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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943謀略、大連―ベルリン4

 帆崎が勤める毎朝新聞と提携を結んでいる大連日報は、その名の通り遼東半島先端の日本帝国の租借地である関東州で発行されている地方紙だった。
 関東州で暮らす人間の九割は以前から現地に住んでいたものや、貿易港として賑わう大連港に仕事を求めてやってきた満州人だったが、それでも関東州の人口は百万を超えていたから、その一割の十万人の日本人だけでも本土の地方都市程度の人口はあったから、本土との距離感を考えれば独立した地方紙が読者数の面からも成立する余地は十分にあるのだろう。

 もっとも、逆に考えれば地方都市程度の人口にしか需要が存在しないのだから、関東州や隣接する満州共和国の外まで記者を常駐させるほどの企業体力はないから、そういった地域以外の記事は提携する毎朝新聞から提供されたものがほとんどだった。
 その代わり現地の報道には強いのだから、このように関東州内で事件が起こったような場合には提携先の記者に便宜を図ることもあった。
 もっとも、大連の貿易港という条件から普段記事になるのは経済面の方が多いから、政治記者である帆崎はあまり大連日報の人間と面識はなかった。

 村山と名乗った大連日報の記者は、如才無く自然な様子で帆崎から荷物を受け取ると案内するように先に立って大連港の旅客桟橋にある待合から外に出ていった。
 懐の拳銃を意識しながら、帆崎は慌ててそれについていった。


 待合の外はけたたましい様子で現地人達がタクシーの客引きをしていたが、村山はしつこい客引き達をするりと避けながら、帆崎に振り返って曖昧な笑みを浮かべていた。
 そのような余裕のある様子に、なんとなく帆崎も対抗心を抱いていた。上海ではまだ乗用車を使用する乗り合いタクシーではなく、人力車が主力だったが客引きの様子に変わりはないようだったからだ。

 大陸の大都市では見慣れた光景だったが、慣れない者では客引きから簡単に逃れるのは難しかった。
 帆崎の後ろにも何人かの日本人がいたようだが、彼らは例外なく愛想良い笑いを浮かべながらも冷やかな目をした客引きに捕まっていた。

 だが、そのような帆崎の子供じみた張り合いなど気がついた様子もなく、村山はさっさと桟橋の端にあった駐車場に移動していた。
 最近では本土でも裕福な家庭ならば自家用車を保有するのは珍しくないし、建国以後は満州共和国では特に新京周辺などでは道路の舗装工事などが多いと聞いていたから、社用車が待っていることにはそれほど違和感はなかった。


 予想通り、待合近くの喧騒を避けるように駐車場の端に駐車していたのはくたびれた乗用車だった。ボンネット方式に車体前部に備えられたエンジン室は大きかったが、それほど大出力の機関が備わっているとは思えなかった。
 単に旧式で効率の悪いエンジンや補機を搭載していたためにエンジン室全体が巨大化してしまっているのだろう。

 一通りの整備はされているようだが、状態があまりいいとは思えなかった。車体同様に設計からして古臭そうな車輪も幅の狭いものだから路外走行能力は低そうだった。
 この車はおそらく整備された関東州内の市街地での走行に限って運用しているのだろう。それだけを見れば、待合の外で客引きをしていた乗り合いタクシーと大差ない仕様の車だった。


 帆崎にとって予想外だったのは、乗用車にもたれ掛かるようにして一人の男が待っていたことだった。嗅ぎタバコの容器を懐に収めながら糸のように細い目で帆崎達を値踏みするように見ている男は、堅気の人間のようには思えないほど剣呑な雰囲気をもっていた。
 ―――この男はモンゴル人……なのか。
 服装は待合の外にいた運転手を兼ねる乗り合いタクシーの客引きと一見すれば変わらないようだったが、男の雰囲気は鋭く、出稼ぎの漢人や地元の満州人のようには見えなかった。

 荷物を乗用車の後部座席に放り込んだ村山は、相変わらずの愛想笑いを帆崎ともう一人の男に均等に向けながら言った。
「紹介が遅れました。騒ぎになるのも嫌だというので私服に着替えてもらいましたが、こちら満州軍の広報士官で孔飛上尉です」
 慌てて帆崎は値踏みをしていた男、満州共和国軍の孔飛上尉に頭を下げていた。


 この時期、民族としてのモンゴル人の居住地域は、シベリア―ロシア帝国領のバイカル湖東南岸付近で暮らすブリヤート族などの少数民族を除けば、清朝の区分で外蒙古と内蒙古、彼ら自身の言葉で言えば北モンゴルと南モンゴルに大きく二分されていた。
 この内、北モンゴルは清朝の崩壊やロシア革命といった動乱の隙を突いた民族主義者によってソ連の支援を受けるモンゴル人民共和国として独立国家となっていた。

