかった。
 最も、ボンディーノ大佐は、顔を見た瞬間に車椅子の男の正体に気がついていた。それに不審げな顔をした男にも気がついていた。どちらも直接あったことはなかったが、報道写真などで何度も見た顔だったからだ。


 おそらく不審げな顔をしている男は、外相を務めるガレアッツォ・チアーノ伯であるはずだ。報道写真では、いつもどこか気障で、朗らかな顔ばかりだったが、実際に本人の顔を間近で見てみると、意外なほど慎重で物静かそうな男に見えた。おそらく外務大臣としての表の顔は半ば演技であるのだろう。ということはここは彼にとって本音を出せる場所ということなのか。

 ボンディーノ大佐は、ちらりと顎髭を生やした車椅子の男に視線を向けた。
 この男も何度か報道写真で見たことがあった。それもチアーノ外相よりも報道される頻度は高かったはずだ。チアーノ外相が統帥ムッソリーニの女婿であるのに対して、一時期はこの男がムッソリーニの政治的な後継者とされていたからだ。
 かつてのリビア総督、イタロ・バルボ空軍元帥は、ボンディーノ大佐に奇妙なほど友好的な笑みを見せていた。


 バルボ元帥が表舞台から姿を消したのは三年ほど前、フランスに対してイタリアが宣戦布告し、今次大戦に参戦した直後ではなかったか。確かリビアのトブルクで、英国空軍の空襲直後に起こった誤射事件によって命にかかわるほどの重傷を負って帰国していたはずだ。
 顔つきだけ見れば、その時の傷跡を感じさせることはないが、三年たっても車椅子を手放せないということは、下半身にはかなりの障害が残っているのではないのか。
 ただし、バルボ元帥が誤射事件後、一般国民から姿を消して隠遁生活を続けていたのには、怪我の回復を行っていたからというだけではないのかもしれなかった。

 実は、誤射事件の直後から、同士討ちは不幸な事故によるものという政府発表に反して、誤射ではなく、対空砲撃は計画的なもので、実際にはバルボ元帥を暗殺しようとしたものだと噂が流れていた。
 あまり世事には詳しくないボンディーノ大佐も何度か聞いているから、かなり広まっている噂のはずだった。

 バルボ元帥は、かつては統帥ムッソリーニの後継者としてファシスト党の中核にいた人物だったが、ここ数年は統帥との不仲が伝えられていた。総帥ムッソリーニが推し進める親独政策、あるいはヒトラー総統への追従に真っ向から反対して、逆に英仏日等の国際連盟理事国との融和、同盟を論じていたからだ。
 ナチズムに公の場ですら嫌悪感を示していたバルボ元帥は、ドイツがイタリアに要求していたユダヤ人を対象とする人種差別法案を、政治力を駆使して、巧みなやり方で廃案に追いやったらしいとも聞いていた。
 それに、ドイツとソ連が不可侵条約を結んでポーランドに進攻し今次大戦が勃発した時も、はっきりと国際連盟側にたった主張をしていた。

 皮肉なことに、バルボ元帥は総帥ムッソリーニから命じられて、誤射事件で負傷して帰国するまで、リビア総督兼総軍司令官として英国エジプトへの進攻を指揮していたが、司令官でありながら、その侵攻作戦にも否定的な立場であったらしい。

 だから、そのような親英派のバルボ元帥が邪魔になっていた総帥ムッソリーニの命令によって暗殺されそうになったのではないのか、そのような噂が流れていたのだ。
 もちろん政府発表は、単なる事故による同士討ちというものだったが、それを信じないものは少なくなかった。

 バルボ元帥が乗り込んだサヴォイア・マルケッティSM79は、トブルク飛行場上空で、偶然英国空軍機の空襲に遭遇したものだから、着陸を延期して上空待機していた。そして、空襲が終わって、燃料切れが近づいていたSM79が着陸しようとしたところ、英国空軍機の再来襲と誤認した友軍の対空砲火によって撃墜されてしまったのだ。
 対空砲火の一撃で搭乗員は戦死し、SM79はバルボ元帥自身の操縦で何とか不時着を試みたらしい。結局、機体は大破してその衝撃でバルボ元帥も重症を負ったのだが、とっさに操縦を代わった元帥の沈着な判断がなければその場で戦死してもおかしくはなかったはずだ。それに機体の操縦系統が完全には破損していなかたという幸運がなければ不時着を試みることも出来ずに、即座に墜落していたのではないのか。


