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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942マルタ島沖海戦9

 ヴィットリオ・ヴェネトを襲った衝撃は一瞬だった。
 艦橋内では何人かが衝撃で倒れ込んでいたが、機材や人員に大きな損害は出ていないようだった。
 ボンディーノ大佐は眉をしかめながら立ち上がると、素早く双眼鏡を敵艦へと向けていた。
 それまでヴィットリオ・ヴェネトと相対していた磐城型戦艦は、ゆっくりと傾斜しながらこちらの隊列、敵艦から見れば右舷側へと回頭しつつあった。
 おそらく先程の衝撃は、あの敵艦から最後に放たれた砲撃によるものだろう。あの艦は今にも沈みそうな状況にしか見えないが、敵艦に向かって砲撃を行い、しかも命中弾まで得ていた。
 そのうえ、磐城型戦艦は、後続する友軍艦の邪魔にならぬように、また炎上による明かりで友軍艦を照らし出さないために隊列の此方側へと回答しているのだろう。
 沈没直前にも関わらずその執念じみた戦意の高さと、冷静さにボンディーノ大佐は戦慄を覚えていた。

 それに対して被弾からしばらくしてからもヴィットリオ・ヴェネト艦橋には損害報告が上がって来なかった。
 ボンディーノ大佐がさすがに不審に思って艦橋の外を見やると、衝撃から回復した見張り員が口を開けて呆けた表情で艦後部を見つめているのに気がついた。
 嫌な予感がしてボンディーノ大佐が慌てて見張り員のそばまで近寄ろうとする前に、報告が上がった。
「艦体中央部に被弾、第二煙突損傷、後部艦橋損傷、黒煙が上がっています」
 ボンディーノ大佐は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
 煙突の損傷だけならまだいいが、黒煙が出ているということはボイラーが異常燃焼しているのではないのか。
 夜戦ではそうそう目立たないだろうが、そのまま異常燃焼が続けば、ただでさえ煙突の損傷による影響を受ける機関効率がさらに低下するかも知れなかった。
 とにかく機関長からの報告を待つしかなかった。
 もしかすると、後部艦橋に被弾したということは、応急指揮官として詰めていたはずの副長ら応急班にも損害が出ているかもしれない。

 ボンディーノ大佐は、報告を待つしかない事態に苦々しい思いをしながら、とりあえず砲術長に、前方のリットリオと撃ち合っている金剛型戦艦へと照準を切り替えるように命じると、双眼鏡を艦前方へと向けた。
 もう回頭している磐城型戦艦は脅威とはならないだろう。このまま上級司令部が何も命令して来なければ、サンソネッティ中将に図った上で独断で目標を変更しなければならなかった。

 しかし、双眼鏡を覗きこむ前に、ボンディーノ大佐は慌ただしい物音が聞こえてきた。
 怪訝そうな顔で振り返ったボンディーノ大佐は、艦橋要員を押しのける勢いでラザリ中佐を先頭にした応急班員達が駆け込んできたところだった。
 どたどたと応急班員達は電話器が設けられた箇所に陣取ると、慌ただしく次々と連絡を取り始めた。
 呆気に取られたボンディーノ大佐に気がつくと、ラザリ中佐がこんな状況には酷く似つかわしくない愛想笑いを浮かべながらいった。
「先ほどの衝撃で電路が何本か切られたようです。後部艦橋からでは応急班の指揮が取れませんので」
 言い終わると同時にボンディーノ大佐の返答も聞かずに、ラザリ中佐は一瞬で愛想笑いをかき消すと、応急班員たちに向き直った。
 次々と入ってくる連絡を捌きながら、ラザリ中佐は声を上げた。
「機関長より艦長へ報告、先ほどの被弾で6号ボイラーに損傷、異常燃焼中、現在応急処置中、機械室及び6号以外のボイラー室に異常なし」
 ボンディーノ大佐は大きく頷いた。異常燃焼が8基あるうちの一つならばまだ致命的な損傷とはならないはずだった。

