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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943ローマ降下戦30

 これまでに撃墜経験はなくとも搭乗員歴は長いデム軍曹は、ドイツ空軍の戦闘機搭乗員の多くが好むフライヤクト、自由な狩りを密かに嫌っていた。

 フライヤクト戦術とは、最大でも飛行中隊12機、多くの場合は小隊4機程度の小規模な単位で出撃して、進出した空域で遭遇した敵機と交戦する、文字通りの自由な狩りだった。
 東部戦線では広大な戦域に対して戦闘機隊の数が足りないものだから、このような少数機での出撃が相次いでいた。

 戦闘機隊の隊員達がヤクトフライ戦術を好むのは、爆撃隊の直援や逆に敵爆撃機を迎撃するような任務とは異なり、出撃した搭乗員達が護衛機や地上軍などの存在に制約されることなく交戦対象や交戦域、継戦時間を自由に選択することが出来たからだった。
 実際、東部戦線で集中的に誕生している戦闘機隊所属の撃墜王達の多くも、フライヤクト戦術で撃墜数を稼いでいるようだった。
 搭乗員自身が自由に交戦相手を選ぶ事ができるのだから確実に勝利できる相手とだけ交戦すればいいのだし、被弾した場合は即座に離脱しても誰からも文句を言われないのだから戦果を上げるのも容易なのではないか。

 上級司令部から特段の命令がない限りは、戦闘航空団は麾下の各隊に対して出撃機数や出撃区域などを大雑把に命じるのみで詳細は各隊、さらには搭乗員達各自の判断に委ねていた。
 航空団司令は上級司令部の指揮官とは異なり自ら出撃する事が多かった。特に戦闘航空団ではまだ30代に入ったばかりという若い佐官級の指揮官が司令に就任する場合が多いから、自ら単座戦闘機の操縦桿を握って出撃する立場としては指揮下の搭乗員達同様にフライヤクト戦術を好んでいたのではないか。
 それに戦闘航空団司令の多くも撃墜王なのだから、自分たちが撃墜数を稼いだフライヤクト戦術を重用するのも無理はないのだろう。


 もっとも下士官止まりとは言え戦闘航空団司令達と殆ど同じ世代に属するデム軍曹は、実際には多くの航空団司令がフライヤクト戦術を好むのは、航空団の低い指揮能力を補うためという側面もあるのではないのか、そう意地悪く考える事があった。
 他国のそれと比べても戦闘航空団の指揮能力は高くはないようだった。航空団本部の要員が乏しい上に司令が若すぎて十分な指揮能力を有していない場合が少なくないからだ。
 いずれにしても根底にあるのはドイツ空軍の人的資源が貧弱であることに起因する。デム軍曹はそう感じていた。

 現在のドイツ空軍は誕生から10年と経ていない若い組織だった。先の欧州大戦後に当時の陸軍航空隊が講和条約によって解散させられたものだから、規模に強い制限が課せられていた陸海軍と比べても不利な点が多かったのだ。
 それ以前にも他国領内での密かな試作開発や民間航空会社をよそおった操縦士の育成などは行っていたらしいが、再軍備宣言までは規模の拡大や人員の確保は極めて難しい状態だった。
 そのような事情があるものだから、建軍当時のドイツ空軍は指揮官層、特に司令部勤務の可能な高度な知識と経験を有する高級将校が少なかった。だから現在のイタリア戦線を統率するケッセルリンク元帥のように陸軍から転属したものも少なく無かったようだ。


 現在のドイツ空軍も人材不足という点は完全に解消されたとは思えなかった。それどころか開戦前の各軍規模の大拡張によって中間層の不足はより深刻になっていたのではないのか。
 開戦以後はこれに戦闘による損耗も加わっていた。東部戦線では輸送機部隊など機種によっては前線での消耗が限界に達して、教育部隊ですら実戦部隊に再編成して前線に投入した例まであるらしい。

 負傷によって本国に戻される以前はデム軍曹も東部戦線に従軍していたのだが、その頃と比べると随分と戦局は悪化しているようだった。だが教官層を失った以上は新兵の教育も難しくなるから部隊の再建も時間がかかるのではないのか。
 それどころか、デム軍曹は妙な噂も耳にしていた。守勢に回ってしまったドイツ空軍は、攻勢作戦にしか使い道のない多発の重爆撃機や大型輸送機部隊の再建を断念して、その分の物資や人員を本土防空や制空権の確保に従事する戦闘機部隊に重点的に配分することになるのではないのかというのだ。

