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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943謀略、大連―ベルリン6

 帆崎達を乗せた古い乗用車が停車していたのは、小規模な漁港のようだった。
 ただし、現在は使用されていないらしく、桟橋に係留されている漁船の姿は見えなかった。付随する船台もあったが、能力はさほど高いようには見えなかった。
 桟橋の寸法からするとここを母港とする漁船の数は多くはないはずだし、100トンを超えるような本格的な遠洋型の魚船もなかったはずだ。だから船台も簡単な修繕や塗装が可能な程度のものだったのではないのか。
 規模や施設の程度から言っても、近代的な漁港というよりもは前時代的な船溜まりとでも言うべき港のようだった。

 だが、漁港の桟橋には漁船が係留される代わりに鉄骨などの建設資材らしいものが積み上げられていた。人気の無さや係留される漁船が見当たらないことと、そのような様子を考慮すると、この漁港はすでに放棄されたもののようだった。
 ただし、船台などの様子からすると最近までは稼動状態にあったことは間違いなかった。放棄されたのは精々数年前といったところではないのか。

 おそらく、ここも以前は漁港として使用されていたのだろう。関東州の規模からして、大規模な大連港の他にも現地の漁民が使用する小規模な漁港がいくつかあってもおかしくなかった。
 だが、大連港や満州鉄道の整備に伴う市街地の拡充に伴って、この漁港周辺も宅地に飲み込まれることとなった。そこで、何処か別の場所に漁港機能を移転して、宅地に転用しようとしているのではないのか。
 あるいは、転用用途は大連港に付随する曳船の基地などかもしれなかった。手狭になった本港から追い出された曳船を停泊させるには、大連の市街地を挟んで本港と反対側に位置するこの漁港は手頃な位置にあるのではないのか。

 何れにせよ、この港は漁港としては廃港とはなったが、新たな用途への転用途中にあるようだった。人気がないのはそのせいではないのか。
 つまりは人知れず誰かを始末しようとするには、これ程おあつらえ向きな場所は無さそうだった。そのことに気がついた帆崎は顔を青ざめさせていた。


 大連日報の村山と名乗っていた男は、それまでの温厚な態度をかなぐり捨てた冷徹な表情で車外から拳銃を帆崎に突き出して降りるように命じていた。
 帆崎は、咄嗟に懐に隠し持っていた拳銃に手を向けたが、それよりも早く助手席と運転席の狭い隙間からぬっと無造作に突き出された孔飛上尉の左手が懐に伸ばされた手を掴んでいた。
 あまり太い腕ではないように見えたが、帆崎の腕を掴む力は強く、万力で締め上げられたかのように動かすことが出来なかった。
 帆崎が悲鳴を上げて懐の拳銃を取り落とすよりも早く、席の間を縫うようにして伸ばされた孔飛上尉の残された右手が手早く懐を探って拳銃を取り上げていた。

 為す術もなく拳銃を奪い取られた帆崎は、締め上げられた腕の痛みに悲鳴を上げながら慌てて乗用車から飛び出していた。
 村山が落ち着いた様子で拳銃の銃口を帆崎に合わせ続けている中、孔飛上尉は助手席から拳銃を調べながらゆっくりと降りて、剣呑な表情に似合わないのんびりとした口調でいった。
「32口径のブローニングか。悪い銃ではないが、所詮騙し討にしか使えん銃だ」
 そう言いながら助手席に帆崎の拳銃を放り投げると、何気ない様子で孔飛上尉は背広の背中に手を回していた。そして次の瞬間には、まるで魔法のように、帆崎に向けて伸ばされた彼の右手に恐ろしく大型の拳銃が収まっていた。
 背広とシャツの間のほんの僅かな隙間に隠されていた大型拳銃は、満州の馬賊が愛用していたモーゼル拳銃だった。
 銃口の寸法は帆崎が取り上げられたベルギー製の小型拳銃と大して変わらないように見えたが、薬莢の寸法は桁違いなのか銃把の先に無造作に取り付けられたように見える弾倉は恐ろしく大きかった。
 それに拳銃と言いながらも馬賊が騎銃代わりに使用することも多いから、全自動射撃も可能な型まであったはずだ。

 ―――冗談じゃない。こんな大砲のような拳銃で撃たれてたまるものか
 帆崎は慌てて両手を上げながら抗議の声を上げた。

「その拳銃は護身用として購入したものだ。許可証もちゃんと携帯している。確認してくれればわかる」
 嘘ではなかった。日本国内で暗殺を指示したコミンテルンの工作員と接触した際に、偽造した許可証も拳銃と共に渡されていたのだ。

