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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942プロエスティ爆撃作戦4

 ―――それにしても多彩な顔ぶれだな
 思わずため息を付きそうになって、飛行第35戦隊戦隊長の荘口大佐は、慌てて口を閉じた。
 アレクサンドリアの国際連盟軍司令部内に設けられた会議室に集められた出席者は、荘口大佐がそう考えざるをえないほど雑多な面々だった。
 彼らは制服も違えば、使用言語も違っていた。
 しかも使用機種さえ全く異なるこの面々が、短時間で単一の目標を連続して攻撃することなど本当に可能なのか。
 おそらく作戦参謀達の説明を聞きながらそう考えている指揮官は、荘口大佐だけではないはずだった。


 ルーマニア王国首都ブカレストに程近いプロエスティ市は、年間4300万バレルを算出する大油田地帯だった。
 資源に乏しい枢軸連合にとってプロエスティ油田は、ドイツの約1/3、イタリアに関しては全面的に原油需要分を依存する極めて重要性の高い地域だった。
 もちろん国際連盟側でもプロエスティ油田の重要性は把握していたのだが、緒戦からの相次ぐ後退と戦線の拡大による戦力の枯渇によってそれまで手を付けられないでいた。

 そのプロエスティ油田に対して、昨年度にに始めて攻撃を加えたのは、参戦直後にいち早く地中海戦域に進出していた日本海軍の陸上攻撃機部隊だった。
 ただし、その攻撃は必ずしも成功したとはいえなかった。爆撃を実行した機数が少なすぎたし、目標であるプロエスティ油田に関する情報収集も不十分なまま決行されたからだ。
 攻撃に参加した正確な機数は荘口大佐もよく知らなかったが、海軍の一個航空隊のうち先行した飛行隊の稼働機のみで実施したというから、多くとも20機程度でしか無かったはずだ。
 機体は最新鋭の一式陸攻だったというが、海軍の陸攻は航続距離こそ長いものの、爆弾搭載量はさして多くもなかった。

 情報不足は更に深刻だった。日本海軍の陸攻部隊が予想戦場としていたのは広大な太平洋だった。そんな彼らがルーマニアの奥深くにあるプロエスティ油田の各施設まで含んだ詳細な地図を入手するのは困難だったはずだ。
 飛行隊の損害は皆無だったというが、プロエスティ油田に与えた損害も無視出来る程度だったはずだ。
 だから、実際には景気づけに爆弾をばら撒いたのとほとんど変わらないのではないのか。

 だが、日本帝国の制式参戦から半年近くが過ぎた今、状況は変わりつつあった。
 きっかけは、日英を初めとする国際連盟加盟諸国の首脳級会談において、枢軸国の石油供給源の破壊が今後の戦略方針の一つに策定されたからだった。
 これによりプロエスティ油田地帯に対する再度の爆撃計画は急速に準備が進められることになった。

 最初に行われたのは組織的な油田地帯に関する情報収集だった。
 情報収集は徹底して行われた。ルーマニア王国政府や現地の民間企業が開戦前に公開していた一般的な資料はもちろん、以前プロエスティ油田に勤務していた技師や取引のあった石油会社などから証言や図面、写真などがかき集められていた。
 現在ではプロエスティ油田地帯の油井や製油所、パイプラインの位置は正確に把握されていた。もちろん広大な油田地帯の何処を破壊すれば最も長く原油の供給を断つことが出来るのかといった技術的な問題も、油田技師などの協力をうけて解決が図られていた。
 これを受けて駐アレクサンドリアの国際連盟地中海方面軍の日英軍参謀部ではプロエスティ油田地帯への爆撃作戦が立案されていた。

 それに情報の収集は、過去の油田地帯のものに限らなかった。
 日本陸軍の戦略偵察機である百式司令部偵察機が、何度か敵中深く侵入してプロエスティ油田地帯の写真偵察を実施し、既存の情報に訂正や追加を加え続けていた。


 情報収集や作戦の立案と並行して実際にプロエスティ油田地帯爆撃に参加する部隊の集結も進められつつあった。
 ただし、その部隊の規模はともかく、内訳は寄せ集めに等しいようにも思えた。