 実際のところ、戦闘機部隊であっても人員不足は深刻だった。規模の拡充や損耗に対して要員の育成が追いついていなかったのだ。戦闘機航空団の司令に若手が多いのも同じ理由だった。
 自ら出撃することの多い航空団や飛行隊の指揮官であれば、とりあえず熟練の飛行将校を充てれば部隊としては最低限機能するから、これまで戦果をあげていた若い士官を昇進させて司令の任を与えていたのだ。


 そのような若年の航空団司令の中には下士官から累進した将校も少なくなかった。下士官としての経歴の長いデム軍曹と同時期に空軍に入隊したものの中にも多大な戦果によって鉄十字勲章を佩用する佐官にまで昇進したものもいたほどだった。
 ドイツ空軍の昇進速度は下士官からの累進か士官候補生出身かによらず早かった。それだけ悪化する一方の戦局を反映して、飛行隊や航空団を率いる中堅指揮官の損耗が深刻化していたということだろう。

 だが、若くして指揮官を務めることになった彼らに充分な指揮能力を期待することは出来ないのではないのか、実際に同世代でもあるデム軍曹はそう考えていた。
 前線で撃墜数を稼いでいた彼らには、戦前のように潤沢な時間をかけて指揮官としての教育を受けさせることは出来なかった。というよりも現在のドイツ空軍に熟練した搭乗員を長時間前線から引き抜くだけの余裕など失われていたのだ。
 自然と指揮官教育は短時間の促成教育となるから、大部隊の管理能力などは欠けていたはずだ。
 これらの原因からなる指揮能力の貧弱さを補う為にもフライヤクト戦術が多用されているのではないのか。同戦術をとるのであれば戦域全体の状況から大雑把に各隊に目標地域などを割り振るだけで済むからだ。

 それに、全戦闘機部隊を監督する立場のはずの戦闘機総監ですら自ら今でも戦闘機に搭乗してしまうらしいが、指揮官先頭の精神で出撃するにしても限度があるのではないのか。
 戦闘航空団司令は通常少佐から中佐で就任していたが、陸軍であればこの階級であれば大隊長か連隊長となる。だが、このクラスの指揮官であれば、よほど追い詰められない限り彼らが一兵卒に混じって小銃手を務めることはないのではないか。
 陸軍ではそれよりも隷下にある各隊の指揮統率をとるのが指揮官の任務だと理解しているからだ。


 指揮官層を含め戦闘機部隊の搭乗員達の多くが自由な行動をとれるフライヤクト戦術を好むのに対して、上級司令部は目的が明確ではなく、多量の燃料や弾薬を浪費するだけとして同戦術の実行を抑制しようとする傾向があった。
 特に爆撃機隊出身の高級指揮官達は、戦闘航空団指揮下の飛行隊から自由な行動を阻害して無益な護衛任務に貴重な戦闘機隊を縛り付けようとしている、搭乗員達はそう考えて反発していた。

 ドイツ空軍の総司令官の立場にあるヘルマン・ゲーリング国家元帥は、先の欧州大戦における撃墜王の一人で、大戦終盤当時のドイツ陸軍航空隊の中でも最精鋭の戦闘機部隊として名高かったリヒトホーフェン大隊を率いて活躍していた。
 そのような経歴の持ち主であるからには戦闘機搭乗員もゲーリング国家元帥を歓迎しそうなものだったが、実際には多くの戦闘機乗り達は元帥に対して反感を抱いていた。
 元戦闘機乗りであるにも関わらず、ゲーリング国家元帥がフライヤクト戦術よりも鈍重な爆撃機の直援任務を支持していたからだ。戦闘機部隊の方では自由な機動が取れない付かず離れず行うこのような護衛任務を忌み嫌っていた。
 フランス戦辺りまではともかく、敵中深く進攻する必要があった英国本土防空戦などでは爆撃隊の被害は大きく、ゲーリング国家元帥を始めとする空軍上層部からは有効な護衛を行えない戦闘機部隊を非難する声が多く上がっていたのだ。


 勿論戦闘機部隊にも言い分はあった。機材の特性がそのような直援任務に適していないというのだ。
 元々、長駆進攻する重爆撃機に随伴する戦闘機として考えられていたのは、主力単発単座戦闘機のBf109ではなく双発で大型のBf110だった。駆逐機という概念で知られていたBf110は、双発故の大搭載量や航続距離から護衛任務に適すると考えられていたのだ。
 だが、実際には双発戦闘機による近接護衛は十分に機能しなかった。爆撃機ほどではないにせよ、大重量で機動性に劣るBf110は、軽快な敵単座戦闘機に空中戦で対抗できなかったからだ。

