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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942東京―ローマ3

 会議室の扉を開けた村松少佐は、窓際に座る人物の姿を見て一瞬目を見開いていた。
 そこには陸海軍の軍装ではなく、背広を着込んだの三人の男女がいたからだ。
 ただし、所属する組織が異なるのか、男一人と男女二名の二組に分かれて座っていた。

 一人別れた男の方は、顔見知りなのか、佐官級の参謀と熱心に話し込んでいた。
 やけに表情豊かな男だった。あるいは意識してそうしているのかもしれない。何故かはよくわからないが、村松少佐はその男から政治家の匂いを嗅ぎ取っていた。
 常に周囲の人間を意識しているかのような演技じみた振る舞いを見せていたからかもしれない。

 もう片方の、一組の男女は会議卓の端に固まって端座して押し黙ったまま、手元の資料をめくっていた。
 二組の何れもまだ若いようだった。三人の中では女性が一番年かさのように見えたが、それでも三十の半ばにも達していないのではないのか。男の方は、どちらも20代なかばから三十路くらいだろう。

 二組に分かれてはいるが、男女とも背広姿なのは共通していた。
 三人共黒茶の地味な色使いの服装だったが、仕立てを見る限りでは安物では無さそうだった。いずれもオーダーメイドなのだろう。


 明らかに軍人ではない雰囲気の三人に違和感を感じて、村松少佐や何人かの遣欧艦隊司令部要員は立ち止まっていたが、統合参謀部の人間は民間人に慣れているのかのか気にした様子のものはいなかった。
 村松少佐らの不審げな表情に気がついたのか、上座にいた統合参謀部総長である永田鉄山陸軍大将が、わざとらしく咳をした。
 慌ただしく遣欧艦隊司令部要員も席についたのを確認すると、永田大将の脇にいた統合参謀部次長を務める塩沢海軍大将が、いつもの柔らかな口調で始めた。
「それでは会議を始める。最初に陸海軍以外の参加者を紹介する。こちらは内閣官房より山本総理の命で来られた田中秘書官だ」
 村松少佐は、人の良さそうな笑みを浮かべながら深々と一同に頭を下げた田中秘書官の顔をまじまじと見つめた。政治家の匂いがしたのは間違いなかったようだった。

 田中秘書官は、いかにも好青年といった様子だったが、その若さで老獪な山本総理の秘書官を務めているということは、見た目通りの人間だとは思えなかった。
「ご紹介にあずかりました田中です。本日は山本の方が他の予定が詰まっており、皆様方と内閣官房で方針を共有すべく、総理の代理として私が参りました。ですが、遣欧艦隊司令部の壮行会には是非にも出席したいと山本が申しておりました」

 挨拶を言い終えた田中秘書官がちらりと視線を脇の男女に向けた。今度は永田大将が一度頷くと、硬い声でいった。
「本日は陸海軍の物資、人員双方の動員計画についての説明が主となる。そこで補足説明が必要な場合に備えて、国家総動員態勢に関して、実際に企画立案を行なっている企画院より長谷君と後藤君に来てもらった」
 村松少佐はまだ戸惑った顔で企画院の二人を見ていた。戦時体制下における物資動員などに関して各省庁にまたがって一元的に管理するための組織として設置されたのが企画院だった。
 企画院は、永田大将らの陸軍統制派とも気脈を通じる革新官僚らの巣窟であると聞いていた。なんでも国家指導による強力な統制経済態勢を日本にしくのが目的であるらしい。だが、海外派遣の長かった村松少佐には企画院の具体的な動きはよく分からなかった。

 長谷と呼ばれた若い女は、名前を呼ばれた時にだけ僅かに表情を変えた、かのように見えた。実際には頬をわずかに歪めただけだった。
 まだ若い女性だったが、華やかさや柔らかさとは無縁だった。村松少佐には彼女の表情は全く読み取れなかった。まるで感情が無いかのようだった。

