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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943ローマ降下戦12

 挺進集団に於いて中隊長を勤める奥山大尉が、大容量の四三式滑空機二型に対して反感を抱いているのには自分でも気がついていない別の理由があった。
 その増強された滑空機の能力のせいで、自分たちが乗り込む双発の一〇〇式輸送機で大重量の貨物を搭載した滑空機を不安定な姿勢で牽引しなければならなくなってしまったからだった。
 しかも、大尉たちと滑空機の貨物は地上に降り立ったとしても離れることができなかった。


 奥山大尉は、眉をしかめた視線をそのままに、牽引機が繋がれているはずの一〇〇式輸送機の機尾から隣席へとそっと向けようとした。その席に大尉達第四中隊に厄介事を持ち込んだ男が座っていたからだった。
 だが、奥山大尉が顔を向け終わるよりも早く輸送機の機体が揺れていた。編隊を組んだ前方の僚機の後方流に巻き込まれたのかもしれなかったが、牽引機の影響なのか揺れは普段よりも大きかった。

 経験が浅い何人かの兵たちが不安そうな顔を見合わせていた。古参の下士官の中にも普段よりも大きな揺れに眉をしかめたものが少なくなかった。
 しかし、奥山大尉は表情を変えること無く、あえて意識して泰然自若とした様子を崩さなかった。
 滑空歩兵連隊を除く挺進集団の将兵は、練度の高い古参の下士官兵ばかりで構成されていたが、部隊としての歴史は浅く、また今まで空中挺進という性質上日本本土に残置されていたことから実戦経験を持つものは少なかった。
 それに加えて乗り込んだ輸送機は大重量の貨物を積み込んだ滑空機を牽引しているから訓練時よりも条件は厳しいと言わざるを得なかった。

 それ故に指揮官が些細な事に恐々とする姿を見せるわけには行かなかった。古参兵といえども部隊長に信頼を抱けないようでは本来の戦力を発揮できないからだ。
 下級指揮官不足の挺進集団に長く所属していたせいで中隊長の立場にあるが、奥山大尉は士官学校を卒業して数年しか経験がなかった。それでもその程度のことは自然と理解するようになっていた。

 しかし、唐突に奥山大尉の隣席から声が聞こえた。
「以前の訓練時よりも揺れが激しいような気がするが、大丈夫なのかね奥山大尉」
 内容は不安を感じさせるものだが、間延びした声のせいか緊張感は感じられなかった。それにしても部下たちの士気を考慮すれば放置はできなかった。古参の下士官などは嫌そうな顔を奥山大尉と隣席の将校に向けていたからだ。
 奥山大尉は、意を決して隣に座る辻井中佐に顔を向けた。

 だが、奥山大尉が緊張して顔を強張らせていたのに対して、参謀を示す飾緒をつけた軍服の上から落下傘付の縛帯を無造作に締めるという奇妙な格好をした辻井中佐はいつもの様にとらえどころのない笑みを浮かべたままだった。


 辻井中佐は作戦指導の名目で遣欧方面軍司令部から派遣された参謀だった。以前は山下中将率いる遣欧第1軍司令部に所属していたらしいが、遣欧第1軍と第2軍の上級司令部となる遣欧方面軍が新設される際に転属となっていたらしい。
 だが、いくらその遣欧方面軍が現地に参謀を派遣すると言っても限度があった。最前線とはいっても、たかが中隊ではなく、挺進集団司令部かその直下にある挺進団司令部とでも同行すればよかったのではないのか。
 しかも、挺進集団が日本陸軍の部隊とはいえ、日英軍を主力とする多国籍混成の空挺軍団に配属されている以上は、指揮系統を厳密解釈すれば遣欧方面軍司令部の作戦指導を受けるいわれはないということになる。

 もちろん、辻井中佐が挺進集団、というよりも奥山大尉達に同行する理由はあった。
 正確に言えば中佐が同行するのはこの輸送機に乗り込んだ部隊ではなく、後方の滑空機に搭載されているものになるのだが、そちらに乗機することができなかったためにこの機に同乗していたのだ。

 非公式なものではあったが、普段から辻井中佐は司令部内で機甲参謀などと自分の立場をうそぶいていた。
 騎兵科と歩兵科の一部を統合する形で戦車などを運用する機甲科が新設されてからまだ10年も経っていなかったから、機甲科の高級将官などはまだ少なかった。
 だから、歩兵科などの他兵科の出身である軍司令官や方面軍司令官に機甲科に関する業務の補佐を行うのが自分の仕事である、辻井中佐はそう周囲に言っていたのだ。
 辻井中佐がその歳で態々促成の降下訓練を受けてまで挺進集団と同道することになったのは、今回の作戦において空挺戦車と俗称されてる最新の四三式軽戦車で編成された挺進戦車隊が急遽投入されることになったからだった。

