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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943ローマ降下戦22

 無防備になる通りの中央を避けたドイツ軍は、左右に別れて交互に援護しながら前進していた。更に援護部隊が後方に控えて、防衛線のイタリア軍に向けて盛んに銃撃を加えていた。
 その制圧射撃に圧倒されているのか、イタリア軍部隊の動きは鈍かった。側面から接近するドイツ軍に対抗するために何とかして防衛線を構築しようとはしているようだが、無防備な側面を突かれた上にその方向には有効な遮蔽物もない状態だったから極めて不利な状態だった。
 このまま迂回部隊に陣地に接近されてしまえば、イタリア軍が潰走するのも時間の問題ではないのか。あるいは、ここからではよく見えないだけで、実際に陣地では逃亡兵が続出しているかもしれなかった。

 もしかするとドイツ兵が慎重に行動しているのもそれが原因なのかもしれなかった。損耗の大きい無理攻めをしなくとも、いずれ陣地を無力化出来るからだ。つまりドイツ軍にはそれだけ余裕があるのだと解釈すべきだった。
 彼らにとって不運があったとすれば、ドイツ兵達が迂回起動を行うために通りに侵入するよりも僅かに先んじて美雨が行動を開始してしまったということだった。
 もう少し彼らが早ければ通りを横切る美雨や申を目撃されてしまったかもしれないし、二人を援護するために厨川大尉が交戦を決心することもなかったはずだ。


 最初に標的となったのは、ドイツ軍迂回部隊の中で通りの此方側を先行していた兵だった。
 その兵士は十分に慎重に行動していたはずだった。その時は通りの厨川大尉達が潜んでいる側を進む分隊が前進していたからだ。つまりその兵士が迂回部隊の中でも先行している形になっていたのだ。

 もっとも、援護部隊との間隔はそれほど大きくはなかった。交互前進の間隔を詰めて部隊単位での火力統制を容易にするためかもしれなかった。
 通常であれば、効果範囲の大きい榴弾等の被弾による損害を抑えるために分隊間の間隔を大きく取っていたはずだが、対抗するイタリア軍防衛部隊の火力が貧弱な上に小火器しか持ち併せていないためにそのような配置になっていたのではないのか。
 だが、結局はそれが彼らにとって命取りになっていた。

 斥候のドイツ兵の気配が次第に近づいていくるのを、路地の影に潜んだまま厨川大尉は敏感に感じ取っていた。その背後には遮蔽物を利用して残りの特務遊撃隊の隊員たちが息を呑みながら控えていた。
 次の瞬間、ドイツ兵が路地を覗き込むようにして顔を出していた。あまり警戒する様子はなかった。イタリア軍主力は防衛線に集中していた。だからこのあたりにいたとしても、先程の子供のように市街地に取り残された無防備な民間人がいる程度だと考えていたのではないのか。

 だが、斥候のドイツ兵が見つけたのは漂白されたように感情の消え失せた顔をした厨川大尉だった。もっとも彼が厨川大尉の姿をまともに認識できたかどうかは分からなかった。
 その兵士は慌てて声を上げようとしていた。おそらく後方の友軍に警戒を促そうとしたのだろう。
 だが、それよりも早く厨川大尉は抜刀した刃先を一閃していた。斜めに振り上げられた刀は迷うことなくドイツ兵の無防備な喉元に伸ばされていった。


 厨川大尉は奇妙な感覚を覚えていた。それまで幾度か実戦をくぐり抜けていはいたものの、この刀で敵将兵を殺めたのは先のシチリア島での戦いが初めてのことだった。
 一族に伝わるうちに刀自身は幾度も戦塵をくぐり抜けているはずだが、厨川大尉自身が実戦で刀を振るったのはその時が初めてだったのだ。

 だが、その時と今では厨川大尉の感覚は異なっていた。あの時はまるで斬った相手を含めて世界が遅延しているような刹那の感覚を覚えたのだが、今はいつもと変わらなかった。
 むしろ脳裏の片隅で一人目と二人目の違いを考えていたほどだった。あの時は咄嗟にかつての道場の稽古を思い出しながら刀を振るっていたが、今は無心に近かった。
 それに後からわかったのだが、あの時に斬った相手はドイツ軍の将官だったが、目の前で血飛沫をあげているのはどう見てもただの一兵士だった。

