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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943久里浜―ローマ6

 バチカン駐留大使ガレアッツォ・チアーノ伯は、養父でありファシスト党統領としてイタリア王国を長い間実質上率いていたムッソリーニの遺体を呆然として見つめていた。まだムッソリーニ統領の体は温かかったが、直ぐに冷えて固まってくるはずだった。

 ―――こんなはずではなかった。
 つい先程、今際の際にムッソリーニ統領が言い残した言葉が、チアーノ伯の脳裏にこだまするように何度も繰り返されていた。

 チアーノ伯は、宙に向かって大きく目を見開いたムッソリーニ統領の悔しげな最後の表情を見ながら、自虐的につぶやいていた。
「こんなはずではなかった……そう考えているのは僕達も同じですよ、お義父さん……」
 巻き添えを食らったファシスト党幹部たちの死体や、うめき声を上げる負傷者の声に囲まれながら、チアーノ伯はただぼんやりとムッソリーニ統領を見つめていた。




 ファシスト党、ひいてはその統領であるムッソリーニによって強力に指導されているように見えたイタリア王国の政治情勢が大きく変化したのは、先の国際連盟軍によるシチリア島への侵攻をきっかけとしたものだった。

 軍事的な意味では、それ以前の北アフリカ戦線の実質上の崩壊のほうが大きな影響力を持っていたはずだった。イタリア王国軍が保有する侵攻戦力の大半が、いち早く北アフリカ北岸部を西方に撤退するドイツ軍に取り残される形で、国際連盟軍によって捕捉殲滅されていたからだ。
 訓練を受けた多くの兵士を喪失したイタリア王国軍の実戦力は大きく低下し、何とか捕虜とならずに撤退できた少数の兵員を中核とした再編制作業も工業力の低さからなる装備品の定数不足などから遅れていたのが現状だった。

 だから、去年のエジプト侵攻作戦の頓挫の頃から明らかとなった枢軸軍の敗勢に不安をいだいた市民の間に反ファシスト、反ドイツ、そして反ムッソリーニの動きがくすぶりだしていたのだが、それは社会全体に広がる運動とはなっていなかった。
 ファシスト党主導で行われた巧みな宣伝工作によって、現実とは程遠い楽観的な戦況を伝えられていた一般市民にとって、東部戦線や北アフリカ戦線に派遣された部隊に親兄弟や親しい人間が含まれてでもいない限りは、戦争は遠い世界の出来事のように感じられていたからだ。

 そのような状況がシチリア島への国際連盟軍の上陸によって一変していたのだ。ファシスト党がどのように宣伝工作を行ったとしてもイタリア半島の目と鼻の先にあるシチリア島、つまりはイタリア本土が戦場となってしまった事実を隠蔽することは不可能だったのだ。


 昨年度の北アフリカ戦線における敗北からシチリア島への上陸を許すまでの間に、国際連盟軍の上陸が予想されるシチリア島、サルディーニャ島や本土沿岸地帯では沿岸部の防衛力を強化するために、沿岸警備師団が増設されていた。
 しかし、沿岸警備師団は戦車どころかトラックや牽引車といった機械化装備が乏しいために、実質上沿岸部の固定配置を余儀なくされる張り付け部隊と蔑称される二線級の部隊だった。
 戦訓の調査は不十分な状況だったが、シチリア島ではそのような沿岸警備師団が通常の歩兵師団のように機動力を要求される戦闘に投入されて大損害を受けていた。

 しかも今次大戦の勃発を受けて以前から戦力の増強を計っていたイタリア軍は、すでに徴兵適齢期の青年層の多くをロシア戦線や北アフリカ戦線に派遣する精鋭部隊や、本土駐留の正規師団に送り込んでしまっていたから、現地で編成された沿岸警備師団に配属された兵士は、予備役召集を受けた老年兵ばかりであり、頭数は揃えられたものの、装備の貧弱さもあって実戦力は低かった。

 沿岸警備師団は、張り付け部隊としての性質上、現地在住の招集兵が多かった。勿論その指揮官も現役士官ばかりを回す余裕はなかったから、予備役召集された下級士官のなかには、先の大戦に従軍していた老人も少なくなかった。
 そのような性質の部隊だったから、働き手達を奪われたこれまで戦争とは関わりない生活を送っていた地元社会に広がる不安は決して小さなものではなかったのだ。


 このような事態に対して、ムッソリーニ統領は戦線がイタリア本土に迫ったことで、機動力の無いイタリア軍であっても内線の利を用いて実力を発揮出来ると自信満々を装って市民を鼓舞していたが、当然の事ながらこれまでのような熱狂的な支持は得られていなかった。

