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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943謀略、大連―ベルリン3

 毎朝新聞記者の帆崎が探していた人物は、しばらく桟橋内を探し回っている間にようやく見つかっていた。正確には、当てもなく旅客桟橋の広い待合をさまよう帆崎に、向こうから声をかけてきていたのだ。

 帆崎が以前出張した際に通過した頃は、まだ満州共和国が成立して間もなく大連に入港する客船の数も少ない頃だったから、旅客桟橋もさほどの能力は要求されておらず、待合も大した広さではなかった。
 だから、そこで待ち合わせても直ぐにお互いを見つけられるかと思ったのだが、その頃とは大連港の様子は大きく様変わりしていたのだ。
 待合を含む旅客桟橋は構造の限界まで拡張されたらしく、かなり入り組んだ間取りだった。旅客桟橋でこれなのだから、貨物専用の桟橋はさらなる機能拡張が行われているのではないのか。

「毎朝新聞の帆崎さんですね。大連日報の村山です」
 その青年は、笑みを見せながら気さくに手を上げてしていた。帆崎は40を越えて少々経つが、村山と名乗った青年は帆崎よりも10歳は若いように見えた。


 今回の取材に本土から記者を大連入りさせた新聞社は帆崎が勤める毎朝新聞だけだった。ただし、日本全体の注目度がさほど低いというわけでは無かった。その証拠にニュース映画の撮影を行うカメラマンもいくらか現場入りしていた。

 逓信省が作らせた日本放送協会は、最近になってようやくテレヴィジョン放送の実験を終えて実用放送にこぎ着けていたが、戦時中で電波関連の技師や設備が軍や政府機関に抑えられているせいか、既存の放送設備は貧弱なままで受信可能な地域は首都圏に限られていた。
 そもそも高価なテレヴィジョン受信機を購入できる世帯も少なかったが、それでも日本放送協会もニュース映像を作るために撮影団を送り込んでいるようだった。

 そのような映像関係に押されて現地入りした新聞記者は少なかったようだ。そもそも新聞各社は大部分の報道を部隊が出発した新京で終えているようだ。
 ただし、船積みされる大連では映像や写真写りは良くなるから、最近幅を利かせている映像関係者の数が多くなったらしい。
 勿論、国内の新聞も大連から部隊が出港する事実を無視しているわけではなかった。おそらく多くの新聞は毎朝新聞や現地の報道機関である大連日報からの引用の形で何らかの記事は出すのではないのか。

 ある意味で帆崎は日本の新聞を代表してここに来ていることになるのだが、本人にその自覚はあまりなかった。どうせ記事になっても最近では前線の華々しい報道が中心だから、中国内の記事が一面を飾ることは無いだろうからだ。
 ニュース映像のように意気揚々と兵員輸送船に乗り込む兵士達や、桟橋で次々と積み込まれる重装備といった絵になる様子も無いのだからそれも当然かも知れなかった。

 強いて言えば、満州共和国が部隊を派遣するということを公表した直後の新聞報道でニュースとしての価値は無くなってしまっていたのかもしれなかった。
 それ以前に帆崎の真の任務を達成できれば彼の記事が新聞に載せられることなど無いはずだった。もしかするとこの部隊の派遣すら取り消されてしまうのではないのか。


 今回、大連から国際連盟軍に参加するために戦地に送られる部隊は、満州共和国陸軍に所属する1個師団に最低限の独立部隊としての任に耐えられるように補強するために若干の支援部隊を加えたものだった。
 その規模だけ見れば陸軍の正規師団だけでも6個師団を遣欧方面軍に送った日本軍などに比べれば小さなものだったが、日英に加えて本国のヴィシー・フランスと分離した自由フランスを含む国際連盟常任理事国を除けば、これまで先行して欧州に派遣されていた連隊規模の航空部隊に加えて戦略単位である師団規模の戦力を纏まって供出した国家は少なかった。

 インド帝国や新たに独立した旧フランス領インドシナ諸国などから徴募された将兵の数は多かったが、これらの部隊はイギリス軍や自由フランス軍の編成に組み込まれていたから、独立した国家が送り込んだ戦力としては満州共和国陸軍の1個師団という数は、政治的に見ても無視できない規模のものとなるはずだった。
 むしろ、この満州共和国陸軍1個師団派兵という報を受けて、イラン王国やタイ王国といった地域大国を自認する国家の幾つかが戦闘部隊の追加派兵を検討し始めたという情報も流れていた。


