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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943ローマ降下戦34

 航空巡洋艦であるボルツァーノ搭載部隊として再編制されていた第2独立戦闘飛行群に所属していた搭乗員達には新兵が多かった。
 独立戦闘飛行群の初代母艦であったファルコが撃沈された後に、生き残ったビスレーリ中尉達部隊発足当初からの熟練搭乗員の多くは、分割された第1独立戦闘飛行群にそのまま異動していたからだ。

 むしろ、ビスレーリ中尉の感覚では分割以前の独立戦闘飛行群に第1という名称が付加されただけで、部隊はそのまま存続されていたと考えていた。だから第2独立戦闘飛行群は自分達とは何となく全く別の部隊と考えていたのだ。
 整備員や司令部要員の一部くらいは基幹要員として転籍していたかもしれないが、搭乗員を含めて中核となる将兵の顔ぶれに変化は無かったはずだ。
 だから第2独立戦闘飛行群がほとんど新兵ばかりなのも無理はなかった。ビスレーリ中尉達の他にイタリア海軍で経験豊富な航空関係者などいなかったはずだからだ。

 そのまま別部隊のままであれば、第2独立戦闘飛行群が新兵ばかりだろうとビスレーリ中尉には関わりがないことだった。
 部隊名称こそ同一であったものの、文字通り飛行群単位で独立していたから両部隊は統一した航空団の隷下にあるわけではなかったし、船団護衛にあたるボルツァーノに搭載された第2独立戦闘飛行群と違って、ビスレーリ中尉達は北アフリカで防空任務に就いていたからだ。
 一度同じ戦闘に投入されたこともあったが、その際は特に彼らと交流することもなかったし、将兵の顔すら一度も見なかったのだ。


 そのような状況が一変したのは、それほど前の事ではなかった。第1独立戦闘飛行群はイタリア軍にとっての北アフリカ戦線が終結した頃に、這々の体でリビアからシチリア島を経由して本土まで帰還していていたのだが、再編成中に実質上の補充として第2独立戦闘飛行群の合流が実施されたのだ。
 だが、実際に彼らと顔合わせしたビスレーリ中尉達は唖然とすることとなった。予想以上に第2独立戦闘飛行群の搭乗員たちの技量が未熟だったのだ。

 原因はいくつかあった。殆ど初陣となった船団護衛作戦で、彼らは北アフリカから海上を長駆進行してきた双発戦闘機部隊と交戦していたのだが、その戦闘で致命的な損害を被っていたのだ。
 最終的にはビスレーリ中尉達、第1独立戦闘飛行群の介入で全滅は避けられたのだが、戦死した搭乗員は少なくなかったようだ。

 最も問題は損害を被ったこと、それ自体にあるのではなかった。それだけならば数の大小はあっても戦争なのだから仕方がないで済まされる話だった。問題は彼らの装備ではすでに敵戦闘機に対抗できない点になった。
 未だに第2独立戦闘飛行群が装備していたのは水上戦闘機アストーレだったからだ。

 以前ビスレーリ中尉達もアストーレに乗り込んでいたが、ファルコの撃沈によってマタパン岬沖海戦で投入された機体は全損していた。
 陸上に保管されていた予備機や追加生産された機体は、中尉達が陸上戦闘機であるRe.2001アリエテに機種改変される際に残存していた機体全てが彼らに譲渡されていた。

 だが、その時点ですでにアストーレの陳腐化は進んでいた。マタパン岬沖海戦においても、当時すでに英国海軍の一部空母部隊に配備が開始されていた日本製の零式艦上戦闘機、その英国仕様用であるマートレットに対して完全に劣位にあった。
 元々、巨大なフロートを抱えた水上戦闘機であるアストーレが艦上戦闘機として限定的ながら運用できたのは、マートレット以前の英国海軍の艦上戦闘機が旧式化した複葉機のシーグラディエーターや、単発単葉であっても複座で鈍重なフルマーなどの低性能機であったからに過ぎなかった。
 そのように危ういバランスのもとで辛うじて成り立っていたアストーレの戦直価値も、本格的な艦上戦闘機であるマートレットの地中海戦線への投入であっさりとひっくり返されてしまったのだ。

