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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943ローマ降下戦5

 襲撃作戦の蹉跌は、部隊指揮官であるモルス少佐の近くで道案内を行っていた現地工作員の呟いた一言から始まっていた。

 口調そのものは軽かった。だから少佐も半ば聞き逃してしまっていたのだった。
 今日は車の数が多いな。現地工作員はそう言いながら目標となる建屋の前に停車した何台かの車両から降り立ったマリア・ジョゼ皇太子妃と彼女に随伴する面々を見ていた。

 現地工作員の目にはあまり深刻そうなものは浮かんでいなかった。確かに降り立った人間の数は当初の予想よりも多かったものの、あまり戦力は大きく無さそうだったからだ。
 護衛官の数も多少は多かったかもしれないが、装備は知れているはずだし、一行の中には戦闘員とは思えないものが多かった。人相は距離があるために分からなかったが、明らかに老人と思える小柄な男まで含まれていたほどだった。


 モルス少佐は一旦は怪訝に思ったものの、現地工作員の表情を見て不安を打ち消していた。事情はよくわからないが、危険はあまりなさそうだった。
 あの老人はパルチザンへの資金援助を行う皇太子妃の金庫番か何かなのではないのか。そういえば、降車時に垣間見えた先程の小柄な老人の顔は神経質そうなものであり、会計監査係にふさわしいような気がしていた。

 もしかするとこれは好機なのかもしれなかった。これまで現地工作員たちが確認していたマリア・ジョゼ皇太子妃の行動は単なる打ち合わせに過ぎず、今回初めて実際に資金提供が実行されるのではないのか。
 そのように仮定すると、護衛だけではなく文官らしき人間が一行に加わっているのも納得できるのではないのか。そうであれば、今回の作戦で皇太子妃を拘束するとともに、反ナチス運動への関与に関する決定的な証拠も得られるかもしれなかった。
 それどころか皇太子妃の接触先となる抵抗運動の情報も得られるのではないのか。そうなれば占領地での摘発も容易に進むはずだった。


 モルス少佐はそこまで考えてから、頭を振って気を取り直していた。今は作戦後のことなど考えている場合ではなかった。
 作戦開始まで間もないから、モルス少佐には余計なことで悩むような贅沢な時間は残されていなかったのだ。どのちみ作戦後に得られた成果を判断するのは親衛隊国家保安本部の要員たちの仕事であって、少佐たち実働部隊は与えられた任務を遂行するだけだった。

 道を挟んで反対側にいた部下たちが、こちらに伺うような視線を向けていた。先程まで感じていた不安や期待を吹き払うようにモルス少佐は力強く頷いていた。
 それが作戦開始の合図となった。

 モルス少佐が率いる部隊主力は予備戦力として待機していた。実際に行動を開始するのは2個分隊だけだった。今、合図を送ったのはその一つだった。
 その分隊が最初に身分を明らかにしてマリア・ジョゼ皇太子妃を直接拘束することになっていた。大使館員が用意していた公用車も付近に待機させてあるから、拘束とその後の脱出は難しくないはずだった。

 もう一つの分隊はそれを援護するとともに、護衛部隊を制圧して引き離す事になっていた。
 モルス少佐たちは短機関銃しか装備していないが、各分隊の定数は満たしていたから、護衛部隊の陣容が現地工作員の事前情報通りであれば、20名近くの屈強な空挺隊員からなるこの2個分隊だけで圧倒できるはずだった。

 勢い良く偽装のために羽織っていたコートを脱ぎ捨てた分隊員達は、短機関銃を見せびらかすようにしながら早足で声を上げながら建屋に入ろうとする皇太子妃一行に近づいていった。
 モルス少佐が違和感を感じたのはその時だった。


 確かに、現地工作員の事前予想と比べて皇太子妃の随員は多かった。ただし、護衛の数は一行全体の数と比べてそれほど多くはなかった。空軍降下猟兵部隊出身のモルス少佐は、警察組織による要人警護の手法にはそれほど詳しくはないが、あの程度では数が不足しているのではないのか。
 襲撃を受けた際に護衛対象が多すぎて十分な警護が可能とは思えなかったのだ。

 モルス少佐は到着したばかりの車の数を数えていた。改めて見ると、車の数と降り立った一行の人数はつり合っていなかった。皇太子妃達が降りた高級車などはともかく、護衛らしき男たちが降りたありふれた乗用車は、定員よりも少なかったようだ。