 だが、イラン王国はシベリア―ロシア帝国と同様に潜在的な仮想敵国であるソ連とカスピ海を含む北方の国境を挟んで対峙していたから、日本や英国などから輸入した兵器で武装した近代的な国軍を有しているものの、国境警備の任を離れて派兵できる戦力の抽出には困難を伴うのではないのか。
 タイ王国も戦力としては小規模なものしか無かったから、派兵できるとしても独立編成の1個旅団と言ったところではないのか。ただし、タイ王国の場合は周囲がインド帝国ビルマ州や英領マレー、旧仏領インドシナ諸国と言った国際連盟加盟国に囲まれていたから、師団規模の部隊を派兵することは不可能ではないはずだった。

 もっとも、タイ王国の場合はイラン王国とは異なる事情があった。
 周囲の国家が欧米列強に植民地化される中で独立を保っていたタイ王国だったが、それはお互いの勢力圏を近接させて紛争を招かないために植民地宗主国が緩衝国家を求めたからに過ぎなかった。
 このような列強の政策を維持させるために、タイ王国は巧みに均等の外交関係を保つとともに、国家体制や国軍の近代化を図っていた。

 だが、前世紀後半からのこの国軍の近代化が一部高級士官の先鋭化を招き、特に陸軍高官が政治的な権力を求める傾向を作り出したのも事実だった。
 だから、タイ王国が欧州への派兵を小規模なものに抑えようとしているのは、下手に大規模な部隊派遣を行ってこれ以上の陸軍の発言権強化をさせたくないという側面もあったのではないのか。

 帆崎は中国関係の専門家であって、他のアジア諸国の政治事情に関してはそれほど精通しているわけではなかったが、その程度の憶測は容易だった。

 もっとも、帆崎の見る限りでは今回の派兵で満州共和国陸軍が国際連盟軍に供出した部隊に関しても、同様に政治的な事情が垣間見えるものだった。派兵される部隊が軍政部長である馬占山将軍子飼いといっても良い部隊だったからだ。


 欧州に送られる師団は、満州共和国陸軍第10独立混成師団だった。満州共和国陸軍では、以前の軍閥の寄り合い所帯や、国民革命軍とは異なり軍事支援を受けた日本陸軍に準じた編制としているから、日英軍よりもやや旧式装備は多いが戦力的にはほぼ同等と言ってよかった。
 元々戦略単位である師団でありながら、諸兵科部隊による編制を示す混成や、独立といった直結する上級部隊の存在を否定する名称が付けられているのは奇妙なことだったが、これにはこの師団が国軍司令部である軍政部、ひいては軍政部長である馬占山将軍直轄の部隊であるためであるようだった。

 この時期、満州共和国陸軍は大規模な再編成を実施していた。英露両国と日本帝国という後ろ盾を得た大規模軍閥である奉天閥が中核となって誕生した満州共和国の国軍は、当然のことながら建国当初は奉天軍閥そのままの存在でしか無かった。
 袁世凱率いる北洋軍閥から分裂した一派である奉天軍閥は、満州共和国として独立した領域でも最大の軍事力を誇っていたが、この地域には他にも小規模な軍閥や地域自治体が保有する義勇兵というべき馬賊、それが盗賊化した匪賊といった雑多な勢力が存在していた。
 もっとも張率いる奉天軍閥も元を辿れば袁世凱の指導部に帰順した馬賊上がりの集団だったから、帆崎に言わせれば満州共和国は自治体の自警団に過ぎない馬賊の集合体でしか無かったのだ。


 しかし、日英露などの援助を受けた満州共和国は、国共内戦の続く政治上の本国である中華民国を脇に置いて、急速に近代国家としての体裁を整えようとしていた。
 従来、馬賊や軍閥の集合体でしかなかった国軍もその例外では無かった。

 政権を握った奉天閥に帰順せずに残存していた匪賊や中小軍閥の討伐作戦はとうに終了していた。帰順した匪賊もその多くが武装解除された上で、機械力を大胆に投入した土木作業で開拓された土地を充てがわれて帰農していた。
 この農業土木事業は自らも貧農出身の馬賊上がりである馬占山将軍肝いりの事業らしく、混乱の続く中国で貧しさから匪賊に身をやつしたものに、これまで開拓の進んでいなかった荒蕪地を最新技術を導入して農地へと改良し、そこへ軍隊組織を保ったまま帰農させることで秩序だった武装解除を行おうとしていたのだ。

