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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943久里浜―ローマ5

 日本陸軍航空隊が基本戦法とする航空撃滅戦は、友邦国シベリア―ロシア帝国に対して優勢にある仮想敵国ソビエト連邦に対抗するために練り上げられたものだった。

 ひどく単純化してしまえば、敵軍が航空機を出撃させる前に在地の敵機や滑走路、整備施設などを破壊してしまうのが日本陸軍がこれまで考えてきた航空撃滅戦の内容だった。
 最近ではより積極的に攻撃隊に随伴する夜間、昼間戦闘機で空中の敵機を撃墜することもそこに加えられてはいたが、基本的な考え方に変わりはなかった。

 高級司令部に直属して高速、高々度で敵地奥深くの航空基地を偵察する司令部偵察機や、前線を突破するための防御機銃座や高速性能を有する一方で搭載量の少ない重爆撃機といった日本陸軍航空隊特有の機材も航空撃滅戦に使用するために開発されたものだった。
 それだけではなく、在地の敵機を火網で包み込む集束爆弾や滑走路に大穴を開ける専用の徹甲爆弾も航空撃滅戦を前提に陸軍独自に開発されたものだった。

 開戦と同時に実施される航空撃滅戦によって一時的ではあっても制空権を完全に奪取することができれば、地上部隊の支援や観測機の安全な運用も可能になるから、格段に戦局は有利に進むはずだった。
 裏を返せば、そのような敵航空戦力に集中攻撃をかける航空撃滅戦を仕掛けなければならないほど、日本陸軍の仮想敵であるソ連の赤色空軍は強大な戦力を有していたのだ。


 ただし、日本陸軍の航空隊が航空撃滅戦が基本戦法に採用されたのは、必ずしも戦術的な要求によるものだけではなかった。
 敵航空基地どころか、前線のはるか後方の生産施設や都市部への爆撃を行う戦略爆撃の有用性を疑問視する意見が、動員計画を行う企画院やその前身である資源局などから上がってきていたのだ。

 戦略爆撃理論において後方である敵国都市部への直接爆撃を実施するのは、敵国の民間人に空襲という脅威を与えることで、士気を低下させる効果を狙ってのことだった。
 だが、実際にはこれまで列強級の強国ではなくとも、政府機関が正常に機能しているまともな国家に対して爆撃だけで戦意を喪失させることまでに至った例はなかった。
 というよりも民間人の士気低下を定量化させて判定させる手段など存在していなかったから、都市部への爆撃の実効果を見積もることは難しかったのだ。

 勿論、ある構造の建屋や町並みを破壊することだけならば難しくはなかった。日本のように木造建築物が多ければ焼夷弾を使用すればいいし、コンクリート製のビルを破壊するのならば大型の半徹甲爆弾が有効と考えられていた。
 ただし、そのような効果的な爆撃で町並みを破壊し、民間人を殺傷できたとしても、それが敵国国民全体の士気にどれだけの影響を及ぼすかは判定が難しかったのだ。

 戦略爆撃を予め想定して効果的な防空壕を構築したり、自衛消防隊の整備による消火活動など民間防衛体制を構築することで人的、物的な損害を極限することが出来るし、同じ損害を被ったとしてもドイツ宣伝省が現在行っているように自国世論を適切に誘導できれば、士気の低下を押さえ込むことが可能だった。
 つまり、上手く宣伝さえできれば国民の恐怖心を敵愾心にすげ替えることは難しく無かったのだ。
 ドイツ宣伝省のように集約的かつ大規模に行っているわけではないが、日本帝国でも陸軍航空本部付の技術将校による民間防空に関する啓蒙本を出版するなどある程度の民間人に対する宣伝は実施していた。


 戦略爆撃のもう一つの目標である生産施設への爆撃も、実際の破壊具合とそれが国家全体での生産体制に与える影響を同一視することは出来なかった。
 仮に航空機用エンジンなどの重要生産施設を破壊できたとしても、代替の生産施設が稼働しているかもしれないし、それを爆撃側が情報が閉鎖される戦時中に正確に把握することも難しかった。
 何よりも、生産施設への爆撃が成功して生産体制に大打撃を与えたとしても、同時に輸送手段にも打撃を与えたのでもない限り、前線で戦う部隊に影響が出るには時間差が生じるのだ。
 日本陸軍が地上、航空を問わず前線で戦闘を行う部隊の損害を極限するために航空撃滅戦を基本戦法に据えたのはこれらの理由があったからだった。


