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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942氷海戦線5

 主滑走路帯には着艦の障害になるものは何もなかった。緊急出撃に備えて甲板上で待機している機体は、離着艦の邪魔にならないように主艦橋周辺に設定された駐機所に配置されていた。
 進入姿勢も概ね適性であるようだった。帝国海軍の航空母艦が装備しているような、適性な着艦降下角度を知らせる着艦誘導灯はこの艦には装備されていなかったが、桑原中尉は主艦橋の見え具合などから適性な角度で着艦しようしていると判断していた。
 だが、操縦桿を握る大原一等飛行兵は、自信が無いのか緊張した顔を崩さなかった。


 艦尾近くに滑りこむように接地した九六式陸攻は、何度か跳ね上がりながら、氷の滑走路上を轟音と激しい振動を伴いながら艦首方向へと進んでいた。着艦時に燃料はほとんど残っていなかったが、自重に加えて下部に懸架した機材の重量が加わっているものだから、慣性が大きいのか機速は中々落ちなかった。
 通常の空母であれば、飛行甲板に展張した鋼索に着陸機のフックを引っ掛けて着艦時の速度を減速させる着艦制動装置を用いるのが当然だった。最近の艦載機は重量化、高速化が進んでいるものだから、何らかの方法で制動を加えなければ、飛行甲板の長さだけでは着艦時の速度を殺しきれないのだ。


 だが、氷山空母には着艦制動装置は備え付けられていなかった。大型の正規空母と比べても倍以上はある巨大な飛行甲板を持ち合わせているものだから、着艦制動装置も必要ないし、運用機も特別な装備を施した艦上機ではなく、通常の陸上機を転用できると考えられたからだ。
 あるいは、氷山空母の建造には膨大な資金が必要だったから、消耗が激しいために頻繁な交換が必要な着艦制動装置は省かれたのかもしれなかった。

 確かにこの艦に搭載された主力機種であるスピットファイヤ戦闘機やモスキート爆撃機であれば、これだけ飛行甲板が長ければ着艦に支障はないはずだった。
 しかし、それらよりも大型で滑走距離の長い九六式陸攻では、これでもぎりぎりだった。
 大原一等飛行兵は、とりつかれたように段々と近づいてくる艦首端を、焦った顔で見つめていた。
 艦首方向には、機体は待機していないから着艦を諦めてエンジン出力を上げながら再発艦することも可能であるはずだが、実際には失速速度の大きな九六式陸攻では艦首から飛び出したところで揚力が足りずに海面に落着してしまうだけだろう。


 大原一等飛行兵とは逆に、桑原中尉は落ち着いた表情で側面窓から流れていく光景を見ていた。確かに着艦時の速度は大きかったが、角度も着地点も悪くはなかった。条件がこれまで通りなのだから艦首付近でちゃんと機体は停止するはずだ。
 それがわかっているのに、乗員たちが不安になるのは、舗装された滑走路ではなく、まるで荒れ地に着陸した時のように振動が激しいせいだ。だから確実に低下している速度の変化に気がつかなくなってしまっているのだ。
 振動の原因は、当たり前だが氷山空母の飛行甲板が氷で出来ているせいだ。元から通常型の空母が飛行甲板に張り詰めている木甲板ほど水平が取れていない上に、何度も重量のある航空機の離着艦を繰り返しているものだから、タイヤと飛行甲板との摩擦熱による融解と凝固の繰り返しで飛行甲板が波打つように荒れてしまっていたのだ。

 この空母に派遣された九六式陸攻の降着装置は、通常型とは異なる強化されたものだったから、主脚が折損する可能性は低いが、気温が低いためもあってか、他隊では着陸時の主脚タイヤがパンクする例が少なくないらしかった。
 特にゴム資源の産地であった東南アジア植民地からの物資輸送が、ドイツ海軍潜水艦隊の猛攻によって途絶えかけた開戦初期に、英国本土で製造された航空機タイヤは質が悪いらしく、頻繁に交換する必要があった。

 桑原中尉の乗る九六式陸攻は、タイヤ交換の必要性は無いのだが、その代わりに恐ろしく高速で甲板と擦過するから、接地面との摩擦熱は大きく、それがさらに飛行甲板を荒らす原因にもなっていた。
 派遣前には、極秘に建造を進められていた氷山空母のことがよく分からなかったものだから、カナダの寒冷地帯への分遣隊派遣と判断した航空隊で、開発時に試作されていた雪原降着装置に主脚を換装していたからだ。