 それでも、当時のマートレットであればビスレーリ中尉達のような熟練の搭乗員が操れば、劣勢ではあってもまだ対抗は不可能ではなかった。だが、後継の第2独立戦闘飛行群の搭乗員たちにはそれほどの技量は期待できなかった。
 しかも、マートレットが大出力エンジンへの換装や機体構造の改良などで次第に強化されていったのに対して、傍流の水上戦闘機部隊の装備が顧みられることはそれまでなかった。
 止めとなったのは、今次大戦においては軽快な単発機に対して空中戦で圧倒的に不利とされていた双発戦闘機にすら対抗できなかったことではないか。
 それで使用機材の性能に自信が無くなってしまった第2独立戦闘飛行群の搭乗員たちの士気が大きく低下してしまったらしい。


 勿論物理的な問題もあった。最近では限定的な防空任務にすら投入できずに出撃しても的となるだけだと判断されたのか、アストーレ隊が母艦であるボルツァーノに搭載されることさえ少なくなっていた。
 空いた空間には対潜用に使用できる使い勝手の良い多座の水上偵察機や、それすら搭載されずに北アフリカから撤退する将兵などを乗せる輸送空間に転用されていた場合もあったらしい。

 それどころか最近では、北アフリカ戦線の前線がイタリア軍を残置する形で遥か西部のアルジェリアまで移動してしまったことで海上交通路そのものが消失してしまっていたから、ボルツァーノが護衛部隊を率いて出撃することすらなくなってしまっていた。
 敗勢が濃くなってきたイタリア海軍には余裕がなくなっていたから、これらの措置によって実働状態にない第2独立戦闘飛行群は燃料などの消耗品の割当も少なくなって最低限の訓練飛行すら滞っている状態であったらしい。これでは練度の維持すら難しかったのではないか。


 再編成を果たした独立戦闘飛行群はこれらの元ボルツァーノ組の練度向上を急速に図らなければならなかった。しかも同時に水上戦闘機から陸上機への機種転換をも行わなければならなかったのだ。
 飛行群司令があちらこちらに強引に口を利いて、増員された独立戦闘飛行群で使用する機材や消耗品をかき集めてこようとしたのだが、燃料や弾薬ならばともかく、現行の独立戦闘飛行群の使用機材であるRe.2005サジタリオの員数を確保するのは難しかった。

 正確には、機体そのものの調達はそれほど困難ではなかった。Re.2005を製造しているレッジアーネ社はRe.2000Pアストーレ納入時の経緯などから海軍との関わりが深くなっていたから、部隊創設時にも現職にあった飛行群司令や初期からの隊員と面識のある社員も少なくなかった。
 現行のRe.2005は空軍にも納入されていたが、繋がりのある独立戦闘飛行群には優先して納入されていた。

 それで機体の方は確保出来たのだが、エンジンの方はそうもいかなかった。生産型に搭載されているフィアットRA1050RC58、ティフォーネエンジンはドイツ製のDB605をライセンス生産したエンジンだったが、技術供与に手間取っていたのか生産開始は遅れていた。
 しかも同エンジンはフィアットG.55チェンタウロ、マッキMC.205などの新鋭戦闘機に揃って搭載されていた。
 空軍としてはMC.205が本命であるらしく、それに続いてエンジンと同メーカーで製造しているG.55に優先して配給されているために、三番手となるレッジアーネ社の工場では機体は有ってもエンジンの無い首無機が滞留している状況が続いていた。

 元々、独立戦闘飛行群に回されてきたRe.2005サジタリオは増加試作機扱いの機体だった。搭載されていたのも規格は同じだったが生産型に搭載されているティフォーネエンジンではなく、純正のドイツ製DB605だった。
 純粋な試作機ではなく、部隊配備を前提に限定的ながら量産される増加試作機にまでドイツ製のエンジンが搭載されていた経緯は複雑なものであるらしい。
 実際には部隊の後見者といっても良い立場のウンベルト皇太子に、ファシスト党関係者を通じてドイツのナチス党周辺から送られたものであったらしいのだ。皇太子はファシスト党とは政治的に距離を保っていたから、ご機嫌伺いの意味でも有ったのではないのか。
 ご機嫌伺いが最新エンジンとは奇妙な話も有ったものだが、ファシスト嫌いの飛行群司令も貰えるものは貰っておこうとでも思ったのかちゃっかりと受け取っていた。

