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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942氷海戦線6

 九六式陸攻を移送するための牽引車は、対潜機材を輸送する装甲運搬車といれ違いに到着していた。
 対潜機材と九六式陸攻の行き先は違っていた。対潜機材は、電子兵装の塊だし、開発段階の機材だから特に厳重な整備態勢が行われているらしい。
 これに対して、制式化から五年以上が過ぎた九六式陸攻は、新型の一式陸攻の配備開始によって相対的に旧式化はしていたが、その分信頼性は高かった。


 ―――だがものにも限度というものがある……
 飛行甲板から艦橋脇のエレベーターで降りた格納庫を眺めながら、桑原中尉はげんなりとしながらそう考えていた。
 広大な格納庫は閑散としていた。氷山空母の搭載機数は多いから格納されている機体は少なくないのだが、それ以上に格納庫が規格外に広いものだから、駐機された機体の間隔はまばらだった。

 それに、北大西洋の温かいとはとても言えない外気温に比べても、格納庫の温度はひどく低かった。いい加減嫌になるから、ここしばらくは壁面に備え付けられている温度計を見ないようにしていたが、確か零下はとうに下回っていたはずだ。
 九六式陸攻の到着を待ち構えていた整備兵達も、元はシベリア駐留部隊のために採用された分厚い防寒衣を着込んでいた。その上に彼らの吐く息が真っ白なものだから、余計に寒々とした印象をあたえていた。


 格納庫がこのように悲惨な状態となったのは、周囲の空間が冷凍機を用いて冷却されていたからだ。
 氷山空母の艦体は、金属材料の骨組みの周囲を、木材パルプと水を混合させたもので氷結させた一種の複合材料だった。計画発案者の名前をとってパイプクリートと呼ばれたその材質は、強度や靭性はもちろん、融点も高かった。

 しかし、いくら北大西洋の気温が低いとはいえ、そのまま放っておけばパイプクリートは融解してしまう。だからこれを恒久的に凍った状態とするために、骨組みには冷凍機から伸びる冷却管が設けられて、艦体全体が冷却されていた。
 設計段階当初の試算では、艦体各所に分散配置された冷凍機の容量には随分と余裕を持たされていたらしい。万が一にも艦体の冷却が止まってしまえば、時間的な余裕はあるにせよ、よほど気温の低下する極地にまで北上しなければ、艦体の融解は避けられなかったからだ。

 もちろん、極地どころか、戦略的に価値のある海域はもっと南方にあったから、艦体の冷却機能は、氷山空母全体の戦力価値にも直結する重要な性能であった。
 少なくともカナダと英国本土を結ぶ航路上の船団に対して、航空援護を与えられなければ氷山空母に価値など無いといえるだろう。だから南下に伴う海水温の上昇に対応できる冷却機能が必要となってくるのだ。


 だが、いくら冷凍機の性能が重要だと言っても、氷山空母の内部には人間が居るのだから、その作業空間まで冷却するのには限度があるはずだった。
 開戦前に立案されていた初期計画案では、天然氷山は半ば使い捨てであったから、強力な冷凍機の装備も予定されていなかった。管制機能や居住区は断熱された仮設構造物を置く計画であったらしい。
 これが氷山空母計画となって主要構造が人工の氷に置き換えられても事情はそれほど変わらなかった。現に、飛行甲板上におかれた主艦橋とそれに隣接する居住区は、主船体と接する床面が断熱されており、適温に保たれた構造物内の熱をパイプクリート製の艦体に伝えないようになっていた。

 しかし、飛行甲板直下の格納庫にはそのような処置は施されなかった。というよりも、百機を優に超える数の艦載機を収納するための格納庫は、巨大すぎて断熱することが出来なかったのだ。
 当初は、作業員の待機区画だけでも断熱材で覆って暖房することも考慮されたらしいが、飛行甲板を貫通させる排熱塔を設けるのが難しいことから格納庫全体が冷凍機からの冷気にさらされることとなった。

 しかも、初期計算が誤っていたのか、船体の融解速度は予想を超えるものだった。だから、余裕を持たされていたはずの冷凍機は、逆に常に全力運転を強いられていた。当然、艦体を凝固させた冷気は、格納庫にも容赦なく侵入して、乗組員たちを襲っていた。
 ハント級駆逐艦の重量過小見積もりのことといい、英国海軍の設計能力は思ったよりも低下しているのかもしれなかった。