 ―――いかん、まだ車から降りていない護衛がいるとすれば……
 しかし、モルス少佐がそれ以上何か反応することは出来なかった。作戦計画どおりに皇太子妃一行に接近していた分隊が死角から連続した射撃を受けていたからだった。


 唐突に聞こえてきた、けたたましい乾いた銃声に圧倒されたのか、モルス少佐の近くにいた現地工作員は棒立ちになっていた。そこは道路を挟んで対象の建屋と反対に位置していた。
 ローマ市街でも有数の整備された街道だったが、それでも道幅しか距離はないから拳銃弾でも十分に射程内に入っているはずだった。
 護衛部隊と銃撃戦となった場合に直接拘束を行う分隊を援護するとともに、全体の状況が確認できる箇所を指揮官であるモルス少佐が把握できるようにしていたのだが、逆にその位置のせいで護衛部隊の一部を見逃してしまったようだった。

 戦場での経験から、モルス少佐の部下たちは、銃声が聞こえたと同時に咄嗟に遮蔽物に駆け込むか、その場で伏せながらコートを脱いでそれぞれが短機関銃を取り出そうとしていた。
 モルス少佐も、呆然としていた現地工作員を物陰に押し込めながら自分の短機関銃を取り出していた。


 先程の銃声は明らかに連続していたが、全自動射撃を行ったのは確かだったものの、銃声から銃器や使用弾薬を特定するのは難しかった。通りの両側に立ち並ぶ建物に反響したせいで銃声がくぐもってしまって判然としなかったからだ。
 しかし、乗用車に乗り込む護衛部隊が小銃を超える寸法の軽機関銃などを持ち込めるとは思えなかった。つまり、先程の銃声はモルス少佐たちと同じような短機関銃から放たれたものと考えて間違い無さそうだった。

 おそらく、先程の護衛部隊による銃撃にはベレッタM38Aが使用されたのだろう。9ミリ弾を使用するベレッタM38Aはイタリア軍の他の制式銃と比べても高性能であるらしく、頑丈で精度も高いとの評判はモルス少佐も聞いていた。
 イタリア陸軍の山岳部隊であるアルピーニや自動車化歩兵であるベルサリエリの他に、軍警察カラビニエリ部隊などでも使用されているらしいから、要人警護の護衛部隊が使用していても不自然ではなかった。


 だが、相手が短機関銃程度であれば、モルス少佐たちの方が総合的に見て優位のはずだった。少佐達が使用するドイツ軍のMP40も性能は殆ど変わらなかったからだ。
 というよりも使用弾薬は同じ9ミリパラベラム弾なのだから、設計に基本的な誤りでもない限り使い勝手などはともかく、同サイズの短機関銃で威力や精度に大きな差が生じるはずもなかったのだ。

 使用火器が同程度であれば、あとは当初の作戦計画通り火力と練度がものをいうはずだった。相手が拳銃以上の短機関銃を所持していたのは些か驚かされたが、最終的な戦力の見積もりにはそれほど大きな差はないはずだ。
 それに護衛官全員が嵩張る短機関銃を携帯しているとも思えなかった。モルス少佐達もMP40の輪郭を悟らせないように不自然にコートを着込んでいたほどだったが、護衛官達の格好はその辺りの勤め人と変わらない背広姿だった。
 護衛官の大半はやはり携行性の高い拳銃を使用しており、一部の車内に待機していた者だけが短機関銃を持ち込んでいただけではないのか。


 そのように判断しながらも内心で不安になったモルス少佐だったが、物陰から顔を出して道路の向こう側を観察しながらすぐに愁眉を開いていた。やはり少佐の読み通り使用された短機関銃の数はそれほど多くはなかったようだった。

 戦死者が出たかどうかはここからでは分からないが、至近距離から銃撃を受けた分隊には負傷者が出ていた。ただし、すでに付近に待機していたもう一つの分隊が援護射撃を開始していた。

 援護射撃の銃声は力強く続いていた。先程護衛部隊によって行われた最初の連続した射撃と比べると一連射ごとの発射弾数は多くはないが、火点の数は多かった。しかも市街地にあふれる遮蔽物などを巧みに利用していたから、護衛部隊による反撃はあまり成果を上げていないようだった。
 一回の射撃辺りの発射弾数が少ないのも、連続した射撃を行った際に生じる反動による命中率の低下を避けて無駄弾を撃たないようにしたためだった。
 モルス少佐達降下猟兵部隊は、降下地点での瞬間的な制圧の必要性が有りながらも部隊の特性上は継続した補給を受けるのが難しかったから、自然とそのような発射弾数を抑える射撃術を身に着けていたのだ。