 後藤は長谷よりもまだ若く、三十路にも達していないかのようだった。
 こちらも表情を変えずに一礼したが、長谷とは違って無理に感情を押し殺しているように見えた。
 それに多数の将官級将校を前にして緊張している感もあった、

 おそらく後藤一人でいれば、村松少佐にも表情は読めなかっただろう。だが、極自然に表情を見せない長谷と並ぶと演技をしているのが一目瞭然だった。

 村松少佐は、無表情の長谷を見て、彼女の正体に気がついていた。確か十年ほど前に女性初の高等文官試験の合格者となったのが彼女であるはずだ。
 先の欧州大戦による女性の社会進出を契機として、官僚にも女性が採用される例が増えていたが、高等文官試験に受かった女性はまだ数が少なかった。
 政府関係者には彼女の存在を、日本における女性の社会進出の広告塔に持ち上げようというものもいたそうだが、肝心の本人がこのよう愛想のない様子では、いくら有能な官吏であっても広報の役には立たないのではないのか。


 永田大将の次に立ち上がって説明を開始したのは、統合参謀部の海軍参謀だった。
「先のマルタ島沖海戦における損害ですが、最終的に戦艦が榛名、霧島及び岩代を喪失、金剛は中破、本土の工廠にて修理、改装工事が開始されたところです。
 磐城はマルタ島沖海戦では小破状態でしたので現地アレクサンドリアにて修理後、地中海戦線での対地支援任務のため艦砲射撃を行なっておりました。
 ですが、先日独空軍急降下爆撃機の攻撃を受け、機関に損害が出ています。幸いなことにアレクサンドリア港で行なった工作艦による調査では損害は小さいとのことですので、英国の協力でインドのコルカタのドックで修理の予定です。
 すでにコルカタに向けて海軍工廠から技術員を派遣するため人選中です。
 播磨、比叡も同じく小破状態でしたが、播磨はマルタ島沖海戦とその後の対地砲撃によって砲身命数が尽きたためにコルカタで砲身交換と機関修理を行なっておりました。現在はおそらくインド洋をアレクサンドリアに向けて航行中です」

「要するに現在、前線に配置されている戦艦は比叡一隻ということか……」
 栗田少将が苦虫を噛み潰したような顔でいった。参謀は頷き返しながらいった。
「比叡の主砲砲身命数も余裕が無くなっています。予備の主砲砲身はアレクサンドリアに搬入済ですので、播磨が前線に復帰後に現地で工作艦による換装工事を行う予定です。
 巡洋艦戦隊も、第4,5,7,11の各戦隊は大雑把に言って戦力は半減しています。戦隊司令部にも損害が出ていますので、第4,7の2個戦隊を残して、残存艦を配属しています。
 こちらも中破以下は現地で修理工事を行なっています。
 対地支援砲撃を行う艦が不足しておりましたので、鳥海だけは水雷兵装を減じて対地砲撃専用艦に指定して現地にとどめております」

 かつての乗艦の名を耳にして村松少佐は愁眉を開いた。
 鳥海は艦橋を破壊され、戦闘幹部がほぼ壊滅しており、主力対艦兵装である魚雷発射管にも損害が出ていたが、主砲や機関にはほとんど損害が無かったことから現地で応急修理の後に地上支援に駆り出されていた。
 艦長などの高級指揮官はすでに後任が着任しているはずだが、村松少佐が通信長であった頃の乗員も大半はそのまま残っていた。

「水雷戦隊は巡洋艦戦隊の援護もあって損害は少なかったようです。現在は常時マルタ島周辺に一個戦隊を展開して補給船団護衛に当たらせています」
 海軍参謀はそこで口を閉じると、一旦周囲を見渡した。予め伝えられた情報ではあったが、あまりにも大きい損害に皆一様に重苦しい表情になっていた。
 この損害は、日本海軍が一度の海戦で被った損害としては、最大規模となるのではないのか。

