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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
222/255

1943久里浜―ローマ3

 久里浜駅近くに建てられた永田大将の兄である十寸穂の家の奥の間では、永田大将と二人の企画院官僚による小畑中将への説明が続けられていた。

 主に純軍事面の説明を永田大将が行い、その補足と遣欧方面軍に対する補給体制や、日本帝国本土における生産体制の現状に関する説明を、長谷と後藤が補う形で進められていた。
 この時期、大兵力の増援が実施されなかった一方で、欧州派遣の日本軍には大規模な戦闘序列の改編が行われていた。


 これまで、欧州に派遣されていた海軍遣欧艦隊及び陸軍遣欧軍は、お互いの司令部への連絡将校派遣による調整や、国際連盟軍地中海方面総軍による指揮下にはあったものの、これまで完全に別個の指揮系統にあった。
 一応は、両部隊共に日本軍の軍令機関の最上級司令部である統合参謀部の指揮下にあるともいえるが、実際には日本本土と地中海という物理的な距離と、中間に連合艦隊などの中間司令部を間に挟むことから、統合的な運用は難しかった。

 以前から計画されていたのだが、この問題に対処するために、アレクサンドリアに司令部を置く遣欧艦隊司令部の機能を抜本的に強化して、遣欧統合総軍
なる上級司令部が設置されていた。
 元々遣欧艦隊司令部は、最前線で実戦部隊を直率するわけではなかった。欧州方面に派遣される海軍部隊全てがその指揮下に置かれるのだが、実際には実戦部隊である第一航空艦隊や各船団護衛部隊などの管理部隊としての性格の方が強かった。

 それに、遣欧艦隊司令部には陸軍部隊との調整の為に、複数の連絡将校がすでに配属されていた。前線で戦闘を行う部隊への支援ではなく、輸送船団が欧州の各地に向けて輸送してきた各種物資の中には、陸軍向けの物資も少なくないから、兵站関係専門の参謀も派遣されていたらしい。
 そこで、この遣欧艦隊司令部に陸軍参謀をさらに派遣して前線に派遣する出先の司令部としては始めて陸海軍共同の司令部としたのだ。


 遣欧統合総軍の指揮下に入る部隊はかなり多かった。以前の遣欧艦隊司令部が把握していた欧州圏内に派遣された海軍部隊に加えて、同領域内の陸軍部隊をも指揮下に置くのだからそれも当然だった。
 本土に駐留する部隊の内、練度や即応性の高い部隊から優先して欧州に派遣されているという現状を考慮すれば、現在の日本帝国陸海軍の半数以上の戦力を把握していると言っても良いのではないのか。

 前線における戦術的な指揮の権限は隷下部隊司令部に移譲しているとはいえ、遣欧統合総軍の職責は極めて大きく事務等の作業も膨大なものになった。
 当然のことながら、司令部の規模もかなり大きくなるから、前身である遣欧艦隊司令部がそうであったように、第一航空艦隊のように戦闘艦や野戦司令部に司令部を配置するのではなく、設備の整ったエジプトの陸上施設に遣欧統合総軍は収容されていた。


 この責任重大な遣欧総合総軍の初代総司令官に就任したのは、かつて永田大将や小畑中将と共に陸軍三羽烏として知られた岡本大将だった。
 陸軍大将が海軍の大賀大将が司令長官を務めていた遣欧艦隊を改変した組織の長になったという形だったが、大賀大将は副司令官として総軍司令部にとどまっていたし、総参謀長は海軍の栗田中将が留任して、その下の新設された総参謀副長には百武陸軍中将が就くなど、概ね陸海軍の釣り合いを取った人事とされていた。


 遣欧統合総軍が現地欧州方面にあって戦略的な調整を行う機関であったのに対して、前線で戦闘を行う実施部隊でもいくらかの改編が行われていた。

 ただし、海軍の実施部隊である第一航空艦隊にはほとんど変更はなかったと言っても良かった。艦隊旗艦が軽巡洋艦ながら原型が潜水艦隊旗艦として建造されたために司令部機能を有する大淀に変更されたくらいだった。
 より正確に言えば、欧州で得られた戦訓から最近になって海軍は作戦に応じて艦隊司令長官の権限で、各戦隊を任務に応じて予め編成されている司令部に配属させる分艦隊編制をとるようになっていたから、第一航空艦隊という艦隊単位では大きな変化が起こりようがなかったのだ。