 作戦の立案にあたった地中海方面軍参謀部では、プロエスティ油田地帯の原油供給能力に対して、一撃で戦略的に意味のある程度の期間無力化を図るには、約二百機もの爆撃機が作戦に参加する必要が有ると試算していた。
 司令部偵察機による長距離偵察によって確認されたドイツ空軍やルーマニア王国軍による防空網の強度によって導かれた損耗率を換算すれば、プロエスティ油田地帯に有効打を与えるほどの爆撃には、それほど多数の機体が必要だったのだ。

 だが、今現在の地中海方面には、それほど多数の機体を一度の作戦に投入できるほど爆撃機戦力を充実させた軍は存在していなかった。
 英国空軍は多数の四発、双発爆撃機を有していたが、有力な部隊の多くは欧州正面での夜間爆撃作戦に従事しており、地中海方面軍所属の多くも一進一退を続ける地上軍を支援するための地上攻撃に専念していた。
 日本帝国も陸海軍がそれぞれ爆撃機部隊を派遣していたが、それぞれに問題を抱えていた。
 日本海軍の陸上攻撃機部隊は旧式の九六式陸攻と新鋭の一式陸攻で編成されていた。
 この内、一式陸攻は先の参戦直後のプロエスティ油田初空襲にも参加しており、航続距離など機体性能には問題はないのだが、爆弾搭載量は少なく、それだけ多くの機数を投入する必要があったのだが、旧式の九六式陸攻を含めても、船団護衛や艦艇攻撃に必要な機数を除いた場合、必要な機数を揃えるのは難しかった。

 これに対して、日本陸軍の重爆撃機部隊は少々事情が異なっていた。
 単純に彼らの主装備である九七式重爆撃機では、航続距離が短いためにプロエスティ油田地帯が攻撃圏内に入らなかったのだ。外翼部の普段使用しない燃料槽まで満載した特別装備状態では航続距離は伸びるが、それでもプロエスティ油田までの往復は、戦闘行動などによる燃料消費増大の可能性を考えると難しかった。
 そして新鋭の一式重爆撃機は、爆弾搭載量こそ英国の四発重爆撃機には見劣りするものの、航続距離や防御力は遜色のない性能を誇っていた。
 だが一式重爆撃機の爆撃機としての初の生産型である一式重爆二型は生産開始からまだそれほど日がたっておらず、地中海方面に展開した部隊は二個飛行戦隊、七〇機程度に過ぎなかった。

 結局、プロエスティ油田地帯への爆撃に参加する部隊は、英国空軍、日本海軍、日本陸軍の混成で編成されることになった。そうでもしないと作戦に必要な機数を確保することが出来なかったのだ。
 だがこれは作戦の難易度を著しく向上させることを意味していた。
 航続距離や巡航速度といった諸元が全く異なる多数の機種からなる複数の部隊が、短時間の内にプロエスティ油田地帯の各所に点在する目標に攻撃を行なったうえで離脱しなければならないのだ。
 離陸する時間や上空で編隊を組み直す時間がずれだしてでもしまえば、最悪の場合プロエスティ油田地帯上空の狭い空域で衝突さえ起こりかねなかった。

 しかも二百機に近い機数の爆撃機が参加するにもかかわらず、それらの部隊を統率する空中指揮官は存在しなかった。所属が日英に加え陸海軍にまたがるものだから、それらをまとめあげられるだけの老練な高級指揮官を用意することが出来なかったのだ。
 作戦に参加する部隊の規模を考慮すれば陸軍であれば飛行師団長クラスが必要となるが、おいそれとそのような高級将官を乗機させることは出来なかったのだ。

 それに、日英では使用言語も異なるし、陸海軍でも微妙な言い回しが異なるから例え高級将官を空中に上げたとしても満足な指揮をとることは出来ないはずだ。
 さらに部隊ごとに異なる使用機種の巡航速度を考慮すれば、目的地であるプロエスティ油田地帯までの長い飛行時間の大半は他隊の姿が全く見えなくなるほど間隔が開くはずだから、実際には空中指揮官がいたとしても柔軟な指揮をとることは出来ないだろう。
 つまり各隊は作戦行動中に何があろうとも予め定められたタイムスケジュール通りに、各基地からの離陸時間や巡航時の速度を厳密に管理した上で目的地上空に達し、爆撃を遂行するしか無かった。