 それとも一人目と二人目の感覚の違いは単に慣れの問題なのだろうか、そう考えながらも厨川大尉は振り上げた刀身を戻しながら、斬られた首筋から盛大に血しぶきを上げる敵兵を反射的に蹴り飛ばしていた。
 流れる血を止めようとでもしたのか、それともただの反動だったのか、斬られた敵兵は最初の呆然とした表情を崩さぬまま腕を宙に上げた姿勢で体躯を崩していった。
 その後方に倒れ込もうとしている敵兵を追いかけるような形で、厨川大尉も流れるような動作で刀を手にしたままで路地から出ていた。
 大尉の姿は地面に吸い付くような低いものだった。それと倒れ込もうとしている敵兵から吹き出した血飛沫が煙幕のようになって、後方のドイツ兵の視界を遮っていた。
 おそらく大半のドイツ兵は厨川大尉の存在にも気が付かなかったはずだ。


 咄嗟のことに、通りの向こう側で停止した状態にあって、斥候の兵士を援護すべきだったドイツ兵達の対応は遅れていた。イタリア兵や市民からの銃撃による反撃は考慮していたしても、いきなり刀で切りつけられることなど想定外だったのではないのか。
 だが、その対応の遅れは彼らにとって致命的なものになった。まだ通りにいた彼らに向かって特務遊撃隊の隊員達が一斉に銃撃を開始したからだ。

 隊員達が所持していたのは馬賊時代から彼らが愛用していたモーゼル拳銃だった。拳銃とはいっても大柄で、使用するモーゼル実包は強装弾で高初速のものだったから交戦距離の短い市街戦では着弾時の威力は小銃弾に遜色無いものだったのではないのか。
 モーゼル拳銃は派生型が多かったが、特務遊撃隊で使用されている型式は連射が可能なものだったから、拳銃嚢を兼ねる銃床を取り付けた場合は短機関銃の代替として使用することも可能だった。
 短距離短時間での集中した火力であれば、取り回しのしづらい小銃よりも格段に有利なはずだった。

 しかも、銃撃は腰を下ろしながら走り抜けようとした厨川大尉の背中越しになるような低い弾道で加えられていた。だから銃撃を受けたドイツ兵達からすれば、実際に弾着があるまで銃撃を受けたことにも気が付かなかったのではないのか。
 最初に着弾したのは、血飛沫を上げていた斥候兵だった。その兵士はおそらくは厨川大尉に斬られた時点で絶命していたはずだが、まるでとどめを刺すかのように一発、二発と連続して着弾していた。

 モーゼル実包の着弾の衝撃で斥候兵の死体が通りの中央へと弾き飛ばされていた。そして、その死体を追い抜かすようにしてドイツ兵達を銃弾が襲っていた。
 この銃撃に対して彼らは無防備な態勢を晒していた。交互に援護しながら前進をしていたために、その援護役の分隊は本来であれば遮蔽物によって有利な状態で隠蔽されていたはずなのだが、それはあくまでも彼らが攻勢をかけていたイタリア軍陣地の方向から眺めた場合だった。
 つまりイタリア軍陣地に対してまっすぐに延びる通りの左右側の遮蔽物を利用しているだけだったから、通りの反対側からの銃撃には遮るものが無かったのだ。

 しかも、特務遊撃隊の隊員達からの銃撃から逃れるために、彼らが別の遮蔽物に隠れるのも容易なことではなかった。特務遊撃隊の介入に気がついたイタリア軍陣地からの防御射撃が熾烈なものになっていたからだ。
 距離があるから詳細は不明だったが、イタリア軍が使用しているのは標準的なカルカノ小銃のようだった。軽機関銃などはないのか火力は特務遊撃隊に劣っていたが、小銃弾は拳銃弾よりも威力は大きく、遠距離での防御射撃でも侮ることはできないだろう。
 イタリア軍と特務遊撃隊の銃撃は期せずして十字砲火の体をなしていたから、両者からの銃撃を同時に避けることは難しかったのだ。