 抜本的な戦力の増強を図るムッソリーニ統領は、ファシスト党の私兵とも言える国防義勇軍の戦闘部隊である黒シャツ隊の一部を再編制して、1個大隊規模の独製戦車を配備する第1黒シャツ機甲師団「レオネッサ」を創設していたが、イタリア陸軍が同師団に向ける視線は冷ややかなものだった。

 この時点でのイタリア陸軍の機甲戦力は貧弱極まりないものだった。
 日本軍の三式中戦車や英国のクロムウェル巡航戦車、ドイツの四号戦車などの他国の主力戦車にも匹敵するP40重戦車は、開発の遅れから生産が開始されたばかりで本格的な量産体制の構築には程遠く、まだ数が揃っていなかった。
 従来主力戦車とされていたM13系列の中戦車も、他国同級戦車に比べれば各種性能に劣る上に、北アフリカ戦線に派遣された3個の機甲師団などに集中配備されていた結果、それらの精鋭部隊とともに国際連盟軍によって殲滅させられていた。
 結局、現状でイタリア本土に駐留する部隊に配備されている戦車は、機関銃装備の豆戦車に過ぎないL3軽戦車系列が大半だったのだ。

 だから、ドイツ製のまともな戦車をまとまった数で配備された第1黒シャツ機甲師団の戦力は額面上は高いはずだったのだが、正規軍に編入された黒シャツ隊連隊の低い士気などを実感していたイタリア軍首脳部の評価は低いものだったのだ。
 装備が多少優遇されていたとしても、士気や練度に劣る黒シャツ隊を母体とする以上は戦力評価の低い第1黒シャツ機甲師団は、予備兵力の名目で後方に拘置せざるを得ないというのがイタリア陸軍参謀本部の統一した見解だった。
 できれば戦車隊だけでも他隊に抽出したいところだったが、ムッソリーニ統領の肝いりで編成された部隊だから、それは難しかった。


 ただし、第1黒シャツ機甲師団の前線への配備が見送られたのは、単純に戦力価値だけを考慮したものとは限らなかった。いざという時に軍司令部の命令ではなく、ファシスト党、ひいてはムッソリーニ統領の指示で黒シャツ隊が動かされるのではないのかという疑問が抱かれていたのだ。
 軍首脳部がそのようにファシスト党に属する黒シャツ隊の政治性を疑う一方で、皮肉なことに新たな反ムッソリーニ派がファシスト党内部で勢力を増しつつあった。

 それ以前にも、ムッソリーニ統領の女婿であるとともに当時外相の地位にあったチアーノ伯や反ナチス・ドイツ感情を隠そうともしない親国際連盟派であったイタロ・バルボ空軍元帥といった反ムッソリーニ派の党内派閥は確かに存在していた。
 だが、今次大戦開戦直後に乗機がリビア領内で誤射によって撃墜されて、半身不随とも噂される程の重症を追った後は、バルボ元帥は政治の表舞台から姿を消して隠遁生活に入っていたとされていた。
 誤射事件は親英日派であるバルボ元帥を暗殺するために仕組まれたものであるという噂が流れていたが、それは同時にムッソリーニの若き後継者と見られていたバルボ元帥が失脚した事を意味していたからだ。

 しかし、実際にはバルボ元帥を首領とするファシスト党内反ムッソリーニ派閥とでも言うべき集団は壊滅したりしたわけではなかった。単に誤射事件を暗殺未遂と察知したことで用心深くなった組織が地下に潜っただけだったのだ。
 しかも反ムッソリーニ派閥のつながりはファシスト党内に留まっていたわけではなかった。というよりもより広範囲に政府、王宮、軍内に広がっていた反ムッソリーニ派閥の細胞の一つがファシスト党内のバルボ元帥を中核とする集まりといったほうが正しかったのだ。

 自然発生したこの反ムッソリーニ陣営は、表向き隠遁生活を送るバルボ元帥がその立場を利用して首魁となっているかのように見せかけていたが、実際には元帥は宮内大臣のアックロワーネ公や海軍最高司令部勤務のサンソネッティ中将を通して、現役の海軍中将でもあるウンベルト皇太子の意向のもとに動いていたのだ。
 つまり、この今次大戦への枢軸側に立ってのイタリア参戦を契機に誕生したと言っても良い反ムッソリーニ陣営は、暴走を始めたムッソリーニ統領の稚拙な戦争指導に脅威を覚えたイタリア王室自身が作り上げたものと言っても良かったのだ。