 だが、大賀中将は陰鬱な雰囲気を払い飛ばすつもりなのか明るい声で言った。
「損害に関しては理解したつもりだ。戦力回復に関しても概ね把握している。では統合参謀部では、マルタ島沖海戦で敵艦隊……というよりも敵軍の戦略に与えた損害、影響に関してどのように考えているのか、それを聞かせてもらいたい」

 参謀は、助かったとばかりに大きく頷きながらいった。
「統合参謀部の分析では、先の海戦の結果、マルタ島周辺の制海権、制空権は完全に国際連盟側が掌握したものと判断しております。確認されている戦艦だけでもイタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦一隻、おそらくはリットリオ、カイオ・デュイリオ級二隻、フランス…失礼、ヴィシーフランス海軍のプロヴァンス級一隻の撃沈が確実です。
 また、ビスマルク級、おそらくは2番艦であるテルピッツは先日の航空偵察によってタラント港内に逼塞しているのが確認されました。他のドイツ海軍艦艇が地中海を脱出しているのが確認されていること、イタリア海軍の主力が前線であるタラント軍港から後方に回航されていることを考慮しますと、テルピッツは行動能力を失っているか、著しく減じている。
 あるいは戦力価値を失っていると枢軸国首脳部に判断されていると考えられます」


 遣欧艦隊の参謀が、手元の資料をめくりながら怪訝そうな顔で尋ねた。
「イタリア海軍は戦力を後退させているのか……」
「少なくとも重巡洋艦以上の大型艦はタラント軍港から後方に下がらせているようです。陸軍の司令部偵察機によってタラント軍港は定期的に偵察を行なっておりますが、マルタ島海戦以降は大型艦の数が激減しているようです。
 同時期に船団護衛などで出撃しているのも観測されておりませんから、後方に下がったものと判断しております」


「これはイタリア海軍、あるいは枢軸海軍が守勢に回ったと判断すべきなのだろうか」
 栗田少将が資料から目を上げながらいった。その表情には僅かな疑念の色が浮かんでいた。
 これまでの間、概ねイタリア海軍は積極的な行動をとっていたからだ。英国海軍によるタラント軍港奇襲攻撃への反攻から、マダパン岬沖海戦までは少なくとも攻勢に回っていたはずだ。
 貴重な戦艦を喪失したマダパン岬沖海戦以降は、やや消極的になっていたようだが、それでも重巡洋艦以下の軽快艦隊によるマルタ島に向かう英国海軍の護衛船団への襲撃は盛んだったし、枢軸海軍全体としてみれば主力艦もヴィシーフランス海軍の参戦と、ドイツ海軍の地中海への回航によって戦力はむしろ増強されていた。

 確かにこれまでの戦闘でイタリア海軍が被った被害は少なくないが、日英海軍と比べてその比率が大きく不利だとは思えなかった。ここで守勢に回るとしても、それは一時的なものではないのか。
 だが、参謀は一度首をふるといった。
「統合参謀部では、枢軸軍首脳部はマルタ島への進攻を放棄したものと判断しています。自由フランス、英国の情報機関からの情報では、ヴィシーフランス海軍は母港に帰還しておりますし、一部の艦はドイツ海軍主力に随伴して大西洋に脱出した模様です。
 地中海に残存する戦力ではでは我が方の戦力を一時的に排除することが出来たとしても、長時間つまりは占領できるだけの兵力を再び送り込む事ができほどの間マルタ島周辺海域を制圧することは不可能です」