 だが、安堵を覚えかけたボンディーノ大佐をあざ笑うかのように、見張り員が戸惑ったような声を上げた。
「旗艦が…テルピッツが面舵回頭中…二番艦シャルンホルスト続行します」
 ボンディーノ大佐は、怪訝そうな顔で双眼鏡を隊列前方へと向けた。確かに先頭を行くテルピッツが勢い良く右舷、敵艦から遠ざかる方向へと転舵していた。
 二番艦の位置にあるシャルンホルストもそれに続行するべく無理な体制で転舵を開始していた。
 その二隻の急激な機動に対応できずに、先程まで二隻がいたはずの水域には、次々と敵艦からの砲撃による水柱が虚しく立ち上がっていた。
 一瞬ボンディーノ大佐は、テルピッツが敵弾からの回避を狙ったのか、あるいは艦隊戦力保全のためにこれ以上の戦闘を忌避して逃走を選択したのではないのかと考えたが、すぐにその考えを打ち消した。
 テルピッツの行動が戦術行動にしては奇妙だったからだ。

 テルピッツの回頭はあまりにも急だった。確かに敵弾の回避は出来ただろうが、斉射を続けていたこちらの射撃データもこの転舵で無効化しているはずだ。
 それに転舵前に隊列後方の味方艦に何の連絡も無かったのも奇妙だった。
 怪訝に思っていたのはボンディーノ大佐だけではないようだった。
 シャルンホルストはテルピッツに続いて転舵していたが、続行するグナイゼナウは奇妙なものを感じ取ったのか、直進を続けていた。

 電話器を占領し続けていたラザリ中佐が、首を傾げながらボンディーノ大佐に電話器を押し付けるようにしながら言った。
「電測室からです。隊内通信でリットリオがテルピッツに通信を行なっているようなのですが…」
 嫌な予感を感じながらボンディーノ大佐は電話を取り上げた。
 脇から見つめるサンソッティ中将の視線を感じながら、通信を聞くボンディーノ大佐の表情はだんだんと陰っていた。

 ラザリ中佐の言ったとおりに、リットリオからはテルピッツに向けて呼びかけが続けられていた。
 だが、テルピッツからの反応は何もなかった。その間も双方の砲撃は続いていた。
 しばらく呼びかけてから隊内電話は唐突に終了した。

 ボンディーノ大佐は、受話器を手放すと再び双眼鏡を隊列前方へと向けた。
 やはりテルピッツは意味もなく回頭を続けているだけだった。
 後続していたシャルンホルストも異様さを感じ取ったのか、隊列に戻ろうとして再び無理な機動を行なっていた。
 だが、その行動はさらに混乱をもたらすこととなった。
 シャルンホルストが元の位置に戻るためには、かなりの速力が必要となるはずだ。実際シャルンホルストの無理な機動によってグナイゼナウやリットリオの航跡も乱れているようだった。

 そして、すぐに艦隊全艦に向けてリットリオからの通信が行われた。
「テルピッツ、リュッチェンス大将との連絡途絶、艦隊指揮はイアチノ大将が引き継ぐ、艦隊主力右舷で交戦中の各巡洋艦戦隊、駆逐隊は敵主力への雷撃を実行せよ。左舷で交戦中の戦隊は反転する敵艦隊の最接近を警戒、排除せよ。艦隊主力は敵戦艦群との交戦を続行。シャルンホルストは一番艦位置に復帰の上、敵一番艦に目標変更、グナイゼナウ二番艦、以下同様目標変更せよ。シャルンホルスト隊列復帰後、敵艦隊に接近する。目標砲戦距離1万」
 独伊仏の母国語が異なる三カ国艦隊に間違い無く伝わるように、イアチノ大将の命令は簡素な言葉で長々と伝えられた。
 しかし、それだけにイアチノ大将の決意が感じられるような気がしていた。
 ボンディーノ大佐は違和感を感じて、サンソネッティ中将に目を向けた。
 イアチノ大将のこれまでの戦闘指揮の傾向からすれば、艦隊保全を優先してここで撤退を選択してもおかしくなかったからだ。
 サンソネッティ中将は、首を振っていった。
「いや、ここで撤退すればマルタ島に降下した空挺部隊や海上輸送中の揚陸部隊を見捨てることになる。現在戦闘中の空挺部隊はドイツ軍が主力だから、これの救援を放置すれば下手をすると伊独間の政治問題になりかねないしな。ここで我々が引く訳にはいかんだろう。艦長、本艦も対応できるように」
 ボンディーノ大佐は深々と頷いていた。

