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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
40/247

1942マルタ島沖海戦10

 1

 夜が明けたばかりだというのに、地中海の日差しはきょうも眩しかった。
 石井一飛曹は、忌々しそうな顔で太陽を一瞥すると、のろのろと愛機の主翼が作り出す影に入り込んだ。
 大沢少尉と石井一飛曹達の二機の二式水上戦闘機は、マルサックス港の小さな桟橋に係留されていた。

 マルタ島の首都ヴァレッタがあるグランド・ハーバーは天然の良港として栄えていたが、マルタ島北東にあるマルサックスにもそれなりに整備された港湾設備があった。
 それにマルサックス港には、巨大な飛行艇基地が併設されていた。
 独伊空軍による絶え間ない空襲によって戦力は疲弊していたが、今も残骸に混じって何度も修理を重ねられたショート・サンダーランドが偽装網をかぶってその翼を休めているのが見えた。
 確かにマルタ島駐留の飛行艇部隊は稼働機数を大きく低下させていたが、今日にも増援部隊が到着するはずだった。
 石井一飛曹の目には、すでにその兆候がうつっていた。
 マルサックス港の沖合に次第に姿を表しつつあったのは、石井一飛曹たちの母艦である日進を含む水上機母艦群だった。
 第11航空戦隊と第12航空戦隊、それに秋津洲の5隻の水上機母艦に加えて、艦隊油槽船である塩屋と一隻の一等輸送艦からなる輸送船団は、マルサックス港にゆっくりと入港しようとしていた。
 直衛に付けられた松型駆逐艦の姿は見えないが、おそらく湾外で警戒にあたっているのだろう。

 艦隊を組んでいた他の運送艦や油槽艦足摺、それに軽巡名取を主力とする護衛隊主力は、グランド・ハーバーへと向かったはずだった。
 どうやら高速艦ばかりで輸送船団を編成した成果はあがったようだった。
 少なくともここから見る限りでは、マルサックスに入港しようとしている輸送船団に損害は無さそうだった。

 ―――もっとも輸送船団に被害がなかったのは、高速艦で編成したからではなく、単に敵部隊から無視されていただけかもしれないが
 石井一飛曹は、昨日からの徒労感ばかりを覚えた防空戦闘を思い出しながら、自分たちばかりが貧乏くじを引かされたような気がして腹ただしい思いを感じていた。


 あの熾烈な水上砲戦の支援から離脱した後も、石井一飛曹達の二式水戦と英国空軍から派遣されたタービンライトの戦闘は終わらなかった。
 むしろ、交戦時間という視点から見れば、マルタ島上空に達してからの戦闘のほうがはるかに長かった。
 二機の二式水戦は、燃料が持つぎりぎりまで滞空して戦闘を強いられていた。

 そのように長時間の戦闘飛行を強いられたのは、彼らがマルタ島に到着するのとほぼ同時に、ドイツ空軍の大型機が多数接近しているのが無事だったタービンライトの捜索用電探で確認されたからだ。
 これに対するタービンライト乗員と大沢少尉の決断は素早かった。マルタ島駐留の航空隊にかわって彼らが防空戦闘を実施するのだ。

 ここ数日の戦闘経緯から考えると、マルタ島の航空隊は戦力を喪失しているか、少なくとも減衰させているのは間違いない。
 現状では夜間爆撃任務を遂行する多発の大型爆撃機で編成されているとおもわれる敵編隊を迎撃できるのは、たった二機の二式水戦のみだった。
 タービンライトにも一応自衛用の機銃座はあったが、損傷した大型機では俊敏な機動は期待できそうもなかった。
 その代わり捜索用の強力な電探と無線機能は維持されていたから、敵機を見失うことだけは無さそうだった。
 ただし、フロート付きの鈍重な二式水戦で長時間の射撃を伴う接敵機動を行うのは危険だった。
 教科書通りに後方から接敵すれば、相対速度は小さい分だけ射撃時間は長く確実に命中弾を得られるだろうが、こちらの被弾率も上昇するはずだ。
 結局、二式水戦隊には上方からの一撃離脱を繰り返すしか無かった。
 何故か敵爆撃機は中途半端な高々度を低速で飛行していたから、二式水戦でも上方からの一撃離脱を行うのは難しくなかった。
 夜間での接敵は難しく、また逆探知の可能性を考慮すれば射撃直前まで射撃管制用の電探を使用することは出来なかったが、その代わりに更に上空を飛行するタービンライトの捜索用電探による監視と誘導があれば確実な接敵も可能だった。

