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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1941マダパン岬沖海戦6

 第三戦隊の離脱が戦局に与えた影響は大きかった。
 ついさっきまでの様相が嘘のようだった。

 後一押しで完勝が得られるのではないのか、ヴィットリオ・ヴェネト乗員たちの中では、そう考えていたものも多かったはずだ。
 しかし、状況は一変していた。
 逆に、未だ果敢な抵抗を続けるレナウンとリアンダー級軽巡洋艦の二隻に押し込まれているような感覚さえ覚えていた。
 英国海軍の二隻は、砲塔を一基ずつ喪失しているから、砲力は衰えているはずだが、発射間隔には違いが見られなかった。
 どうやら他の砲塔には損害や消耗は出ていないようだった。

 それに対して、ヴィットリオ・ヴェネトの反応は冴えないものだった。
 砲撃は続行しているのだが、発砲間隔は明らかに間延びし始めていた。
 これまでの艦歴にない急射に砲員や他の砲術科将兵に疲労が生じているのかもしれなかった。

 それ以上に、第三戦隊が離脱したことで、二隻の英国艦艇からの砲撃がヴィットリオ・ヴェネトただ一隻に集中した影響は大きかった。
 実のところヴィットリオ・ヴェネトの射撃にとって最も障害となっているのは、致命傷となりかねない一撃を放ってくるレナウンの38.1センチ砲ではなく、間断なく射撃を続行しているグロスター級軽巡洋艦の15.2センチ砲だった。
 敵二番艦の位置を占めるグロスター級軽巡洋艦は、砲塔を一基喪失し、船体にも少なかならぬ損傷を得ているはずだが、高い発射速度や狭い散布界を発揮し続けていた。
 相次いだ20.3センチ砲弾の弾着にもかかわらず、いまだ基準線がずれることなく安定した射撃を可能としているのは、頑丈な艦体構造もあるのだろうが、それ以上に第三戦隊からの射撃が無くなったほうが影響は大きそうだった。
 恐ろしい勢いで炎に包まれていたグロスター級軽巡洋艦は、まだ延焼は続いていたが、消火活動は順調に進んでいるようだった。
 火の手は先程よりも勢いが衰えているような気がした。
 第三戦隊からの射撃が集中していたこれまでとは違って弾着がないものだから、応急員達は精神的にも肉体的にも安心して消火作業に集中できているからだろう。

 ヴィットリオ・ヴェネトからも第三戦隊が離脱した直後から、15.2センチ副砲からの射撃がグロスター級軽巡洋艦を狙って放たれてはいるのだが、未だ夾叉は得られていなかった。
 主砲は艦橋上部の即的所に据え付けられた精度の高い測距儀による支援が得られるが、副砲の測距精度はそれほど高くないから、弾着修正に手間取っているようだった。
 それに片舷側に向けて発砲可能な副砲砲塔は二基しかないから、発射弾数は、砲塔を喪失したグロスター級軽巡洋艦よりも少なかった。
 これでは今まで格上の第三戦隊の重巡洋艦から撃ちまくられていたグロスター級軽巡洋艦にすれば大した脅威にも感じられないのではないのか。

 それに対して、ヴィットリオ・ヴェネトでは絶え間なく弾着が発生するものだから、応急員達の活動にも支障が出始めていた。
 軽巡洋艦が装備する15.2センチ砲では、ヴィットリオ・ヴェネトの主装甲帯を貫通することなど到底不可能だが、すべての構造体が装甲化されているわけではないから、非防護区画であれば軽巡洋艦の主砲弾でも容易に破壊することは可能だった。
 主砲の発砲や機関の維持といった主要な機能が損なわれる可能性は低いが、測距儀や射撃指揮所のような重要ではあるが、比較的軽度な装甲しか施されていない区画も少なくない。
 レナウンの38.1センチ砲から放たれる巨弾にも晒されていることを考慮すれば、ヴィットリオ・ヴェネトは、極めて危険な態勢におかれているといえた。


