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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942氷海戦線3

 ―――いつみてもこの光景には慣れんな
 九六式陸攻の正操縦席から、身を乗り出すようにして、眼下に広がる艦隊をつまらなそうな目で眺めながら、桑原中尉はそう考えていた。
 もっとも、これを本当に艦隊と呼んでいいのかどうかは、桑原中尉にはよく分からなかった。


 艦隊中央部に存在するのは、洋上で航空機を発進させる空母だった。少なくとも英海軍ではそう類別していた。
 中央部の空母を取り囲むように展開しているのは、護衛の艦艇だった。それらの艦艇は駆逐艦以下の軽快艦艇ばかりだった。しかも高速で雷装などの対艦兵装が充実した艦隊型駆逐艦は一隻も所属していなかった。
 護衛艦艇は大きくとも護衛駆逐艦として建造されたハント級駆逐艦が精々で、ほとんどが排水量で一千トンにも満たないフラワー級コルベットなどの船団護衛艦などでしめられており、対艦攻撃力を持った艦艇は存在していなかった。

 護衛艦艇は英国本土やカナダで建造されたものだから、日本海軍から派遣されてきた桑原中尉には見慣れないものだったが、最近では日本海軍でも同様の艦艇を建造していた。
 例えばフラワー級コルベットとほぼ同等の性能を持つ外洋型護衛艦として、鵜来型海防艦が日本海軍に続々と就役し始めていた。


 鵜来型は量産型の船団護衛用艦艇として設計されており、船渠や船台で船体を一括して建造する従来の建造法ではなく、設備の整った工場内である程度区割りされた塊で制作した後に組み上げるブロック工法や、工作難易度を極限まで抑えるために、船型や艤装品から複雑な構造を廃して、直線を多用した設計を採用しており、建造開始から就役までの線表はそれまでの同クラスの艦艇に比べて極端に短かった。
 建造所の能力や艤装品の調達にもよるが、起工から五ヶ月程度で竣工してしまうらしい。それどころか、さらなる工数削減も計画されているというから、最終的には竣工まで四ヶ月を切ることになるのではないのか。
 このような建造工程の劇的な短縮が可能だったのも、日本軍の参戦どころか、第二次欧州大戦勃発前から、急速造艦に関する技術や設計手法が、基礎研究として進められていたからだ。

 逆に、英国で建造されたハント級駆逐艦は、開戦前後に短期間で設計が行われた結果、各部重量の過小見積もりなどの重大な設計ミスが次々と判明して、就役前に応急処置として、重量物である兵装の簡素化やバラスト搭載などの補正工事が連続して行われていた。
 これらは、他の艦隊型駆逐艦と同時並行して設計作業が行われた結果、正規の設計部員が不足して、未熟な製図工に詳細設計に関する計算を任せてしまったことが原因であるらしい。

 だが、そもそもの原因は戦時量産型駆逐艦の概念をしっかりと把握せずに、次々と過大な兵装や性能を求めた海軍上層部の要求にあるといってよかった。
 ハント級駆逐艦は、元々は海上護衛戦力の主力として考えていた旧式駆逐艦の改装案が、艦隊型駆逐艦の不足で転用できなくなったことから急遽開発された艦だった。
 それなのに就役し始めた頃には、艦隊型駆逐艦の代用として本国艦隊所属を求められるなど過大な要求によってその性質がねじ曲げられてしまっていたのだ。


 これに対して、日本海軍では、当初から旧式駆逐艦の転用では、戦時の船団護衛任務を遂行するには数が不足すると戦前の研究で把握していたからこそ、急速造艦などの研究開発が進められていたのだ。
 ブロック工法や工数削減を優先した設計も予め研究がなされていたからこそ、現場である造船所で円滑に実施することが出来たのだ。

 ブロック工法は、天候などの自然状況に工程が左右されやすい剥き出しの船渠内ではなく、設備の整った工場内でブロックに先行艤装を施すことで、効率よくく建造することが可能だった。
 場合によっては、ブロックを完成状態とは天地を逆転させることも可能だったから、今までは膨大な工数を掛けて足場を組んだ上で、さらに不自然な体勢での作業を強いられる天井配管作業も、容易に行えることが出来た。

 だが、それには従来の手法よりも格段に艤装精度を高めることが必要だった。これまでは船渠内で組み上げる際に、配管や艤装品の製造、組み立て精度が低くて多少取り付け位置がずれていたとしても、現場合わせで取り付けてしまう事ができたのだが、ブロック工法ではそれは難しかった。
 ブロック内ではそのような現場合わせが可能だったとしても、ブロック同士の取り合い部分では調整代となる配管がどうしても短くなるから、そのような現場合わせを行うだけの余地が無いからだ。
 だから、ブロック間をつなぐ配管の取付精度を保つには、現場の工員が間違え辛い配管支持台の取り付け位置や形状、配管取り合い用の継ぎ手やこれまで以上に詳細で把握しやすい図面体系などから詳細に検討する必要があった。