 しかし、その戦闘は古参下士官である石井一飛曹には違和感のあるものとなった。
 接近中どころか、射撃の直前までほとんど敵の姿を見ることなく戦闘を行う事になったからだ。
 タービンライトが装備する捜索用電探の精度は高かった。
 石井一飛曹たちは、タービンライトの乗員が電探の情報を元に判断した敵機の位置に、言われるがままに接近して、また言われたタイミングで二式水戦に搭載された電探を作動させるだけでよかった。
 二式水戦が搭載する大して広いとはいえない射撃管制用電探の捜索範囲内に敵機を捕らえられなかったことは一度もなかった。
 だから、後は射撃管制用電探の表示面を睨みながら機銃の射界にはいるまで敵機に接近し、適切なタイミングで射撃を開始するだけでよかった。

 そのように今までにない戦法をとっていたものだから、敵機種に気がつくのの時間がかかってしまっていた。
 最初の違和感は、当初の予想よりも敵機の速力が低いことだった。
 ドイツ空軍の大型爆撃機は、爆弾搭載量は少ないが、高速機が多かった。下手をすれば二式水戦の方が後方に取り残されてしまうかもしれない。そのような思い込みがあったものだから、最初の敵機を危うく取り逃すところだった。
 敵機が早すぎて後方に取り残されそうになったというわけではない、逆に予想以上に敵機が遅くて追い抜かしそうになったのだ。
 そのうえ敵機の防御火力は脆弱だった。爆撃機の編隊にもかかわらず酷くまばらな防御機銃を無視するように高速で接近しながら、二機の二式水戦は射撃を開始した。
 たちまち被弾した敵機は、主翼をもがれながら、炎を吐いて真っ逆さまに海面へと落下していった。
 敵機の正体に気がついたのは、その落下していく機体の機首にエンジンがついているのを確認したからだった。
 一瞬、石井一飛曹はイタリア軍が主力爆撃機とする三発爆撃機のサボイアかと思ったが、機首周りの形状が違っているようだった。

 ―――ユンカースの輸送機…なのか
 石井一飛曹は意外さを感じながらそう結論づけていた。
 だが、マルタ島には独伊軍の空挺部隊が降下して戦闘中だというが、いまだ島内の三箇所の飛行場では戦闘中か、英国軍が維持し続けていた。
 つまり輸送機がマルタ島に到着しても安全に着陸できる滑走路は存在しなかったのだ。
 おそらくドイツ軍は降下した空挺部隊に対する補給か、あるいは増援の空挺部隊を送り込んできたのだろう。
 だが、これは危険な行為だった。

 空挺部隊の運用に関しては先進国といえるドイツ空軍でも、必ずしもその手法は確立されたといえるわけではない。
 降下地点を誤ったり、天候などの影響で降下した部隊が広範囲に散らばってしまうことは少なくない。
 昼間でさえそうなのだから、視界の効かない夜間では難易度は更に高いだろう。
 ただでさえ大して広くもないマルタ島へ降下するのだから、
 状況が悪ければ、海面へ落下して部隊や物資がまるごと失われてもおかしく無かった。