 この帰農計画によれば、日本で開発された新種の肥料投入などといった農業法の活用で、現在の自給自足体制から数年後には改良された農地から支援の必要性なく外部へ安定して農作物を供給できる体制が整うはずだった。
 満州共和国内の各地に帰順匪賊の帰農用として計画的に設営された農場は少なくないから、日本やシベリア―ロシア帝国、それに本国である中華民国に対する農作物への輸出量はかなりのものになるはずだった。


 そのように軍隊未満の匪賊達の帰農を推し進める一方で、これまで奉天閥の権力の後ろ盾ともなっていた軍閥部隊の再編成も同時に行われようとしていた。
 少数の指揮官が全てを判断する、いわば親分に付いていくという前近代的な馬賊組織を廃して、近隣の日本やシベリア―ロシア帝国の士官学校などで教育を受けた各分野の専門家である参謀を配置した司令部を持つ近代的な軍隊組織を構築しようとしていたのだ。
 また、一部の正規教育を受けた士官は将来の満州国軍士官を養成する自前の士官学校の教官に配置されたものもあった。
 同時に従来の軍閥組織を引きずっていた各軍を解体して、各省を担当する軍管区を配置して、各部隊は軍管区の隷下に配置していった。

 黄海や渤海における海上警備を行う海軍艦隊や陸海軍の航空隊が日本軍から受け入れた軍事顧問団の指導でほとんど一から新たに創設されて行ったのに対して、この軍管区指揮下に入った部隊は、この時点ではまだ色濃く軍閥、あるいは馬賊時代の組織体系を残していた。
 正規の軍隊教育を受けるにはそれらの雑多な軍事組織の指揮官は歳を取りすぎていたものが多かったし、彼らに近代的な軍隊構造を押し付けた所でまともに機能しなかったのではないのか。
 未だ過渡期といってもよい再編成中の満州共和国陸軍の大部分の師団は、有力な軍閥出身の将官を指揮官に据えて隷下の歩兵連隊も多くが将官と同じ軍閥の出身者で固められることが多かった。

 このように軍管区自体は従来の軍閥の寄り合い所帯としての性格を残していたのだが、兵力整備の中央集権化自体は着実に進められていた。
 それまでの出身地にとどめ置かれていた軍閥組織とは異なり、比較的平穏な吉林省などからモンゴル人民共和国や実質上共産党勢力が支配する地域と国境を接する興安省や熱河省を管轄する軍管区に転属となる部隊は少なくなかった。
 それらの軍閥組織は、従来は独自に支配地域から税金と称した活動資金の調達や兵員の徴募を行っていたのだが、治安維持やインフラ網の整備と引き換えにそうした徴税や徴兵の権限を新京の中央政府に集約させた満州共和国は、徐々に国軍となる軍閥組織を政府にのみ忠誠を誓う近代的で中央集権的な軍隊に変化させようとしていたのだ。


 軍管区に与えられた戦力は、従来の軍閥組織を再編成した部隊だけではなかった。軍管区指揮下には大規模な兵站部隊や砲兵、高射、戦車といった機械化された直轄部隊が配置されていたのだ。
 師団以上の軍管区司令官の指揮下に置かれるこれらの支援部隊の比率はかなり高かった。各師団にも師団砲兵や師団戦車隊が配属されていないわけではなかったのだが、満州共和国陸軍の編制の見本となったはずの日本軍と比べるとそれらは規模も貧弱だったし、旧式化も激しかった。

 最近の日本陸軍は師団砲兵連隊配備の砲を、75mm口径野砲と105mm口径榴弾砲の組み合わせから、105mm口径榴弾砲と155mm口径榴弾砲の組み合わせへと一回り大口径化させていた。
 装軌式の大型牽引車の配備や自走砲化が、従来は軍団砲兵部隊に配備されるのが適切であったような大掛かりな大口径砲でも師団砲兵単位で運用可能としていたのだが、満州共和国陸軍の一般師団の場合は75mm口径の野砲どころか、より短砲身の山砲程度しか保有しない部隊が多かった。

 仮に大口径長砲身の加農砲などを配備されたとしても、軍管区に固定配備されるのが前提の一般師団は機械化率が低く、支援部隊も馬匹や型落ちの軍用貨車程度しか与えられていなかったから満足に重装備を運用することなど不可能なはずだった。
 師団戦車隊も旧式化して製造国の日本陸軍からは部隊配備から外されつつある九七式中戦車を装備していれば良い方で、場合によっては内戦期に供与された八九式中戦車や装甲車と言った雑多な旧式戦車や鹵獲車両を配備された部隊も少なく無かった。