 そのように言いながも帆崎は、ゆっくりと背広の内ポケットに万が一の為に入れておいた拳銃の携帯許可証を出していた。
 偽造されたの許可証とは言え、素人の帆崎が見る限りでは怪しい所はなかった。おそらく、コミンテルン内部の偽造工作の専門家が製作したのだろう。
 少なくともたとえ相手が専門家であったとしても、本物かどうか躊躇する程度の精度はあるのではないのか。

 帆崎はそう考えていたのだが、孔飛上尉はつまらなそうな顔で左手で許可証を奪い取ると、一瞥もせずに片手で丸めて地面に放り投げていた。
「悪いが日本語は話せるが読めん。興味もない。どうせ偽造だ」


 ―――駄目だ。この馬賊野郎は脳味噌まで筋肉で出来ているのか。まるで相手にならん。
 そう考えると、帆崎は視線を孔飛上尉よりもは冷静そうに見える村山に向けた。彼が投げかける冷ややかな視線に一瞬怯んだが、勢い良く言葉を連ねていた。
「見るものが見ればわかる。証明書は本物だ」
 暗に孔飛上尉では見てもわからないだろうという皮肉を込めていったつもりだった。そのことに気がついたのか、孔飛上尉は眉をしかめたが、何も言わずに帆崎が言うに任せていた。

 帆崎は無言で自分を見つめる村山の視線にたじろぎながらも続けた。これが切り札のつもりだった。
「何が気に入らんのか分からんが、私は今でこそ毎朝新聞の記者だが、前総理大臣の近衛公爵にお使えしていたのだぞ。私を害せば近衛公も黙ってはいないぞ……」
 帆崎が言っている間に、ほんの僅かに村山の冷徹そうな表情が崩れていた。この男たちは自分と近衛前総理との関係を知らなかったのか、そう考えて帆崎は内心でほくそ笑みかけたが、次の瞬間表情を隠しきれずに眉をしかめる事となった。
 予想と違って、村山は表情を崩したものの、憐憫の浮かんだ眼差しでこちらを見ていたからだ。


「どうも勘違いしておられるようだが、私は強盗ではありません。大連日報の記者でもありませんが……おそらく、客人が乗り込んだ船が予定より遅れて入港すると聞いていたはずの本物の大連日報の記者さんは、今頃行方不明になった貴方を探して大連港を右往左往しているでしょう。
 故あって組織も私も名前は名乗れませんが、れっきとした大日本帝国の機関ですよ」
 油断なく銃を構えながらも、村山は丁寧な口調でいった。

 帆崎は眉をしかめたまま何かを釈明じみたことを言おうとしたが、村山の次の言葉を聞くと、愕然として言葉を失っていた。
「実は貴方のことは以前から捜査対象だったんですよ。8年前の防共協定が不成立に終わった時も貴方がコミンテルンに文章を渡したのでしょう。そうでなければソ連がああも的確に動けるはずはありませんからね。
 もっとも、個人的な意見を言わせてもらえれば、あの時点で日独がソ連を対象とした協定を締結する意味など、少なくとも我が帝国には存在しなかったのではないのか。
 ソ連を対象としながら、英国、シベリア―ロシア帝国が参加しないのではドイツだけが得をするだけですからね。あの時はドイツ国防軍情報部のカナリス提督にやられかけましたよ。
 だから、防共協定が流産したのは貴方のおかげだったとなれば、我々は貴方にむしろ感謝すべきなのかもしれませんな。
 そうそう、この件で、というわけではありませんが。近衛前総理から貴方によろしくと……」

 帆崎は呆然とした表情を村山に向けていた。まさかそんなに以前から自分の正体が知られているとは思わなかったからだ。
 それに、この男の言葉が正しいとすれば、自分の正体を知った上で日本政府にとって都合のいい情報を怪しまれずにソ連に送るために都合よく利用されていたということになるのではないのか。
 もしそうだとすれば、これまで自分がやってきたことには何の意味があったのか、それが分からなくなって自分を見失っていた。
「馬鹿な、近衛公もそのことをご存知だったというのか……」
 帆崎は自然とそう口にしていたが、それを興味深げに聞きながら村山はいつの間にか資材の影から音もなく現れた男たちにいった。
「連れて行け……あくまで丁重に、な」