 極端に温度の低い格納庫は、整備を困難にし、機体の稼働率を押し下げていた。それに、断熱がされていないということは、艦体からの冷気にさらされると同時に、格納庫内の熱源を艦体に伝達してしまうということでもあった。
 だから、いくら格納庫内が寒いからといって、暖機運転や凍結を防ぐための暖房を行うことは出来ないから、滑油や燃料系統は低温でも満足に作動するように添加剤などを工夫して低温流動性を高めなければならなかった。
 もちろん出撃前の暖機は欠かせないが、それが出来るのは艦体から断熱された主艦橋周辺に設けられた駐機所でしか行えなかった。



 格納庫内の熱源となるのは機体ばかりではなかった。ここまで九六式陸攻を移送してきた牽引車は、定められた駐機場所に到着すると、慌ただしく連結を解いて、そそくさと飛行甲板に戻っていった。
 牽引車のエンジンは、九六式陸攻に比べると格段に低い百馬力程度のものだったが、それでも長時間格納庫で運用するのは禁止されていた。
 重い排気ガスが満足な換気設備のない格納庫内に充満してしまうし、余計な熱源は格納庫床面を融解させてしまうからだ。


 桑原中尉は、最後に機体を降り立った。先に降りていた大原一等飛行兵は、はやくも飛行中の所感を熱心に機付の整備兵曹に伝えていた。だが、話を聞く機付長は、それほど熱心そうには見えなかった。
 年若い大原一等飛行兵を軽視するというのではなさそうだが、今回の哨戒任務は、長時間にわたったが単調な飛行が続いたものだから特別な整備が必要ではないはずだ。
 だから機付長も早く作業にかかりたいのだろう。あるいは、単に凍えながら格納庫で整備を行うのが嫌で手早く済ませたいだけかもしれないが。

 特に桑原中尉には機付長に伝えるべきことはなかった。今回の任務では磁気探知機は使用せずに、対水上電探や逆探を駆使して、断雲を縫うようにして隠れながらドイツ海軍の武装商船を高々度から追跡していた。
 顕著な飛行機雲を観測されるのを恐れて、急激な機動は控えていたし、対水上電探を効率よく使用できる高度をとった結果、ほとんど定高度で飛行することとなった。
 武装商船撃沈後には、海底深くに行方をくらました潜水艦の追撃に磁気探知機を使用した低空での飛行が必要だったが、桑原中尉たちは撃墜後は後続の機体に追撃を引き継いでいたから、無理は低空飛行はほとんどしていなかった。
 だから、九六式陸攻の機体には過度な負荷は掛かっていないはずだ。

 かと言って熱心に説明を続ける大原一等飛行兵を邪魔する気にもなれなかった。案外、機付長が説明を遮ったり、無視していないにも、飛行兵の熱心さが原因なのかもしれない。


 苦笑しながら桑原中尉が対照的な二人を眺めていた所に横から肩を叩かれた。怪訝そうな顔で振り返ると、特設哨戒飛行分隊の指揮官である篠岡少佐が笑みを浮かべていた。
 慌てて桑原中尉が敬礼すると、話をしていた大原一等飛行兵と整備兵曹も気がついたのか、つられるように敬礼していた。
 篠岡少佐も鷹揚にそれに応じた。丸顔で小太りな少佐が笑みを浮かべるとまるで恵比寿様のようだった。
「武装商船一隻撃沈、だそうだな。モスキート隊の指揮官から支援の礼を言われたよ。長時間の困難な追跡ご苦労だった」
 そういうと、篠岡少佐は、桑原中尉から大原一等飛行兵たち他の乗組員に顔を向けながら大きく頷いてみせた。

 大原一等飛行兵などは感動したのか、嬉しそうな笑みを浮かべたが、桑原中尉はどこか白けた顔をしていた。
 潜水艦と邂逅するまで、高々度から付かず離れずに発見された商船を何度も交代しながら追尾していた自分たちはもちろん、実質上一航過で撃沈してしまったモスキート隊も、実際に武装していたかどうかは分からなかったはずだ。
 逆探には反応はなかったから、あの商船には電探が装備されていなかったか、装備されていても使用していた形跡はなかった。おそらく航空機との遭遇があり得ないと高をくくっていたのだろう。
 だから高々度で雲間に隠れていた桑原中尉達はもちろん、九六式陸攻からの正確な針路の指示によって、恐ろしく短時間で襲撃を終えたモスキートにもあの商船が対応する時間はなかったはずだ。

 実のところ非武装の船舶を撃沈したのかもしれなかったのだ。ドイツ海軍のものと思われる潜水艦と邂逅していたし、撃沈された地点は航路帯からは遠く離れた海域だったから、ドイツ海軍と無関係だとは思えないが、どうにも無防備な敵艦を一方的に撃沈したようで後味が悪かった。


