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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942東京―ローマ11

 ボルツァーノは、1933年に就役したイタリア海軍で最新鋭の重巡洋艦で、長砲身高初速の203ミリ主砲8門を始めとする強力な兵装を有していた。
 前級のザラ級と比べると装甲は薄いが、その分極限まで重量が軽減された流麗な船体に備えられた戦艦並みの大出力機関によって、35ノット強という高速力を発揮させることが出来た。
 装甲が薄いぶんだけ、同クラス艦との砲撃戦を行うには若干の不安があったが、現在のイタリア海軍の中では、ボルツァーノは有力な戦力の一つだった。

 だが、ボルツァーノは、昨年度のマダパン岬沖海戦の前哨戦において、大きな損害を受けていた。英国海軍の空母艦載機によって、魚雷と大型爆弾それぞれ一発を被弾したボルツァーノは、一撃で戦力を喪失して、艦隊主力から脱落していたのだ。

 ボンディーノ大佐が最後にボルツァーノを見たのもその時だった。実際には、戦闘後に帰還したタラント軍港で何度か損傷したボルツァーノを目撃しているはずだが、その頃は自艦ヴィットリオ・ヴェネトの損害に関する報告書の作成など戦闘後の事後処理に追われていたため、あまり記憶に残っていなかった。
 それに、マダパン岬沖海戦後、戦力外となったボルツァーノは、早々と最前線であるタラントから、ラ・スペツィアに移動していた。

 その後は、ボルツァーノの話は全く聞いていなかったが、てっきり就役時同様に損害復旧工事を行うのか、あるいは損害の大きさから、時間のかかる復旧工事を断念して放棄されているかのどちらかだとボンディーノ大佐は思っていたのだが、どうやらイタリア海軍上層部はボルツァーノを就役時とは全く異なった形で復旧したらしかった。


 ラ・スペツィア工廠に残された艤装図や資料写真によれば、ボルツァーノは、爆撃によって生じた火災によって大きな損傷を受けていた後部甲板から第3,4主砲塔などの構造物を撤去して、フラットな甲板とその支持構造物を追加していた。
 火力を半減させてまで、そのような広大な甲板を装備したのは、損害を受けた第3,4砲塔周りの復旧工事を省いたせいもあるが、多数の水上機をまとまって運用するためだった。
 甲板には、前後に水上機をカタパルト架台ごと移送するためのレールが何本か敷かれていた。資料写真には、試験のためか、そのレール上を水上機を載せた架台が移送される様子を写したものも何枚か含まれていた。
 艤装図の片隅に書かれた諸元によれば、現在のボルツァーノは純然たる砲雷撃戦用の重巡洋艦ではなく、水上機10機程度を運用する航空巡洋艦とでも言うべき姿に改装されていた。


 実のところ、このような艦種が他に例がないわけではなかった。例えば、日本海軍には前部に主砲塔を集中させて、後部甲板を飛行甲板として運用する利根型軽巡洋艦が確認されていた。砲雷装と航空兵装の比率などに違いはあるが、現状のボルツァーノと利根型軽巡洋艦は類似した形状になっていた。
 ただし、運用上には両者には大きな違いがあるはずだった。

 これまでに地中海での戦闘でも、何度か利根型軽巡洋艦の姿が確認されているが、日本海軍では、利根型軽巡洋艦を長距離哨戒や索敵任務に主に使用しているらしかった。
 搭載されている水上機も、航続距離や哨戒能力に優れた多座の水上偵察機であるらしかった。この多数の水上偵察機をもって捜索や対潜警戒にあたっているのだろう。
 利根型軽巡洋艦自体も、他の日本海軍の巡洋艦とは違って、積極的に水上砲雷撃戦に用いるのではなく、空母部隊の直援任務を行っているようだった。
 先のマルタ島沖海戦でも、利根型軽巡洋艦は有力な戦闘艦であるにも関わらず、枢軸連合艦隊と国際連盟海軍の間で起こった夜間砲雷撃戦でも確認されていなかったから、あの時も空母部隊に随伴していたのだろう。