 統合参謀部の海軍参謀がちらりと横に座る陸軍の参謀に目を向けると、その陸軍参謀が助け舟を出すように立ち上がりながら行った。
「統合参謀部第二部、瀬島です。私の方から敵陸軍部隊の動向に関連して補足いたします。先のマルタ島沖海戦時に同島に侵攻した敵部隊は、ドイツ空軍指揮下のアフリカ降下猟兵旅団とイタリア陸軍指揮下のフォルゴーレ空挺師団の一部と判明しております。
 これら独伊の空中挺進部隊は、マルタ島攻略のために特に最精鋭の部隊を集成したものと捕虜の証言から判明しています。部隊編成時期は極最近であり、この捕虜の証言は概ね正確であると考えられます。
 その空中挺進部隊をマルタ島での戦闘で喪失した以上、再度同規模、それも長期間の練成期間を必要とする特殊兵科である空中挺進部隊を編成することは、ドイツ陸軍がいかに強大であっても短期間では不可能です」

「つまり虎の子の空挺部隊を失ったことで、枢軸軍のマルタ島進攻の可能性はなくなった。統合参謀部ではそう判断しているということか」
 栗田少将がそういうと、陸軍参謀が頷きながら続けた。
「イタリア陸軍のフォルゴーレ空挺師団は、今回のマルタ島進攻に参加した部隊は一部であったらしく、残余の部隊がすでに北アフリカ戦線で英国軍の特殊任務部隊によって確認されています。
 マルタ島の攻防戦からフォルゴーレ空挺師団残余の戦線投入までの期間を考えますと、少なくともイタリア軍は空中挺進部隊によるマルタ島進攻を早々に断念したと判断して間違いないかと思われます」

「空路進攻を断念して、海上輸送に主力を振り向ける可能性に関してはどうか」
 再度、栗田少将が尋ねると、今度は海軍参謀が口を開いた。
「英国への本土侵攻を断念したことからも明らかなように、ドイツ陸海軍の揚陸艦や陸戦隊、海兵隊といった水陸両用部隊は我が方と比べて弱体です。これは地中海戦線においても同様です。ヴィシーフランス、イタリア双方もドイツ同様、あるいはそれ以上に両用戦のノウハウは少ないと見ていいでしょう。
 欧州各国は地続きですし、北アフリカ戦線でもイタリア領リビアを策源地としなければ大規模な戦力展開は出来なかったでしょう。
 これからも両用戦力の増強には注視する必要はありますが、逆に言えば輸送機、輸送艦艇等の増強がなければマルタ島は空襲以外は安全であると考えてよいかと」

 資料をめくっていた遣欧艦隊の戦務参謀が首を傾げながら言った。
「守勢に転じたというよりも、単に補給……燃料油が足りなくなって大型艦の稼働率が低下したという可能性のほうが高いのではないですか。確かイタリアの石油資源はルーマニアからの輸入に依存していたのではなかったですか」
 陸軍参謀が返した。
「仰るとおりです。ルーマニアのプロエスティ油田から算出される石油資源はイタリアのほぼ全需要、枢軸国全体で見ても3分の1程度をまかなっていたと推測されています。司偵による航空偵察によれば今に至るもプロエスティ油田地帯は全面復旧はされていないようですから、産出量の減少はあるでしょう」

 戦務参謀はそれに頷きながら、手元の資料をめくりながらいった。
「これによれば、北アフリカに向かう補給船団を襲撃した友軍機によってイタリア海軍艦艇の護衛が確認されています。確認された艦艇は最大でも軽巡洋艦のようです。
マルタ島が陥落しようがしまいが、北アフリカに展開する独伊枢軸軍への補給が欠かせない以上、貴重な燃料油は使い道のない大型艦艇よりも護衛任務に使用する軽快艦艇部隊に集約させているのではないでしょうか」
 何人かが頷いたが、海軍参謀は更に続けた。

「理由はどうであれ、独伊枢軸海軍が積極的な行動を控えているのは確かです。
 これに対して、北アフリカ戦線の陸軍部隊でも、双方ともに行動を控えて膠着状態にあります」

 そこで海軍参謀は、再び陸軍の瀬島参謀に目を向けていた。
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