 バルボ元帥が搭乗したSM79に対して、誤射となった対空砲火を放ったのは、トブルクに寄港していた装甲巡洋艦サン・ジョルジュだった。そして、このサン・ジョルジュの存在が暗殺説の噂を補強する結果となっていた。
 30年以上前、先の大戦前に就役した旧式の装甲巡洋艦サン・ジョルジュは、1930年代に対空砲の増設や重油専焼缶への改装を受けていたが、本来は正規の艦隊を機動運用させるための補助戦力として本国防衛に当たる海防艦となっていたはずなのだ。
 それが、開戦直後に前線で根拠地となるトブルクの防空火力を強化するため、対空砲台として移動してきたのだ。だがその判断にはファシスト党幹部が関わっていた、そのような噂が海軍内部に出回っていたのだ。しかも、サン・ジョルジュの艦長は実際にファシスト党の党員であったらしいのだ。
 だから、実際にはサン・ジョルジュの移動自体がバルボ元帥を密かに暗殺するためのものだったのではないかというのだ。

 もちろん証拠は何もなかった。砲撃直後から英国空軍機と誤認した為対空射撃を再開したのだとサン・ジョルジュ側は証言していたし、そもそもその後のトブルクをめぐる戦闘で、サン・ジョルジュは幹部士官ごと失われていたから、証人もすでにいなくなっていたのだ。

 だが、バルボ元帥が誤射事件の後、怪我から回復しても表舞台に復活しようとしていなかったのは、暗殺説が真実であるか、少なくとも元帥自身はそう信じているから、再度の暗殺を警戒していたからではないのか。
 車椅子に乗りながらも、よく鍛えられた頑健そうな体つきのバルボ元帥をみながら、ボンディーノ大佐はそう考えていた。


 そのバルボ元帥は、男らしい笑みを見せながら、サンソネッティ中将に目を向けた。
「彼がそうなんだな」
 サンソネッティ中将は頷きながらいった。
「先ごろ重巡洋艦ボルツァーノ艦長に就任したマリーオ=ボンディーノ大佐です。大佐、こちらはバルボ空軍元帥だ」
 続いて中将が何かを言いかけたが、バルボ元帥は笑みを浮かべたまま手で制した。

「特に挨拶はいらないだろう。ボンディーノ大佐も忙しい身の上だろうし、本題に入ろう。ジャン、大佐にお茶を」
 ぎょっとしてボンディーノ大佐が振り返ると、部屋まで案内してくれた老人が、いつの間にか大佐の後ろにティーポットとカップが載せられた盆を持って佇んでいた。
 老人は主人であるバルボ元帥とは対照的に、にこりともせずに、元帥に指し示された席におずおずと座ったボンディーノ大佐の前にカップを置いて、テーブルの上のティーポットを交換すると、やはり物音ひとつ立てずに部屋を出て行った。
 ボンディーノ大佐は、呆気にとられて扉の向こうに消える老人の後ろ姿を見ていた。ぼんやりとした大佐の意識を戻すかのように、バルボ元帥がいった。

「ボンディーノ大佐、君はこの戦局をどのように考えているのかね」
 怪訝そうな顔で、ボンディーノ大佐は無言のまま、バルボ元帥を見つめた。質問の意図がよくわからなかったからだ。それ以上にバルボ元帥の立場がよく分からなかった。
 暗殺未遂事件の噂が真実であるならば、バルボ元帥は統帥ムッソリーニの意思に反して、親国際連盟派ということになるが、元帥が生粋のファシスト党員であることに違いはないはずだ。だから、うかつなことは言えなかったのだ。