 荘口大佐でなくともため息を付きたくなるような状況だった。
 だが、この作戦に成功すれば少なくとも半年、あるいは一年程度はプロエスティ油田地帯からの供給を半減することが出来るはずだった。石油資源に乏しい枢軸諸国にとって、この損害は致命的なものとなりかねなかった。
 賭博的な作戦だが、賭け金が大きい代わりに、戻ってくる金の大きいということか。荘口大佐はそう自分を納得させていた。

 これまで陸軍が重点的に整備してきた双発爆撃機に比べて、四発の一式重爆撃機はやはり高コスト故に生産数が抑えられてきた。
 未だに陸軍内部でもより数を揃えやすい双発の重爆撃機をより重点的に整備すべし声も少なくなかった。
 だが、このような困難な作戦を大過なく遂行すれば、そのような評価も一変するはずだ。
 なんといってもこれまでの航空撃滅戦に特化していた陸軍機では不可能であった長距離戦略爆撃をこなすことが出来るのは一式重爆撃機だけなのだから。


 作戦参謀により指揮官への説明が終わった後は、当然のように荘口大佐たち各隊の指揮官による部下たちへの説明がまっていた。
 作戦行動中の荘口大佐の責任は少なくなかった。自身が指揮する飛行第35戦隊はもちろんだが、作戦に参加する一式重爆撃機部隊の戦隊長としては荘口大佐が先任だから、同行する飛行第36戦隊も含めた2個戦隊の実質上の指揮官として隊を引率しなければならないからだ。
 だが、一式重爆撃機二型の制式採用と量産機の納入とあわせて編成が開始された飛行第35戦隊はともかく、飛行第36戦隊は旧式化した軽爆からの機種転換が終了したばかりだから、戦隊としての練度はあまり高くはなかった。
 各級指揮官や空中勤務者への作戦の説明が終わった後は、荘口大佐は飛行第36戦隊の戦隊長や幕僚らとともに作戦開始までの集中した訓練の実施計画の立案にかかっていた。
 もちろん通常の業務も合わせてこなさなければならないから、空中勤務者ばかりではなく、飛行戦隊直属の整備班や飛行場大隊の整備中隊などの地上勤務者への説明と協力も必要だった。
 荘口大佐ら2個飛行戦隊の幹部達はそのような準備作業を一つ一つこなしていった。


 一式重爆撃機装備の2個飛行戦隊合同の訓練が開始されたのは翌日のことだった。
 訓練は最初から飛行戦隊単位での緻密な編隊維持する激しいものとなった。
 作戦決行の期日はまだ確定はしていないが、そう先のことではないことはわかっていた。
 だから、小編隊による訓練や、搭乗員各位ごとの訓練を行う時間的な余裕は無かったのだ。

 訓練に参加したのは2個飛行戦隊の重爆撃機ばかりではなかった。最前線から休息や再編成で一時的にアレクサンドリアまで交代していた部隊や、逆に日本本土やアジア各地から輸送されて、最前線に向かうための最後の調整を行なっている部隊などから戦闘機部隊が仮想敵としてしばしば参加していた。
 仮想敵となった戦闘機部隊の行動は、実戦を想定した戦闘機動を繰り返すものだった。彼ら戦闘機隊にとっても大型攻撃機に対する襲撃訓練を兼ねていたし、諸隊に頭を下げて仮想敵役を務める部隊を巡った荘口大佐の依頼でもあった。
 実戦に即した行動でなければ各戦隊の機上勤務者達に緊張感を与えることは出来ないだろうと考えていたからだ。