 だが、Bf109で直接護衛を行うのもそれはそれで難しい。それが戦闘機隊の隊員達の多くの判断だった。
 英国本土航空戦当時のBf109の生産はすでにE型に移っていたが、航続距離が短く、占領下のフランスなどから出撃しても英国本土で交戦するのに十分な滞空時間を確保することは出来ないというのが第1の理由だった。
 それに小柄な機体構造に大出力エンジンを搭載したBf109は上昇性能などに優れる一方で、翼面積が比較的広く旋回性能に優れるスピットファイアとの横方向の格闘戦は不利だった。
 その為にBf109は高度差を利用した上下方向に機動する戦闘を得意としていたのだが、一定高度、一定速度で巡航する重爆撃機部隊に随伴するのはそのような利点を捨て去ることを意味するのではないのか、そう考えられていたのだ。


 しかし、デム軍曹には結局はそれらの理由は言い訳に過ぎないのではないのか、自分が戦闘機乗りでありながらもそう考えてしまっていた。これらの問題は不断の努力さえあれば解決は可能だったからだ。

 例えばBf109の航続距離が短いと言っても、他国の戦闘機に対して機体の規模や搭載するエンジンの出力に大差がない以上は程度問題にすぎないはずだった。巡航時の燃料消費量の違いなどがあったとしても、増槽の容量などで対応できる程度ではないのか。
 実際、デム軍曹は英国本土防空戦の最中にフランス本土の基地で山と積まれる戦闘機用の増槽を目撃していた。だが、その増槽はBf109に搭載する為に用意されたものではなかった。
 前線基地で可能な小規模な改造程度でBf109に増槽を搭載する事自体は可能だったらしいが、本来の作戦計画で爆撃機隊の護衛任務につくことになっていたBf110に優先的に割り振られていたというのだ。
 それに加えてBf109を装備する部隊でも増槽追加時の飛行性能の低下などから増槽の追加には及び腰だったようだ。
 逆に言えば、積極的にBf109を護衛戦闘に投入するつもりがあれば、当時も実際には航続距離の進捗は不可能ではなかったのだ。

 Bf109の特性に関しても、デム軍曹はやはり程度問題だと考えていた。というよりも特定の機体が特定の戦術だけを行えばいいというわけでは無いはずだった。Bf109が旋回性能に劣るとはいっても、それはスピットファイアや日本陸軍の三式戦闘機を相手にした場合だった。
 相手がより旋回性能に劣るのであれば、こちらも積極的に横方向の戦闘を行うことも少なくなかったのだ。
 逆に言えば、Bf109の特性を活かした護衛の方法も研究次第ではあったのではないのか。実際に英国本土防空戦の後半ではBf109で構成された護衛戦闘機隊の一部を割いて、高々度で待機させて敵迎撃機を先制して制圧する戦術も多用されていたのだ。


 ドイツ空軍戦闘機部隊の指揮官の中には、自分たちが幾ら戦果をあげても爆撃機隊が敵戦闘機の生産施設などを破壊してくれないと敵戦闘機の数はいつまでたっても減らないと不満の声をあげるものもいるらしいが、デム軍曹は彼らこそ現実を見ていないと冷ややかな目を向けていた。
 確かにドイツ空軍の爆撃機隊はこれまで大きな戦果をあげていないように思えるが、それこそ彼らの使用する機材の特性や、護衛の不在による被害の大きさに起因するのではないのか、そう考えていたのだ。

 もしもデム軍曹が他の搭乗員達のように戦果をあげていればそのような意識を持つこともなかったかもしれなかった。だが、軍曹は軍歴の割に戦果は少なかった。
 認可された単独での撃墜もなく、そのわりには被撃墜の経験は多かった。

 だが、逆にそのせいで他の搭乗員とは違って、地上部隊や同盟国軍から見た場合などの、空中戦とは異なる視点から自軍を観察するようになっていたのも確かだった。
 実際には戦果をあげる戦友たちに捻くれた視線を向けているのとそうかわりはなかったのだが、デム軍曹がそのことに気が付くことはなかった。
 そんなデム軍曹は、ドイツ空軍の戦闘機乗りは空中戦をまるで騎士道試合か何かと勘違いしているのではないのか、あるいは、自分たちに与えられた自由裁量を悪用しているのではないのか、そう考えてしまっていたのだ。
三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hf1.html
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