 イタリア王室を首魁とする以上、この反ムッソリーニ陣営の目的は合法的にムッソリーニ統領を逮捕、解任させて後継人事を行うことにあった。それだけの政治的な立場を有していたからだ。

 後継人事に関しては、未だはっきりとした態度を示さずにアックロワーネ公への示唆を行うにとどまる国王ヴィットリオ・エマヌエーレ三世の意向を伺うほかなかったが、枢軸軍側のイタリア参戦に反対して更迭されていたピエトロ・パドリオ元帥や先の欧州大戦の英雄であるカヴィリア元帥、あるいはファシスト党内左派のバルボ元帥自身といった候補が考えられていた。

 何れにせよ、反ムッソリーニ陣営は王室の権威を損なうこと無く、憲法の規定に則る形でムッソリーニ統領を失脚させることで、イタリア政府の体制を保ったまま枢軸陣営からの離脱を図ろうとしていたのだ。


 しかし、これを実際に行うのは至難の業だった。地中海戦線の枢軸陣営策源地であるイタリア本土には多くのドイツ軍が駐留していたからだ。
 イタリア王国が国際連盟軍との単独講和に踏み切った場合、枢軸陣営からの離脱が明らかとなった瞬間にイタリア防衛のために駐留していたはずのドイツ軍が今度は占領軍に役割を即座に切り替えられることは明白だったからだ。

 このドイツ軍からイタリアを防衛するためには、正規の命令系統と戦力を保持したままイタリア王国軍が残されなければならないし、単独講和を表明するその瞬間までそのことを悟られるわけには行かなかった。
 それに加えて、脆弱なイタリア王国軍が長時間ドイツ軍に単独で抗戦出来るとも思えないから、講和の発表から間髪入れずに国際連盟軍を国内、それも首都ローマ周辺のイタリア半島中部以北に引き入れなければならなかった。
 つまり、反ムッソリーニ陣営は国内だけではなく、国外、しかも現在敵対関係にある国際連盟軍とも事前に交渉を成功させなければならない困難な状況にあったのだ。


 そのような状況の中で、ファシスト党内からも自然発生的に反ムッソリーニをとなえる声が上がり始めていた。しかも、その声は下級の党員ではなく、幹部の間からも容赦なく上がり始めていたのだ。
 下院議長を務めるディーノ・グランディを中核とする新たなファシスト党内の反ムッソリーニ派閥は、統帥権の国王への返還を求める決議を、ファシズム大評議会に提出しようとしていた。

 ファシズム大評議会は、ムッソリーニ政権が誕生した直後に設置された国家最高諮問機関であり、参加するのはファシスト党内からだけではなく政府機関も含まれており、政権与党であるファシスト党と政府の一体化を図るものだった。
 しかし、ファシスト党と他の政党から入閣した大臣らとの意見調整を行ってきたファシズム大評議会は、ファシスト党統領であるムッソリーニの独裁制が強化されるに従って他の政党との意見調整などを行う必要性そのものが薄れていったから、最近では開催自体されなくなっていた。
 今次大戦への参戦においてもファシズム大評議会が開催されなかったことを見ても、その重要性が著しく低下していたのは明らかだった。

 そのファシズム大評議会が開催されることになったのは、このような情勢下においてイタリア王国が徹底抗戦するために党首脳部が戦意高揚を目的とする地方遊説を行うことと命じられていたからだ。
 グランディ達党幹部は、この地方遊説を行うにあたって党や政府、ひいてはムッソリーニ統領の現状認識と展望を確認するとの名目でファシズム大評議会の開催を要求していた。


 ある意味でこれは危険な状態だった。目的は同じでありながら異なる組織、派閥が同時に行動を起こそうとしていたのだ。ムッソリーニ統領の逮捕を視野に置くバルボ元帥らの派閥が恐れているのは、追い込まれたムッソリーニ統領達強硬派が暴走を始めてしまうことだった。

 しかし、実際にはファシズム大評議会は議決機関ではなく、単なる評議機関に過ぎないから法的な拘束力は有しないことや国王からの信頼を疑いもしなかったムッソリーニ統領は直前までは安易に考えていたのだ。


 そしてシチリア島攻防戦が佳境に入る中、長い夏の夕暮れの中で統領の官邸であるヴェネツィア宮に参集したファシスト党幹部たちによるファシズム大評議会が始まっていた。
 この日の夜は、イタリア王国にとって1番長い夜になるかもしれなかった。
三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html
クロムウェル巡航戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cromwellcruisertank.html
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