挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
240/268

1943ローマ降下戦2

 ソサボフスキー准将率いる自由ポーランド軍第1空挺旅団の将兵たちを乗せていたのは、奇妙な艦隊だった。護衛につく駆逐艦は1個駆逐隊4隻だけなのに、主隊は10隻もの大型艦が一本の長大な単縦陣を構築していたのだ。
 単縦陣の先頭を航行していたのは、ソサボフスキー准将ら旅団司令部を乗艦させた重巡洋艦だった。

 日本海軍の重巡洋艦鳥海は、同時に艦隊の指揮官である左近允少将を座乗させる艦隊旗艦を兼ねていた。艦隊に就役してから10年が経っているというから最新鋭とは言えないかもしれないが、軍縮条約の制限を最大限に使って建造された有力な戦闘艦であるらしい。
 日本本国から遠く離れたポーランド陸軍の士官であるソサボフスキー准将は詳しくは知らないが、本来は仮想敵である米海軍に対して劣勢な日本海軍が想定していた大規模な夜間戦闘の際に、複数の水雷戦隊を指揮するために指揮中枢としての機能をもたせた艦ということだった。
 素人目からしても艦容に対して巨大過ぎるように感じられる特異な艦橋の設計も、旗艦機能に必要な容積を織り込んだのも原因の一つであったという話だった。


 ただし、左近允少将によれば高雄型重巡洋艦の一隻として就役した当時からすると、鳥海の姿は大きく変化しているらしい。
 これまでの地中海での戦闘によって生じた損害に対する復旧工事で、就役時に5基装備していた8インチ砲の連装砲塔のうち1基を取り外されていたうえに、就役時に備えられていた強力な雷装は完全に撤去されていた。

 また、列強の大型巡洋艦は大規模な艦隊内に組み込まれた際には、主力たる戦艦群や空母部隊の護衛や前衛の他に偵察艦として使用されていた。だから複数の水上機を哨戒線を構築する偵察機として搭載する場合が多かった。
 航空艤装を重視した艦であれば搭載機を荒天などから遮るための格納庫を備えるのも珍しくないし、日本海軍の利根型軽巡洋艦のように水上機の運用に特化した航空巡洋艦とでも呼ぶべき例もあった。
 改装前の鳥海も他の高雄型重巡洋艦と同様に格納庫を備えて4機程度の水上機の運用能力を備えていた。多数の艦隊型駆逐艦を編成に置いたために、強大な攻撃力を誇る一方で索敵能力に劣る水雷戦隊の指揮をとるためにも、そのように高度な哨戒機の運用能力は必要不可欠であったというのだ。

 だが、今の鳥海に搭載されているのは三座の水上偵察機が1機だけだった。それに従来左右舷に1基づつ配置されていた火薬式の射出機も右舷機だけが残されているだけだった。
 格納庫もないから、現在の鳥海の航空機運用能力は搭載機数や射出機の減少数以上に低下しているはずだった。おそらく1機だけ残された水上機も連絡機として運用されることのほうが多いのではないのか。


 このように対艦兵装や航空艤装を減じさせたのは、日本海軍が鳥海に従来の旗艦能力を超えた大規模な艦隊の指揮能力を要求したからだった。
 当時は英国内で訓練期間中だったからソサボフスキー准将は報道された程度のことしか知らないが、昨年度のマルタ島攻防戦において日本海軍が地中海戦線に投入した艦隊で指揮系統の混乱が生じていたらしい。
 日本海軍の半数にもなるという強大な戦力が地中海に投入されていたが、戦艦、空母に水雷戦隊と幾多にも別れた戦闘部隊を単一の艦隊司令部が統一して指揮をとるにのは無理があったというのだ。

 そこで、先頃のシチリア島への上陸作戦前に行われた組織変更で、日本海軍は中間結節点となる分艦隊司令部を新規に編成するとともに、従来の第1航空艦隊司令部の機能強化を図っていた。そのために人員、機材が増大した司令部を収納するために鳥海が損害復旧工事を利用して改装されたと聞いていた。
 鳥海から取り外された主砲塔や魚雷発射管、航空艤装が配置されていた空間には司令部要員を収容するための甲板室が増設されると共に、艦隊指揮をとるために通信機能の強化も図られていた。

 単に司令部要員や機材を搭載するだけであれば、貴重な大型戦闘艦を一隻流用しなくとも大型の貨客船などを転用すれば済む話だった。実際に日本海軍でも一万トン級の貨客船を改装した指揮艦を保有していた。
 ただし、そうした商船改造の指揮艦には機動性が欠けていた。それに貨客船を原型としているから隔壁の少ない商船構造の上に応急工作員の数も少ないから生存性に問題があるらしい。