 だが、押し黙ったままのボンディーノ大佐に、気分を害した様子もなく、バルボ元帥は苦笑していた。
「少しいい方が曖昧だったかな。ならば質問を変えよう。マリーオ=ボンディーノ、君は我がイタリアの舵取りを今のまま統帥に任せて良いと思っているのか」
 いつの間にか、バルボ元帥の顔から笑みが消えていた。ただ鷹のような鋭い目で、まっすぐにボンディーノ大佐を見据えていた。そこには一切のごまかしや逡巡を許さない確固とした意思が感じられた。
 珍しくうろたえながら、ボンディーノ大佐は左右に座る他の人間の顔を見渡した。チアーノ伯はどこか心配そうな顔でボンディーノ大佐とバルボ元帥の顔を見比べていた。
 その脇の小柄な男は、興味深そうな顔で大佐を見つめていた。大佐がどのように答えを返すのか、それが気になるようだ。
 最後にサンソネッティ中将に振り返ると、中将は真顔でそっと頷いてみせた。それで腹が据わったボンディーノ大佐は、バルボ元帥に向き直ると、硬い表情でゆっくりと首を振ってみせた。


 バルボ元帥の言を否定したボンディーノ大佐に対して、サンソネッティ中将は当然と言った顔をしていたが、チアーノ伯は安堵のためか大きなため息をついていた。だが、予想以上に室内にため息が響いたせいか、チアーノ伯は赤面していた。
 小柄な男は興味深そうにボンディーノ大佐の様子を眺めていた。バルボ元帥も満足気に頷いた。

「結構だ、大佐。君をここに招いただけの事はあったというわけだ」
 ボンディーノ大佐はちらりと、本来自分を招いたはずのサンソネッティ中将を見たが、中将はわざとらしく視線を逸らしていた。
「あまり中将を責めんでくれ。立場が立場なのでな、現役軍人をそう簡単にここに招くのは厄介事を招きかねんのだ。災厄が起こるとしたら君と私双方にだが」
 再び笑みを浮かべながらバルボ元帥がそう言うと、再び質問をしてきた。


 それから暫くの間、ボンディーノ大佐はバルボ元帥から、現在の戦況や艦隊の状況に関して詳細な質問をいくつも受けていた。
 最初は、ボンディーノ大佐も質問一つ一つを言葉を選んで、考えながら答えていたが、すぐにそのような余裕はなくなっていた。それほどバルボ元帥の質問は連続して、考えこむ隙を与えなかったのだ。
 ボンディーノ大佐は、いつの間にか警戒心も失せて次々と質問に答えていた。

 しかも、バルボ元帥が次々と質問してくるにも関わらず、情報の流れは一方的なものではなかった。ボンディーノ大佐の返答に対して、バルボ元帥も情報の補足や自分なりの判断を返していたからだ。
 さらには自身の判断に対して、実戦指揮官としての立場からボンディーノ大佐に批評を求める事もあった。

 時にはチアーノ伯や、小柄な男がバルボ元帥やボンディーノ大佐を補って説明することもあった。
 どうやら小柄な男は陸軍の高級将校のようだった。チアーノ伯の補足説明が外交関係や国内政治などに集中していたのに対して、小柄な男のそれは北アフリカや東部戦線に派遣された陸軍部隊の情報が多かったからだ。
 それに対して、サンソネッティ中将は口を挟むことはほとんど無かった。海軍関連の情報はすでに出尽くしているらしく、バルボ元帥やボンディーノ大佐の判断に異を唱えることもなかった。

 噂を信じれば、ほとんど隠遁しているように生活しているはずのバルボ元帥だったが、元帥が有する情報は正確で豊富なものだった。
 しかも、要所々々で示されたバルボ元帥の判断から察すると、元帥の情報源は多方面に存在するようだった。かつて空軍大臣や空軍参謀総長を歴任していたから、今でも空軍内部には相当な情報源を有しているのだろうし、ファシスト党幹部なのだから政治的な動きにも詳しいのはわかるのだが、陸軍や海軍内部の細かな事情まで察知しているということは、政界のみならず三軍すべてに少なくない数の情報源を有していると考えるべきだろう。
 だから錯綜した情報に相対しても、バルボ元帥は異なる情報源からの情報を整理することで、正確な判断を下すことができていたのだ。
 いつの間にか、ボンディーノ大佐は、バルボ元帥に圧倒されているのを感じていた。それだけバルボ元帥の存在感は強かった。