 だが、篠岡少佐は、そんな桑原中尉の白けた様子に気が付かなかったのか、笑みを浮かべたまま、桑原中尉を誘うと居住区につながるエレベーターに向かって歩き出していた。
「まだ決定したわけではないようだが、本艦はこれからしばらくは北の方に向かうかもしれんよ」
 桑原中尉は、怪訝そうな顔で向き直った。このタイミングで氷山空母が北方に向かう意図がよくわからなかった。それ以前に、篠岡少佐はどこからそんな話を聞きつけてきたのか。

 氷山空母は、建制上の指揮系統では、英国海軍は本国艦隊司令長官の隷下にある。
 だが、本国から物理的に遠くはなれている上に、ドイツ海軍による通信傍受を警戒して厳重な電波管制を行なっているものだから、実質上氷山空母の艦長を兼任する任務部隊司令官のリット少将の独断で行動していると言ってもよかった。
 そして、日本海軍から派遣された特設哨戒飛行分隊は、形式上は本艦の飛行長から要請を受ける形になっていた。だから氷山空母自体の運用ラインとは何段階かの指揮系統の結節点があるから、新たな針路の情報などを得るのは難しいはずだ。


 しかし、篠岡少佐は事も無げにいった。
「どうも、北方海域に向かうのは前々からの方針だったらしい。この海域で行動中の敵補給船は撃沈できたから、無理をして南方に制圧海域を押し出す必要はないんだ。
 あとしばらくはイギリス本土への船団が通過する予定は無いから、一旦北方で待機するつもりらしい。まぁ哨戒飛行はこれまで同様に行うから我々の仕事がなくなることはないよ」
 さらに、篠岡少佐は茶目っ気のある表情で言った。
「ところで分隊士は氷山空母を北方に向かわせる意味に気がついているか」
 桑原中尉は、つまらなそうに答えた。
「気温が低くなるから艦体冷却の必要性がなくなるからでしょう。しかし、本艦が北方に移動しては、航路帯までの往復時間がかかりすぎるようになって、船団の援護が難しくなるのではないですか。自艦の安全……というよりも保全を図るばかりに船団援護が疎かになってしまえば本末転倒でしょう」

 篠岡少佐は、一瞬、眉間にしわを寄せると首を傾げながら言った。
「航路帯との間隔が大きくなる点には、航続距離の進捗で対応するつもりのようだ。数日中にハドソン哨戒機……九六式陸攻の英国仕様を装備したスコードロンがこちらに派遣されてくるらしい。
 どうやら、我が隊の活動をみて、氷山空母でも九六式陸攻が運用できると判断したらしいな。ハドソン哨戒機は細かな艤装を除けば九六式陸攻とほぼ同等の機体らしいから、モスキートよりも航続距離は格段に長い。だから距離をとっても航路帯周辺の対潜哨戒、制圧は難しくないだろう」

 桑原中尉は、ハドソン哨戒機との言葉に僅かに興味をいだいて、期待した顔になっていた。
「その……英国軍のハドソン哨戒機には対潜機材は搭載されるんですか、つまり我々はお役御免になるのではないかということですが。常識的に考えて、一隻の空母に、同じような用途の航空隊が、しかも国籍の異なる隊が同居するのは問題が出てくるのではないかと思いますが」
 もしも本艦で日本海軍の哨戒機が不要ということになれば本国に帰還するか、あるいは最前線での戦闘任務に就くことになるのではないのか、そう桑原中尉は期待していた。

「それはないな。おそらく同程度の性能をもつ対水上電探くらいは装備してくるだろうが、今のところ機載型の磁気異常探知装置を実用化しているのは我が海軍だけだし、それもまだ初期生産段階だから英国への供与も考えづらい。
 おそらくハドソン哨戒機を装備した機体が高々度からの長距離哨戒を担当して、我が隊が低空で磁気異常探知装置を使用して敵潜を制圧するという形でしばらくは行動することになるだろうな」
 篠岡少佐は、気負った様子もなく言ったが、桑原中尉はげんなりとしていた。磁気異常探知装置を使用するには、海面すれすれの低高度で長時間の飛行を余儀なくされるからだ。航路帯までの長距離進出後に磁探を使用するのは搭乗員の消耗がかなり激しくなるはずだった。