 ―――それだけの覚悟を持って無理をしてでも夜間に降下しようということは、ドイツ軍も意外と追い込まれているということなのだろうか…
 何機目かの輸送機に射弾を叩き込みながら石井一飛曹はそう考えていた。
 だが、そのような一飛曹の油断をあざ笑うかのように、二式水戦の目の前を曳光弾の太い火線が横切った

 考えてみれば、ドイツ空軍が夜間とはいえ鈍重な輸送機に何の護衛も付けずにに敵地上空に飛ばすはずはなかった。
 ユンカース輸送機を次々と駆り立てていた二式水戦は、今度は逆に駆り立てられる側になった。
 相手の正体は分からないが、単発の戦闘機であることは間違いないようだ。
 石井一飛曹らは、タービンライトの支援を受けながら必死で逃走を続けたが、二式水戦にまさる機動力でドイツ戦闘機は追撃してきた。
 二式水戦のような電探は装備していないらしく、ドイツ戦闘機は二式水戦を見失って迷走することもあったが、僅かなエンジン排気炎でも目標にしているのか、しつこく追尾を繰り返してきた。

 おそらくそのままでは大沢少尉も石井一飛曹も、それに支援していたタービンライトも撃破されて、マルタ島にはユンカース輸送機によって降下部隊が送り込まれていたのではないのか。
 それを阻止したのは、石井一飛曹の目には唐突に現れたように見えた友軍の夜間戦闘機だった。
 もちろん友軍機は北アフリカから送り込まれたわけではなかった。
 輸送船団の編成よりも先にマルタ島に送り込まれていた戦闘機部隊の生き残りがいたようだった。
 僅かな機銃の発射炎によって、旋回機銃塔を胴体上部に装備する特異な形状の双発戦闘機月光の姿が映し出されていた。

 二式水戦の参戦による混乱に乗じて離陸してきた月光の数は決して多くはなかったが、二式水戦同様にタービンライトに支援された本格的な夜間戦闘機の参戦によって再び状況は変化していた。
 双発複座の月光は単発のドイツ戦闘機よりも機動性に劣っていたが、射撃管制電探と連動した銃塔によってその鈍重さを補っていた。

 だが、有力な戦闘機が出現したにもかかわらず、二式水戦の撤退は許されなかった。
 月光がドイツ戦闘機を押さえ込んでいるすきにユンカース輸送機を撃破しなければならなかったからだ。
 しかも危険なドイツ戦闘機に対抗する月光の支援にタービンライトがかかりきりになっているため、二機の二式水戦は独力でユンカース輸送機を捜索しなくてはならなくなった。

 射撃指揮用電探の狭い走査範囲内で敵機を発見するのは容易なことではなかった。
 残弾と残燃料を横目で睨みながらの戦闘は、永遠に続くかのようだった。
 ユンカース輸送機の編隊が撤退し、二式水戦が指定されたマルサックス港に着水したときには機銃弾は全て使い果たし、残燃料も危険な量に達していた。
 機体姿勢によって燃料タンクからの移送が上手く行かなくなるのか、咳き込みそうなエンジンをなだめすかしながら二機の二式水戦は着水することになった。


 石井一飛曹は、次第に大きくなる機関音にうんざりしながら、翼下の日陰から抜けだした。
 ようやく桟橋に輸送船団が着岸しようとしているところだった。
 桟橋には、もやい取り作業に必要な数をはるかに超える人間が集まってきていた。
 その雑多な格好の人間たちをしばらく見てから、石井一飛曹はそっと視線を逸らした。
 東南アジアや北アフリカで何度も見た現地民による押し売りのような作業者かと思ったからだ。
 かれらの多くは、日英軍の戦力が強大で豊富な物資を保有していることがわかると、親切顔ですりよってくると、労務と引き換えに物資や金銭を要求してきた。
 その労務以上の対価を日本軍が与え続けたのは、一種の宣撫工作でもあった。もしも彼らの売り込みを断れば、逆に敵軍に擦り寄るのが目に見えていたからだ。

