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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942東京―ローマ9

 最初に口を開いたのは、栗田少将だった。統合参謀部で作戦や動員計画の立案にあたる第一部の長である相沢少将に対して、丁寧な口調で栗田少将が尋ねた。
「陸軍では、有事の際の大規模動員計画が立案されていると聞きましたが、現状でその動員計画を発動させる予定はないということですか。
 一刻も早くドイツを屈服、講和に持ち込むというのが、我が国を初めとする国際連盟諸国の基本的戦略であると、先ほど塩沢次長はおっしゃいました。ですが、陸軍の大規模動員を行わずに、少数の現役部隊のみを前線に投入するというのは、その方針と相反するのではありませんか。
 緒戦から出し惜しみをせずに戦力を集中させて敵軍を圧倒するほうが、長期的に見て最終的な損害を局限できると考えますが、統合参謀部では海陸軍とで方針に違いがあるのでしょうか」

 問われた相沢少将は、不機嫌そうな表情を隠す様子もなかった。
「もちろん、統合参謀部の設立以前から、陸軍でも動員計画は策定されている。言うまでもないが、この動員計画は最新の状況に合わせて随時改正が行われている。
 大雑把に言って、現在の帝国の国力からすれば、海軍に引っ張られる兵を除いても、現役に復帰させた予備師団を含めて常設師団21個、これに加えて約50個程度は3単位編成の特設師団が増加可能としている。
 もちろん、これは予備師団や各師団の補充された兵に加えて、増加する特設師団に充当する兵器の生産を含めての話だ。常設師団の全部隊の戦時体制への移行に加えて、特設師団20個程度であれば短期間で編成は完了するはずだ」
「特設50個師団……ですか、計70個師団相当となりますが、兵器の配備はともかく、欧州圏まで兵站がもつのですかな。常識的に考えて現状の三倍の部隊規模となるのだから、弾薬や給与の配布は困難を極めると思うが」
 栗田少将はやや首を傾げながら言ったが、相沢少将はなんでもない顔でいった。
「補給に関しては、特別な計画は定める必要は無いと考える。極短期間で会戦が頻発しない限り師団への兵站が破綻する可能性は低いはずだ。この動員計画では、バイカル湖周辺住民の退避以外は民間の使用を禁じて、シベリア鉄道を全面的に軍用として使用する予定だから、満州共和国内の満鉄との連結を考慮すれば、ウラジオストック経由だけではなく、大連経由での海路も併用できる。
 帝国本土からの輸送には支障はないだろう。飛行分科戦闘の飛行戦隊は現在でも増強中だから、ソ連赤色空軍による襲撃による兵站線への損害も最小限で押さえ込めるだろう」

 遣欧艦隊司令部要員は顔を見合わせていた。村松少佐はおずおずといった。
「ということは、その動員計画というのは、基本的に対ソ戦を前提としているということですか」
 相沢少将は平然とした顔で頷いていた。
「この動員計画は、ソ連赤軍のロシア帝国への侵攻を前提として立案されている。我軍は、第20師団を中核に即応師団を加えて遣露軍団を構成し、ロシア帝国軍と共にソ連赤軍の第一陣を阻止するとともに、増援師団を逐次大陸に派遣することになる。同時に各飛行戦隊も随時、友邦ロシア帝国に進出し、航空撃滅戦を実施する。
 もちろん、ソ連赤軍の蠢動が確認された時点で全軍で動員が開始される予定だ。最悪の場合は、赤軍の正規軍に加えて、ソ連が支援する蒙古軍や中国共産党計の軍閥も戦列に加わるだろう。その場合、北のバイカル湖から、南は最低でも北京まで、2000キロ程度の前線が構築されるのではないかな」

 要領を得ない顔で、多くの遣欧艦隊司令部要員は相沢少将を見つめた。現状で対ソ戦用の動員計画が緊急に必要とは思えなかった。統合参謀部の基本戦略通りならば、その戦力は欧州方面に投入しなければならないはずだ。
 相沢少将は、視線を気にすること無く続けた。
「もちろんだが、現在の状況でこの動員計画を発動させることは出来ない。もしも一度動員を開始して、それがソ連に察知された場合、これを中途半端に解除することは出来ないと考えてもらいたい。
 その場合、動員が完結して我軍とロシア帝国軍の特設師団が戦線に投入される前に、独ソ戦によってすでに戦時体制に置かれているが故に即応体制にあるソ連赤軍が、モスクワ周辺の予備隊を一気に投入して先制攻撃を仕掛けてくるのは間違いない。
 念の為に言っておくが、我軍やロシア帝国軍が大規模動員を隠し通すことなど、動員に必要な人員数から不可能だと考えてもらいたい」