 それに対して、同じように航空戦力を整備していたとはいえ、日本海軍の場合は異なる戦術を取ることを前提に基地航空隊の整備をこれまで行ってきていた。
 仮想敵である米海軍の根拠地が遠くはなれている日本海軍が、陸軍のような航空撃滅戦を実施するのはあまり現実的ではなかった。もしも海軍が主導して航空撃滅戦が起こるとすれば、日米がお互いに太平洋の島嶼部を占領した状態で起こるものだろう。

 日本海軍基地航空隊の場合は、これまで長距離哨戒用の飛行艇や対艦攻撃に特化した陸上攻撃機を主力として整備していた。
 現在は、戦訓から航空機、水上艦による雷撃の有用性が疑われている為に、陸上部隊支援用として陸軍から購入した一式重爆撃機が配備されているが、技術的な問題が解決すれば対艦攻撃に特化した機体を再び主力機とするのではないのか。
 雷撃に変わる攻撃手段がどのようなものになるのかは専門家ではない後藤には窺い知れなかったが、今次大戦勃発に伴う軍縮条約の無効化やそれ以前の改定によって状況は変わっていたとは言え、主力艦保有量で米海軍に対して日本海軍が劣勢なのは確かだったから、何らかの方法で戦力比を逆転させる必要があった。
 これまで航空戦力の整備でそれを成し遂げようとしていた日本海軍が方針をそう簡単に変えられるとは思えなかった。

 だが、そのように基本的な戦法すら異なる陸軍航空隊と海軍基地航空隊が円満に組織を統合するのは難しいはずだった。
 以前日本陸軍では騎兵科と歩兵科の一部を統合して機甲科を新設したことがあったが、今度は元となる軍種そのものが違うものだから、新たな組織の主導権や装備体型を巡って論争が続くことになるのではないのか。
 勿論、そのような余裕が戦時中にあるはずもないから、日本帝国に空軍が誕生するとしても今次大戦が終結した後のことになるだろう。


 陸海軍航空隊の統合がそのように未だ不明点ばかりであるのに対して、奇妙なことに陸軍憲兵隊と海軍警務隊、それに将来の空軍内に誕生するであろう新たな憲兵隊の統合は既定路線のように思われていた。
 元々、警務隊は憲兵隊から枝分かれした組織と言っても良かったからだ。


 誕生したばかりの明治政府は、欧州の近代的な行政機関を参考として行政機構や軍隊制度を構築していったのだが、警察機構から人員を振り分けて創設された憲兵隊は当時から陸軍に所属しながらも海軍大臣の指揮のもとで海軍内の警察活動にもあたるとされていた。
 それが海軍内部の組織である警務隊が誕生したのは、政治的な事情からシベリア―ロシア帝国への陸戦隊の長期派遣を余儀なくされた海軍が、隊内に独自の組織を求めたからだった。

 ただし、シベリア―ロシア帝国に駐留する警務隊の任務は、陸戦隊内の軍律維持だけではなく、仮想敵であるソ連との最前線という位置関係から諜報活動や防諜の比率が高く、現地特務機関とも密接な関係を持っていた。
 特務機関や警務隊では、現地の中央アジア系民族に偽装しての潜入工作や情報収集、さらにはソ連からシベリア―ロシア帝国への亡命の斡旋まで行っていたという噂だった。

 勿論正式に組織が誕生して間もない海軍警務隊が単独でそのように高度な謀略を実施できたのには理由があった。その構成員、少なくともシベリア―ロシア帝国に派遣された要員の大半は陸軍憲兵隊からの出向者だったのだ。

 憲兵隊や特務機関には、市井の雰囲気を色濃く残す幹部候補生を主な対象とする諜報や遊撃戦の教育を行う機関があると噂されていたが、そのような特殊戦ではなく、正規の軍内警察業務に当たる憲兵も、士官学校では憲兵科の育成など存在しないから、他科からの転科者で構成されていた。
 そのような出自がある上に、以前から海軍内の警察業務や要人の警護に当たっては海軍大臣の指揮のもとにあったから、警務隊の新設に当たって憲兵隊から出向することにも違和感はなかったのではないのか。