 実際には港湾作業者にまで正規の人員を配置できない日本軍にとって、彼ら協力現地民はありがたい存在でもあったのだ。
 石井一飛曹の考えは半ば八つ当たりでもあったのだが、強い疲労感に襲われた一飛曹はそのことに気が付かなかった。

 桟橋から顔を背けた石井一飛曹だったが、その目の前に唐突に一杯のカップが差し出された。
 僅かな塩気を含む湯気がカップから上がっていた。
 カップの中身は、稗か蜀黍のような僅かな穀物と海藻を具材としたスープのようだった。カップには一本のスプーンが差し込まれていた。
 具材は粗末のようだが、立ち上がる湯気からはひどく香ばしい匂いがした。その匂いを嗅ぐだけでも料理人のかけた手間暇が感じられるような気がした。
 長時間の飛行による疲労のせいか、激しい空腹感を刺激された石井一飛曹の腹が鳴った。
 食事を勧める声を上の空で聞きながら、石井一飛曹は宝物のように有り難そうにカップを受け取ると、ずるずると音を立てて貪るようにスープを飲みだした。

 想像していたとおりに、具材は粗末だが、味付けは上品なものだった。何よりも疲労した体に染み渡るようだった。調理人には料理だけではなく、医学か何かの心得でもあるのかもしれない。
 石井一飛曹は、あっという間にスープを喰い尽くしてからほっと一息ついた。冗談ではなくなにか生き返ったような気がした。
 カップを貸して礼を言おうとして一飛曹は顔を上げたが、そこでカップを差し出した人物の顔を見てぎょっとして固まってしまった。
 先程の勧められた声が日本語だったから、てっきり先行してマルタ島に着任していた設営隊かどこかの部隊の主計が気を利かせてくれたのかと思ったのだが、石井一飛曹からカップを受け取ったのは明らかに白人の中年婦人だった。
 その婦人は、年の頃は石井一飛曹よりも一回りほど上に見えたから、40前くらいだろう。
 着ているものは質素だが、立ち居振る舞いからは隠しおおせない上品さが感じられた。おそらく上流階級の出身なのだろう。

 石井一飛曹が呆けたような顔をして見つめていると、その婦人は口元を隠して少しばかり恥ずかしげにころころと笑うと表情に笑みを残したまま言った。
「お口に合うとよろしかったのですけれど。当節この島では何かと不足しがちなものですからね。もっともミソスープは普段でもなかなか作れませんけれどね」
 しばらく呆けたような顔をしてから、愛想笑いを無理矢理に作りながら石井一飛曹は意味もないことをおずおずといった。
「その…随分と日本語が上手ですね」
 婦人は笑みを浮かべたまま、懐かしがるような顔をしていった。
「この島に日本の方がいらっしゃるのはこれで二度目ですわ。もう二十年以上前のことになるから、私もまだ子供だったわ。日本語はその時に勇敢な水兵さん達に習ったのよ。でもまだ日本の言葉を覚えておいてよかったわ」
 そこで婦人は一度口を閉じて、笑みを消してひどく真面目な表情で石井一飛曹に向き直ると深々と頭を下げながら言った。
「またこの島に来ていただいて…このマルタを守りに来てくださったこと感謝いたしますわ。どうかあなた方に神の御加護があらんことを」
 婦人はそう言うと、気恥ずかしそうな顔で再び笑みを浮かべると軽く礼を浮かべて立ち去っていった。
 軽やかな足取りの婦人の後ろ姿を、石井一飛曹は呆けたような顔で見送っていた。

 しばらくしてから愛機の主翼が作り出す影から抜け出すと、石井一飛曹は一度大きく伸びをした。
 不思議なことに、見も知らぬ婦人から感謝の言葉をかけられたことで、それまでの徒労感はきれいに失せていた。
 目の前の景色すべてが違って見えるような気がしていた。
 考えてみれば、軍人となって初めて誰かから礼を言われたかもしれなかった。