 その一方で、前世紀と今世紀の境目の頃から漢人の入植が盛んに行われていた南モンゴルは、モンゴル人以外の人口比率が無視できないほど高かったことや、周囲の大国との力関係などといった複雑な事情から単純にモンゴル人民共和国に合併とは至らなかった。
 中華民国領内の多民族地域となっていた南モンゴルは、モンゴル人民共和国と隣接する北方の国境付近から侵入を図る共産主義者による実質上の支配と、満州共和国の成立によって中華民国中央政府の国府党の支配下から逃れて、この二勢力に更に分断されてしまっていた。


 この3つに分かれたモンゴル人居住地域の内、最も政治的な権限が大きかったのは満州共和国領内の南モンゴル東部領域だった。
 奉天軍閥という突出した軍事力によって成立した満州共和国は、軍閥への反発を恐れたために建前上とは言え多民族の協和を掲げざるを得なかったためだ。
 それに、大規模な軍閥だけではなく、満州共和国軍の母体となった組織の中にはモンゴル人の参加が少なくない馬賊もあったから、現在も国軍に軍人として残留したモンゴル人も多かった。

 満州共和国軍軍政部長の馬占山将軍も馬賊上がりだったから、かつて精悍な騎兵として大陸を暴れまわったモンゴル人を高く評価していたようだった。
 満州共和国に編入された南モンゴル東部は、軍事力や外交といった国家の専権事項を除けば高度な自治権を与えられていたし、現地のモンゴル人が強く要求していた漢人などの入植中止も、満州人たちにも同感であったのか、都市部での出稼ぎ労働者を除いて禁止する政策が出されていた。


 敵対する国家にとっては意外なことに、主敵であるシベリア―ロシア帝国への対抗政策からソ連を構成する共和国となって半独立国家とはなってはいたが、モンゴル人民共和国内の待遇もそれほど悪いものではないらしかった。
 こちらもシベリア―ロシア帝国などへの宣伝のために現地民の優遇が図られていたからだ。

 国内には強大なソ連軍が駐留していたが、一般国民との接触は制限されているらしい。それに、構成共和国の一つとなったことでモンゴル人がソ連軍に志願するのも可能となっていた。
 実際にはそれまでの教育課程の違いなどから難しかったが、モンゴル人が赤軍士官学校に入学して正規軍の士官となる道も存在していたし、駐留するソ連軍士官の間では、剽悍な戦士となる素質の強いモンゴル人を下士官や兵卒として部下にするのが一種の流行りとなっていた。

 ロシア人の多くが遊牧民族であるモンゴル人達を遅れた野蛮人として見下しているのも事実だったが、その一方で何百年も前にタタールのくびきとして知られるモンゴル人の支配を受けたロシア人が彼らを畏れ敬う感覚を有しているのもまた1つの側面だった。

 それに、最前線であるモンゴル領内の安定を図らなければならないソ連はかなりの融和策でモンゴル人に臨んでいた。
 都市部から日常的に離れた遊牧などの伝統的な生活も認めていたし、国是に反してチベット仏教と密接な関係を持つモンゴル領内の仏教も表向きは否定しつつも実際には黙認しているのが現実だった。


 その一方で、ソ連の支援を受けた共産主義者が実効支配する南モンゴル西部は、先住民族であるモンゴル人にとって悲惨な状態になっていた。共産党員の大半は中華民国で最大人口を誇る漢民族であり、彼らはロシア人と違って辺境に暮らすモンゴル族の伝統など一顧だにしなかったからだ。
 モンゴル人民共和国をソ連の構成共和国としたロシア人は、遊牧民としての草原の生活を捨てること無く都市に定住する暮らしを忌避するモンゴル人が、工場労働者に殆ど応募してこないために一向に進まない現地の重工業化に匙を投げかけていたが、南モンゴル西部では事情は全く異なっていた。
 国土がシベリア―ロシア帝国と分断されてしまったために、同時に人口も二分されてしまったソ連は、高度な技術力を持つロシア人を全土に展開させることは出来ずに統治政策において安価な現地労働者の存在を必要としていたのだが、基本的に過剰人口を抱える漢民族は事情が異なっていた。

 清朝期にはすでに農業技術の飛躍などから漢民族の人口爆発が起こっており、中原に溢れた漢民族は新たな農耕地を求めて周辺領域に植民を図っていた。
 あるいは、満州共和国の建国理由の一つも、前世紀末ごろからそれまでの規制を掻い潜って始められた満州への漢民族による植民に反感を抱く現地満州族の反発が根底にあったのかもしれなかった。
 そして、満州への植民と同時期、それよりも大規模に南モンゴルへも漢民族の植民が実施されていた。