 意味の無さそうな回頭からは脱しながらも、まだ迷走を続けるテルピッツが視界に入ってきたのはその時だった。
 テルピッツは、何度か円運動を続けてから、ようやく舵中央へと戻し始めていた。
 だが、水面下の損傷による抵抗の増大が激しいのか、それとも舵機か舵そのものに損傷があるのか、針路が定まる気配がなく、艦首が目に見えて左右舷にぶれていた。
 あるいは、問題があるのは舵のハードウェアそのものではなく、操作する人間の方にあるのかもしれない。
 どうみても、テルピッツの現状は、正規の人員や箇所ではなく、予備室か、あるいは舵取り機室での直接操作で舵をとっているとしか思えなかった。
 もちろん、そんな状態で細かな操舵が行えるとは思えなかった。

 正規の操舵装置が置かれていたはずの艦橋は、被弾による衝撃で半ば砕け散っていた。どうやら前檣楼は基部の他に頂部近くにも直撃弾が出ていたようだった。
 巨大な前檣楼頂部の10.5メートル測距儀は、その基部から破壊され、残骸が僅かにこびりつくように垂れ下がっているばかりだった。
 その直前の一段低くなっている司令塔は一見無事のように見えた。命中弾の跡はあったが、その強大な装甲板によって跳ね返されたようだったからだ。少なくとも司令塔舷側に命中した砲弾は装甲板に遮られて貫通することはなかったようだ。
 しかし、司令塔直上に設置されていた7メートル測距儀の喪失を見るまでもなく、大角度で司令塔天蓋に落下した命中弾があったことは明確だった。
 面積が広く被弾確率の高い前檣楼には、おそらく短時間の内に複数の命中弾が発生していたのだろう。
 たとえ舷側の分厚い装甲板に貫通弾がなかったとしても、指揮中枢としての機能が損なわれていることは明白だった。
 激しい煙を吐きあげる前檣楼に生存者が一人もいなくとも不思議ではないような気がしていた。

 もちろんテルピッツの損害は前檣楼だけでは無かった。
 命中弾は艦体前方に集中していたらしく、A、B砲塔は打ち砕かれて黒煙をあげていた。天蓋がめくれ上がっているから、直上から飛び込んで炸裂した砲弾によって内部は破壊されているのだろう。
 多重に設けられた防御装置によって弾薬庫への引火は避けられたようだが、注水による影響か、心なしか艦首の喫水が下がっているようだった。
 上部構造物後方のC、D砲塔も原型は保ってはいたが、何らかの損害は受けているらしく、動き出す気配はなかった。
 砲塔そのものが無事だったとしても、おそらくテルピッツが発砲することは出来ないだろう。
 測距儀があらかた破壊された状態では、射撃に必要な諸元が得られるとは思えないし、おそらく今テルピッツでは無事な砲員たちも応急作業に追われているのではないのか。

 テルピッツは多数の被弾による損害で、甲板上に激しい火災がおこっていた。
 今でも定速度で航行中であることや、不規則な旋回を停止したことから、機関部や操舵系に致命的な損傷は無いようだが、上部構造物の損害から判断すれば、たとえ水平装甲板を貫通されていなかったとしても、艦内は炸裂した砲弾の破片によって悲惨な状況に陥っているのは間違いないだろう。
 テルピッツの損害は、正規の応急員だけでは対処しきれないほどであるはずだった。沈没を避けるためには砲術科を始めとする生存者も応急活動にあてなければならないだろう。