 さすがに気落ちした様子の桑原中尉に気がついたのか、篠岡少佐は苦笑いしながら続けた。
「今本国では磁気異常探知装置や対水上電探を用いた対潜哨戒に特化した機体を開発しているらしい。というよりも磁気異常探知装置は、本来その機体に開発中のものを転用したらしいな。あるいは九六式陸攻のような大型機よりも、低速の水上機に搭載したほうが使い勝手は良いかもしれん。
 そういえば、その機体は空母搭載型も計画されているようだから、海防空母に搭載して船団護衛に使用するつもりなのかもしれんな。しかし本土を遠く離れるとその辺の事情はよくわからなくなるなぁ……」

 桑原中尉は、首を傾げた。
「海防空母と言いますと、船団護衛用の軽空母ですか。しかし、船団に随伴する通常の空母からそんな対潜哨戒機を飛ばせるなら、こんな手間暇のかかる氷山空母なんていらんのではないですか。運用にかかる人員や経費もそうですが、使い勝手の上でもこの艦は悪すぎますよ。海防空母は貨物船の改造だから低速だと聞いていますが、少なくとも本艦の数倍は早いから船団にも直接随伴できるわけですし。
 放っておくと勝手に溶けていく空母なんて本当に作らなきゃいけなかったんですかね。まぁ解体するときには便利でしょうし、北方海域で待機させておけば余計な電力も必要ないのかもしれませんが」

 篠岡少佐は、眉をしかめながら言った。
「実際には北方に向かっても熱収支の計算結果からすると、融解速度が和らぐだけで冷却が必要なくなるわけではないらしい。だが、現状では、冷凍機や発電機は全力で運転を続けなければならないから関連機器の整備もままならないようだ。それで、とりあえず周辺海域の制圧がなったから、大事を取って北方で冷却能力に余裕をもたせた上で、冷凍機や発電機を入れ替わりに一時停止させて整備を行うらしい。
 どうやら予想よりも今年の海水温度は高かったようだ。それで本来余裕のあったはずの冷却能力が不足したらしい。だから本艦の能力が不足していたということはないはずだ。
 それに洋上で双発の大型機を運用できるのは本艦だけだからな。価値がなくなるわけではないだろう」
「双発機といっても九六式が限度で、一式陸攻は運用できないと聞きましたがね……しかし、海水温度が高くなるだけで使えなくなるなら、そっちのほうが問題じゃないんですか。いちいち天気を気にしなけりゃいけないんですからね」

 腹ただしそうに、愚痴という他ない言葉を続ける桑原中尉を、篠岡少佐は呆れたような顔で見ていた。
「俺に言うのは構わんが、それを英国人の前で言うなよ。海水温が高いのも痛し痒しだ。少なくとも捕虜はそれで助かったんだからな」
 桑原中尉は、怪訝そうな顔で立ち止まった。
「捕虜、ですか……一体何のことです」

 今度は、篠岡少佐が怪訝そうな顔で桑原中尉を見返したが、すぐに何事かに気がついたのか、納得した顔で言った。
「そうか、分隊士にはまだ伝わっていなかったのか。ドイツ武装商船の沈没海域に到着したクリーブランドから捕虜を救出したという連絡があったんだ。捕虜は甲板から投げ出された砲員だったらしい。だから、あの船がなんらかの砲を持っていたことは間違いないな。
 それと、艦名の書かれた救命艇も発見されたらしいが、そっちに生存者が居たかどうかはまだわからんな。救出活動はまだ継続中だから、生存者は未だ居るかもしれん」
「生存者が……」
 顔を伏せてつぶやいた桑原中尉に気が付かずに篠岡少佐は続けた。
「捕虜を乗艦させたクリーブランドは、僚艦を残してこちらに向かっているが、とりあえず捕虜から聞き取った情報を電送してきたんだ。それと、英国情報部がえた戦略情報によれば、ドイツ海軍が北大西洋に投入した補給船と思われる艦は、これで所在が全て確認できたか、撃沈したか、あるいは拿捕されたらしい。
 ドイツ海軍の潜水艦がこの海域にどれだけ潜んでいるのかはわからんが、彼らの主力の七型潜水艦は艦型が小さいから航続距離や居住性は悪いそうだ。だから、残存艦もこの海域で補給を受けられなければ、行動はかなり制限されることになるだろうな」

 桑原中尉は、ほとんど聞いていなかった。
 ただ、敵艦に生存者がいたことが嬉しかった。それに敵艦は決して無力な存在ではなく、牙を隠し持っていた。
 だから、これは一方的な戦闘などではない。哨戒飛行ばかりが続いていたものだから、戦闘とは無縁に思えていたが、自分の任務は確かに戦局に影響を与えている、その実感がようやく得られたような気がしていた。
九六式陸上攻撃機(ハドソン哨戒爆撃機)の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/96g3.html
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