挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
58/268

1942東京―ローマ2

 木々が赤茶色に染まっているを見て、村松少佐は最初は枯れ木が放置されているのかと思っていた。もちろんいくら戦時中とはいえ、軍中央部が配置された敷地内に枯れ木を放置するほど管理が行き届かないはずもなかった。
 実際には秋の訪れとともに紅葉が見え始めたというだけの事だった。市ヶ谷にある統合参謀部の建屋から見える木々も色づき始めていたのだ。
 だが、灼熱の砂漠か、真っ青な海面ばかりの地中海戦線と四季が感じられる日本らしい風景とのあまりの格差に、帰還から二ヶ月近くも経つのに村松少佐は、日本本土の気候の変化にまだ順応出来ないことに苛立たしいのを感じていた。


 マルタ島沖合での戦闘からもう二ヶ月が過ぎていた。当時、重巡洋艦鳥海の通信長を勤めていた村松少佐は、本土帰還後に短時間だけ鎮守府付という事実上の待命を経た後に、新たに編制された遣欧艦隊司令部の通信乙参謀に転出していた。
 艦長以下が配置されていた艦橋に直撃弾を被った鳥海は、わずか一撃で事実上無力化されていた。戦闘幹部の大半を失った上に、指揮権を継承するはずだった次席指揮官の通信長である村松少佐も一時的に人事不省に陥っていたからだ。
 当座の代理として水雷士によって指揮された鳥海は戦場を離脱するしかなかった。
 艦橋とともに射撃指揮関連の装置も大半が失われていたし、混戦状態で魚雷を発射するわけにも行かなかったからだ。

 結局、敵主力への魚雷発射後に反転した水雷戦隊の介入と、敵主力の撤退への移行によって、自然と戦闘は集結していた。
 日英海軍主隊も含めた損害は大きかった。敵方の独伊仏艦隊の損害は推測するしか無いが、双方ともに実質上の戦力は半減していたのではないのか。
 だが、最終的に戦場となった海域を制圧したのは、国際連盟軍の日英艦隊だった。
 島に降り立った独伊の空挺部隊が投降したことで、地上でのマルタ島攻防戦には決着がついていたし、敵主力襲撃後に次発装填を終えた水雷戦隊がまだ戦力を残したままだったからだ。


 だが、この戦闘は勝利した日本海軍にとっても大きな課題を残すものだった。特に指揮系統の混乱がもたらした弊害が強く浮き彫りにされる結果となった。

 戦艦群を中核とした主隊を囮として敵艦隊を襲撃したのにもかかわらず、巡洋艦、水雷戦隊で構成された雷撃部隊の戦果は、必ずしも満足の行くものではなかった。
 その原因はいくつか考えられた。まず、レーダーを駆使した敵艦によって直前に察知され、有力な敵巡洋艦群による接触を受けて、水雷戦隊の援護、及び敵主力への水雷戦にも従事するはずだった重巡洋艦2個戦隊が、なし崩し的に敵艦と交戦状態に陥っていたこと。
 また、友軍の戦艦群への誤射を恐れたために、水雷戦隊が魚雷の射程距離ぎりぎりで発射してしまったことが上げられた。

 日本海軍が使用する九三式魚雷は、効率のよい純酸素を燃焼に使用するため、他国製やそれまで日本海軍で使用されていた魚雷と比べて雷跡が目立ちづらい上に弾頭重量は大きく、射程は格段に長かった。
 だから、敵主力群を挟んで反対側に友軍艦艇があったために、その超長射程が災いして命中率の低下する遠距離で発射せざるを得なかったのだ。酸素魚雷は雷速も速かったが、従来の魚雷と比べて格段の差があったわけではないから、超長射程での発射は命中までの時間も長くなることになる。その間に敵艦が変針すれば諸元値も変化するが、一度発射した魚雷は誘導できないから、当然その魚雷は無効化されることになる。