 すでに援護の分隊によって最初に射撃を受けた分隊の収容が始まっていた。それどころか、分隊による反撃で護衛部隊にも無視できない被害が出ているようだった。
 ただし、護衛部隊の短機関銃射手はまだ制圧されていなかった。残弾を気にしているのか最初の射撃ほどではないが、今も断続的な射撃音が護衛が乗っていた乗用車の影から聞こえていた。

 状況は膠着していた。モルス少佐達は予定通り火力で護衛部隊を圧倒していたが、護衛部隊も損害を出しながらも頑丈そうな建屋入り口などを利用して粘り強く抵抗を続けていた。
 建屋の中の状況はあまり良く分からなかった。報道機関らしく人の出入りは少なくなかったから一般的な間取りなどは現地工作員によって調査済だったが、親衛隊が露骨にイタリア国内で活動することは難しいからか、建物の設計図などは入手できていなかった。
 内部の人間にしかわからないような場所に逃げ込まれれば、目標である皇太子妃の拘束に手間取ってしまうかもしれなかった。

 だが、モルス少佐達はあまり時間をかけるわけにはいかなかった。時間が経てば、護衛部隊による通報や銃声を聞きつけてイタリア軍や官憲が駆けつけてくる可能性が高かったからだ。
 護衛部隊や警邏中のカラビニエリ部隊程度であれば少佐達の戦力でも制圧できるはずだが、大規模な正規軍が出てくれば対応など不可能だった。だからそれよりも早くこの場を撤収しなければならないのだ。


 モルス少佐は手早く状況を確認してから方針を決定していた。膠着した状況をひっくり返すのは簡単だった。
 部隊の半数は予備兵力として道路のこちら側に配置しているのだから、少佐が直接掌握している戦力を投入するだけだ。
 護衛部隊を単純な数の上でも大きく上回るはずだし、道路のこちら側から攻撃をかけていけば、敵部隊の横合いから圧力を加えられるから護衛部隊が遮蔽物を利用することも難しくなるはずだった。
 むしろ、敵味方の射線が複雑に交差することになるから、拘束して人質とするはずの皇太子妃達一行に余計な被害が生じないか、そのほうが心配だった。

 だが、そう考えて一部の護衛達の手で押し込まれるようにして建屋の中へ退避しようとしている皇太子妃一行を確認したモルス少佐は、首を傾げることになっていた。


 最初は違和感に気が付かなかった。護衛部隊の動きは要人警護を行う典型の動作であるように見えたからだ。自らの体を要人の盾とするためか、自動車の影から援護射撃を加えるものを除いて、多くの隊員達は遮蔽物を積極的に利用するよりも要人を逃がすことを優先していた。
 その要人たちは建屋の中へ逃げ込もうとしていた。その建屋が建設されたのはそれほど以前のことではないが、歴史的遺物の多いローマの景観に合わせたのか石造りの堅硬そうな建物だった。
 その建屋の分厚い壁を破壊しようとすれば戦車砲弾でもなければ不可能ではないのか。少なくとも短機関銃程度では抜けそうもなかったから、トーチカのように内部に立て篭もられれば厄介なことになりそうだった。

 それだけにモルス少佐率いる小隊の本隊を投入して短時間で制圧しなければならなかったのだが、問題は逃げ込もうとする一行の動きにあった。少佐が見る限り、最優先で逃されようとしているのがマリア・ジョゼ皇太子妃ではなかったのだ。
 部隊の動きとなって外部に現れているのは些細な違いだから殆どのものが気が付かなかっただろうが、護衛部隊が最優先で逃がそうとしているのは会計監査係に見えた小柄な老人だったのだ。

 お忍びながらも、さり気なくモルス少佐の目から見ても高級品とわかるものを着込んだ皇太子妃と比べれば、その老人の衣類は目立たないものだった。一行の中でも皇太子妃に近い位置にいたが、これまでの動きからは一行の中で高位にあるとは見えなかったのだ。
 だからモルス少佐は老人が会計監査係か何かなのではないのかと考えていたのだが、実際には、護衛部隊どころか皇太子妃でさえ流弾で負傷したらしい老人を最優先で気遣っていたのだ。

 ―――もしかするとあの老人も偽装した王族の誰かなのだろうか……
 そう脳裏をよぎったが、職業軍人らしい意識でモルス少佐は戦闘指揮に集中し始めていた。

 モルス少佐がそのことを深く考えたのは、それから数分後に護衛部隊の抵抗を排除して建屋の中に押し入った後のことだった。その時、すでに老人は事切れていた。
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