 あの婦人と話していたのは僅かな時間だったが、その間に着岸した水上機母艦から荷降ろしが始まっていた。
 日進のデリックが格納庫から釣り上げているのは、日本国内でライセンス生産されたマーリンエンジンを始めとする航空機用の機材ばかりだった。
 もちろん輸送された荷物の中には、航空機用燃料の軽質油や滑油のドラム缶も含まれていた。
 マルタ島駐留の損耗された航空隊も、これらの物資で戦力を回復できるはずだった。
 さらに後方から航空隊が空輸されるから、マルタ島駐留の航空戦力は増強されるはずだ。
 これによってマルタ島近海の制空権は日英側に大きく傾くはずだった。
 そして、航空援護のもとに、エジプトで現在編制されているはずの輸送船団が到着すれば、マルタ島の防衛体制は盤石のものとなるはずだった。

 ―――だが、本当にマルタ島を守っているのは、日英軍の強大な戦力ではなく、諦めを知ることのないこの島の住人なのかもしれない。
 日進の近くで荷降ろし作業を手伝っているらしい現地住民や炊き出しの婦人らを見ながら、石井一飛曹はそう考えていた。



 2

 まだ地中海から夏の眩しい太陽は去ってはいなかった。燦々と降り注ぐ陽光をあびながら、面白くもなさそうな顔でボンディーノ大佐はヴィットリオヴェネトの艦橋脇からタラントを出港しようとしている艦隊を眺めていた。
 シャルンホルスト級戦艦二隻を主力とするその艦隊は、英国海軍によってジブラルタル海峡が封鎖される前に、大西洋へと脱出しようとしているのだった。
 マルタ島沖のあの夜戦からすでに三日が過ぎていた。

 ボンディーノ大佐達が、マルタ島攻略作戦が中止された理由を知ったのはタラント港へと帰還してからの事だった。
 だがその理由はボンディーノ大佐達を困惑させるものだった。

 南方総軍司令官であるケッセルリンク元帥がマルタ島攻略作戦を中止させた直接の原因は、島に降下していた部隊への空輸補給に失敗したことだった。
 その時点で空挺部隊は、マルタ島に駐留していた守備隊にかなり追い込まれていたようだ。
 だから、空路での補給に失敗した時点で空挺部隊は、戦闘の続行を断念して撤退か投降を余儀なくされていた。
 虎の子の空挺部隊をマルタ島から密かに撤退させるために何隻かの潜水艦が派遣されたようだが、撤退に成功したという話はまだ聞かなかった。
 そもそも輸送力の劣る潜水艦では、大した人数は運べないはずだ。撤退に成功しても高級将校に限られるのではないのか。
 マルタ島への再侵攻の目処がつかない以上、空挺部隊は喪失したと考えてもよかった。

 だからマルタ島攻略作戦はこれ以上の海空軍の戦力を失わないために中止されることになったようだった。
 だが、実際のところはヒトラー総統や国防軍総司令部の関心は、東部戦線で開始されたスターリングラード市の攻略戦に向かっているようだった。
 マルタ島の再攻略を実施すれば、ケッセルリンク元帥指揮下の第二航空艦隊は、今回の作戦で被った以上の損害を受けるだろう。
 しかし東部戦線での損耗補填のために逆に第二航空艦隊からは、戦力を抽出したいドイツ軍としてはこれ以上マルタ島に深入りするのは避けたい以降のようだった。

 ボンディーノ大佐は、それを聞くなり不機嫌な顔で黙り込んでいた。
 実際のところ、今回の作戦が失敗に終わった理由は、ドイツ軍のどっちつかずな判断が原因ではないかと考えていたからだ。
 第二航空艦隊はマルタ島と敵艦隊、輸送船団と複数の攻撃目標を与えられていたが、そのすべてが中途半端な攻撃に終わっていた。