 ボンディーノ大佐も、脆弱な水上機をまとめて運用する母艦としてはそれが正しい運用だと考えていた。貴重な水上機を飛行甲板に抱えたまま積極的な戦闘を行うのは危険だったし、水上機自体を積極的な戦闘に使用するのはこの時期すでに無理が出てきていた。
 だが、ボルツァーノは、そのような空母部隊の直援に用いられている利根型軽巡洋艦とはすこしばかり違った目的で改装されているようだった。搭載されている機体がレッジアーネRe.2000Pアストーレであったからだ。

 アストーレは、イタリア海軍独立戦闘飛行群に採用された水上戦闘機だった。原型であるレッジアーネRe2000ファルコに水上戦闘機としての艤装を追加したアストーレは、水上機としては軽快な機体だったが、あくまでも単座の戦闘機だから長距離索敵や対潜哨戒任務には全く向いていなかった。
 多座機のように、それらの任務に必要となる航法や広域索敵を担当する操縦士以外の乗員を配置することが出来ないからだ。

 ボルツァーノが、そのような運用の難しい水上戦闘機を搭載したのは、それまでアストーレの母艦として運用されていた空母ファルコの代艦として運用するつもりだったからだろう。
 マダパン岬沖海戦で撃沈されたファルコは、艦隊内で空母と呼称されてはいたが、その実態は客船を改造した水上機母艦でしかなかった。おそらくイタリア海軍以外であれば、主力艦隊に随伴して積極的な運用をすることはなかったのでないのか。
 だが、原設計が客船としては船速に優れていたファルコは、独立戦闘飛行群の母艦として徹底的に水上戦闘機用に改装されたこともあって、正規空母を持たないイタリア海軍にとって貴重な洋上航空戦力を運用する母艦だった。

 しかし、そのファルコも、マダパン岬沖海戦において敵航空戦力による空襲を受けて撃沈されていた。いくら航洋型の大型軍艦に匹敵するほどの高速とはいえ、ダメージコントロールなどを建造時から考慮しているはずもない客船にすぎないファルコでは、英国海軍による航空攻撃に耐えられなかったのだ。

 ファルコで運用されていたアストーレは、重いフロートを抱えた水上戦闘機だったが、当時の英国海軍の空母艦載機も、洗練された近代機とはとても言えない複座戦闘機のフルマーや複葉のソードフィッシュ、アルバコアであったため、防空任務に徹すれば互角に戦うことも難しくなかった。
 あくまでも防空空母として運用されていたファルコの喪失後は、マルタ島沖海戦までイタリア艦隊は積極的な洋上戦闘をさけるようになっていたのだ。
 だから、ファルコの代艦として、洋上でアストーレを運用できる母艦として短時間で戦力化できるボルツァーノが航空巡洋艦としての改装を受けたのだろう。


 だが、ボンディーノ大佐は、イタリア海軍上層部のそのような構想は、すでに破綻しているのではないかと考えていた。

 確かに建造中というイタリア海軍初の正規空母が就役する気配は全くなかったし、水上機母艦の代替艦を新規に建造することも難しかったから、原型を高速の重巡洋艦とするボルツァーノは、艦隊随伴型の水上戦闘機母艦としては、急場凌ぎとしてみれば、一見よくまとまっているようにもみえるだろう。
 搭載機数は、大型客船を改装したファルコに比べて少ないし、閉囲された格納庫もないから洋上での航空機整備は難しいかもしれないが、どのみちイタリア海軍の行動半径は短く、長期間の行動を前提としないのだから、大した問題とはならないはずだ。
 また、客船から水上機母艦に改装される際に、独立戦闘飛行群司令らの要求によって、徹底的に航空機運用時の使い勝手を重視されて改装されたファルコに比べれば、現在のボルツァーノの航空艤装は貧弱極まりないものだった。
 特に、純粋な重巡洋艦状態と同じく一基しかないカタパルトとデリックは、多数の搭載機を連続射出させることが難しく、戦闘機隊としての運用を難しくさせていたが、搭載機数自体がファルコよりも少ないのだから、致命的な問題となるほどではないだろう。

 問題があるとすれば、搭載機であるアストーレ自身がマダパン岬沖海戦から現在までの二年近くの間に恐ろしいいまでに陳腐化してしまっていること、それを操る搭乗員自身の練度もかつてよりも著しく低下していること。
 何よりも、本来アストーレが洋上で援護するはずだった主力艦隊がマルタ島沖海戦の敗北から積極的な行動を避けるようになってしまったことにあるだろう。