 だから商船改造の指揮艦が機動力の要求されない揚陸部隊の旗艦として運用される一方で、場合によっては高速の空母部隊に随伴することもある艦隊指揮艦には巡洋艦原型のものが選ばれていたのだろう。
 鳥海は、先のシチリア島上陸戦における損害のためにアレキサンドリアで工作艦による復旧工事を必要としたため艦隊旗艦からは外されていたが、その代わりに艦隊旗艦に指定されたのも、元々潜水艦隊の指揮をとるため建造時から旗艦能力を強化されていた軽巡洋艦であるともソサボフスキー准将は聞いていた。


 鳥海固有の乗員の中には戦闘能力を減じてそのような指揮艦となった姿を悲観するものもいるらしいが、部外者であるソサボフスキー准将には理解できなかった。
 確かに現在の鳥海は敵戦艦をも撃沈できるような強大な打撃力はなくなっているかもしれなかった。ただし、改装工事は兵装を取り外されただけではなかった。一部の対空兵装などは逆に強化されていたのだ。

 地中海戦線では、日本海軍が太平洋で行われると想定していたような、離れた海域から多数の哨戒線を構築してお互いの位置を探り合う空母機動部隊による航空決戦が行われる可能性はなかった。
 それに最近の航空技術の発展により巨大なフロートの必要な水上機と、空母搭載機などの陸上機形式の機体との性能差も増大していたから、利根型軽巡洋艦のような航空巡洋艦は搭載機を次第に航続距離は短いものの使い勝手の良い回転翼機に転換しつつあった。

 鳥海の改装も、そのような戦場や戦策の変更に伴うものだとすれば不自然なものではないのではないのか。
 それに、指揮艦とするために甲板室を拡大して収容人数を拡大していなければ、また艦隊への復帰と新たな作戦の開始時期が重ならなければソサボフスキー准将が鳥海に乗艦することもなかったはずだった。
 あるいは、国際連盟軍が前線で運用可能な輸送機数の制限から作戦参加そのものすら危ぶまれていた第1空挺旅団に出番すら無かったかもしれなかったのだ。


 その重巡洋艦鳥海は、左近允少将指揮下の強襲分艦隊の旗艦に指定されていた。ソサボフスキー准将らの旅団司令部要員を乗艦させた上で、分艦隊司令部を収容可能な能力を有していたからだ。
 もっとも、その勇ましい呼称に反して強襲分艦隊の戦力はそれほど大きくはなかった。だから分艦隊司令部の規模も一万人弱の将兵を有する第1空挺旅団の司令部よりも格段に小さかった。
 分艦隊司令部は日本海軍の将兵で構成されていたものの、分艦隊主隊の半数は英国海軍艦で、司令部にも英国海軍から連絡士官が派遣されていた。

 司令部の規模は小さかったものの、鳥海に続航する強襲分艦隊主隊は大型艦ばかりで構成されていた。特に鳥海から主隊の半ばあたりまでの日本海軍艦はいずれも基準排水量で一万トン級の軍用艦だった。
 後続する英国海軍の艦艇はそれよりも格段に小さく、特に殿艦の艦型は小さかったが、それでも軍縮条約外の欧州圏の海軍が有する軽巡洋艦に準じた大型駆逐艦と同程度の排水量はありそうだった。
 艦隊には非武装の商船や、上陸部隊の移送に特化した輸送艦は含まれておらず、特に先頭を行く鳥海から月明かりで確認する限りではソサボフスキー准将の目にはいずれの艦も重武装の戦闘艦のようにしか見えなかった。

 その一方で、主隊の単縦陣に組み込まれずに護衛隊として警戒にあたっている駆逐艦の数は少なかった。
 しかも強襲分艦隊に配属された駆逐隊は、日本海軍の地中海方面の主力である第1航空艦隊に配属されている大型高速の艦隊型駆逐艦ではなく、船団や空母部隊の護衛などに多用されている小型の松型駆逐艦で編成されていた。
 松型駆逐艦には大口径長射程の魚雷も搭載されているから、対艦攻撃が不可能というわけではなく、実際に艦隊型駆逐艦として運用されている場合もあるようだが、水雷戦に特化した従来型の駆逐艦に比べれば魚雷発射管の搭載数が少なく、また量産性を重要視して選定された機関の出力も小さいから、純然たる艦隊型駆逐艦に比べれば戦闘力は低かった。


 そのように強襲分艦隊は駆逐艦の数は少ないものの、一見すると10隻を超える巡洋艦級の戦闘艦で構成された有力な水上戦闘艦隊だった。
 少なくとも海軍にはそれほど詳しくないソサボフスキー准将のような人間が夜間に見る限りではそうとしか見えなかったはずだ。
 それに艦隊は今も15ノットを超える高速で航行を続けていた。この速度は日英両海軍の艦隊基準速度に等しかったから、戦闘艦隊と判断されるはずだった。