 エジプトからマルタ島に向かっていたはずの船団は最後まで発見すらされなかった。
 敵艦隊の後方を重点的に捜索していた航空部隊は無駄足となって終わったし、潜水艦隊による哨戒網にも何もかからなかった。
 肝心のマルタ島に対する攻撃も中途半端なものだった。
 特に日英艦隊がマルタ島に接近するなかで、第二航空艦隊攻撃機部隊の目標が、マルタ島から敵艦隊に変更となってしまったために、マルタ島への攻撃はおざなりなものになってしまっていた。
 おそらくは、その目標変更がマルタ島攻略に失敗した最大の原因だとボンディーノ大佐は考えていた。
 それまでの絶え間ない空襲によって英国軍の守備隊は抑えこまれていたはずだが、艦隊への目標変更の結果、空襲が止んだうちに息を吹き返したのだろう。
 だから、空挺部隊が降下した時に、有力な対空部隊を含む英国軍守備隊に果敢な反撃を許すこととなったのだ。
 兵としての練度が高い精鋭部隊である空挺部隊でも、基本的には装甲車両等を有しない軽歩兵部隊でしかない。
 ましてや無防備な降下中を狙われてはひとたまりもなかったはずだ。
 空挺部隊は、そのような状況で重火器や弾薬などの物資を回収できないまま、対空砲を転用した即製の重火器を豊富に備える英国守備隊に圧倒されてしまったようだった。

 マルタ島に降下した空挺部隊にそこまでの損害を与えてしまった第二航空艦隊の目標変更だったが、ボンディーノ大佐にはそれほど意味のあることだとは思えなかった。
 確かにこれまで脅威となっていた日本海軍の正規空母を撃沈することには成功していたが、それと引き換えに独伊空軍が被った損害も少なくなかった。
 日英艦隊の防空網はこちらの予想よりもはるかに強固だったのだ。
 防空戦闘機や艦隊の対空砲火によるこちらの損耗を考慮すれば、この航空戦は引き分けといった判定になるのではないのか。

 だが、ボンディーノ大佐には、この航空戦がマルタ島攻略に与えた影響はないに等しいと考えていた。
 こちら側は航空戦力を削がれただけだし、日本海軍も損害を受けた空母を後方に退避させた上で、大規模な航空攻撃が不可能となる夜間にも艦隊を進撃させ続けたからだ。
 結局、日英艦隊を阻止できる可能性が高かったのはボンディーノ大佐たちの水上艦隊であったはずだが、あの夜戦を見る限りではその前段階の航空戦による損害が日英艦隊の水上砲戦部隊に影響を与えたとは思えなかった。

 それくらいであれば、むしろ日英艦隊の迎撃は水上艦隊に任せて、第二航空艦隊は敵艦隊を無視して、そのままマルタ島への空襲を継続させた方が効果的だったはずだ。
 日本海軍空母部隊の対地攻撃能力は大きかったが、こちらが防御を固めれば損害は極限出来たはずだった。
 実際に、ボンディーノ大佐たちの水上部隊が撤退した後に再編成されたらしい日本海軍の残存空母から発艦したらしい攻撃部隊が、シチリア島の航空基地を襲撃してきたが、レーダーによって遠距離で攻撃隊を発見し、迎撃部隊を出撃させるのに成功した独伊空軍は、軽微な損害でこの襲撃をくぐり抜けることができていた。
 このシチリア島への航空攻撃の結果、這々の体で逃げ出したようにも思える枢軸連合艦隊への追撃はおざなりなもので済んだようだった。

 だが、タラント港に満身創痍の状態で帰還した艦隊には凶報が待ち受けていた。
 それはイギリス本土からネルソン級戦艦二隻を中核とした艦隊が出港したというのだ。
 輸送艦が多数含まれていたその艦隊の行き先は、ジブラルタルだと推測されていた。
 ジブラルタルは開戦直後にスペイン政府の黙認のもとでドイツ軍の降下部隊が占領していた。
 その後スペイン経由で増援戦力が送られ、防備が固められたことでジブラルタルは難攻不落といわれていたが、決して安全な場所ではなかった。
 スペイン政府の方針がどうやら変化し始めていたようだったからだ。