 これは主脚タイヤの代わりとなる巨大な雪橇で、尾部タイヤも雪橇に換装されている。巨大な雪橇のせいで空気抵抗は増大するが、雪原への安全な離着陸を可能としていた。
 だが、主脚緩衝装置が大型化したことでバネ定数が変わったせいか、それとも前後に長いソリのおかげで地面追従性が悪くなったせいなのかは判断がつかないが、この雪原降着装置に換装したせいで着艦時の振動はより激しくなっていた。


 あれほど激しかった振動が次第に弱まりつつあった。副操縦席の大原一等飛行兵は、機速が急激に低下し始めているのをようやく実感したのか、おずおずと艦首から目線をそらしていた。
 そして艦首で断ち切られた主滑走路端から百メートルほどを残して、九六式陸攻はようやく完全に停止した。
 肩の荷が下りたのか、大きく安堵の溜息をつきながら頭を下げた大原一等飛行兵の方に手を当てながら、桑原中尉は面白そうな顔を向けた。
「大原一飛、よくやった。しかし、何だな……毎回のことだが、この怪物に着艦する時の揺れは凄まじいな。まるで振動耐久の試験を繰り返しているようじゃないか」
 満面の笑みを浮かべながらそういった桑原中尉に、大原一等飛行兵もぎこちない笑みを浮かべながら何事かを返そうとした。
 だが、それよりも早く、後席から声が掛けられていた。

「振動試験ならば、試作機の製造段階ですでに済んでいます。当機に対潜装置を搭載しているのは、もっと高度な実地での試験を行うためです」
 操縦席後部に設けられた対潜戦闘区画に着座している対潜指揮官が、冷静な声でそういうと、桑原中尉は一瞬でつまらなそうな表情にかわると、そっぽを向きながら、冗談に決まっているだろうと小声で毒づいた。
 大原一等飛行兵は、困ったような顔であたりをむやみと見渡していた。


 桑原中尉は、この対潜指揮官とそりが合わなかった。階級は同じ中尉で、対潜指揮官の方が先任らしいが、彼は兵科士官ではなく、海軍学生として帝大の電気科を卒業した造兵科士官だった。
 だから、本来であれば兵科士官である桑原中尉が機内では指揮官となるはずであったし、実際に正操縦士として機長に任命されているのは桑原中尉だった。

 しかし、特例として対潜哨戒、戦闘時に限り、機体の指揮権は対潜指揮官がとるものとされていた。そしてこの氷山空母に着任してから、兵装を抱えて攻撃任務に就くことは全くなく、対潜哨戒任務ばかり行なっていたから、実質上桑原中尉が機長として指揮権を行使できるのは、離着艦時と哨戒空域までの往復の僅かな時間に過ぎなかった。


 このように異例な指揮系統が存在することになったのには、氷山空母に派遣するために編成された特設哨戒飛行分隊に所属する九六式陸攻が、対潜哨戒専用機として新型の対潜機材を装備していたからだ。
 対水上電探と磁気異常探知装置からなる対潜哨戒専用の機材は、重量もあることから胴体下部に装備すると、対潜爆弾などの他の攻撃兵器を搭載することは出来ないから、防御機銃座を除けば九六式陸攻に攻撃力はなく、実質上の対潜哨戒機とかしていた。

 しかも、対水上電探に加えて、新開発の磁気異常探知装置まで装備しているものだから、従来の戦技は通用しないものと考えるべきだった。というよりも対潜戦闘の最前線である北大西洋に、特設哨戒飛行分隊を派遣したのは、新機材の実用試験とそれに合わせた新たな戦術の開発が目的であると考えるべきだった。
 だから、部隊指揮権の序列を定めた軍令承行令を逸脱するが、九六式陸攻に装備された対潜機材に開発段階から携わっていた技術科士官が、当面の間の特例として対潜指揮官との名目で、新機材に最も有効な飛行針路や高度の決定といった戦術的な判断を下していたのだ。


 だが、このような不自然な形態は長続きしないはずだ。兵科士官を技術科士官が指揮するという序列上の矛盾は置いておくにしても、戦闘時の訓練を受けていない技術科士官が長期間適切な指揮をとるのは難しかった。
 現に今でも対潜指揮官の指揮権が及ぶ範囲は潜水艦を相手取るときに限られている。

 対潜機材に対応した戦闘法さえ確立してしまえば、このような矛盾点は解消されるはずだ。
 正規の飛行科士官が、航空機による対潜戦闘の手法を取得できるような教育体系が完成すれば、いま機材の性能や特性を知り尽くした技術科士官しか出来ないような戦術判断を通常の兵科士官でも出来るようになるからだ。
 だから、もう少しの辛抱だ。そう桑原中尉は自分に言い聞かせていた。