 一人通りに躍り出た厨川大尉は、唐突に先行する斥候が斬られたことに呆然としているもう一つの分隊の前に出ていた。無表情のまま大尉は一番近くにいた敵兵に斬りつけていた。
 だが、敵兵まではまだ距離があった。刀で対処するにはやや遠すぎた。その敵兵も慌てて銃を振り上げようとしていたが、厨川大尉の刀はその振り上げられようとしてた小銃を切り裂いてた。
 小銃につけられた刀傷は浅かった。木製の銃床に引き傷が入ったという程度ではなかったのか。だが、目の前で鈍く輝く刀の軌跡を目にした敵兵は腰が抜けたかのように尻餅をつくと、大慌てて何事かを叫んでいた。

 厨川大尉は気にすることもなくあと一歩を踏み込もうとした。其の頃には他の特務遊撃隊の隊員の中にも通りにでて大尉を援護しようとモーゼル拳銃を向けようとしたものもいた。
 だが、それよりも早くドイツ兵達は慌てた様子で負傷兵を強引に引きずりながら撤退を開始していた。

 撤退を援護するために盛んに放たれるドイツ兵の銃撃に辟易しながら、厨川大尉は手頃な遮蔽物に飛び込んでいた。斬撃の度に大尉の顔から消え失せる表情が敵兵の撤退によってようやく戻ってきていた。
 特務遊撃隊の戦闘はごく短いものだった。火力の密度は高かったが、弾倉を交換したものは殆どいなかったようだ。持ち込んだ予備の弾薬はまだ豊富にあったから、以後の抗戦は難しくないのではないのか。


 しかし、厨川大尉のそのような楽観的な考えはすぐに吹き飛んでいた。一度撤退したドイツ兵達だったが、ある一線まで後退した後は後退を停止して守りを固めていたのだ。
 状況は明らかだった。軋むような騒音と振動が伝わってきたからだ。間違いなかった。ドイツ軍はこれまでイタリア軍の防衛戦正面に控えさせて睨みを聞かせていた四号戦車の一両をこの方面に投入するつもりだった。

 厨川大尉はイタリア軍の防衛部隊が陣取る方に振り返っていた。小火器しか持たない特務遊撃隊がこの場で戦車に抗戦するのは不利だった。利用できそうな遮蔽物は小銃弾や手榴弾の弾片程度には有効であっても、戦車砲弾の直撃を受ければひとたまりもなさそうだった。
 高初速の榴弾であれば、特務遊撃隊が潜む路地を狙い撃つのも難しくないのではないのか。
 だから場合によっては堅甲な陣地であればイタリア軍に合流することも視野に入れたほうが良いのだろう。そう考えていたのだ。

 だが、イタリア軍の陣地も右往左往している様子があった。どうやらそちらの方面でも動きがあったようだ。二方向から戦車を突入させて一気に戦局を打開するつもりなのかもしれない。
 厨川大尉は眉をしかめていた。迂回していたドイツ兵たちを撃退しても意味はなかったのではないのか。そう考えてしまったからだ。


 周囲の特務遊撃隊の隊員達がざわついているのに気が付いたのはその時だった。怪訝そうな顔で厨川大尉も彼らの視線を辿っていた。大尉はすぐに唖然とした表情を浮かべていた。
 姿をくらましていた美雨と申の二人が、ドイツ兵達が集結している近くの建物にいつの間にか現れていたからだ。もちろん二人がドイツ兵の前に無警戒に姿を表したわけではなかった。
 ローマ郊外にはいくらかの背の高い建物があったが、その1つの屋上に二人の姿があったのだ。

