挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
61/275

1942東京―ローマ5

 日本海軍遣欧艦隊に新たに配属される戦艦は、常陸と駿河の二隻だった。常陸型戦艦の一番艦と二番艦である二隻は、本来磐城型戦艦の四番艦以降として建造されたはずの戦艦だった。
 磐城型戦艦は、改正軍縮条約によって日本海軍の総排水量保有制限が対米比三割から四割まで拡大された枠を使って建造された艦だった。
 日本海軍にとって久々に新規建造された戦艦だったが、その戦力を疑問視するものは少なくなかった。
 軍縮条約の制限である基準排水量三万五千トン以下という制限枠内で、金剛型並の速力と長門型と同等の16インチ級主砲、それに主砲に対応した装甲を求められたために、連装となった主砲塔の搭載数が三基、計6門に抑えられていたからだ。
 つまり、磐城型は速力や装甲はともかく、砲力の点では投射弾量で15年以上前に建造された長門型よりも劣ることになっていた。

 磐城型がこのような諸元となったのには、軍縮条約の制限の中で速力と打撃力、防護力の三点のうち、速力と16インチ級主砲の搭載という二点を重視したからだが、更に、磐城型がもともと拡大枠の三隻にとどまらず、日本海軍の戦艦の中で最古参である金剛型の代艦として更に三乃至四隻の建造が見込まれていたからであるらしい。


 当初巡洋戦艦として建造された金剛型は、その速力を活かして、昼間の艦隊決戦において敵戦艦と伍して砲撃戦を行う戦艦としての運用にとどまらず、水雷戦隊や巡洋艦による敵艦隊への夜間雷撃に随伴して、敵巡洋艦などの警戒部隊を撃破して味方部隊を援護したり、戦艦同士の艦隊決戦に先立つ機動部隊による空母決戦にも護衛艦としての随伴など、あらゆる任務に投入されるいわゆる高速戦艦としても運用される戦力だった。
 金剛代艦でも、このような使い勝手の良い金剛型同様に、幅広い運用が検討されていた。だから、砲力だけではなく、高速の空母機動部隊や、軽快な巡洋艦戦隊、水雷戦隊に随伴しうる高い機動性が求められていたのだ。

 改正軍縮条約では、日本海軍の保有枠増大などと同時に、各国海軍が保有する旧式艦の代替が認められていた。これにより、英国ではキングジョージ五世級戦艦、米国ではノースカロライナ級戦艦が建造されていた。
 これらの艦は、当初は旧式艦の代替として建造されていたものの、欧州での大戦勃発による軍縮条約の破棄によって保有枠制限が消滅したことから、各国共に旧式艦を廃艦とすること無く、戦力を純増させることとなっていた。

 しかし、代替として建造が認められた各艦は、英国政府の強い要望によって、廃艦となる旧式艦と同一口径砲、つまり14インチ砲までと主砲の口径が制限されていた。
 日本海軍も、金剛の代艦として建造される戦艦主砲には14インチ、つまり36サンチ砲を想定していた。この金剛代艦は、磐城型の準同型艦となる予定で設計が進められていたらしい。

 おそらく実際にこの金剛代艦となる戦艦が建造されていれば、磐城型の主砲を36サンチ三連装9門程度に交換し、増えた主砲塔の重量の代わりに装甲を対36サンチ対応まで減厚した程度の改設計が行われた艦にまとめられていたはずだ。
 だが、計画が進められていたという金剛代艦の実際を知るものは艦政本部でも、極限られた部員しかいなかったはずだ。詳細検討どころか、性能要目さえ決定される前に、金剛代艦の建造計画は、軍縮条約の無効化によって自然と破棄されていたからだ。


 実は、軍縮条約の延長が決定される前から日本海軍では対米戦を睨んで、六万トンにも達すると言われる大型戦艦の建造を計画していたらしい。そして、軍縮条約の無効化と、それに伴う米海軍の拡張計画が明らかとなったことで、この計画が再開されることとなった。
 現在呉工廠と三菱重工長崎造船所で建造されている新戦艦がそれだった。長門型や磐城型が装備するよりも長砲身の41サンチ砲を搭載した艦らしいが、村松少佐は詳細を知らなかった。

 しかし、この新戦艦が実際に建造されるまでには、かなりの紆余曲折があったらしいと聞いていた。この時期、日本海軍は、欧州大戦勃発を受けて大量の戦時標準型貨物船や護衛艦艇、空母などの建造を行っていた。
 その一方で戦艦建造に割り振れる船渠の数は少なかった。だから続々と就役する米戦艦群に対抗するために、個艦優越主義を極めたような大型艦の建造に踏み切ったらしい。
 しかし、過去に建造計画が進められていたとはいえ、現在建造中の戦艦は実質上全くの白紙状態から計画されることになった。そのうえ、条約に縛られた磐城型に不満足であった反動故か、新戦艦の建造計画は艦政本部内外から幾つもの案が提出されて迷走していたらしい。