 だが、桑原中尉の神経を逆なでするように、後席から慌ただしい気配がただよってきた。大原一等飛行兵は、おどおどと視線を対潜戦闘区画の方に向けていたが、桑原中尉はつまらなそうに鼻を鳴らしただけだった。
 機体後部の昇降扉が勝手に開けられて、対潜指揮官とその部下たちが降機しても、視線は一点に向けられたままだった。
 胴体下部に搭載されている対潜機材を回収するために、陸軍から購入した装軌式の九八式装甲運搬車が、主滑走路帯の脇に設けられた誘導路をこちらに向かって接近していたからだ。


 氷山空母の飛行甲板は、主滑走路帯以外は荒れたまま放置されているところが少なくないし、逆に整地された地点では接地圧の高い装輪式の車輌では滑ってしまうから、装軌式や半装軌式の車輌が主に作業車両として使用されていた。

 装甲運搬車が対潜機材の回収のためだけに送られてきたのはすぐに分かった。軽装甲車を原型とした九八式装甲運搬車は自重が4.5トンと軽く、搭載量は1トン程度でしかないから、軽量とはいえ5トン前後の自重がある上に雪橇のお陰で通常のタイヤ式よりも動かしづらい九六式陸攻を牽引する力は無いからだ。
 それに今までも装甲運搬車が対潜機材の運搬に従事していたからだ。

 対潜機材は、電探の空中線や磁気探知機の曳航具引出し器などを収めており、抵抗を低減するために、母機である九六式陸攻の外形に合わせて流線型に整形されていた。
 その対戦機材を、ジャッキや鋼索を用いて九六式陸攻から降りた対潜指揮官を始めとする技術科将兵が取り外そうとしていた。

 わざわざ機体とは別に対潜機材の本体のみを別に回収するのには理由があった。普段の整備場所が、航空機と兵装扱いの対潜機材とでは異なるからだ。それに、戦闘中に得られた磁探や電探の数値は、機体側の対潜戦闘区画ではなく、本体と不可分の媒体に記録されているらしい。
 しかも対潜機材はまだ試作段階のものだから、機密保持の為に、電源を絶たれた状態だと内蔵された補助電池が十分な電圧を供給できなくなった時点で、記録された数値は喪失してしまうらしい。
 だから、着艦後直ちに整備にかからなければならないというのはわかるのだが、どうにも人員や航空機材のほうが軽くみられているようで面白くはなかった。


 いつの間にか、九六式陸攻の機内に残っているのは、固有の乗員だけになっていた。もっとも対潜哨戒任務時には、最低限の自衛戦闘用の機銃座要員以外は搭乗しないから、対潜機材の運用に携わる技術科将兵の方が数が多いぐらいだった。

 数少ない乗員たちは、自然と操縦席周りに集まってきたが、桑原中尉と同じようにつまらなそうな顔で、手早く取り外されていく対潜機材を眺めていた。
 誰も降りて対潜機材の回収を手伝おうとするものはいなかった。

 実は氷山空母に着任した当初、皆で手伝おうとしたのだが、にべもなく断られたことがあったのだ。
 必要な人員は技術科の乗員や電子兵装専門の整備兵で足りているというのだが、どちらかと言うと電子兵装に慣れない乗員たちによって、まだ脆弱さの残る試作機を壊されたくないようだった。
 それ以来、彼らの作業を手伝おうとするものはいなくなっていたのだ。
 乗員たちは任務に一丸となるどころか、対潜要員と以前からの乗員とに二分されてしまっていた。


 桑原中尉は、仏頂面で機長である彼に断りもなく九八式装甲運搬車への回収を終えて、兵装専用の格納庫へと急ぐ対潜指揮官たちを操縦席から睨みつけるようにしてみていた。
 これではまるで、対潜機材とその操作員たちのために九六式陸攻が飛ばされているようなものだった。実際にその通りなのだが、桑原中尉たちには言葉に出来ないもどかしさがあった。

 特設哨戒飛行分隊ばかりではなく、陸攻装備の航空隊は最近では対潜哨戒ばかりを行なっているが、このような哨戒任務は陸上攻撃機本来の任務ではなかった。
 確かに機体寸法の割に、陸攻の航続距離は、兵装を懸架した状態でもずば抜けて長いから、爆装して陸上への長距離爆撃を行うこともできるし、海上を重い対潜機材を抱えて長時間哨戒することも出来た。
 だが、本来は長距離飛行能力も兵装搭載量も、長駆して敵主力艦に肉薄して必殺の魚雷を叩きこむ為にあるのだ。他の任務など陸上攻撃機に取って余技に過ぎないはずだった。
 航空学校卒業以来、陸攻一筋の桑原中尉だけではなかった。陸攻に乗り込む乗員たちの多くがそのように考えて鬱屈した思いを抱いていた。
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