 どこかで聞いたような話だった。しばらくしてから村松少佐はおずおずといった。
「つまり陸軍が大規模動員を掛けた場合、大規模動員が開戦の引き金となった先の欧州大戦のようになる、ということですか」
 苦虫を噛み潰したような顔で相沢少将は頷いてみせた。
 田中秘書官が、場違いなほど落ち着いた声で言った。
「政治的な立場から言わせていただきますと、政府としては陸軍参謀本部で立案されていた対ソ動員計画の発動を許可することは出来ません。これはロシア帝国政府も同意見です。対独戦を再優先しているとはいえ、ソ連首脳陣が極東への関心を失っているとは考えられませんから」

 相沢少将は、更に不機嫌そうになっていた。
「そういうわけだから、現状で大規模な動員を一気にかけることは難しい。たとえそれが欧州への戦力投入を目的としたものであったとしても、ソ連首脳部がどのように解釈するか判断がつかんからな」

 戸惑いながらも、遣欧艦隊司令部要員は、押し黙っていた。陸軍の大規模動員が進められないわけは分かったが、それを知っても自分たちでは対処の仕様がなかったからだ。
 だが、末席から発言の許可を求める声が上がった。即座に相沢少将は、じろりと声の上がった方を睨みつけたが、永田大将は当然のように頷いていた。
 相沢少将の鋭い視線を気にする様子もなく、平然とした顔をしながら、企画院の長谷は淡々とした口調でいった。
「企画院としても大規模な動員には賛成いたしかねます」
 それを聞くなり、遣欧艦隊司令部要員はざわついていた。

 確かに、企画院も国家の総動員体制を実施する行政機関だったが、本来であれば、企画院が担当するのは陸海軍の将兵を除く、産業界や物流に関する人員の動員や、物資、財務の動員に関する政策の企画立案のはずだった。
 その企画院が、陸軍参謀本部や統合参謀部の専管事項である動員計画に口を挟むのは、筋違いだった。遣欧艦隊司令部要員や、相沢少将はそう考えているはずだった。
 だが、企画院の二人が遠慮する気配は全くなかった。

「現状では、陸軍が大規模な動員を行った場合、帝国の生産力は大きく低下し、その回復も難しいと考えられます。現在、陸軍省及び企画院、内務省などと共同で、現状の増産体制への影響を最小限に抑えるべく、現在の職種や経歴を精査した上で、一部の人員のみを動員する選抜招集を行っておりますが、今後しばらくはこの体制を維持するようにお願い致します」
「生産力の低下というが、聞いた話では、本土では生産工場でも女工などの非熟練工の大量採用と教育が進められているらしいが、それでも追いつかないということか」
 陸戦師団の伊原少将が首を傾げながらいった。
「非熟練工の育成と増強は現状では端緒に就いたばかりで、その成果が出るまでには、いまだ生産現場から熟練工を引き抜くわけには行きません。
 それに、現在各工廠及び製造各社では各種装備の増産体制に入っており、むしろ拡張された製造ラインの立ち上げには、これまで以上に生産現場を知り尽くした熟練工が必要になっています。少なくとも製造業から人員を大量に軍へ引き抜くことは不可能であるとお考えください」
 企画院の後藤が、長谷に代わって、手元の資料に目を落としながら答えた。

 後藤は顔を上げると続けた。
「国際連盟軍に参加する諸国の中で、自国産の兵器だけで、軍を曲がりなりにも組織できるのは、我が国を除けば、英国軍だけと言っても過言ではありません。その英国軍もカナダやインドといった戦線後方の英連邦の策源地があればこそといえるでしょう。
 結局は、自由フランスや亡命政府指揮下のアジア植民地軍などには、日本製の兵器や弾薬を供与するしかありませんから、先の欧州大戦時以上に我が国は兵器、弾薬の生産量増大が要求されております。政府の基本方針としてもこれに最大限答えるつもりですので、陸軍兵力の増強よりも、この増産された兵器類の移送も含めて、供給体制の確立の方に人員資源を集中すべきであると企画院では判断しております」