 遅々として新戦艦の基本計画が進まない中で、確実に拡張を続ける米戦艦との戦力格差を埋めるために、いわば新戦艦までのつなぎとして急遽建造されたのが常陸型戦艦だった。
 磐城型四番艦、あるいは金剛代艦となるはずだった戦艦は建造が中止されていたが、建造のためにある程度の資材が集積されていた状態であり、これを流用することで極力短時間で戦力化することを前提として計画は進められたらしい。

 設計及び建造工程を短縮するために常陸型戦艦は、準備されていた資材だけではなく、その時点ではいまだ建造途中であった磐城型戦艦の線図も可能な限り流用されたらしい。
 その結果、常陸型戦艦は艦体を延長し、主砲塔は四基に増設されてはいたが、船体線図を磐城型から一部流用した結果、船幅は殆ど変わらなかった。
 また、搭載された主砲塔は、結局新造されることの無かった36サンチ砲ではなく、長門型や磐城型と同じ41サンチ連装砲塔が搭載された。これはかつての八八艦隊計画で製造されていたものや、長門型の予備用として製造されていたものの転用だった。
 磐城型用として製造済であったタービン主機も常陸型に転用されていた。艦隊が拡大された常陸型では、磐城型よりも出力の増大が求められていたが、主機はそのままに、同じく磐城型戦艦用に製造されて、転用されていたボイラー搭載数の増加でこの問題を解決していた。


 だが、規模を拡大した常陸型戦艦に、磐城型戦艦から転用された設計、資材をそのまま適用させるのにはかなりの無理があったらしい。日本海軍の戦艦としては異例なほど大きくなった全長全幅比は、速力増大には寄与していたが、復元力が悪化して悪天候時や、主砲発砲時の衝撃による横揺れが激しくなり、砲戦時に悪影響をおよぼすことが懸念されていた。

 実際、就役前の公試時に行われた主砲発射試験では、同じ主砲構成であるはずの長門型と比較して、散布界は過大に広いものであったらしい。細長い船体に主砲発砲時の衝撃で生じたねじれが原因なのではないのかと噂されていたが、今のところこの問題の原因が解明されたという話は聞いていなかった。
 それが理由というわけでもないだろうが、長門型で構成された第1戦隊に続いて、同型二隻で第2戦隊を構成しながらも、常陸型戦艦はいわゆる「戦艦」として米艦隊主力に備えて温存されるのではなく、磐城型戦艦同様に「高速戦艦」として扱われるようになるようだった。
 常陸型戦艦が就役直後に遣欧艦隊に配属されたのも、高速戦艦として運用されることの現れなのではないのか。


 しかし、遣欧艦隊司令部要員が常陸型戦艦二隻に冷ややかな態度を見せているのは、ハードウェアとしての欠点だけが理由というわけではなかった。
 常陸型二隻が揃って艦隊に就役してから、わずか数ヶ月しか経っていなかった。就役直後から絶え間ない慣熟訓練を続けているはずだが、艦隊に編入されたばかりの戦艦乗員たちの練度が高いとは到底思えなかった。

 就役中の艦では余程の問題児でもない限り、高度な訓練を受けた乗員達、特に老練な下士官層は手放されることはなかった。
 特に戦艦の砲術科などでは、海兵団から一度艦に配属されてから、陸上での学校教育などを除けば、除隊まで異動を経験せずに、ずっと一隻の艦に乗り続けている主のような下士官や特務士官も少なくなかった。
 逆に言えば、機材の構成や、艦固有の癖を知り尽くしたそのような老練な下士官層がいなければ、戦艦のような巨大なハードウェアを満足に動かすことは難しかったのだ。

 だから、単に乗員が定数を満たしているだけでは戦闘艦は十分な戦力とはいえなかった。
 就役したばかりの戦艦に十分な経験を積んだ下士官が大勢乗り込んでいるとは思えないし、その下で実際に艦を操作する立場の水兵達も、海兵団で初期教育を終えたばかりの初年兵が少なくないのではないのか。

 遣欧艦隊司令部要員の多くはそのような理由から、常陸型戦艦の戦力価値に疑問を抱いていたのだった。もちろん練度不足は常陸型戦艦ばかりではなかった。他の新鋭艦も、練度はそう高くはないはずだ。
 どことなく白けた雰囲気を察したのか、海軍参謀の説明が途切れていた。