 今次大戦において局外中立を表明していたスペイン政府が、ドイツ軍によるジブラルタル占領とその後の自国を通した補給線を黙認していたのは、戦後のジブラルタル返還をも見据えた政策のはずだった。
 だが、そのジブラルタル返還も枢軸側が勝利しなければ意味のない話だった。逆に国際連盟側が最終的に勝利を納めれば、枢軸側に加担したスペインの立場はかなり悪化するだろう。
 悪くすれば戦後の政治体制の中で爪弾きにされてしまうかもしれない。
 もちろんそのことは当事者であるスペイン政府だけでなく、国際連盟側の諸国も理解しているはずだ。
 もしかすると、国際連盟側はスペインに対して何らかの譲歩か、枢軸側に対して優位であるという情報を伝えたのではないのか。
 ジブラルタルの返還という条件はおそらくイギリスが認めそうもないが、スペイン政府としても枢軸側と心中する気はないのだから、政策の転換は荒唐無稽な話ではないはずだ。
 あるいは、スペイン政府に翻意をもたらしたのは、マルタ島攻略作戦の失敗なのかもしれない。
 マルタ島を保持し続けたことで、地中海北部の制海、制空権は国際連盟側へと傾いた。
 イギリス本国からの最短ルートであるジブラルタルを占領した状態でそれを成し得たことが、スペインのフランコ総統に国際連盟よりに政策転換をもたらしたのかも知れなかった。

 この政策転換が枢軸側にもたらした影響は少なくなかった。スペインを通過するジブラルタル行きの貨物列車は、全てフランス国境で運行を差し止められたらしい。
 それにスペインの領海内の軍用貨物を積み込んだ貨物船の通過も、いまさらのように臨検が始まったようだった。
 もちろん短期的にはスペインを経由した物資の輸送が途絶えたとしても、ジブラルタル防衛に支障が出るわけではない。これまで輸送された物資が蓄積されているからだ。
 だが、ジブラルタル防衛任務に就く将兵の士気に与える影響は少なくないだろう。

 今のジブラルタルには沿岸防衛用途の砲も備えられているらしいが、イギリス本国艦隊の大戦力の前では無力に等しいだろう。
 ドイツ側としては、狭いジブラルタルにイギリス軍が強襲をしかければ、スペイン本土にも流れ弾などの被害が発生するのは避けられないから、国際連盟軍が大規模な戦力を投入する事はありえないという判断もあったらしいが、今度はスペインが逆に多少の損害であれば黙認してしまうはずだ。

 このままではドイツ艦隊は地中海に閉じ込められてしまう。そう予測したドイツ海軍は、在地中海の航行可能な全艦に、ジブラルタルの封鎖が完了する前に大西洋に脱出するように命令した。
 表向きはジブラルタル防衛のために、大西洋側のブレストに駐留する艦隊と合流するということになっているが、損傷艦が多く大した戦力とはならない在地中海艦艇が出撃した所で、有力な戦艦を含む英国海軍の奪還艦隊に対抗できるとは思えなかった。

 結局、シャルンホルストとプリンツオイゲン、それに辛うじて応急修理が間に合ったグナイゼナウを中心とした艦隊がジブラルタルを突破することになった。
 随伴する駆逐艦の数は大きく減っていたが、プリンツオイゲンとシャルンホルストは辛うじて自衛戦闘が可能なレベルの戦闘力は保持していた。