 伊原少将は、どこか呆れたような顔になっていた。
「何だか随分前にも聞いたことがあるような話だな……結局動員の開始そのものが開戦理由になってしまうということは、先の欧州大戦と同じ状況になるということか。
 それはともかく、アジア圏の植民地軍というのはあてになる戦力なのかな。要は弾除けにしかならんかどうかということなんだが。詳しくは知らないが、植民地軍というのは、本国軍と比べると二線級の装備しか支給されていなかったのではないかな。
 それに新規に編成される部隊は、現地人が大半になるらしいが、本国人の将校ばかりで、はたして現地人をちゃんと指揮することが出来るのかな」
 話の後半から顔を向けられた瀬島参謀は、やや戸惑いながらいった。
「それはなんとも言えませんが、インド師団などでは現地人の将校も出ているようです。今年の陸士でも、促成教育となるでしょうが、カンボジア、ラオスベトナムのアジア諸国から士官候補生を多数入学させています。彼らが実際に部隊に配属されれば、少なくとも中隊規模程度までであれば、現地人のみで戦闘指揮が可能かと思われます。徴集された兵達の訓練も、一部の特務機関が旧仏印の新独立国軍に対する支援として行っていますから、最低限の質は確保されていると考えてよろしいでしょう」
 眉をしかめたまま伊原少将は頷いてみせた。
「少なくとも木偶の坊ではないということか……」

 伊原少将は、頷きながらも視線を上座の永田大将に向けた。
「同盟国軍の動員は理解しましたが、我が陸軍も三個師団に続く増援部隊の編成は考えておられるのでしょうな。兵站に負担がかかるから北アフリカでは大部隊を展開する余地はないようですが、欧州上陸まで考えれば、とても帝国の派遣戦力が3個師団では足りませんぞ」
 永田大将は硬い表情で頷きながら、瀬島参謀を目線で促した。
「現在、選抜招集を受けた将兵の再教育を実施中ですが、これと平行して、各隊から現役兵を抽出して完全充足の連隊に集約させ、これを中核に師団の支援部隊の一部を配属させて特設の独立混成旅団を編成します。欧州方面には、この独立混成旅団を逐次派遣します。
 独立混成旅団の編成は、実質上は戦時に編成される支隊といってもよく、概ね歩兵連隊2個を基幹戦力として、旅団砲兵、戦車、捜索に加え兵站等の支援を行う各隊を大隊から連隊規模で配属させます。戦時編成に置かれた師団の約半分の戦力はあると考えていただきたいですが、砲兵はほぼ師団の全力を配属させますので、支援火力はより有力になるものと考えます。
 なお、状況は流動的ですが、独立混成旅団の司令部には、各師団の歩兵旅団司令部を中核に、師団司令部から参謀を引き抜いて指揮機能の強化をはかる予定です。
 この独立混成旅団編成後の各師団は、招集された予備役将兵と新たに徴兵された新兵の教育に専念し、前線の独立混成旅団に兵力を供給するものとします」
 永田大将も硬い表情のまま補足するように続けた。
「派遣軍の皆には済まないが、これがソ連を刺激せずにロシア、ソビエト国境での開戦を引き起こさない範囲で我が陸軍が展開できる戦力だと考えてもらいたい。ただし、砲兵や戦車隊は平時から充足率が高いから、これらの部隊を師団から抽出して、野戦重砲兵連隊などと共に独立部隊として軍直下の支援兵力として配属することも予定されている。
 北アフリカ軍にはすでに1個野戦重砲兵連隊を配属させているが、逐次支援火力は増強させる予定だ。また、飛行戦隊の拡充と戦線投入も、海軍同様に逐次進めていく」

 遣欧艦隊司令部要員は納得しかけた顔で頷きかけたが、伊原少将は渋い表情のままつぶやくようにしていった。
「戦力の逐次投入になって肝心なときに兵力が足りなくなったり、各個に撃破されなければいいがな」
 瀬島参謀はそれを聞いても表情を変えること無く、無言のまま伊原少将を見つめたが、永田大将は不機嫌そうに顔を背けた。