 黒服姿の屈強な男に両脇を抱えられて何処かへ連行されて行く帆崎の後ろ姿を見つめながら、孔飛上尉はつまらなそうな声でいった。
「どうせ周りは再開発地域とやらで真っ当な住民なんて殆ど立ち退いて新市街の方に言ってしまったんだろう。それなら銃声を聞かれても何ということはないんだから、後腐れなくこの場で撃ち殺してしまっても良かったんじゃないのか、少佐殿」
 大連日報の村山と名乗っていた海軍警務隊の市川少佐は、じろりと孔飛上尉を見てからいった。
「君らは間諜を簡単に殺しすぎる。正体の露見した間諜など脅威ではない。場合によっては転向させて偽情報を流すのにも使えるし、相手にこちらの防諜体制を明らかにさせるような事はしたくないからな。何のために我々が乗り合いタクシーの乗員に見せかけるように偽装工作までしたのか考えてくれ」

 市川少佐に睨まれた孔飛上尉は、苦笑しながら着慣れた様子のない背広をひらひらとさせていた。
「車はともかくこの胡散臭い背広はどうにかならなかったのかね。本当にこんなので出稼ぎの漢人に見えるのか。まぁ辻褄さえあっていればあんたらならどうにか出来るんだろうがな。この大連で海軍に睨まれて商売が続けられると考えているやつは余程の馬鹿だけだろうからな」
 楽天的な台詞を吐く孔飛上尉を横目で見ながら、市川少佐はため息を付いていた。

「それで、本当に日本の前総理はあの男の正体まで承知していたのか。あの総理は殿様なんだろう。そんな腹芸まで出来るとは思えんが……」
 今度は市川少佐が苦笑していた。
「詳細は私も聞かされていないが、おそらく近衛公は知らないだろう。あそこまで喋ったのは反応が見たかったからと、最初に彼の反抗心を削ぐためだよ」
 それ以上は同盟国とはいえ他国の武官である孔飛上尉には言えなかったが、実際には帆崎がコミンテルンの間諜だと判明したのはそれほど前のことではなかった。

 それに、海軍関係者の誰かから聞きつけてきた山本総理による強引な介入がなければ、軍事情報に関する防諜を担当する海軍警務隊や陸軍憲兵隊ではなく、内務省管轄で共産党を取り締まっていた特別高等警察がもっと早く帆崎の逮捕に踏み切っていたのではないのか。
 おそらくは山本総理は、いずれ帆崎を謀略に利用して欺瞞情報を積極的に送れるのではないのかと一昔前の陸軍軍人のような事を考えていたのだろうが、監視中にコミンテルンの工作員から銃を受け取ったことや、直後の大連行きから暗殺計画を察知した為に事前計画のない警務隊による慌ただしい拘束を行わざるを得なかったのだ。


 実際には、そのように帆崎が厳重な監視対象となったのは、彼自身の行動が原因ではなかった。先程市川少佐がいった防共協定に関する情報の漏洩も、後から企画院によって行われた分析結果から推測されたものであり、今のところ確たる証拠はなかった。
 防共協定が現実化しようとしていた時期は帆崎は公安組織の監視対象とはなっていなかったからだ。

 その頃は市川少佐も別の部署にいたために詳細は知らないが、元々帆崎が監視対象となったのは、彼自身に疑惑の目が向いていたためではなく、別の監視対象と一時期頻繁に接触していたためらしい。
 ドイツ系のその男は、シベリア―ロシア帝国内ですでに拘束されたらしいが、さらにその男が監視対象となったのも警務隊、憲兵隊や特別高等警察による捜査によるものではなく、同盟国英国からの通報によるものであったらしい。

 10年ほど前に上海租界でコミンテルンの指示で情報収集や、国民党との内戦において中国共産党の支援を行っていたそのドイツ系の男を、現地の租界工部局警察に派遣されていた英国秘密情報部の機関員が捜査していたという話だった。
 おそらくは上海を離れて日本に入国していたその男の存在を英国が通報していなければ、帆崎がこの場で拘束されることもなかったのではないのか。


 市川少佐は慌てて立てられた計画通りに事が進んだことに安堵のため息を付いたが、孔飛上尉の次の一言で眉をしかめていた。
「それはどうでもいいが、あの男がうちの団長を狙ったのは確かだ。少佐殿達がそれを事前に防いでくれたのには感謝するが、暗殺者が日本人で、しかもそいつを殺さずに捕まえたのに俺達が手を貸したのも確かだろう。
 日本軍はこの礼はちゃんとしてくれるんだろ。戦地では三式戦車のもう1個中隊も欲しいところなんだがな」
 にやにやと笑みを見せながらそういう孔飛上尉に、思わず市川少佐は空を仰いでいた。山本総理の始めた些細な火遊びは、どうやら高く付きそうだった。
三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html
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