 この戦闘で雷撃が不十分で終わったことは、海軍内部に少なからぬ混乱を招いていた。
 それまで日本海軍は、有力な米海軍主力艦隊に対抗するため、漸減邀撃作戦を主戦略としていた。これは来襲する米艦隊に対して、巡洋艦、駆逐艦などの補助艦による夜間水雷襲撃や、陸上基地から発進した陸上攻撃機による航空雷撃を繰り返し、敵主力艦を減じさせた上で、日本近海で互角の戦力となった時点で戦艦を集結させた第一艦隊で決戦に持ち込もうというのだ。
 だが、日本海軍のお家芸であったはずの夜間水雷襲撃が、電探技術の発達などによって実際には成立しないのではないのか、今回の戦闘結果からそう考えられていた。
 少なくとも、重巡洋艦群や重雷装艦による遠距離隠密雷撃は、電探による視界外からの遠距離捜索によって成立しなくなったのではないのか。

 もちろん水面下の船体を破壊する魚雷の有効性そのものが否定されたわけではなかったが、これまでの夜の闇に隠れた夜間雷撃戦の戦術には変更が加えられる可能性が高かった。


 しかも、問題が明らかとなったのは、水上艦による雷撃だけではなかった。マルタ島沖海戦の前に、ルーマニア王国の油田地帯であるプロエスティを爆撃した一式陸攻隊が大損害を出していたのだ。
 巡洋艦が援護する水雷戦隊による水上雷撃戦と並んで、長距離から飛来する陸上攻撃機による航空雷撃は、漸減邀撃作戦において重要な地位を占めていた。
 昼夜を問わない雷撃によって、敵主力艦隊を漸減させるためには航空雷撃は必要不可欠だった。そして、太平洋に点在する島嶼に設けられた航空基地から発進して、どのような進路をとるのかわからない敵艦隊を攻撃するためには、長距離索敵手段としての大型飛行艇と、陸地から遠く離れた海域まで往復できる陸上攻撃機が必要だったのだ。

 だが、プロエスティ油田地帯での戦闘から、十分な防弾装備のない陸上攻撃機は、主力艦隊に随伴する空母より発進する艦上戦闘機に対して無力であるのではないのか、そのような疑問が抱かれていた。
 プロエスティやブカレスト周辺に展開していた敵戦闘機隊や、防空陣地によって一式陸攻隊が受けた損害は少なくなかった。

 しかも、双発の一式陸攻に対して、陸軍の四発重爆撃機である一式重爆撃機の損害が少なかったことから、防弾装備や防御機銃座の充実が彼我の損害率にもたらす影響は大きいと考えられたのだった。
 そのうえ、一式陸攻隊を迎撃した敵戦闘機は、単発単座の軽快な機体だけではなかった。レーダーを装備した双発複座の夜間戦闘機部隊も確認されていたから、航空雷撃でも夜間進攻時に迎撃を受ける可能性は高かった。
 これでは、どのような状況であれ、鈍重な割には軽装備の陸上攻撃機では、射点に辿り着く前に、迎撃を受けて撃墜破される可能性が高かった。


 そうかといっても、海軍航空隊が、陸軍の一式重爆撃機のような重装備で大型の機体を主力とする可能性は低かった。一式重爆撃機の爆弾搭載量や防弾装甲などは有力ではあったが、爆弾倉に関する思想が海軍機と陸軍機では異なるから、敵艦を撃沈しうる魚雷を装備する能力がなかったからだ。
 今次大戦における陸戦支援用の爆撃機として、一式重爆撃機を脆弱な一式陸攻に代わって配備する計画はあったが、それらはあくまでも本流の対艦攻撃機とはなりえなかった。

 海上を長距離進攻する攻撃機としての一式陸攻の後継機として海軍が本命と定めているのは、陸上爆撃機銀河だった。銀河は、民間の航空製造会社ではなく、海軍直轄の航空技術廠で開発され、中島飛行機が生産を担当することがすでに決定されていた。
 一式陸攻と比べ、同じ双発ながら銀河では防弾装備を充実させながらも、小型、軽量化が図られ、同時に搭乗員数が三名に減少している。その結果、一式陸攻とほぼ同等の兵装搭載量を有しながら、はるかに高速で頑丈な機体となるはずだった。