 つい先ごろ制式化された四三式軽戦車は、西暦の下二桁という新たな制式命名の基準に従った初めての戦車となっていた。
 大型の四三式滑空機に搭載することで辛うじて輸送が可能となった四三式軽戦車によって、軽戦車とは言えども挺進集団は火力と機動力を併せ持った装甲車両の運用能力を得るはずだった。
 これと噴進砲などの火器の増備によって、挺進集団は従来空挺部隊が持ち得なかった火力を発揮することができるのではないのか。挺進集団司令部はそう期待しているようだった。

 だが、当然のことながら歩兵科を主力とした転科者で構成された挺進集団には、戦車を運用する機甲科出身者はほとんどおらず、指揮能力も乏しかった。それを支援、指導するために今回の作戦において辻井中佐が遣欧方面軍から派遣されてきたというのだ。
 そして、中隊規模でしかない挺進戦車隊を支援するために、指揮官である奥山大尉を含めて工兵科出身者が多く配属されていた挺進第1連隊第4中隊が特に直掩隊として指定されていた。
 場合によっては機動運用ではなく、急造の戦車壕などを構築して防御戦闘に挺進戦車隊を投入する可能性もあるというのだ。


 しかし、奥山大尉は自分の中隊が挺進戦車隊の直掩に付くことに関してある疑問をいだいていた。実際には、自分たちは外部視認に限界のある戦車隊の援護が主任務となるのではないのかと考えていたのだ。その事自体に不満があるわけではないが、周りが見えない戦車に轢き殺されてはたまらなかった。
 挺進戦車隊が装備する四三式軽戦車は、今回の作戦が初陣となる新兵器という触れ込みだったが、実際には昨年末頃から実戦配備が開始された二式軽戦車がその原型だった。

 現在の日本陸軍における軽戦車とは、端的に言ってしまえば主力である攻速防の三点を高い次元でまとめ上げた中戦車を支援するためのものだった。
 以前は軽量で安価であったことや、実質上歩兵戦車として開発が進められていた中戦車では機動力が不足しており、多輪の自動貨車を装備した機動歩兵に追随できなかったことなどから、軽戦車であっても戦車連隊に中隊単位で配属されて主力戦車の一翼を担っていたこともあったが、最近では戦車連隊の主要装備は中戦車で統一されるようになっていた。
 一式中戦車以前の中戦車が歩兵支援を主任務としていたのに対して、敵戦車との交戦を想定したそれ以後の中戦車は十分な機動力と火力を併せ持っていたからだ。

 現在も軽戦車が戦車連隊に配属されていないわけではないのだが、戦車連隊本部付で偵察を任務とする小隊単位や各中隊に1,2両程度の連絡車両用途という程度の少数配備にとどまっていた。
 代わって軽戦車の主な配属先になっているのは、各師団司令部直属の偵察部隊である捜索連隊だった。

 騎兵科と歩兵科の一部を統合した機甲科にあって、捜索連隊配備の軽戦車隊に配属とされていたのは以前装甲車という名称で豆戦車を運用していた旧騎兵科出身の将兵が多かった。
 捜索連隊配備の軽戦車中隊は、ある程度の装甲と火力を有していたから、主力部隊の前方警戒の他に威力偵察も可能だった。


 四三式軽戦車の原型となった二式軽戦車は、旧式化した九五式軽戦車の後継として師団捜索連隊などに充足するために久々に新規開発された軽戦車だった。
 ただし、後継と言いつつも二式軽戦車の戦闘能力はそれほど九五式軽戦車と比べて高いわけではなかった。
 構造などが改良されて発射速度などは上がっているらしいが、基本的に備砲は同一のものだったし、機動力を要求される捜索連隊に配備されるために車重の制限が大きかったことから、自然と自重も大差なかったから装甲の強化にも限度があったからだ。

 それに、九五式軽戦車が就役していた頃と比べると、日本陸軍における軽戦車そのものの役割も大きく変化していた。
 捜索連隊隷下には大口径機関砲を搭載して少数の偵察兵を乗せる一式装甲兵車三型や、九五式軽戦車と同型の砲塔を搭載する二式装甲車などを装備する装甲車中隊がすでに編制されていたからだ。
 特に英国軍のダイムラー装甲車などの影響を受けて日本陸軍で初の本格的な装輪装甲車として開発された二式装甲車は、二式軽戦車と同様に高初速の37ミリ砲を搭載していたから火力の点では互角と言えた。
 足回りは自動貨車を原型とする6輪式のものだったから路外走行能力には大きく劣るが、路上であれば二式軽戦車よりも高速で移動できたから、道路状況の良い欧州での偵察任務であれば軽戦車よりも優位な状況は少なくないのではないのか。


 実際には、二式軽戦車は九五式軽戦車の純粋な後継というよりも主力中戦車隊に追随できる手頃な車格の原型として重宝されているらしい。
 鋲構造が主体だった九五式軽戦車に対して、二式軽戦車は生産性の高い溶接構造を取り入れている上に、補機などの一部の部品は戦車隊主力である三式中戦車との互換性も高かったから、機甲部隊に随伴して対空火力を提供する対空戦車や砲兵将校や観測機材を搭載した観測戦車の母体としては適しているようだった。