 それに、ブロック工法で必要なのは、工作法だけではなかった。船渠内の一括建造と違ってブロック工法では一隻の建造にあたって、多数のブロックを同時に建造するから、建造所内部で工員が働く現場も多数に別れることになる。
 さらにブロックの天地反転なども考えると、現場の状況はめまぐるしく変わることになる。

 それでいながら、当然のことながら、特定の専門職の熟練工がある現場で常に必要ということは少ない。例えば反転作業中にはフックの取り外しなどを行う玉掛け職や大型クレーンの手配が必要だが、配管艤装の職人は必要としない。
 逆に艤装中のブロックに吊り上げ職が居ても無駄になるだけだ。だから工事監理者には、従来以上に適切な職の人間を多くのブロックに割り振る工程管理の技量が求められていた。

 職人の手持ちが生じるくらいならば、余計な工数を消化してしまったとしても、まだ何とか挽回できるが、溶接作業前に塗装作業を行うなど、作業の順番を間違えてしまうと、膨大な後戻り工数がかかってしまうことになる。
 だから、急速造艦には電気溶接やブロック工法といった直接建造に必要な技術だけではなく、新しい工法にふさわしい工程管理法も行われていた。


 このような新たに開発された技術、工法を背景として、続々と建造されている鵜来型海防艦だったが、日本海軍が船団護衛用の艦艇の主力として期待しているのは、むしろより大型の松型駆逐艦の方だった。

 松型駆逐艦は、鵜来型同様に戦前から戦時量産型駆逐艦として研究開発が進められていたもので、用いられている手法もやはり鵜来型と同様であった。
 ただし、ドイツ海軍の通商破壊作戦に主力として用いられる潜水艦に対抗するために設計されているから、鵜来型海防艦は、本質的に対潜戦闘に特化した艦艇で、対空、対艦戦闘能力に関しては、自衛戦闘が可能な程度に過ぎなかった。

 これに対して、より船型の大きい松型駆逐艦は、対潜戦闘を主とした船団護衛戦闘任務にかぎらず、多目的に使用できる、より汎用性の高い艦として期待されていた。
 実際に原型艦の時点で、主砲を高角砲としていたために対空戦闘も可能であったし、当然対潜戦闘のために水中聴音機などのセンサや爆雷投射機なども充実していた。ここまでは搭載数や備砲の口径などに違いはあれども鵜来型海防艦も同じようなものだったが、松型駆逐艦の場合は雷装も有しているから対艦戦闘も可能だった。
 予備弾もなく、発射管も重量を抑えるために小型化したから、同時発射数は4射線に過ぎないが、搭載している魚雷そのものは、艦隊型駆逐艦に搭載されているのと同じ、長射程、大威力の61センチ口径の九三式魚雷だった。
 つまり、松型駆逐艦は、対潜戦闘のみならず、場合によっては艦隊型駆逐艦に伍する対艦戦闘も可能な汎用性を有していたのだ。


 さらに、松型駆逐艦は、戦時量産に適したブロック工法を基本設計の段階から取り入れていたが、鵜来型海防艦よりさらに一歩進めて、積極的にブロック単位で入れ替えることで艦種をも変わるような改設計を可能としていた。

 例えば、船体中央部のブロックを延長したものと交換し、シフト配置されている主機とボイラーをより大出力のものと換装すれば、艦隊型駆逐艦に匹敵する速力を発揮する高性能艦を建造することも可能だった。
 逆に機関と兵装を削減し、その分の空間を物資、兵員搭載区画にあてた高速輸送艦である一等輸送艦は実際に建造が開始されていた。

 すでにこのブロック単位の変換は原型である駆逐艦型でも行われていた。現在建造されているタイプは、戦前に建造されていた原型艦である松よりも長い艦尾ブロックを据え付けた船体延長型だった。
 これは、原型艦でありネームシップである松が、早くも日本本土から欧州までの長距離船団護衛に従事した際の戦訓を受けたものだった。日本近海とは異なり、赤道付近の熱帯地方で長時間の行動を行なった結果、兵員の消耗が予想以上に激しかったのだ。
 そこで船体延長型では、艦尾部の兵員室を拡大して一人あたりのスペースを拡大するとともに、通風装置を充実させて熱帯での長期間の作戦行動に支障が出ないようになっていた。他にも搭載兵装の変更などが行われたが、これも松型駆逐艦の基本設計が有していた汎用性と発展性があればこそ僅かな工数で設計変更が可能であったのだ。