 だが、第二次欧州大戦勃発以後の戦闘結果から、たとえ開発時は頑丈で高速であったとしても、同等の技術力を敵が有している限りは、最新の迎撃戦闘機よりも高速の攻撃機はあり得ないことが明らかになっていた。
 だから、銀河が一式陸攻と比べて高性能を誇ったとしても、その優勢は一時的なものにすぎない。

 むしろ、敵主力艦に対する攻撃手段が、これまで同様に雷撃しかない以上、同様の脆さを持ち合わせていると言ってよかった。
 航空雷撃を敢行するには、対空砲火をかいくぐりながら敵艦に肉薄し、投下される魚雷によって設定されている一定の速度と高度を保って飛行しなければならなかったからだ。
 高速度で魚雷を投下すれば、その衝撃で破損してしまうし、高高度から急角度で投下されれば、海面深く沈み込んで海底に突き刺さったり、水圧によって破壊されてしまうからだ。
 つまり、高速を誇る銀河であっても、使用する魚雷が同じであれば一式陸攻とさほど変わらぬ飛行を強いられるのだ。

 航空部隊からは、雷撃に変わる新たな攻撃方法の開発が求められていたが、それがどのような形になるのかは、いまだ明確な姿を示すことの出来るものはまだいなかった。


 だが、日本軍首脳部にとってマルタ島沖海戦の戦闘結果から明らかになった問題は、雷撃に関することだけではなかった。陸海軍ともに、指揮系統の曖昧な点が矛盾点となって一群のマルタ島攻防戦で露出したのだ。

 マルタ島沖海戦では、国際連盟軍と独伊仏連合艦隊の戦艦群が夜間に大規模な砲撃戦を行なったが、一夜明けた後、龍驤と赤城の二隻を失った後に一時的に交代していた空母部隊が、夜間に慌ただしく行われた再編成後に、先任指揮官であった第二航空戦隊司令官山口少将の独断で、シチリア島の独伊空軍基地にむけて航空攻撃を敢行した。
 艦隊の総指揮官である南雲中将は、戦艦群を直率して空母部隊を離れていた。しかもマルタ島沖海戦直後の損害の把握と通信の混乱によって主隊と連絡が不可能な状況にあった。

 その点をついて山口少将は、敵基地攻撃に慎重であった南雲中将の意向に反して、マルタ島への脅威を断つべく、航空撃滅戦を決意したらしい。
 だが、その結果は散々なものだった。多数の戦闘機部隊の迎撃を受けた攻撃隊は、投弾点に辿り着く前に少なからぬ犠牲を払った。
 しかも残存機も敵戦闘機の妨害によって正確な着弾は不可能であったらしく、シチリア島の敵空軍基地の稼働率が著しく低下した形跡はその後も見られなかった。

 前日に重厚な防空態勢をしいていた日本海軍艦隊を襲撃したドイツ空軍第2航空艦隊は、空母二隻の戦果と引き換えに多数の航空機材を喪失していた。特に電探の支援を受けて艦隊前方に進出していた戦闘機部隊の迎撃をかいくぐり、対空砲火を受けながら艦隊の至近距離に踏み込んだ急降下爆撃機の損失は大きかったようだ。
 だから、残存した戦闘機部隊を集結させて防備を固めていたのだろう。もちろん、シチリア島に配備されたレーダー基地による支援も受けていたはずだ。
 つまり、前日の航空戦とは攻防の入れ替えが起こっていたのだ。

 空母だけではなく、艦載機にも大きな損害を受けた航空戦隊は、マルタ島沖から撤退するほかなかった。
 だが、この時南雲中将の判断通りにこの日も防備を固めていれば、少なくともマルタ島周辺の制空権は盤石のものとなっていたはずだった。
 もしも南雲中将が戦艦群を直率せずに、総旗艦であった天城に残っていればこのような事態にはならなかったはずだ。言い換えれば、南雲中将以外に複数の戦艦、巡洋艦戦隊を指揮するだけの艦隊指揮官が存在していなかったことが今回の問題を引き起こしたとも言えた。
 村松少佐が乗り込んでいた重巡洋艦鳥海を含む雷撃部隊も、強力な指導力を発揮する指揮官がいればあれほど混乱することは無かったのではないのか。