 ただし、強襲分艦隊は外観に反して戦闘能力はそれほど高くはなかった。元々の分艦隊編成の目的が水上戦闘ではなく、ソサボフスキー准将ら陸軍将兵の輸送であったからだ。
 実のところ、艦体主力を成す日本海軍の大型艦のうち、純粋な戦闘艦と言えるのは鳥海の他はそれに続く重巡洋艦足柄だけだった。足柄の後に続航する第11、12両航空戦隊を構成する4隻は水上機母艦だったからだ。

 日本海軍は水上機の運用を重要視しており、大型貨客船を徴用した特設水上機母艦を戦時に整備するのと並行して、軍艦構造で高速の水上機母艦を建造していた。
 千歳型以降の水上機母艦は、飛行艇母艦の秋津島型を除けばいずれも他国海軍で運用しているような低速ながら母艦機能を重視した艦ではなく、艦隊に随伴する為か高速かつ一見すると巡洋艦と見紛うような重兵装を有していた。

 新鋭艦であれば実際に軽巡洋艦の備砲に匹敵する14センチ砲を搭載していたし、他の艦も対空砲とはいえ複数の連装砲塔を背負式に装備していたから、重巡洋艦に続航した場合は実際よりも大口径砲を搭載しているように誤認される場合もあるのではないのか。
 艦隊に編入された日本海軍の水上機母艦は、いずれも前甲板の備砲群に続いて重厚な艦橋構造物が配置されており、その直後からは煙突や機銃甲板の他は航空機格納庫や射出機と言った航空艤装が集中して設置されていた。
 このような艤装方式は、日本海軍の利根型軽巡洋艦にも準じたものだった。いわば航空艤装よりも自艦の戦闘能力を優先したものが航空巡洋艦とも言うべき利根型であり、逆に航空艤装を重視したのが日本海軍の一連の高速水上機母艦だったのではないのか。


 もっとも地中海方面の戦闘では、これまで日本海軍の高速水上機母艦が実際に水上機を運用した例はあまりないらしい。
 昨年度のマルタ島攻防戦においては、水上機母艦や空母部隊支援用の高速油槽艦と水雷戦隊から抽出した護衛艦艇を加えた高速輸送艦隊が編成されていたが、その際に輸送艦隊を構成する水上機母艦が零式艦上戦闘機の水上機型を運用した事があったらしい。
 しかし、その際も母艦である日進に搭載された水上機は定数に遥かに満たない数しか搭載していなかったようだった。

 マルタ島攻防戦の頃には、本来水上機やその運用に必要な消耗材を搭載する格納庫には、それに代わってマルタ島に輸送するための物資や弾薬等が搭載されていた。
 商船を徴用した鈍足の輸送船では枢軸軍に包囲されたマルタ島までたどり着くのは困難であったために、航空機材の緊急輸送のために搭載量は少なくとも格段に高速で巡航できるために水上機母艦が投入されたのだろう。

 高速輸送艦としてみた場合、一万トン級の高速水上機母艦は魅力的な存在だった。本来艦隊に随伴するために計画された艦だから通常の商船を遥かに超える戦闘艦並の速度を保ったまま長時間航行することが可能だったからだ。
 広大な貨物室を持つ純粋な輸送船に比べれば物資や機材の搭載量は少なかったが、水上機を運用するための重量物吊り上げ用のクレーンなども備えられていたから、自力で積載可能な軽戦車や野砲程度であれば相当量の輸送も可能だった。


 日本海軍がこのように水上機母艦を高速輸送艦に転用していたのに対して、英国海軍ではやはり戦闘艦並の高速力と搭載量を併せ持つ敷設巡洋艦をしばしば高速輸送艦として運用していた。
 敷設巡洋艦は、制海権のある自軍の根拠地などに侵入防止用の機雷原などを構築する防衛用の敷設艦ではなく、敵国領海内での強行敷設を強行する艦だった。

 そのような攻勢機雷戦を実施するために、敷設巡洋艦は敵警戒艦艇による哨戒網を突破できる程度の砲力と速力、それに貨物庫に転用可能な大容量の機雷庫を有していたのだ。
 今回の強襲分艦隊の編成にもこの敷設巡洋艦が含まれていた。主隊の後半を占める英国艦隊は、ダイドー級かアリシューザ級に類別される軽巡洋艦4隻と敷設巡洋艦アプディールで構成されていたのだ。

 つまり、強襲分艦隊は強力な巡洋艦艦隊のように見えるものの、実際には主隊の半数は自衛火力程度しか持たない補助艦艇で構成された特異な編成だったのだ。
高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cachokai1943.html
松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