 だが、海軍警務隊に加えて、空軍内にも警察機構を設けてそこにも人員を出向させるのは流石に憲兵隊にも難しかった。
 それに、警務隊が誕生して間もない今ならば警務隊内の人員も海軍独自に選抜された人員も少ないから、憲兵隊との再合流にも異論は少ないはずだった。
 元々憲兵隊は軍内警察業務を行う際には、陸軍内では陸軍大臣、海軍内では海軍大臣の指揮を受ける上に、限定的ながら行政、司法警察としての機能も持ち合わせていたから、内務大臣や司法大臣の指揮を受けることになっていた。

 だから、実質上陸軍部と海軍部に分かれていて機能不全に陥っていた大本営の代わりとなる軍令機関として成立した統合参謀部の誕生を横目で見ていた憲兵隊や警務隊の上層部の一部は、むしろ現状から陸海軍色を薄めて、統合参謀部と同じように陸海軍、さらには将来的に空軍を含めた三軍内の軍事警察を統合することを考えているのではないのか。


 憲兵隊が目指す独立した三軍統合の憲兵隊は、欧州の先例に影響されたものだった。明治期に創設された日本陸軍の憲兵隊は、元々はフランスの国家憲兵隊にその範を取ったものだった。
 イタリア王国のカラビニエリの参考ともなったフランスの国家憲兵隊は、原型を辿れば中世期にまでたどり着く歴史の長い組織で、軍内の警察業務に限らずにフランス国内では都市圏以外の行政警察業務も担当する高度な独立性を持った組織だった。

 おそらく、憲兵隊が目指すのは、このフランス国家憲兵隊やイタリア王国のカラビニエリを参考にして三軍から独立して各軍大臣、内務大臣らの指揮権の下で軍事警察に留まらずに、防諜、諜報活動まで広範囲に担当する統合憲兵隊とでも言うべき組織なのではないのか。
 フランスと違って日本帝国では内務省の監督下の地方警察である府県警察部があるからおそらく一般警察業務の機能は低いだろうが、その分特務機関との連携など情報組織としての機能を高めていくつもりなのではないのか。


 そのような憲兵隊の動きは、内務省から企画院に出向する後藤にとっても他人事ではなかった。場合によって憲兵隊は内務大臣の監督下で捜査を行うこともあるから、将来出向が解除されて本省に戻った後藤が憲兵を指揮する可能性もあったからだ。

 だが、後藤の見る限り憲兵隊の意思疎通が完全に一本化されているとは思えなかった。海軍警務隊に転科したものの中には、陸軍憲兵隊との合流に反対するものも少なくないのではないのか。
 だからこそ警務隊との分離からまだ間がない内に再合流を図りたいのだろうが、そう憲兵隊の思惑通りに進むかどうかは分からなかった。
 小畑中将の考えている通りに、山下中将の今回の現地民処断問題も、警務隊と憲兵隊の主流争いが絡んでいる可能性は否定できなかったのだ。


 もっとも、過激派青年将校の取締を通じて憲兵隊上層部と統制派軍官僚は切っても切れない関係にあったから、永田大将が憲兵隊の中立性をあからさまに否定することはできなかった。
「先の大戦以上に、良かれ悪しかれ主要参戦国になってしまった我が国を、ドイツに占領されたものも含めて欧州各国が注視しているのだ。本当に極東の新参者が列強の一翼として相応しいかどうかを見極めるためだ。
 だからこそ、我々は自らを正しく律しなければならないのだ」
 小畑中将の顔をまっすぐ見つめたまま永田大将はそう言い切っていた。中将はわずかに眉をしかめて何事か言いかけたが、すぐに口を閉じて襖の方に目を向けていた。
 襖の向こうから電話機の呼び出し音が鳴っていたのだ。


 縁側にいたはずの十寸穂が応答する様子があったが、室内の誰もが無言で緊張しながらお互いの顔を伺っていた。
 しばらくして、唐突に他の三人の顔色をうかがうこともなく目を閉じていた長谷が、音も立てずにそっと立ち上がって襖を開けていた。

 そこには、戸惑ったような顔を向けた十寸穂が立っていた。勿論勝手に襖が開けられたことを驚いているわけではなかった。十寸穂は永田大将にむかっていった。
「鉄、東京から電話が来ている。急用だそうだが……」