 そもそも、地中海に派遣されていた日本海軍の艦隊は、急造のものだった。
 国内世論が対独参戦に否定的なものが少なくなかったために、日本海軍も堂々と対独戦向けに艦隊編成を行うことが出来なかったのだ。だから、表向きは第二次欧州大戦勃発より数多く発生した難民の移送護衛のために、国際連盟理事会の要請で派遣された艦隊が地中海派遣部隊の母体となっていたのだ。
 つまり、元々の指揮系統が艦隊規模に対して貧弱で、実戦を想定したものではなかったのである。

 マルタ島攻防戦以前より、指揮系統の抜本的な強化が求められており、それに対応するために編成が進められていたのが在欧州の艦艇、航空戦力を含む陸上部隊を一括して指揮下に置く遣欧艦隊司令部であった。
 しかも、村松少佐の見たところ、遣欧艦隊司令部は将来的には陸海軍の統合指揮をとることを前提に編成されているふしがあった。大本営や統合参謀部などのように陸海軍の参謀を混成して、単一の司令部を構成しようとしているのではないのか。

 これは画期的な指揮統制手段となるが、ある意味で必然でもあった。これまで日本軍が想定していた戦場は、対ソ戦を前提としたシベリア奥地か、対米戦のフィリピン、太平洋諸島群など比較的本土から近い箇所であった。
 しかし、地中海戦線はこれまでの想定よりも遥かに遠く、日本本土の大本営や統合参謀部から陸海軍にわかれた現地部隊を指揮統率するのには無理があったのだ。
 だから、指揮系統の大部分の権限を、陸海軍を統合指揮する現地司令部に移行させるつもりではないのか、村松少佐はそう考えていた。


 そう考える根拠は複数あったが、第一に司令部要員の階級や職歴などが不自然であったからだ。
 遣欧艦隊司令部の司令長官には、大賀中将が任命されていた。また司令長官に次ぐ艦隊参謀長には、海軍兵学校付であった栗田少将がついていた。
 艦隊司令長官に任命された大賀中将は、シベリア出兵にも参加した古強者で、シベリアーロシア帝国での駐在武官職や同国海軍の軍事顧問などを長く勤めていた。本人の性格は温厚で、滅多なことで感情を顕にすることはなかった。

 司令長官を補佐する参謀長の栗田少将も、人格者として知られており、海軍兵学校長職への就任が予定されていたらしいが、英国海軍の要人らと懇意であったためか、急遽参謀長職に転出していた。


 艦隊の司令長官や参謀長の階級からすれば、遣欧艦隊司令部は第一艦隊などの序数艦隊や特定の戦域を指揮する方面艦隊級の格ということになるが、参謀長である栗田少将は、中将への昇進間際だった。
 参謀長が中将となると、そこだけを見れば連合艦隊と同等ということになるから、序数艦隊などよりも艦隊司令部としての格は上ということになってしまう。
 また、栗田少将が昇進してしまうと、階級の上で司令長官と並ぶことになってしまうが、これはかなり異様な事態だった。
 だが、陸海軍のバランスを取るために、陸軍から大将級の将官を指揮官として据えると仮定すればこの問題は解決するはずだ。

 つまり、陸軍大将を遣欧陸海軍の総指揮をとる最高指揮官として新たに配置して、その副司令官として大賀中将を、参謀長として栗田少将を中将に昇進して任命するのだ。
 そうなれば、中将たる参謀長の下に陸海軍の専門家である多数の将官級参謀を配置することも出来るはずだ。

 実際に、遣欧艦隊司令部には、連絡将校の名目で何人かの陸軍将校が着任していた。何れも一線級の現役参謀将校であったから、地中海戦線到着後に着任予定の陸軍将校らをスムーズに受け入れるために先行して配属されたのではないのか。


 大本営などの中央では陸海軍の合同部隊の例もあったが、出先の機関で陸海軍を統合した部隊の例はまだなかったはずだ。
 陸海軍の将校は、それぞれが受けてきた教育や常識も大きく異なるから、事前に入念なすり合わせが必要だった。村松少佐達遣欧艦隊司令部の人員が、地中海移動の準備の合間を縫って、統合参謀部に召集されたのも、陸海軍上層部の方針を説明されるためだった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