 相次ぐ弾着と何度目かもわからない自艦の発砲による衝撃で、次第にヴィットリオ・ヴェネトの艦橋は混乱し始めていた。
 今生じた衝撃が敵味方どちらのものによるものなのか、それすらよくわからなくなっていた。
 そのような混乱に背を向けるように、中将は艦橋の窓から離れようとしなかった。

 副長から最新の損害報告を受けた直後に、自艦の主砲発砲によって生じた発砲炎に紅く照らしだされた艦橋で、一瞬だけ逆光に明確に浮き上がった中将のシルエットに気がついたボンディーノ大佐は、ぎょっとしながら慌てていった。
「閣下、敵艦の射撃が集中しつつあります。艦橋も安全ではありません。司令部要員は装甲の…司令塔の内部へお入りください」
 すでに第三戦隊の指揮は先任艦長に任せているから、艦隊司令官が今命令を下す相手は大きく状況が変わらない限り存在しない。
 だから艦橋に無理をしている必要はないはずだった。
 再び何処かに弾着があったらしく、艦橋を大きな揺れが襲った。

 中将はゆっくり振り返って、ボンディーノ大佐に向き直った。
 先程の慌てた様子はなかった。
 いつものように柔らかな笑みを浮かべて首を振った。
「艦の機能を維持することを優先させるならば、私よりも君のほうが司令塔にはいるべきではないのかな。司令塔内部からでも指揮をとることは出来るのだろう」

 それ以上ボンディーノ大佐が何か反論しようとするよりも早く、勢い良く伝令が艦橋に駆け込んできていた。
 あまりに勢いをつけていたものだから、周りのものに体当りしそうになった伝令は、大きく体を崩しながら、ボンディーノ大佐の姿を見つけると慌てて姿勢を正していっきにいった。
「対空射撃指揮所から報告、先ほどの弾着の衝撃で測距儀が破損、敵二番艦への測距は不可能です」
 ボンディーノ大佐は思わず舌打ちをついた。
 舷側の対空射撃指揮所は、今まで副砲の射撃指揮に使用していたからだ。
「副砲の測距は司令部測距儀を使え、副砲射撃指揮所に以上命令」
 ボンディーノ大佐は、しかめっ面で高所電話を取るとそのように命じた。

 だが、ボンディーノ大佐が命令を終えた後も、伝令は立ち去ろうとしなかった。
 眉をしかめてボンディーノ大佐は伝令を見つめた。
 緊張した様子のその兵は、恐る恐るいった。
「いま艦橋に上がるのに外側の回廊を伝ってきたのですが…先ほどの命中弾で後部艦橋が消失していたようなのです」
 一瞬に呆気に取られたボンディーノ大佐は、慌てて射撃を受けていない側の艦橋ウイングに跳び出そうとした。
 そこからならば、艦体後部の様子が確認できると思ったからだ。

 しかし、結果的にはそれよりも早く高所電話がなってボンディーノ大佐の行動を押しとどめた。
「後部応急指揮所より艦橋、後部艦橋は全壊の模様。副長他要員全員行方不明」
 ボンディーノ大佐は、一瞬空を仰いでいた。
 だが、見えたのは艦橋天井にはしる梁だけだった。
 高所電話を掴むと、後部応急指揮所に応急活動指揮はこれ以後応急長が取るように命じた。


 ボンディーノ大佐の様子が落ち着いてから、中将は沈痛な面持ちでいった。
「これでは多少の装甲に囲まれていても意味がないのではないのか。たしか後部艦橋にも装甲はあったはずだ」
 ボンディーノ大佐はぎょっとして振り返った。
 だが、中将よりも補給参謀の方に目線がいってしまった。
 中将の脇に立つ補給参謀は、真っ青な顔になっていた。

「閣下、ここは後退すべきではないでしょうか。このままでは本艦は二隻の敵艦に挟撃されて大損害を受けるでしょう。しかし、我が国には戦艦一隻を失うような余裕はありません。これほどの損害を受けたのですから、撤退しても文句は言われないはずです。
 それよりも我々の後方を追尾しているはずの本隊と合流すべきです。あちらには旗艦リットリオとカイオ・デュイエリの二隻の戦艦がいますから…」
 声をかけられたはずの中将は、補給参謀の言葉が聞こえなかったかのように、ボンディーノ大佐の方を向いたままいった。
「艦長、確認したいのですが、我が隊の状況は既に本隊のイアッチーノ提督に伝えていますね」
 ボンディーノ大佐は、苦虫を噛み潰したような顔で頷いていた。
 中将が何を言いたいか分かっていたからだ。

