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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943ローマ降下戦4

 予定になかった銃撃戦は、唐突に始まっていた。
 ドイツ空軍から武装親衛隊指揮下の第502猟兵大隊に部下たちごと転属したばかりのハラルト・モルス少佐は、眉をひそめながら慌てた様子の部下たちが次々と季節外れを承知で纏っていたコートを脱ぎ捨てて自らの所属を示す軍衣を明らかにしながら短機関銃を取り出すのを見つめていた。

 モルス少佐自身は、唖然とした様子の現地工作員を遮蔽物となる物陰に片手で引き摺り込んだところだった。
 この襲撃作戦は、元々駐伊大使館付き武官の指揮下で密かにローマで情報を収集していたこの工作員が送ってきた情報をもとに立案されたものだった。そう考えればこの現地工作員が銃撃戦に巻き込まれたのもある意味で自業自得と言えないこともなかったかもしれない。
 事前に現地工作員や第502猟兵大隊の指揮官であるスコルツェニー親衛隊少佐が説明した作戦計画では、銃撃戦どころか荒事になる可能性そのものが低いという話だったからだ。

 モルス少佐達が投入されたのは、イタリア王国の皇太子妃であるマリア・ジョゼの拘束を行うという特異な作戦だった。ドイツ空軍で降下猟兵部隊を率いていた少佐にとって面食らうほかない任務だった。


 本来正規のドイツ陸海空軍と武装親衛隊は指揮系統からして異なる軍だった。
 もちろん東部戦線などに投入された武装親衛隊の野戦師団は陸軍の指揮下にあったが、空軍や武装親衛隊が新たに建軍されていた当時ならばともかく、人手不足が激しい現在の戦況では、どの部隊も訓練を受けた将兵を所属の異なる他隊に転出させるのは拒むようになっていた。
 だが、第502猟兵大隊などの特殊部隊はその例外だった。陸軍のブランデンブルク部隊などと同様に、全軍から特殊な技能を保有する志願者をかき集めて編成されていたからだ。

 もっとも、モルス少佐達何十人かの空軍降下猟兵達は大隊への参加を志願した訳ではなかった。
 少佐達の原隊である空軍降下猟兵部隊は、東部戦線に投入された際に大きな損害を被ってフランス占領地域で装備の支給や補充要員の受取などの再編成作業を行っていた。
 本来であれば少佐達は第7降下猟兵連隊に配属されて新編の第2降下猟兵師団の一員となるはずだったらしい。

 ところが彼らに与えられたのは補充要員ではなかった。
 モルス少佐達はその特殊な降下技術を請われて招聘される形で第502猟兵大隊に軍種を超えて転属させられることになっていたのだ。

 もっとも、その時点では、モルス少佐もこのような正規戦から離れた胡散臭い任務を与えられるとは思っていなかった。
 以前の西方進攻作戦などでは、モルス少佐も陸軍に所属するブランデンブルク部隊と共同で作戦を行ったこともあったから、その時の経験からして同様に友軍の先導や戦線後方での輸送隊の襲撃などを実施するのではないかと考えていたのだ。
 この第502猟兵大隊が編制された理由の1つは、陸軍が保有する特殊部隊であるブランデンブルク部隊に武装親衛隊が対抗するためだと聞かされていたからだった。


 しかし、モルス少佐の予想に反して、第502猟兵大隊に転属した元空軍降下猟兵達に与えられたのは、同盟国であるはずのイタリア王国国内で、マリア・ジョゼ皇太子妃を誘拐するという士気の上がらない異様なものだったのだ。

 しばらくは東部戦線に従軍していたモルス少佐は地中海戦線の戦況に関しては通り一遍のことしか知らなかったのだが、本土と目と鼻の先であるシチリア島の陥落やそれに続くサルディーニャ島の失落などの影響で、ドイツと共に枢軸同盟を結んでいたイタリア国内で政治的な混乱が起こっているらしい。
 これまで対ドイツ関係を重視して国内を主導していたファシスト党の影響力が大きく低下しているというのだ。

 それどころか、事故か事件かは未だ詳細は不明らしいが、ファシスト党統領のムッソリーニはすでに亡くなっているらしかった。


 公式には国際連盟軍の爆撃後の視察中に不発弾の炸裂で命を落としたということだったが、実際にはローマの官邸で事故があったという情報もあった。
 だが、盟友ムッソリーニの死に激怒したらしいヒトラー総統個人はともかく、ドイツにとって一番の関心事はすでにムッソリーニ個人の生死の詳細などではなくなっていた。

 明らかになりつつある枢軸同盟軍の敗勢に対して、イタリア国内が国際連盟軍との講和に傾きつつあることこそが問題だったのだ。
 親国際連盟派であるイタロ・バルボ元帥がファシスト党の党首代行を務めているのは、その象徴だといえるのではないのか。