 戦闘機隊は新戦術を試す実験場か何かのように、緊密な編隊を維持しながら飛行する一式重爆撃機に対して、次々と異なる戦闘機動で襲撃を行なっていた。
 セオリー通りの後方からの攻撃はもちろん、それとは逆に編隊前方から突撃してくる対進攻撃や上空からの高度差を利した高速での一撃離脱など隊ごとに研究を重ねた襲撃方法を考案してきていた。
 そのように多様な襲撃方法が考案されたのは、高速で飛来する大型重爆撃機に対処する戦法がいまだ確立されていないためだが、訓練に参加する戦闘機隊の機材が多種に渡るためでもあった。
 英国空軍主力のスピットファイヤやハリケーンの各型、日本陸軍主力の二式単戦鍾馗、一式単戦隼といった単用単発の戦闘機に限らずに、時には鈍重な双発機ながら重武装を併せ持つ二式複戦屠龍や、同じ一式重爆撃機ではあっても編隊護衛に特化した翼端援護機仕様である一式重爆撃機一型との同航戦といった異様な機種を相手取るときもあった。
 一式重爆撃機の機銃手達は日毎に異なる方法で機動する戦闘機隊に照準を合わせるのに苦労していたが、訓練が終わる頃には指揮官の命令による防御機銃火力の集中や敵機の機動への対応を身に着けていった。

 仮想敵となったのは、空中の部隊ばかりではなかった。重点的に防御された地帯への爆撃を前提として、地上に展開する対空部隊を相手取ることもあった。
しかも対空部隊なかには実戦を想定して予め隠匿した壕内に潜み、射撃直前になってから姿を表すことさえあった。
 飛行戦隊はそれらの対空部隊群を回避し、あるいは損害を無視して直行して訓練目標へと向かった。低空侵入訓練の時には大口径の防御機銃で対地制圧射撃を行うことすらあった。


 実戦を想定した激しい訓練をこなす内に、未熟であった飛行第36戦隊の将兵も含めた一式重爆撃機に乗り込む空中勤務者の技量は向上していった。
 爆撃手や機銃手と言った実際に兵装を操作する将兵が技量を向上させたのは当然だったが、操縦員達も夜間や視界の悪い状況でも防御機銃の効果を最大限発揮するための緻密な編隊を維持したまま飛行できるほどの操縦感覚を身に着けていた。
 航法士も長距離飛行に必要な天測航法や、最新の爆撃支援システムである電波航法補助装置にも習熟していった。これまでの比較的に単純な地形の北アフリカ戦線では極論すれば方角さえさえわかれば、あとは海岸線に沿って飛行すれば飛行場への帰還や索敵も容易だったのだが、長駆敵地に進入するためには高度な航法技術が必要不可欠だった。
 作戦時刻はまだ確定していないが、通常陸軍機が多用する地文航法が使いものにならない長時間の夜間飛行も覚悟しておくべきだろう。

 こうして常に編隊を組んで訓練を行なっていた2個飛行戦隊の将兵たちの間には、戦隊の垣根を超えた一式重爆撃機という同じ機種に乗り込むものとしての連帯感が生まれていた。
 すでに2個飛行戦隊は単一の巨大な部隊としても運用が可能なほど緻密な編隊を組めるほどの練度を保持していた。


 短期間で練度を向上させたのは、飛行戦隊の空中勤務者達だけではなかった。
 実戦と同様の訓練活動の連続は、機材を激しく損耗させる結果ともなった。幸いなことに訓練期間中に一式重爆撃機が完全損耗となるほど大きなトラブルは生じなかったが、長時間の戦闘機動による初期故障を含む細かな不具合は頻繁に発生していた。
 そのような故障が発生するたびに、飛行戦隊付の整備班や飛行場大隊の整備中隊が故障機に付きっきりで修理を行なった。絶え間ない修理業務の連続によって整備兵達の技量も平時では考えられないほど向上していた。
 それに戦時を想定した訓練によって各機材の実戦に即した消耗具合が判明したから、一式重爆撃機が配備され始まったばかりでこれまで暫定的に定められていた消耗材の定数表が大きく見直された。もちろん飛行戦隊の主計は、この作戦のために定数を大きく変えた弾薬や燃料、それに防御機銃の銃身などの消耗材を集積していた。
 少なくとも作戦開始時には予備機も含めた全機が使用可能な状態で準備出来るはずだった。


 一式重爆撃機二型を装備する2個飛行戦隊が訓練に明け暮れる中、その他の機材を使用する日英の航空部隊も続々とアレクサンドリアに集結しつつあった。
 そしてプロエスティ油田地帯への爆撃作戦決行の日付が決定された。
 飛行第35、36戦隊は最良と思われる状態で作戦に挑もうとしていた。
+注意+
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