 ただし、満州共和国陸軍の一般師団が想定された仮想敵に対応した戦力を持っていないというわけでは無かった。
 ソ連に支援されたモンゴル人民共和国軍はともかく、密かに満州共和国に対して侵入を図ろうとする共産党勢力に対抗するには、機械化された少数の部隊よりも、多数の歩兵部隊による虱潰しの捜索や警備の方が適していたし、山砲であっても徒歩移動が前提の共産党軍が保有する迫撃砲程度であれば相手の射程外から一方的に射撃を行うことも容易だった。
 国内の内乱から外敵への警備にその主任務を転換している満州共和国陸軍にとって現在の一般師団の戦備は必要十分なものだったのだ。


 その一方で、軍管区直属の砲兵隊や戦車隊は装備面で優遇されていた。
 直属戦車隊の場合は九七式中戦車よりも制式年度の古い九五式軽戦車を配備している部隊もあったが、九七式中戦車が歩兵支援用の短砲身榴弾砲を装備しているのに対して、九五式軽戦車は小口径ながら長砲身の速射砲を転用した戦車砲と高機動性を併せ持っていたから、対戦車能力はより高かった。
 直轄砲兵隊も大口径の榴弾砲やそれを支援するのに足りる牽引車や、継続射撃が可能な量の砲弾を移送する段列車両を有していた。

 それに、師団が固定配備で支援部隊が少ない分、軍管区に直轄する兵站部隊の規模は大きかった。実質上師団の継戦能力を支えるのは師団に付属する貧弱な段列ではなく、軍管区付の兵站部隊だったのだ。
 師団が固定配置で機動性がなく、大規模な兵站部隊を欠くという意味では、現在の満州共和国の一般師団は日本陸軍創設期の鎮台に近しい組織だと言えるかもしれなかった。

 それら師団に欠けた火力や支援能力は、政治的に信頼できる指揮官とそれを支える近代教育を受けた若手の参謀を有する軍管区に握られていた。おそらく師団単位の移動もより上位の部隊が管轄する鉄道移動を駆使することで国内に限れば戦略的な機動性を確保するつもりなのだろう。

 国防上必要な戦力を考慮すると、再度軍閥化する可能性が否定できない旧軍閥の組織構造を残した師団は、新たに育成を開始した若手将校が国軍部隊全体に行き渡るまで廃止することは難しかった。
 馬占山将軍による国軍再編成によって生まれたこの歪な部隊編成は、その時間をかせぐための方策だったのではないのか。各師団は旧軍閥によって支配されているようなものだが、そのかわり母体が異なる各師団が協調して反乱を起こす可能性は少なかった。


 そして、各師団による反乱を各軍管区内で制圧できなかった場合、さらにはより最悪の事態である継戦能力を有する軍管区単位の反乱が起こった際の切り札となるのが、第10独立混成師団のように軍管区に所属せずに軍政部長、つまり中央政府が直卒する再精鋭の師団だった。

 軍政部長直属の独立師団は、軍管区直属部隊を上回る最新鋭の機材や志願兵を中心とする練度の高い兵員を優先して与えられていた。
 例えば師団戦車隊には一式中戦車や一式砲戦車といった欧州戦線で日本軍が未だ現役で使用している主力戦車まで配備されていたし、それを支援する兵站部隊も前線での弾薬輸送に用いる装軌車両まで配備されていた。

 部隊の格付けでいえば、この独立師団は皮肉なことに反共国家である満州共和国に所属しながらも、ソ連における親衛の名を冠された部隊に近かった。ソ連の親衛部隊は装備や待遇面で優遇される代わりに、最前線に集中して配置される傾向があるらしい。

 この列強陸軍にも匹敵する高度に機械化された独立師団と航空隊による上空援護が満州共和国陸軍の最後の切り札だったのだ。
 独立混成師団が欧州に派遣されるのも当然だった。彼らは満州共和国陸軍に所属する他の一般師団とは異なり、ある程度の独立した行動能力を持っている上に、それを補完する支援部隊まで配属されていたからだ。


 今回満州共和国陸軍の中から選抜されて欧州に派兵される第10独立混成師団は、独立師団の中でも特異な部隊だった。師団の愛称である「テムジン」が示す通り、第10独立混成師団は亡命モンゴル人を中核とした部隊だったからだ。

 そして、帆崎にコミンテルンの機関員が与えた任務は、その師団長を暗殺することだった。
九七式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97tkm.html
九五式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/95tkl.html
一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html
一式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01td.html
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