 ―――いっそそのまま総員退艦して沈んでもらえんかな
 ボンディーノ大佐は、燃え盛る炎で味方艦を照らし出しているテルピッツをうんざりした顔で見ながらそう思っていた。
 もちろんボンディーノ大佐も本当にテルピッツの沈没を願っていたわけではなかった。
 だからテルピッツの右舷に唐突に巨大な水柱が発生した瞬間は、目を疑ってしまっていた。

 ボンディーノ大佐は、一瞬敵艦の砲撃が再度テルピッツに向けられたのかと勘違いしたが、すぐに首を振った。
 沸き起こった水柱は1つだけだった。試射であっても一発だけの砲撃とは考えられない。
 それに、敵艦であれば、離脱しつつあるテルピッツよりも戦闘能力を維持している方を優先的に狙うはずだし、発生した水柱には、日本海軍の戦艦が多用する着色剤による毒々しい色がなかった。
 ―――雷撃…なのか
 敵艦とは反対方向に上がった水柱を見ながらボンディーノ大佐はそう結論づけていた。

「対潜哨戒厳となせ、見張り員は雷跡を見つけ次第直ちに報告。艦長が操艦する。操舵員は緊急回頭に備えよ」
 矢継ぎ早に命令を伝えると、ボンディーノ大佐は緊張した面持ちで見張り員からの報告を待った。

 次に雷撃を受けたのはヴィットリオ・ヴェネトの前を行く旗艦リットリオだった。
 やはりリットリオの右舷側に無色のが発生すると同時に、目に見えてわかるほどがくりと急速に船速が低下した。
 雷撃によって水面下に破孔が生じたのか、あるいは破孔による抵抗の増大のせいなのか、リットリオはゆるやかに右舷側へと回頭を始めた。
 そして、そこへリットリオは二度目の雷撃を受けた。
 まるでリットリオの減速を見計らったかのようなタイミングで水柱が発生していた。
 しかも、ヴィットリオ・ヴェネトの艦橋から観測する限りでは、被弾箇所は先程水柱が生じた箇所とほとんど同じのように見えていた。
 ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦は、雷撃にも対応した水面下の防御も充実させているはずだが、同じ箇所に連続して二度も雷撃を受けたのでは沈没する可能性は少なくないのではないか。
 ボンディーノ大佐は先ほどのテルピッツのように戦列を離れつつあるリットリオとの衝突を回避するために、かるい取舵を命じながらそう考えていた。

 雷撃を受けたのはリットリオとテルピッツだけではなかった。
 リットリオより後方を航行していた何隻かの艦は雷撃を受けているようだった。
 少なくともヴィットリオ・ヴェネトのすぐ後ろを航行していたカイオ・デュイリオとアンドレア・ドリアは、被弾によって大きな損害を受けているようだった。
 雷撃によって受けた損害が大きかったのか、早くもカイオ・ディエリは船体を傾けかけていた。

 ボンディーノ大佐は、ちらりと海図上に描かれた彼我の艦隊による隊列を眺めた。
 今の雷撃はどこから来たのか、それが気にかかっていたからだ。
 だが考えるまでもなかった。これだけ一度に位置の離れた複数の艦が被弾したということは、外れた魚雷も少なくないはずだ。それだけの雷撃を一隻の艦が行なったとは考えづらい。
 だから複数の潜水艦が奇跡的にタイミングを合わせて雷撃をおこなったのでもない限り、かなり大規模な水上艦隊によるものと考えるべきだった。
 単艦による隠密雷撃ならばともかく、これだけ大規模な雷撃を行うだけの大規模な艦隊を、レーダーを常時発信し続けていたこちら側の艦隊が発見できなかったとは考えづらい。
 やはり、この雷撃は右舷側から突入し、味方の軽快艦部隊と交戦中に反転した艦隊によるものと考えざるを得なかった。
 考えてみれば、その反転行動も雷撃後の回避行動と考えられなくもなかった。