 後藤は眉をしかめていた。統合参謀部でも今回の会合について知らされているものは少なかった。通常の連絡程度であれば副官が差し止めていたはずだから、余程のことがあったのではないのか。
 慌てた様子で永田大将が立ち上がり、その後を黒子のように気配を消した長谷が続いたが、後藤はなんとなく機会を逸していた。十寸穂が戸惑った顔のまま手持ち無沙汰な様子で襖を目の前で閉めてしまったからだ。


 目の前で閉められた襖を自分でまた開けるのは何処か間が抜けている気がして、後藤はゆっくりと腰を下ろしていた。
 だが、意外なことに落ち着いた様子の声が後藤にかけられていた。

「企画院の……後藤君だったかな」
 慌てて振り返ると、小畑中将が興味深げな様子で後藤を見つめていた。ここで自分に声をかけられるとは思わなかった後藤はもごもごと肯定の声をあげたが、小畑中将は気にした様子もなく続けていた。
「実は以前古い友人から今回君たちから説明されたようなことを教えてもらっていたのでね。彼から君と話してみればおもしかろうとも聞いていたのだが。君達は永田大将とは随分と深く付き合っているそうだな」

 小畑中将は何気ない様子で言ったが、後藤は驚愕して頬をひきつらせていた。今回の会合で説明した内容は大半が非公開のものだった。中には機密度が高く指定されていたものもあったから、その内容を知るものは限られていたはずだ。
 一体誰が小畑中将に事前に説明などをしていたのか、場合によっては企画院、統合参謀部の防諜体制を全面的に見直さなければならないのではないのか。


 しかし、奇妙なことに後藤の驚愕はすぐに薄れていった。古い友人との言葉が何か安心感を与えていったような気がする。小畑中将は後藤のそのような変化にも動じることはなかった。
「永田大将とは古い付き合いでね。彼は非常に優秀だったが、それが足を引っ張ることもあった。陸大時代のことだが、試験前に我々が必死で勉強しているときに、彼だけが余裕で科目にない本を読みふけっていた時があってね。
 長い付き合いだから自分たちが惨めに思っただけだったが、知らないものが見れば鼻持ちならないものだとしかおもわないのではないのかな」

 後藤はわずかに首を傾げていた。一体何故小畑中将がそのような話をしてきたのかが分からなかったからだ。
「彼がそうだというわけではないし、君もまたそうではないのかもしれないが、頭の良いものは常に人間は理屈で動くのだと考えてしまうのではないのかな。
 だが、実際には人間はしばしば感情で動く不完全な生き物なのだ。古い友人の言葉が正しければ、いずれ君はこの国を動かす人間の一人となるだろう。だが、その時にも人間を数ではなく、生きた一人一人としてみてほしいものだ。
 兵士は国という全体のために戦って死ぬが、その最後の瞬間まで全力をつくすことが出来るかどうかは、国が兵士を単なる駒ではなく一人の人間として見てくれていると実感できたにかかっているのだ。
 ……所詮は老人の戯言と切って捨ててくれても構わん。君なりのやり方で鉄山を助けてやってくれ」

 後藤は圧倒される思いで、真摯な瞳で自分を見つめる小畑中将を見ていた。何故自分にそんなことを言ってくるのかは分からなかった。それに動員計画に関わる数値を日々分析する企画院の業務では人間一人一人の個性など一顧だにしないのが当たり前だった。
 そんなことをしていれば、巨大な数値の後ろに隠れる膨大な数の人間の感情に押しつぶされてしまうのではないのか。
 そのような恐怖感があったのだが、何故か後藤は小畑中将の言葉を無視できなかった。古い友人との言葉がここでも感情を刺激していた。


 押し黙っていた後藤は、廊下の向こうから聞こえてきた永田大将の言葉に我に返っていた。
 本人は押し殺したつもりかもしれなかったが、思わず声が大きくなってしまった。そのような感触を与える声だった。

「もう一度言ってくれ、ムッソリーニが死んだ、だと……」
 後藤と小畑中将は思わず顔を見合わせていた。確かに、なにがあろうとも副官が連絡を取ろうとするような事態が発生していたようだった。
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