 そして、その二式軽戦車を改設計したものの一つが四三式軽戦車であった。
 他の二式軽戦車の派生型が軽快な高速戦闘車両という本来の軽戦車の用途から外れて、戦車砲の代わりに対空機関砲や観測機材などを搭載していたのに対して、四三式軽戦車は名称通り軽戦車としての性格を保ったままであるように思えた。
 ただし、四三式軽戦車が開発された理由は、重火器を運用できない挺進集団に火力を提供するために、大型滑空機に搭載して強行着陸を行うという空挺戦車というべき特異なものであった。


 捜索連隊向けに開発されていた二式軽戦車は、車重が九五式軽戦車とほとんど変わらない約10トンという軽量級の戦車だった。
 九五式軽戦車が現役だった当時とは異なり、今では各国軍で主力戦車とされている中戦車は30トンを超えることも珍しく無くなっていたから、二式軽戦車の重量は現在の戦車としては下限と言っても過言ではないのではないか。

 だが、それでも四三式滑空機に搭載することは不可能だった。主胴体に設けられた貨物室の容積からすれば搭載そのものは不可能ではないと思われるが、その場合は重量が過大となって離陸は困難なものとなるはずだった。
 大型四発の四三式貨物輸送機などを使用して、特に整備された長大な滑走路が利用できれば空輸は難しくはないらしいが、滑空機を用いた不整地への強行着陸には不安があった。

 そこで、挺進集団の要請を受けた陸軍技術本部では、二式軽戦車を挺進運用可能とするために軽量化を図ることとなった。そうして誕生したのが四三式滑空機の搭載可能重量に収めるために7トン半までに自重を抑えた四三式軽戦車だった。
 もっとも、奥山大尉などは四三式軽戦車に対して少々疑わしい視線を向けていた。実際には二式軽戦車を軽量化したというよりも簡素化したと言ったほうが正確なのではないのか、そう考えていたからだ。

 四三式軽戦車の車体や主砲は原型となった二式軽戦車とそれほど変化はしていなかった。というよりも搭載している長砲身37ミリ砲は生産中の日本製戦車砲としては最小のものとなるから、機関砲搭載に甘んじない限り実質上他に選択肢はなかったというべきだった。
 ただし、車内に携行する弾薬は二式軽戦車よりも少ないらしかった。それに搭載されたエンジン自体は同一であっても補機類が簡素化されているために最終的な軸出力は低下しているという話だった。
 嵩張る冷却器なども最低限のものしか搭載していないから、熱帯での長時間運用も難しいらしい。
 車外の雑具箱など最低限の戦闘に関わるもの以外の装備品が省かれている以外は車体には変更点は少なかったが、これは支障がなかったからというよりもそこまで手を加えてしまうと改設計作業に工数がかかりすぎてしまうからではないのか。

 そして、車体に抜本的な軽量化が図られなかったことによるしわ寄せは砲塔に集中していた。
 同時期に開発されていた三式中戦車の設計構想を先行して取り入れて防弾鋼板による鋳造と溶接構造組み合わせた上に、避弾経始を考慮した滑らかで鋭角な二式軽戦車の主砲塔は、迅速な主砲の連続発砲が可能な砲塔内容積と偵察戦車として運用するために良好な全周視界を持つ車長用展望塔を搭載した贅沢なものだった。
 やはり三式中戦車同様に長大な砲身との釣り合いをとるために設けられた砲塔後部の張り出しは、通常型では即応弾用の弾庫となっていたが、指揮戦車や観測戦車では大型無線機と交換することも可能だった。

 しかし、四三式軽戦車に搭載された砲塔は、ひっくり返した浅いたらいに無造作に砲身を括り付けたような不格好な形状をしていた。砲手には使いづらい潜望鏡式の照準器しか無かったし、即応弾も少なかった。
 しかも軽量化のために車長用の展望搭まで省かれていたから、車長が外部を視認しようとすれば、本来は乗車用に設けられた大型扉を開けて無防備に上半身を晒すほかなかった。
 最近の戦車ではこうした外部視認装置の優劣が戦闘能力に与える影響が大きいことが認識されるようになっていたが、四三式軽戦車はそうした流れに逆行するものだった。
 むしろそこまでして軽量化しなければ降下作戦に投入可能な戦車を設計することは不可能だったということではないのか。


 奥山大尉はそうした歪な進化を遂げた四三式軽戦車の矛盾を自分たちが被ってしまったのではないのか、そう考えていた。
 同時に、使い所の難しい四三式軽戦車に関する作戦指導を行うという辻井中佐の同行理由にも疑問を抱いていた。実際には今回の作戦の立案段階から中佐が深く関わっていると聞いていたからだった。
一〇〇式輸送機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100c.html
四三式滑空機の設定は下記アドレスで公開中です。
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四三式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/43tkl.html
二式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/02tkl.html
一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html
九五式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/95tkl.html
一式装甲兵車の設定は下記アドレスで公開中です。
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二式装甲車の設定は下記アドレスで公開中です。
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三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
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四三式貨物輸送機の設定は下記アドレスで公開中です。
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