 ボンディーノ大佐は眉をしかめながら、海図から視線をそらしていた。
 大佐の考えが正しく、反転と同時に敵艦隊が雷撃を開始していたとすれば、彼我の距離からして敵魚雷の射程は二万を超えているはずだ。
 これに対してイタリア海軍を含む他国海軍の魚雷は、最大射程が一万を超えればいいほうだから、これは破格の性能だと言えた。
 前々から日本海軍の魚雷は射程が長く、また雷跡も発見しづらいという噂はあったが、その噂は本当のようだった。


 戦列を離れつつあったリットリオには、総員退艦命令がくだされたようだった。
 イアチノ大将から乗員救出のために指名された駆逐艦が、するするとリットリオに近寄りつつあった。
 艦橋後部で電話に張り付いていたラザリ中佐が、眉をしかめながらサンソネッティ中将と、ボンディーノ大佐に顔を向けた。
「イアチノ大将より命令が下りました。リットリオは敵艦の砲雷撃による損害が大きく離脱するとのこと。それから…艦隊の指揮権は、次席指揮官サンソネッティ中将に移譲されました」

 ボンディーノ大佐は、思わずサンソネッティ中将に視線を向けた。
 サンソネッティ中将は、敵艦隊主力が航行しているはずの艦左舷を見つめたままいった。
「艦隊全艦に打電。これより本官が連合艦隊指揮を受け継ぐ。艦隊各艦は別命あるまでイアチノ大将の前令の通り行動せよ」
 ラザリ中佐が勢い良く頷いてから通信室へとつながる電話をとった。
 それを横目で見ながら、ボンディーノ大佐は他には聞こえないようにサンソネッティ中将に近づいていった。
「このまま交戦を続けますか?
 こちらは少なくともリットリオとテルピッツ、カイオ・デュイリオが戦闘不能、おそらく他にも損害が激しく戦闘に耐えない艦があるはずです。また、巡洋艦戦隊による敵主力戦列への突撃も阻止され続けています。我が方も敵艦の何隻かは行動不能に追い込んでいたはずですが、先ほどの雷撃によりこちらが不利であることにはかわりがありません。
 命を惜しむつもりはありませんが…我が海軍はこの海域に主力を集結させています。この戦闘で損耗し尽くしてしまえば制海権を、いえ戦闘の行く末を奪われることになりはしませんか。我々の艦隊はこの一枚看板きりだけですが、日英の本国には無傷の艦隊がまだまだ残っています」

 サンソネッティ中将は、そっと右手を挙げてボンディーノ大佐のせりふをさえぎると、不機嫌そうな顔を向けた。
「君にしては迂遠な言い方をするな。はっきりといったらどうだ」
 ボンディーノ大佐は、一瞬視線を床に向けてボリボリと頭をかいてから、意を決してサンソネッティ中将に向き直った。
「なら言わせて頂きますが、そこまでしてドイツっぽに義理を果たす必要が有るのですか?ドイツにしてみれば対ソ戦線と比べれば、アフリカ、地中海方面は第二戦線に過ぎませんが、我々には地中海方面こそ主戦線です。北アフリカが抜かれれば次は間違い無く本土決戦です。その時に艦隊が現存しているかどうかは大きな違いとなるのではないですか」
 ボンディーノ大佐は、周囲の者に聞こえないような小声でいった。
 もうこんな柄にも無いことを言ったことを後悔し始めていた。だが、艦隊の損耗が大きくなりつつある今、参謀が十分に配属されているとはいえない脆弱な艦隊司令部を率いながら、枢軸連合艦隊全艦の指揮を取らざるをえないサンソネッティ中将に誰かが慎重論を言わなければならなかった。
 しばらくサンソネッティ中将からの返答はなかった。