 ふと気が付くと、室内には静寂が訪れていた。情報の奔流は止まっていた。室内の五人とも、情報の整理を行っているのか押し黙ったままだった。ふと我に返ってボンディーノ大佐は紅茶が入れられていたはずのカップに手を伸ばしたが、中身は一口もつけない間に冷め切っていた。
 ボンディーノ大佐は、冷め切ったまずくなった茶をずるずると音を立てながら飲み干すと、ティーポットに手を伸ばしていた。大佐の立てたがさつな音に他の四人も呪縛が解けたかのように動き出していた。

 ボンディーノ大佐は、やはり冷めかけていたティーポットからカップに移した茶を憂鬱そうな顔で見つめていた。今日聞いた話はそれほど衝撃的だった。大佐が考えていたよりもずっと前線の戦況は悪化しているようだった。
 ロシア戦域軍は、今年の夏頃に一時的に戦力を増強されていたが、スターリングラードをめぐる一連の攻防戦で大損害を被っているらしかった。だが、現在も混乱は続いているらしく、バルボ元帥にも詳細は分かっていなかった。
 どうやらロシア戦域軍の上級司令部でさえ麾下の各隊の正確な現状を把握していないようだった。


 北アフリカでは現在は小康状態が続いているようだったが、国際連盟軍が続々と戦力を増強しているのに対して、枢軸軍はまとまった増援を送ることが出来ずにいたから、いつこの均衡状態が破られるかは分からなかった。
 それに敵軍の根拠地近くまで攻め込んだ状態で陣地を構築した枢軸軍は、補給線が伸びきって十分な糧食や弾薬を前線部隊まで供給することができていなかった。
 それぐらいならばいっそ戦線を縮小して補給線を確立させて、防備を固めた上で攻め込んでくる国際連盟軍を待ち構えたほうが良さそうなものだが、北アフリカ装甲軍司令部では、逆にアレクサンドリアを占領するためにさらなる攻勢を決意しているようだった。
 だが、この攻勢は陸戦にはさほど詳しくないボンディーノ大佐の目から見ても無理があるのではないかと考えていた。国際連盟軍、わけても英国陸軍は重厚な陣地群を構築しているらしいから、前線を突破するためには膨大な弾薬が必要となるのではないのか。
 しかし、貧弱な補給線に頼る枢軸軍が十分な弾薬を集積するのには長大な時間が必要だった。さらに陣地戦で消耗する以上の量になる攻勢に備えて備蓄される弾薬の移送によって、ただでさえ不足しがちな輸送量が奪われることになる。
 どうやら前線の補給不足は、この無理な攻勢準備のために、補給部隊が弾薬の移送で手一杯になっていることも一因であるようだった。


 ボンディーノ大佐は思わずため息をついていた。問題が明らかになったとしても大佐には為す術は何もなかったからだ。
 そんなボンディーノ大佐の様子に気がついたのか、バルボ元帥が真直に大佐を見つめていた。
「ボンディーノ大佐。大佐に頼みたい事があるのだ」
 唐突に切り出したバルボ元帥に、警戒しながらボンディーノ大佐は首を傾げてみせた。海軍の一艦長でしかない大佐にバルボ元帥が何を頼みたいのかが分からなかったからだ。
 バルボ元帥の影響力を考えれば、わざわざ初めて合う大佐に頼むことよりもずっと安全な方法があるのではないのか。そう考えていたからだった。
「我々は統帥を首相の座から引き釣り下ろす。君にも同志になってもらいたい」
 ボンディーノ大佐は、ファシスト党幹部の口から出た台詞に絶句してバルボ元帥を見つめていた。
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