 講和を強く期待し始めたイタリア国内の世論を受けるように、次第にファシスト党、というよりも親独派であるファシスト党右派と距離を起きつつあるイタリア王室の中で、その最先鋒となっているのがウンベルト皇太子だった。
 現役の海軍中将でもあるウンベルト皇太子は、地中海での海戦で艦隊司令官として戦果を上げており、国民からの人気も高かった。
 当然のことながら軍内に有力な独自の情報源を持つために、前線での同国軍の悲惨な現状を知る立場にある皇太子は、ムッソリーニ体制の転換と国際連盟との講和を図っているらしい。

 だが、先の大戦後に騒乱状態にあったイタリア国内を安定化させるのに功のあったファシスト党に対して、戦局の悪化した現在ならばともかく、当初からウンベルト皇太子が隔意を抱いていたとは考えられなかった。
 ウンベルト皇太子を反ファシストに導いたのは、その妻であるマリア・ジョゼ皇太子妃ではないのか、そのように親衛隊指揮下の国家保安本部では推測していた。

 ベルギー王室の出身であるマリア・ジョゼ皇太子妃は母国を二度も占領に導いたドイツに反感を抱いており、それどころか密かに反ファシストの抵抗運動と接触を図った形跡もあったからだ。
 親衛隊が把握している限りでは、ウンベルト皇太子の交友関係は軍関係者を除くとムッソリーニ統領の女婿であるチアーノ伯やバルボ元帥などの若手ファシスト党幹部が多いようだったからそのように判断したのだろう。


 転属したばかりのモルス少佐達がこの作戦に関わったのは実施段階からだったから詳細は分からなかったが、親衛隊ではマリア・ジョゼ皇太子妃の身柄を抑えることで国民への絶大な影響力を有するウンベルト皇太子を間接的に意のままに操ろうとしていたようだった。
 皇太子本人を拘束するのは難しかった。護衛の数も違うはずだし、軍の要職にある皇太子を白昼堂々誘拐するのは戦力的な意味でも、今後のイタリア軍との関係のためにも出来なかったのだ。

 しかし、マリア・ジョゼ皇太子妃の場合は事情が変わるはずだった。王宮内では警備は厳重なはずだが、戦時においても王族の護衛は軍ではなく内務省や警察の管轄だった。
 しかも地方ならばともかく首都ローマの治安は確保されていたから、警備部隊の戦力は限定されていた。おそらくは重火器を装備した部隊が護衛についているということはないはずだった。
 不用意に周囲の人間を威嚇することのない拳銃を所持する程度の私服警官隊といったところではないのか。

 イタリア国内での隠密行動を余儀なくされる以上、任務の性質上やはりこちらも重火器を携帯することが出来ない第502猟兵大隊であっても各個人が短機関銃程度は持ち込めるから、仮に正面から衝突するとしても軽装備の護衛部隊であれば火力と練度で圧倒できるはずだった。


 作戦ではマリア・ジョゼ皇太子妃が厳重な警備下にある王宮から離れるかどうかだけが問題だったのが、実行部隊であるモルス少佐達が最前線に送られる部隊に紛れ込んで密かにイタリアに入国する頃になって、現地の工作員から気になる情報が入っていた。
 マリア・ジョゼ皇太子妃が頻繁に王宮を離れて密かに外出しているというのである。

 しかし、当初は主に王宮を監視していた工作員は、何度か皇太子妃を見失っていたらしい。
 戦時体制の続くイタリア国内では民間自動車も軍に供出させられるか、供出を免れたとしても燃料不足で稼動状態にないものがほとんどだったから、現地工作員も機動力がなく、皇太子妃一行を尾行する術を持たなかったのだ。

 だが、駐伊大使館に配属されて現地工作員を束ねる親衛隊から出向した駐留武官は粘り強く情報を収集していた。判断材料がないわけではなかった。マリア・ジョゼ皇太子妃が王宮を留守にしていた時間を考えれば、おそらく移動先はローマ市内のはずだった。
 それに移動先で何らかの行動に時間が取られているとすれば、それほど王宮から遠くない中心街の一角なのではないのか。
 そのように推測した現地工作員は、何度かの尾行が失敗に終わった後にようやく皇太子妃の行き先を突き止めていた。


 マリア・ジョゼ皇太子妃の行き先は意外といえば意外なものだった。ローマ官邸街の外れ辺りにあるあまり目立たない建屋が皇太子妃の訪問先だった。
 建屋の外観は皇太子妃が訪れるのにあまりふさわしいとは思えなかったが、建物に合わせるかのように皇太子妃も地味な服装に着替えていたし、護衛か秘書らしき随伴者達も目立たない背広姿だった。
 仮にその建屋そのものを現地工作員たちが監視していたとしても訪問者が皇太子妃とは気が付かない可能性もあったのではないのか。

 その建屋に入居していたのは、政府系ではない独立資本の報道機関だった。新聞社としての歴史はそれなりに長いのだが、大企業の傘下にはないから資本金には乏しく、イタリア全土に展開するほどの企業体力はなかった。
 最近ではむしろラジオ局として知られていたのだが、今次大戦開戦後はそれも不活発になっていた。