 敵艦が砲撃を再開したものらしい閃光が発せられてから、ようやくサンソネッティ中将が口を開いた。
「現存艦隊主義は本当に日英海軍に通用するのか?
 いや、ここで引いたとして我々に出撃の機会は二度と与えられないのではないのか…それこそ本土決戦でもない限りな。少なくとも我が海軍に残された燃料の総計を考えれば、ここで勝とうが負けようがこのような大規模な艦隊の出動は二度と許可されないだろう。
 確かにマルタ島で戦闘中の空挺部隊を見捨てるのは危険だが、それ以上にこの戦闘は我が海軍にとっては決戦なのだ。ここでマルタ島を占拠し、地中海を縦断する補給線を確立出来れば北アフリカ戦線の戦況は好転する。
 それにジブラルタルとエジプトさえ抑えてしまえば地中海内部の制海権など意味を成さなくなる。勝っても負けても、この戦闘で我々が消耗し尽くしてもおそらく今後の戦局は左右しないだろう…」
 そこでサンソネッティ中将は一旦口と目を閉ざした。
 ボンディーノ大佐は押し黙ったまま待っていた。
 ヴィットリオ・ヴェネトはすでに金剛型戦艦の一隻に照準を向けていた。すでに発砲命令は出ているから、照準が完了次第、砲術長の判断で発砲を再会するだろう。

 サンソネッティ中将は、勢い良く目を見開くと、いままでのボンディーノ大佐にだけ聞こえるようにした小声が嘘かのような大声で言った。
「艦隊各艦に再度命令、各艦は…」
 だが、サンソネッティ中将は、最期まで言い終わることが出来なかった。電信室とつながる電話を握っていた伝令が、突然声を上げたからだ。
「電信室より報告、枢軸連合艦隊司令官宛、各隊はマルタ島攻略作戦を中止、戦闘中の各隊は直ちに戦闘を中止し撤退せよ。以上です」
 ボンディーノ大佐は、思わずその伝令の顔をまじまじと見つめていた。唖然とした顔をしているのは他の艦橋要員も同じだった。ボンディーノ大佐は伝令の近くにいたラザリ中佐と思わず顔を見合わせていた。
 二人が間抜け面をして見つめ合っていたのは、僅かな瞬間だった。ボンディーノ大佐は、伝令に向かって怒声を上げた。
「誰だ、一体誰がそんな馬鹿な命令を出したんだ。戦闘中にそんな簡単に撤退せよなどと…イアチノ大将か?それともリュッチェンス大将が生き残っていたのか」
 ボンディーノ大佐は、ついさっきまで同じようなことを言っていたのを、きれいさっぱりと忘れていた。
 伝令は、艦橋要員からの鋭い視線に気圧されて、押し黙った。
 その時、照準が完了し、発砲準備が完了したらしく、主砲の発砲開始を警告する甲高いブザーが鳴り響いた。

 主砲発砲炎による閃光が艦橋内部に差しこんだ。
 まばゆい光に照らしだされた伝令の顔が、赤白い閃光にも関わらず青ざめているのにボンディーノ大佐は気がついていた。
 主砲発砲による衝撃が去ったあと、伝令がおそるおそる言った。
「先程の命令の発信者は…南方総軍司令官、ケッセルリンク元帥です」

 ボンディーノ大佐は、苦虫を噛み潰したような表情で頷いていた。確かに枢軸連合艦隊の司令官に向かって命令を下すことの出来る職責の人間は限られていた。
 遙か上級司令部からくだされた命令に、ボンディーノ大佐は意気消沈して視線を床に向けた。
 そこに脇に座るサンソネッティ中将の声が聞こえて、ゆっくりとボンディーノ大佐は顔を向けた。
「これでイタリアには勝利も敗北も奪われた、ということか…」
 大して大きな声ではなかったが、まるで預言者のようなサンソネッティ中将の言葉に、ボンディーノ大佐は何故か背筋が凍るのを感じていた。
+注意+
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