 静寂を破って次に声を上げたのは大賀中将だった。実質上遣欧艦隊司令部を代表しての発言だった。中将の声にはそれだけの重みがあった。
「このような大兵力を遣欧艦隊に配属してもらえるのはありがたいが、これだけの戦力を艦隊から抽出しては、帝国本土の守りが薄くなってしまうのではないのか。
 それに見たところ新たに遣欧艦隊に加わるのは新鋭艦ばかりのようだが、隊としての練成は十分であるのか。
 この二点に関して、統合参謀部の考えをお聞かせ願いたい」
 口調は穏やかだったが、大賀中将の目線は鋭かった。半端な説明では納得しないつもりなのだろう。そのことを察したのか、目を向けられた海軍参謀は、戸惑ったように視線を彷徨わせてから、上座の方に顔を向けた。


 上座の永田大将と塩沢大将は、顔を見合わせて相談する様子を見せてから、塩沢大将がすこしばかり頷いてみせた。
 口を開いたのは塩沢大将だった。軽く手を挙げると、いつもの柔らかい口調で説明を始めた。
「まず後者について説明したい。今回遣欧艦隊に配属となる艦の乗員のうち水兵は、基本的に二年兵以上で、大半は三年兵となっている。また、第2戦隊の戦艦乗組になる特務士官、下士官のうち砲術科は41サンチ砲の取り扱い経験者を選抜している。常陸型戦艦の主砲塔はこれまでの41サンチ砲と同一だから、砲台長以下は十分な練度を有していると判断して構わない」

 塩沢大将は落ち着いた口調で話したが、遣欧艦隊司令部要員はそれを聞くなり顔を見合わせているものが多かった。
 41サンチ主砲を搭載した磐城型戦艦が全て欧州に投入されている現状から判断すると、同砲を扱った経験者とは、第1戦隊の二隻の長門型戦艦の乗員しかあり得なかった。
 だが、第1戦隊の長門と陸奥は日本海軍の象徴とも言える基幹戦力だった。

 軍縮条約の締結に前後して就役した長門型2隻は、すでに艦齢20年に達していたが、扶桑型や伊勢型と同様に度重なる改修工事によって、現在でも新鋭戦艦に匹敵する戦力を有していると考えられていた。
 少なくとも建造中の大型戦艦が就役するまでは、第1戦隊の二隻の長門型戦艦が日本海軍の最強戦艦であるはずだった。
 だが、塩沢大将の言葉をそのまま受け取れば常陸型戦艦には、長門型戦艦の乗員が引き抜いて配置されることになる。それでは砲術科の下士官兵を引きぬかれた2隻の長門型はひどく弱体化してしまうのではないのか。


 しかし、遣欧艦隊司令部の要員が何かを言う前に、塩沢大将が続けた。
「乗組員が異動となるのは、第1戦隊だけではない。新編の防空巡洋艦、駆逐隊の要員には、第1艦隊から将兵を転属させてあてている。これで充足率は、八から九割を維持している。
 その代わり、海兵団を出た初年兵のうち、艦隊勤務となる兵は一旦第1艦隊で全て預かることとする。今後新編される予定の戦隊には、第1艦隊で育成したこの初年兵を順次配属させていく予定だ。もちろん状況に変化があった場合はこの限りではないが……」
 村松少佐は呆気にとられて塩沢大将の説明を聞いていた。

 初期教育を行う海兵団を出たばかりの初年兵を大量に配属された第1艦隊は、一時的にせよ艦隊としての練度が大きく下がるから、仮想敵である米海軍に対抗するために編成された本来の決戦部隊としての役割を果たすことなど出来ないのではないのか。
 初年兵の大量配属と、古年兵や下士官の他部隊への転属は、実質上第1艦隊を練習艦隊化するのに等しかった。

 本来、日本海軍では兵学校卒業直後の初期士官教育などを実地で行う練習艦隊が編成されていたが、旧式化した装甲巡洋艦の代替として、日本海軍初の専用練習艦として建造された香取型練習巡洋艦は就役直後から海上護衛部隊の旗艦などに転用されていた。
 だから、その代わりに出撃すること無く日本本土に留め置かれている第1艦隊を士官教育に加えて、艦隊勤務に新たに配属された初年兵の教育まで兼ねる実質上の練習艦隊に転用しようとしたのではないのか。
 だが、すでに第一艦隊からは高速戦艦で編成された第三戦隊などの有力な部隊が南雲中将指揮下の欧州派遣部隊に編入されていたから、その戦力は大きく低下しているはずだ。
 これでは日本本土の守りが疎かになってしまうのではないのか、大賀中将でなくともそう考えるはずだった。
磐城型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbiwaki.html
常陸型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbhitati.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