 そのような奇妙な経緯があったものだから、現在の伊独両国の状況からしても追加のDB605受領は望み薄だった。
 結局完動の機体は熟練搭乗員に優先して回され、新兵の練成は遅々として進まないという悪循環が続く中で、独立戦闘飛行群は運命のイタリア単独講和の日を迎えてしまっていた。


 その時、独立戦闘飛行群はイタリア海軍の残存艦隊主力が集結したナポリの防空任務が与えられていた。実際には残存した艦隊は国際連盟軍に投降する予定だったらしいが、首都ローマで予想外の事態が発生したために艦隊は緊急出港してしまっていた。
 情報が錯綜してローマの現状はよくつかめなかったが、イタリアが単独講和を発表する前にドイツ軍が市街地へ侵攻を開始したらしい。国王陛下が暗殺されたとの未確認情報も有ったが、詳細は不明だった。
 第一、ビスレーリ中尉達はイタリア王国が単独講和するという話も初耳だった。皇太子の飛行教官を務めていたこともあるという飛行群司令はある程度の事情はその線から聞かされていたようだが、司令もいまローマで起こっている事態までは正確にはわからないようだった。

 艦隊は落伍艦も覚悟で五月雨式に緊急出港していったが、警備部隊などは取り残されたままだった。機関の不具合などから残置された艦を除けばナポリに残留したのは航行距離の短い水雷艇などしかいなかった。
 他には曳船などの港務部隊や司令部勤務の部隊もあったが、いずれも戦闘力は低かった。

 しかし、ナポリの周辺には有力なドイツ軍が駐留していたはずだった。再編成中だったか予備兵力だったのか、合計すれば1個師団程度は有ったのではないのか。
 密かに進められていたイタリア王国の単独講和と、ローマで戦闘が開始されたという情報をつなぎ合わせれば、その部隊がイタリア海軍の艦艇を接収するために艦隊が集結していたナポリに突入してくる可能性は高かった。
 艦隊がすでに出港していることがわかったとしても、母港機能を奪うためにナポリ港を徹底的に破壊するくらいのことはするのではないのか。

 時間があまり残されていない中で、機関故障で残された艦艇をはしけ代わりにして可能な限りの将兵を乗せてそれを曳船で牽引するという強引なやり方で非戦闘部隊の脱出準備が進められていた。
 脱出といっても何処に向かうのかは定まっていなかった。本来であればナポリを出港した艦隊はシチリア島で国際連盟軍に投降する予定になっていたらしいが、非戦闘艦ばかりでシチリア島に向かっても国際連盟軍が受け入れてくれるかどうかは分からなかった。
 それ以前にナポリからシチリア島までは最短距離でも500キロ程度はあったはずだ。大型艦を引いた曳船でたどり着く事自体が難しいのではないのか。


 もっとも、ビスレーリ中尉達にも他人の運命を憂うだけの余裕はなかった。飛行群司令は地上部隊にナポリからの脱出を命じると共に、飛行群の全力出撃を決断していたからだ。
 目的はローマに向かう艦隊の上空援護だった。ただし、艦隊の援護が燃料切れで終わったとしても、ローマ周辺の飛行場が使用可能かどうかは誰にも分からなかった。
 飛行群司令は妙に自信有りそうな様子だったが、実際にはいつものように行き当たりばったりというだけのことなのだろう。

 ただし、ビスレーリ中尉は司令を止めようとは思わなかった。こういう勘で動いているように見えるときの司令はツキがある。長い付き合いでそのことを確信していたからだ。
 だが、命令を伝えた後で何人かの整備兵と共に篭っていた格納庫から、飛行群司令が専用機と共に満面の笑みを浮かべて出てきたときにはビスレーリ中尉も頭を抱えそうになっていた。
 何を思ったのかわからないが、この短時間で疲れ切った様子の整備兵達によって引き出された飛行群司令専用機のRe.2005サジタリオは、これまでの識別用の翼端部だけではなく、機体全面が真紅に塗装されていたからだった。
ボルツァーノ級航空重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cabolzano.html
空母ファルコの設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvfalco.html
レッジアーネRe.2000Pの設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/re2000.html
零式艦上戦闘機(22型)の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/a6.html
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