 だが、この脱出艦隊に枢軸連合艦隊旗艦を務めていたテルピッツの姿はなかった。
 テルピッツは大きな損害を受けて、リュッチェンス中将を含む艦橋要員を失ったものの辛うじてタラント港に帰還できた。
 被弾箇所が上部構造に集中して、機関部などの船体下部への損害が少なかったためだろう。
 もちろん、それは沈まなかったというだけであって、すでに戦力価値は無くなっていた。
 イタリア海軍にはドイツ海軍の戦艦を修繕する技術も部品もないからだ。
 テルピッツは速力も減少しているから、艦隊にただ随伴することも出来なかった。
 もしも脱出艦隊の速力を損傷したテルピッツに合わせていては、艦隊ごとジブラルタル脱出前に補足殲滅されてしまうだろう。

 そのせいでテルピッツのみがドイツ艦の中で取り残される羽目になった。
 テルピッツの乗員は、いまタラント港を出港しようとするシャルンホルスト以下の脱出艦隊を恨めしそうな目で見ていた。
 ヴィシーフランス海軍も戦艦を含む有力な艦艇を失っていたから、これでタラント港に残されるのは、少数のイタリア海軍艦を除けば自力航行もおぼつかない損傷艦ばかりになる。


 いつのまにかボンディーノ大佐の隣にラザリ中佐が来ていた。
「ドイツ海軍ではあの脱出作戦にケルベロスという名前をつけたそうです。シャルンホルストとグナイゼナウ、プリンツオイゲンをケルベロスが持つ三頭に見立てた命名なのだそうです」
「ふん、いかにもドイツ人の考えそうなことだな。大層な名前をつけずとも、素直に逃げ出すといえばいいものを」
 不機嫌そうな声でボンディーノ大佐が言うと、ラザリ中佐は肩をすくめながら一通の手紙を大佐に手渡した。どうやら民間からの郵便物が艦に送られてきたらしい。

 ボンディーノ大佐は、自分の名前が几帳面そうな文字で宛名に書かれた封筒を、手でいい加減に破いて中の便箋を一読した。
 そして大きなため息をつくと、封筒ごとくしゃくしゃに丸めてポケットに押し込んだ。
「奥様からのようでしたが、何かあったのですか」
「ああ・・・俺と別れたいと言ってきた。どうやら愛人と再婚するつもりらしい。娘の親権のことはこれから話し合いたいそうだ」
 気の強い妻がそんな曖昧な書き方をするということは、おそらく彼女は新しい生活に娘を加えるつもりは無いのだろう。
 そう考えながらボンディーノ大佐は陰鬱な表情になっていった。
 まだ幼い娘に両親の離婚をどうやって説明すればいいのだろうか。ボンディーノ大佐にはまったく思いつかなかった。

 ラザリ中佐はしばらく戸惑っていた様子だったが、やがてこういった。
「それは……ご愁傷様です」
 貴様ほど顔がよければこんなことにはならなくてすんだのにな。そういいかけてボンディーノ大佐は困ったような顔のラザリ中佐に気がついた。
「その…実は私も妻とは長年別居しているのです。多分、数年以内に離婚することになるでしょう。私には艦長と違って子供がいませんし…」
 ボンディーノ大佐は呆気に取られて思わずまじまじとラザリ中佐の顔を見つめてしまった。
 気がついてみればそれなりに長い付き合いだというのに、副長と個人的な話をしたのはこれが初めてだった。
 押し黙ったボンディーノ大佐に、戸惑ったような笑みをラザリ中佐は向けた。
「まぁ最初は戸惑うものです。ですが、しばらくそんな生活を続ければ何れ慣れます。あとの問題はお子さんの事ですが…」
「なるほど、こういったことでは貴様の方が先任の様だな」
 恥ずかしながら、そういって顔を赤らめたラザリ中佐が新鮮だったのでボンディーノ大佐は自然と笑い声を上げていた。
 いけ好かない奴だと思っていたのだが、意外とこの男とはうまくやっていけるかもしれない。そう考えていた。
 いつの間にか何故かラザリ中佐も笑い声を上げていた。艦橋要員は何時までも笑っている二人を怪訝そうな顔でみていた。
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