 漢民族はロシア人よりも色濃く文明人である自らが辺境の野蛮人であるモンゴル人を啓蒙するという意識を抱いていた。
 彼らにしてみれば、自分たちが持つ高度な農耕技術に比べて、遊牧という生産効率の悪い生活をする無知なモンゴル人達は、簡単な開拓で確かな収穫を約束する畑へと生まれ変わる広大な荒地を放置していると考えていたのだ。
 そのような独善的な考えによって、南モンゴルに広がる草原は次々と開梱されて畑に作り変えられていた。

 だが、生産量の面から言っても強引な手法で開拓された農地は成功とは言いがたかった。というよりも、漢民族発祥の地である中原と比べて降水量の少ないモンゴル平原で同様の農業を行っても安定した収穫を行うことなど不可能だったのはないのか。
 結果的に漢民族による開拓は、強引で短期的な開梱と収穫の連続によって土地の栄養分を使い果たしては次の開拓地に移るという不効率なものとなっていた。

 悪いことに、この時点で南モンゴル西部を実効支配する共産主義者には強引でも農地を増大させて、食料生産量を拡大しなければならない大義名分が存在していた。
 ソ連からの支援を受けて中華民国の北方領域に聖域を築いた共産党勢力だったが、それは同時に中華民国の全域で遊撃戦を行っていた戦闘部隊が一箇所に集結した事を意味していた。
 だからこの地域に膨大な人口が集中したものだから、弾薬などはともかくモンゴル人民共和国経由の支援だけでは食料が不足していたのだ。


 しかし、理由はどうであれ強引な漢民族の大量入植は現地で暮らすモンゴル人達に反感を抱かせていた。モンゴル平原に広がる草原は、彼らモンゴル族にしてみれば単なる荒地などでは無かったのだ。
 確かに、モンゴル平原の多くは継続的な収穫を行う農地には適していない一見して荒れ果てた土地だった。しかし、草原は植生を途切らせることはなかった。ただし、一度で食べ尽くしてしまわなければ。

 古来からこの険しい自然と共生して家畜となる羊を追い立てながらこの地で暮らしていたモンゴル人は、そのことを深く理解していたのではないのか。
 交易などの拠点となる都市を除けば、彼らは決して定点に留まろうとしなかった。羊たちが草を喰い付くして、その土地の栄養分を根こそぎ奪い取る前に次の土地へと移動するのだ。
 そして、遊牧民が去っていった土地は残された栄養分を元にゆっくりと回復して草原の姿を取り戻し、次に彼らが羊たちと共に訪れる時を待ち続けるのだ。

 農耕民である漢民族は、そのようなモンゴル人のやり方を土地を有効活用しない愚かな行為と決めつけていたが、実際にはそのように定地に在住する農耕では栄養分を使い果たしてしまうモンゴル平原で、継続的な人の暮らしを営むことが出来るやり方が、遊牧という生活方式だったのだ。
 そのようなことを知らずに、また満州共和国で行われているような地道で最新技術を導入した土地の改良もなしに、これまでの中原と同じやり方で開拓を強引に行ったものだから、南モンゴル西部の一部ではすでに土地から栄養分が全て抜け落ちて砂漠化が起こり始めているらしかった。


 このようなやり方に反感を覚えていたのは現地の遊牧民だけではなかった。
 モンゴル人民共和国の成立を受けて、南モンゴルにも内モンゴル人民革命党などの革命政党が誕生していた。離散集合しながらもモンゴル人の民族自決や社会主義革命を提唱するモンゴル人社会主義者は大きな勢力に成長しようとしていた。

 そして、その中から選ばれた青年主導者の中にはコミンテルンの援助を受けて共産主義の総本山たるソ連に留学するものも少なくなかった。
 草原から出た彼らは、モスクワで共産主義に限らずに武力革命に必要な戦闘技能、最新の軍事戦略などの教育を受けてモンゴル人民共和国と連結する南モンゴル西部の共産主義勢力の最前線で指揮官となることを期待されていたのだ。


 だが、エリート教育を受けて意気揚々と故郷に帰還した彼らが見たのは、満州共和国の建国による影響を受けた国民党政権の戦線整理に対抗するために戦力を集中させていた漢民族の共産主義者だった。
 あとからこの土地に来たのにも関わらず、数の多い彼らは中華民国内の共産主義勢力の主力であり、ソ連からの支援も彼らに集中していた。

 帆崎には彼らが何を考えたのかは分からなかった。分かりたくもなかった。
 彼ら、ソ連で軍事教育を受けた筋金入りの共産主義者であったはずのモンゴル人革命家達は、部下となるはずだった故郷の現地民を引き連れて、反共主義国家である満州共和国へ集団亡命していたからだった。
 満州共和国軍が欧州に送り込もうとしている第10独立混成師団は、そのような亡命モンゴル人を中核とした部隊だったのだ。
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