 戦艦リットリオとカイオ・デュイエリを基幹戦力とする本隊は、航空戦隊こそ無いものの、中将が指揮する支隊とほぼ同等の戦力で後方を追尾中だった。
 場合によっては支隊が敵主力を拘束中に包囲するつもりだったからだ。
 だから本隊と支隊との間では緻密な連絡が必要だった。
 さきほども、戦闘開始前に状況を連絡してあった。
 ただし、ボルツァーノを退避させた後の、追認を知らせる交信を最後に本隊からの連絡は途切れていた。

「本隊からの連絡がない理由はひとつしかありません。彼らもまた交戦中で返信の余裕が無いのでしょう。
 だから我々は一歩も引くわけには行きません。
 返信の余裕が無いということは、本隊が交戦中の敵艦隊もまた我々が対峙する敵同様に大兵力であると考えるべきでしょう。
 ここでわれわれが食い止めなければ、この敵艦隊が今度は本隊を挟撃するかもしれません…」
 中将は諭すようにそういった。
 だが、ボンディーノ大佐は、当初の作戦方針が間違っていたとしか思えなかった。
 挟撃などという都合のいいことを考えずに、最初から艦隊を合流させたほうが良かったのではないのか。
 大兵力故に小回りがきかないという問題はあるだろうが、どのみち外洋で防空戦闘機を発進させられる航空戦隊は一個隊しかないのだから。


「艦長、司令旗を下げてください」
 淡々といった中将の言葉が理解できずに、ボンディーノ大佐は首をかしげた。
 王冠と星を組み合わせた艦隊司令官旗は、今も艦橋後部のメインマストに掲げられているはずだった。
 それは艦隊司令官座乗を示すものだから、中将がヴィットリオ・ヴェネトから離艦するまで掲げられ続けるはずだった。

 ふと気がついて、ボンディーノ大佐は一瞬目を見開いていた。
 本来であれば、中将が座乗する間は別の旗を掲げるはずだった。
 もしも中将が海軍の軍人でなければ、あるいは艦隊司令官でなければ本来その旗が掲げられているはずだった。
 しかし、その旗を掲げるのを拒否して、一海軍将官としての立場を貫くために艦隊司令官旗を掲げさせたのは、元々中将であるはずだった。
 ボンディーノ大佐は、中将の目をみつめながらいった。
「よろしいのですか、後であちらこちらからとやかく言われるかと思いますが」
「元々艦隊司令官旗は、サンソネッティ中将からの借り物ですからね…申し訳ないが、本隊のためにも、ここで引くわけには行きません。
 私も、もう逃げるのはやめましょう。使えるものは何でも使ってください。たとえそれが王家の威光だったとしてもです」
「了解しました。殿下」

 艦橋の隅で記録を取っていた法務参謀が、その時になってようやく事態に気がついて慌てて中将を止めようとしたのが視界の隅に見えたが、ボンディーノ大佐は、法務参謀が動き出すよりも早く高所電話を掴んで命令を発していた。
 高所電話は、艦内全艦に伝わるように操作したから、直後にボンディーノ大佐の低い声がヴィットリオ・ヴェネトの艦内全てに伝わっていた。

「艦長より全艦に達する。メインマストより艦隊司令官旗を降下せよ。代わって皇太子旗を掲げよ。電信室は艦隊全艦に以下を発信、本文、本艦メインマストを確認せよ。王家は我らと共にあり、各員奮闘せよ」
 一気に言い終わると、ボンディーノ大佐は中将に向き直った。
 イタリア海軍中将、ウンベルト・ニコラ・トンマーゾ・ジョヴァンニ・マリーア皇太子は、力強くボンディーノ大佐に頷いていた。

 次の瞬間に、ボンディーノ大佐は、確かにヴィットリオ・ヴェネトの艦内から沸き上がる歓声を聞いたような気がしていた。
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