 大企業の傘下にあった報道機関などは、労使関係の対立などの経緯からファシスト党を支持する傾向が強かったのだが、独立系の報道機関であるその会社は政府とは一定の距離を保っていたからだ。
 共産党や労働者よりというほどではなかったからこれまでも発禁措置などの法的な措置を取られることはなく、会社としては中立を保っていたつもりなのかもしれないが、戦時下でそのような主張が押し通せるはずもなく、物資不足から発行部数やラジオ波の発振時間などは落ち込んでいたらしい。


 この情勢下でマリア・ジョゼ皇太子妃がそのような落ち目の報道機関と接触しているのにはどのような意味があるのか、親衛隊国家保安本部では判断に迷っていたが、皇太子妃のこれまでの行動などから報道機関がパルチザンへの接触の隠れ蓑ではないのかと結論付けていた。

 今のように枢軸同盟の敗色が濃くなる以前より、親衛隊国家保安本部では一般的な情報収集としてイタリア王室に関する調査を独自におこなっていた。
 その過程で反ナチス思想のつよい皇太子妃が密かに中立国であるスイスなどを通じて同様の思想を持つ抵抗運動に対する資金援助などを行っているのが確認されていた。

 しかし、いくらスイスが中立国とは言え、オーストリアを併合したドイツ、イタリアとヴィシー・フランスが新たに枢軸同盟に加わったことで周囲の国境全てが枢軸国に接するようになってしまった情勢では、他国との連絡もままならないのではないのか。
 正規の外交官の移動などならばともかく、皇太子妃個人による非合法の資金の移動は難しくなっていたはずだ。だからそれに代わる連絡手段の1つとして報道機関を利用しようとしているのではないのか。

 未だ不明な点は少なくなかったが、国家保安本部はマリア・ジョゼ皇太子妃の行動をそのように仮定して作戦を計画していた。
 これまではイタリア王室との衝突を避けるために黙認されていた皇太子妃の反ナチス運動は、むしろ今回の作戦では有利に働いていた。これをその場で親衛隊が拘束する大義名分に出来るからだ。
 その上に、資金源や資金の流れの追跡調査と言い張れば、ある程度イタリア王室による抗議を差し止められるのではないのか。やりすぎると事態が明らかとなってドイツ側の反イタリア世論を強めすぎるかもしれないが、そのあたりは宣伝省がうまく調整するはずだった。


 作戦自体は単純なものだった。皇太子妃の外出時期を予想した上でモルス少佐達襲撃部隊を当該の報道機関が入居する建屋付近で待機させて、皇太子妃が建屋に入る直前に拘束、大使館員が予め周囲に配置していた車両を用いて拘束した皇太子妃ごと部隊は迅速に撤収する予定だった。
 撤収先はとりあえず親衛隊国家保安本部の支部があると共に治外法権が約束されている大使館となるが、イタリア側が強硬策を取ると判断された場合は首都ローマ近郊に駐留するドイツ軍の駐屯地に保護を求める可能性もあった。

 ローマ近郊には重装備の陸軍第3装甲擲弾兵師団に加えて、モルス少佐が先日まで所属していたドイツ空軍の野戦部隊である第2降下猟兵師団やヘルマン・ゲーリング装甲師団まで駐留していた。
 直属の上級司令部である軍団こそばらばらだったが、それらの師団はいずれもイタリア防衛の為に編成された第10軍の指揮下にあった。
 これまでの損害から再編成中の部隊もあったから定数は満たしていないものの、どの師団も重装備を有していたから、万が一イタリア軍が皇太子妃の奪還に実力を行使したとしても対処は可能のはずだった。


 これまでの尾行などから、皇太子妃の護衛にあたる部隊の内容も把握されているはずだった。
 最大でも十人程度の私服護衛官だというから、軍服を隠すために着込んだコートの下に全員が予備弾倉と短機関銃を携行した小隊規模のモルス少佐達であれば、その程度の貧弱な部隊は予定通り火力で圧倒できるはずだった。

 むしろ小隊規模の屈強な男たちを、戦時下にあるために若年男性が消え失せたローマの街頭に違和感なく潜ませるかの方が難点となるはずだったのだ。
 モルス少佐達がこれ見よがしに親衛隊の軍服と大量の火器を明らかにすれば、護衛やマリア・ジョゼ皇太子妃自身も戦意を失うだろうから、襲撃作戦は血を見ることなく終結するのではないのか。
 作戦前にはそのような楽観的な意見が多数を占めるほどだった。


 だが、報道機関の建屋を前にして、モルス少佐は部下たちの手前険しい表情を崩すことができなかったものの、内心では強く困惑していた。予想よりもずっと多い皇太子妃の護衛たちが意外なほど頑丈そうな建屋に篭って弾幕を張っていたからだった。
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