 もっとも、主力艦隊が揃ってほとんど非稼動状態にあることは、イタリア海軍全体にとっては大問題になるが、ボンディーノ大佐個人にとっては些細な問題だった。
 それよりも稼動状態の貴重な大型艦の一隻として、海上護衛戦に投入されるボルツァーノをどうやって運用すればいいのか、そちらのほうが重要だった。

 現在のボルツァーノは、数隻のアニモソ級護衛駆逐艦からなる有力な護衛戦隊の旗艦として、北アフリカとイタリア本土を往復する船団の護衛任務についていた。
 アニモソ級は、戦時において駆逐艦、護衛艦を急速に補充するために、開戦前後から起工された護衛艦艇だった。従来の同クラスの水雷艇などと比べると、対艦兵装は貧弱で、速力も低かったが、その分だけ安価で工数も抑えられていたから、すでに10隻以上が起工されて、続々と就役し始めていた。
 そのような鈍足の護衛艦艇の旗艦として運用されるのだから、ボルツァーノが搭載するアストーレも、もはや戦闘機としては期待されておらず、上空での対潜哨戒などに用いられるのを前提としているのではないのか。
 長距離レーダーで敵機を察知して、即応体制にある1個小隊3機を次々と射出すれば、ある意味で母艦としてのファルコの任務は済んでいたが、航空艤装の貧弱なボルツァーノでは連続射出など思いもよらないから、対潜哨戒に用いる搭載機の使い所には悩まされることになるのではないのか。
 水上機は射出する時よりも、洋上に着水してから収容するほうが手間がかかるから、船団から容易に離れる訳にはいかない海上護衛時に運用するのはさらに難しくなるだろう。


 それに、元々水上戦闘機として開発されたアストーレではあったが、すでに純粋な戦闘機として運用することは期待出来そうになかった。
 マダパン岬沖海戦の時点では、イタリア海軍の相手は英国海軍地中海艦隊に限られていた。
 本国艦隊や、不穏な動きを見せるアジア植民地などにも戦力を展開させなければならなかった当時の英国海軍は、地中海艦隊に大兵力を投入することが出来なかったから、砲雷撃戦用の水上戦闘艦の総数もイタリア海軍とほぼ同等に限られていた。
 その空母艦載機も日本帝国から輸入したのであろう強力なゼロファイターと呼ばれていた零式艦上戦闘機あるいは英国名称でマートレットは数が限られていたから、水上戦闘機というハンデを背負っていたアストーレでも、当時の英国海軍地中海艦隊の主力機であるフルマーやアルバコアに対抗することができていたのだ。

 だが、あれから二年の間に状況は大きく変化していた。交戦国は実質上英国のみであったのに対して、現在は国際連盟軍という聞きなれない相手に変わっていた。その主力は英国海軍に加えて日本帝国海軍が新たに加わっていた。
 日本海軍は、少なくとも開戦当初の英国海軍地中海艦隊と同程度にはなる有力な戦力を地中海に派遣していた。しかも搭載機数の少ない英国海軍の正規空母に対して、太平洋での艦隊決戦を前提に艦隊を編成していた日本海軍は、搭載機数の大きな正規空母をまとめて運用する機動部隊を地中海に投入していた。
 さらに、艦載機の性能も大きく変化していた。二年前には英国海軍が自国仕様のマートレットを極わずかに運用していた零式艦上戦闘機だったが、当たり前だが日本海軍の正規空母部隊は戦闘機部隊の全機がそれを装備していた。

 英国海軍でも、旧式となったフルマーは最近では姿を消しており、完全にマートレットが艦載戦闘機の主力に切り替わっていたし、艦載の攻撃機もソードフィッシュなどから、日本製のものを英国海軍仕様に改装した機体に切り替わりつつあるようだった。
 しかも、日本海軍の空母部隊では、先のマルタ島沖海戦において更なる新型機が確認されていた。機体の形状は概ね零式艦上戦闘機と同等のようだから発展型か改装型なのだろうが、エンジンが明らかに巨大化しており、その速度はこれまでよりも格段に上昇していたらしい。主翼形状も大きく変化しており、火力も増強されているのではないかと戦闘時の写真などから推測されていた。
 陸上基地から発進する独空軍機と互角に渡り合ったというから、二年前でさえ初期型の零式艦上戦闘機に対抗することが難しかったアストーレでは一蹴されてしまうのではないのか。