「だから小官は、平時から常備兵力を大きくしておくべきだと言っていた。緒戦から大兵力を投入して敵軍を圧倒できれば、短期の決戦で事はすんだのだ」
 相沢少将は、冷ややかな口調で口を挟んだ。

 それを聞くなり、永田大将は、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせながら相沢少将を睨みつけた。
「今更そんなことを言っても仕方あるまい。第一、平時から大兵力を常に備えていればいくらあっても金が足らん。貴公の言うように大規模な部隊を即応体制においておけば、今頃、我が陸軍は航空機や戦車、銃砲ではなく、兵隊が棍棒を抱えて戦う羽目になっていたぞ」
 辛辣な言葉を永田大将は口にしていたが、相沢少将も一歩も引くつもりは無さそうだった。こちらも鋭い目で永田大将を睨みつけながらいった。
「それはあまりにも極論というものでしょう。ならば現在の動員もままならずに、まともな師団すら揃えられない現状の方こそ異常ではないのですか。総力戦体制では、平時の軍備はあくまでも戦時に拡張される軍の中核となるべき精鋭部隊との話だったはずですが、今戦線に投入できるのはその「精鋭部隊」しか無いではないですか。これでは多少装備に劣っていたとしても、平時から即応体制に大兵力を置いていたほうがましだったと言っているのです」

 いつの間にか、室内の全員が永田大将と相沢少将の言い争いに注目していた。遣欧艦隊司令部要員は呆気にとられて二人の将官を見ていたが、統合参謀部の参謀たちの表情は幾つかにわかれていた。おろおろと二人の争いに介入するタイミングを探っているものもいたが、瀬島参謀などは、何処か冷めた目で二人を見ているだけだった。
 その様子を見る限り、統合参謀部の中では、統制派の重鎮である永田大将と短期決戦を唱える相沢少将の不仲は、周知の事実なのだろう。
 永田大将は、むっつりとした表情を浮かべて、相沢少将から視線をそらして、真直に目線を下座に向けていた。相沢少将も周囲の目線に気がついたのか、露骨に視線をそらしていた。だが言い争いは終わったようだが、ふたりとも納得した様子はなかった。お互いに主張をぶつけあっただけで、相手に合わせようという気配はまるでなかった。
 ただ一触即発の雰囲気が残されただけだ。

 村松少佐は、居心地が悪そうに、困ったような表情になっていた。陸軍将官二人がここまで真っ向から意見を食い違わせているような状況で、果たして統合参謀部は上手くまとまっていけるのか、それがよく分からなかった。


 険悪な会議室内の雰囲気を破ったのは、唐突に開いた扉から入っていた一人の伝令将校だった。会議室内の下座側の扉から室内に入った途端に、永田大将の鋭い視線と相対した伝令将校は、一瞬戸惑ったように視線を彷徨わせたが、すぐに立ち直ると素早く上座の永田大将と塩沢大将に近づいて、通信内容らしきものが記載された用紙を渡した。
 通信用紙を受け取った永田大将は、一瞥するなり眉をしかめると、同じく渋い表情となった塩沢大将と小声で何事か相談すると、向き直っていった。
「一旦閉会とする。再開予定は後刻伝達するが、本日中の再開は無いと思ってくれ」
 統合参謀部の参謀たちを促しながら、永田大将は慌ただしく会議室を出て行った。呆気にとられてそれを見ていた村松少佐の耳に、大賀中将の声が入ってきた。慌てて振り返ると、塩沢大将と大賀中将が、窓際で話し合っていた。
「それではやはりアレクサンドリアで……」
「いや、百キロほど離れたエル・アラメインになるだろう」
「エル・アラメイン……か。いずれにせよアレクサンドリアからは、航空機ならば指呼の間ということですか」
「場合によっては予定を早めて、空路で移動してもらうかもしれん。覚悟だけはしておいてくれ」
 村松少佐は、眉をしかめながら二人の会話に耳を立てていた。どうやら北アフリカで動きがあったのは確からしかった。だがこれからどうなるのか、それがわかっているものは遣欧艦隊にはまだいなかった。
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