 実は、日本海軍が長距離護衛任務用の主力として松型駆逐艦を据えている主な理由も、この船体サイズからなる汎用性や居住性にあった。
 英国海軍のフラワー級コルベットにせよ、日本海軍の鵜来型海防艦にせよ、当初船団護衛の主力として考えられていた護衛艦では、排水量が小さすぎるために航洋力が低く、また燃料搭載量も少なくなるため、長距離護衛任務では兵員の消耗が激しくなり、また場合によって作戦行動中の洋上補給も必要であった。
 特に日本海軍の主な護衛船団の航路は、日本本土からアジア植民地を経由して欧州に至る長大なもので、途中には喜望峰などの航海上の難所もあることから、護衛艦艇にも高い航洋力が必要であったのだ。

 カナダと英国を結ぶ航路も、日本本土からのそれと比べれば距離は短いが、北大西洋の厳しい気象条件から、護衛艦艇に航洋力を要求する点では変わりなかった。
 桑原中尉が今見下ろしている艦隊も、主力の空母を除く護衛艦艇は絶えず激しい振幅で揺らされていた。あれではもし会敵しても、乗員は疲労したままで、まともな戦闘は不可能なのではないのか。中尉はそう考えていた。


 艦隊は一応は中心に主力艦を据えて、周囲に護衛艦を円形に配置する輪形陣をとっていたが、最近地中海方面で実用化の域に入っていた航空艦隊による輪形陣と比べると、艦隊運用にはあまり詳しくない桑原中尉の目から見ても、ひどく不揃いな形をしているのがわかった。

 輪形陣を構成する護衛艦に隙間がある理由の一つは、数隻のハント級駆逐艦が、桑原中尉らの誘導で飛来したモスキート編隊が先ほど撃沈したドイツ海軍武装商船の乗員救助へと向かっていたからだ。
 武装商船撃沈後に、救命艇にしがみつくようにして何人かの生存者が漂流しているのが発見されていた。彼らの救助ができれば、これまで不明な点が多かった北大西洋におけるドイツ海軍の動向に関する貴重な情報源となるはずだった。
 場合によっては、捕虜の尋問から得られた情報によって積極的な対潜攻勢を行うことも可能だった。
 もっとも最後まで武装商船が撃沈された現場に残っていた桑原中尉には、生存者の救助が出来るとは思えなかった。


 設計ミスによる重量過大が就役時には問題となったハント級駆逐艦だったが、復元力改善工事の後は護衛駆逐艦としては概ね有力な艦艇とみなされていた。この艦隊の中ではハント級駆逐艦は、少なくとも最大速力の点からは最有力な艦であった。
 だが、快速の駆逐艦を持ってしても、沈没した現場への到着にはまだ時間がかかるはずだ。
 武装商船撃沈と前後して姿をくらませた潜水艦の捜索任務を兼ねて、交代の接触機も出ているから、生存者が漂流する位置の特定は容易だったが、北大西洋の低い海水温の中で、投げ出された乗員がそれほど長い間生存できるとは思えなかった。
 ハント級駆逐艦が現場に到着しても、回収されるのは生存者ではなくて、水死体ということになるのではないのか。

 ただし、その場合でも情報源としての価値が無いわけではなかった。対潜戦闘の専門家として九六式陸攻に乗り込んだ対潜指揮官によれば、戦死者の着衣や装具、遺体解剖による給与状況などがわかれば、少なくとも武装商船の行動期間や性能を推測する手がかりくらいにはなるらしい。
 だが、桑原中尉は、機上でそれを聞いて、まるで戦死者を冒涜しているようで気が滅入ってきていた。最近ではこんな任務ばかりで、真正面から敵と対峙することがないものだから、そのようなことを考えてしまうようになっていたのだ。


 そのような気持ちを抱えていたせいか、艦隊輪形陣のいびつさがひどく苛立たしく思えていた。このように散漫な隊形で激しい戦闘に耐えられるとはとても思えなかった。
 だが、これは桑原中尉の八つ当たりに近かった。輪形陣がいびつな主な原因は、護衛艦艇の性能や乗員の練度が不足しているからではなかった。
 中央に控える空母があまりにも規格外な性能であったからだ。


 桑原中尉は、視線を輪形陣を構成する護衛艦艇から、今から着艦しようとする空母へと向けた。
 そこには、一見不自然なほど真っ平な氷山としかみえない異様な物体が浮かんでいた。
松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html
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