 戦闘機に加えて、攻撃機も性能を強化されていた。マルタ島沖海戦後に回ってきた最新の識別帳によれば、日本海軍の攻撃機は水冷エンジンを搭載した高速機に切り替えられているらしかった。
 それまでの旧式化した固定脚の九九式とは全く異なる機体で、戦闘機並みの高速度で通り魔のように攻撃してくるらしい。九九式にはかろうじてアストーレでも追いつけるかもしれないが、この新型攻撃機相手では、戦闘機のはずのアストーレの方が逆に優速を利されば撃墜されてしまうかもしれなかった。


 質の点でマダパン岬沖海戦から劣化しているのは、機体性能だけではなかった。二年前には空母ファルコに乗り組んだものがすべてだった海軍独自の防空戦闘機隊である独立戦闘飛行群は、今では戦域の拡大と激化を受けてその規模が拡大されていた。
 最もその理由の大半は、本来海軍基地上空の防空も担当するはずだった空軍と海軍との連絡が悪く、全く役に立たなかったことに業を煮やした旧飛行群司令が最高司令部にねじ込んだせいらしいが、詳しくはボンディーノ大佐もよく知らなかった。
 ただし、拡張された戦闘飛行群のほとんどは洋上に展開するのではなく、要港などの基地防空任務を実施する陸上基地配備部隊だった。母艦であるファルコが失われたから当然なのだが、ファルコが撃沈されたマダパン岬沖海戦から二年の間に、当時独立戦闘飛行群に所属していた搭乗員の大半は、教官や他隊の幹部要員として転出していた。
 だから、現在ボルツァーノ搭載の戦闘飛行群に所属する搭乗員達は、ボンディーノ大佐がかつて見知っていた初代独立戦闘飛行群の搭乗員たちほどの技量は有していないと考えるべきだった。


 ボンディーノ大佐は、途中でローマに立ち寄りながら、ナポリへと旅立つ頃には、何となく自分がヴィットリオ・ヴェネトの艦長職からボルツァーノへの異動命令を受けた理由が分かり始めていた。
 海軍最高司令部でも、改装工事を行ってしまったボルツァーノを持て余していたのではないのか。
 少なくとも大型艦の艦長職に初めて任命された指揮官などがこのような胡乱げな艦の指揮をまともにとれるとは思えない。
 一応は自分もヴィットリオ・ヴェネト艦長となってから数年経つし、相次ぐ海戦で撃沈された艦や負傷して艦隊勤務から離れた指揮官も少なくないから、今では熟練した大型艦艦長といってもおかしくはないはずだ。
 だから自分のようなベテラン層の指揮官がボルツァーノの艦長としてこのような運用の難しくなりそうな艦を押し付けられたのではないのか。

 ともかく早くボルツァーノに赴任して、艦や飛行隊の詳細を把握しなければならなかった。それにアストーレをまともに運用するのならば、戦隊司令や飛行長とも念入りな打ち合わせをしなければならないだろう。
 ローマで途中下車した時も、ボンディーノ大佐はそんなことばかりを考えていた。

 手回しよく、ローマ・テルミニ駅で下車しらボンディーノ大佐を、サンソネッティ中将が手配していた公用車が待っていた。その車内でも、ボンディーノ大佐はラ・スペツィアから持ちだした資料をずっと確認していた。
 サンソネッティ中将から指定された、ローマ郊外の高級住宅地が立ち並ぶ一角についた時も、ボンディーノ大佐は周囲の風景に注意を払っていなかった。その家の持ち主にも全く気がついていなかった。
 だから、家の中に使用人の案内で入ってから、車いすの男を見た時にとっさに対応することができないでいた。
重巡洋艦ボルツァーノの設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cabolzano.html
空母ファルコの設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvfalco.html
レッジアーネ Re2000、Re2000Pの設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/re2000.html
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