 彼女らの位置の確保は巧妙なものだった。特務遊撃隊の隊員たちがいるこの位置からの視認は容易だったものの、付近にいるドイツ兵からは角度があるから確認は難しいはずだ。むしろ、厨川大尉達から発見されることを目的にその場所を選んだのではないのか。
 厨川大尉は首を傾げていた。ドイツ兵からの視認が難しかったとは言え、周辺の建物の確保くらいは彼らも行っていたはずだ。おそらく戦車が接近したことで警戒が緩んだ瞬間を狙って建物に入りこんだのだろうが、美雨が何を狙っているのかは分からなかった。


 厨川大尉達が固唾をのんで見つめる中で、四号戦車に動きがあった。巨大な砲塔の頂部にあった展望塔上部の扉が開いて、戦車長らしき人物の頭が見えていたのだ。
 四号戦車の近くでも動きがあった。おそらく歩兵部隊の指揮官と戦車長が攻撃前の最後の打ち合わせでも行っているのではないのか。
 だが、戦車の装甲から無防備な生身を晒した戦車長らしき兵を狙撃するのは難しかった。そのような事態を想定しているのか、分厚そうな展望塔の扉をこちらに向けている上に、装甲から露出しているのは最小限だったからだ。
 射撃の名手である美雨がこの場にいて、専用の狙撃銃を使用したならば僅かな標的に命中させられたかもしれないが、この場の人員と機材ではおそらく不可能だった。

 しかし、その瞬間に厨川大尉は美雨の狙いを察していた。そして、その後の動きは大尉の予想通りだった。
 次にこの場まで聞こえてくるほどの大音量の銃声が響いていた。この戦闘では聞こえてこなかった音響だった。もちろんそれは美雨が手にしていた英国製の対戦車銃から放たれたものだった。
 強化された新鋭戦車の重装甲相手では無力化されていると言われる対戦車銃だったが、人間相手では過剰威力もいいところだった。展望塔の上部扉も角度からして上部から放たれた銃弾には遮蔽物としての要をなさなかった。
 それに通常の戦車戦闘で被弾する確率の低い展望塔の上部扉がそれほど頑丈とは思えなかった。小銃弾や榴弾断片程度ならばともかく、大口径の対戦車銃であれば貫通されてしまっても不思議ではなかった。

 根拠はあった。美雨が次々と建物の上から銃撃を繰り返していたからだ。
 最初に命中したのは展望塔の戦車長らしき兵士だった。ほとんど真上から銃撃された兵士はすぐに姿が見えなくなっていた。対空機関銃に匹敵する大口径の対戦車銃の銃弾を被弾したのだから、頭部どころかその体躯全体が引き裂かれたとしても不思議ではなかった。
 おそらく安々とその兵士を撃ち殺した銃弾は、扉が開け放たれた展望塔から内部に躍り込んだはずだ。

 だが、2射目以降に狙われたのは展望塔ではなかった。距離や角度が悪いからはっきりとはしないが、それよりも後部の機関部を狙っているようだった。冷却や排気用の開口部がそのあたりにはあるはずだったから、これ以上の機動を阻止するために狙ったのではないのか。
 ただし、展望塔にはある意味でそれ以上の打撃が加えられていた。申らしき小柄な人影が一瞬見えたかと思うと、黒々とした何かを階下に放り投げていたのだ。

 唖然とする厨川大尉が見つめる前で、投擲された何かは狙い違わず戦車長らしき兵の姿が消えた展望塔から戦車の中に入り込んでいた。
 しばらくして軽い炸裂音と僅かな煙が展望塔扉から立ち上る頃には、襲撃を終えた美雨達の姿は消え失せていた。

「もしかして残りの戦車もあの二人で片付けるつもりですかね……」
 厨川大尉以上に呆けた表情をしていたアルフォンソ伍長がそうつぶやくのを耳にしながら、忌々しそうな顔で大尉は周囲の隊員たちにいった。
「戦車は無力化された。二人の脱出を援護するぞ。小隊続け」
 刀を振りかぶりながら飛び出した厨川大尉を、慌てて特務遊撃隊の隊員たちとアルフォンソ伍長は追いかけていた。

 ドイツ軍が周囲から撤退を開始したのはそれからしばらくしてからのことだった。
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