 第一航空艦隊は司令長官である南雲中将の下に複数の分艦隊があったが、戦隊が日本本土にとどまる各序数艦隊から第一航空艦隊に配属された正規の編制部隊であるのに対して、分艦隊は随時司令長官の権限だけで規模の縮小、拡大、更には廃止、新設が自在に行える編成だった。
 正規の書類上の部隊ではなく、分艦隊は臨時に編成された部隊だったから、例えば昼間の防空戦闘では空母分艦隊指揮下に戦艦分艦隊や巡洋分艦隊から各戦隊を対空戦闘艦として配属させて、砲撃戦時には戦艦分艦隊主力である戦艦配備の戦隊の護衛に巡洋分艦隊の水雷戦隊を充てるといった戦闘の推移によって柔軟な部隊配置を行うことが可能だったのだ。
 事態が素早く変化する航空戦や上陸戦闘の連続だった欧州での戦闘が、そのように柔軟な指揮系統の構築を余儀なくしていたのだ。


 海軍の実施部隊である第一航空艦隊が大規模な改編がなかった代わりに、陸軍ではいくつかの編成替えが行われていた。
 開戦前に想定されていた大規模な動員計画に比べればささやかなものではあっても、第1、第13の2個師団に加えて、シチリア島上陸作戦時には先発していた師団捜索隊、戦車隊にいくらかの部隊を配属させて独立混成団を臨時編成していた第11師団も本隊となる歩兵連隊が到着して師団編制に戻っていたのだ。
 合計3個師団という師団数で言えば派遣当時から倍増された戦力を与えられた陸軍派遣部隊では、遣欧第1軍、第2軍の2個軍編成には変わりないものの、その内実は大きく手を加えられていた。


 その戦闘序列の変更内容を大雑把に言えば、遣欧第1、第2軍の戦力の均質化を図ったものと言えた。
 当初遣欧軍は、陸軍の第5、6、7師団に加えて海軍第2陸戦師団に、独立輜重、工兵連隊、野戦重砲兵や砲兵情報連隊といった直轄部隊が配属されていた。
 昨年度のエル・アラメインを巡る攻防戦のころはそのような山下中将を軍司令官とする1個軍編成であったのだが、第13師団などの増援部隊の配属を受けてシチリア島上陸作戦前に第一次改編が行われて遣欧第1、第2軍の2個軍編成となっていたのだ。

 だが、数ヶ月前のその改編では実質的には上陸後の戦果拡張に用いる主力と言っても良い遣欧第1軍を母体に、上陸戦闘や特殊戦に特化した部隊を第2軍として切り離したと言っても良いものだった。
 遣欧第2軍に配属された陸軍の正規師団は第5師団の1個だけだったからだ。


 日清戦争時に大本営が置かれたこともある広島城に司令部を置く日本陸軍第5師団は、陸軍船舶工兵を統括する船舶司令部が広島市内の宇品地区に設置されていたことや、師管区内に海軍呉鎮守府がある事もあって大発などの揚陸戦機材が優先的に配備される上陸戦部隊に指定されていた。
 その代わり、身軽さを重視したのか第5師団の師団砲兵連隊は他の師団砲兵と違って重榴弾砲を装備していなかった。

 この時期、10.5センチ榴弾砲を装備する榴弾砲大隊1個と7.5センチ野砲を装備する野砲大隊2個で編制されていた日本陸軍の標準的な師団砲兵連隊は、遣欧軍に配属された師団から優先して10.5センチ榴弾砲を装備する軽榴弾砲大隊2個と15センチ榴弾砲を装備する重榴弾砲大隊1個に改変されていたのだが、この改編は当初第5師団の師団砲兵は対象外となっていたのだ。

 主力がこのように軽装備の師団である上に、他に配属された部隊も、野戦時における純粋な火力には不安があった。海軍の陸戦師団を除けば、敵地後方への潜入を行う日英の空中挺進部隊や秘匿上陸作戦用の海軍特務陸戦隊などが遣欧第2軍に配属された部隊だったからだ。
 これらの特殊戦部隊は、敵軍の誘引や前線後方での破壊工作と言った任務には適していたが、火力がものを云う野戦では不利だったはずだ。
 第11師団の師団捜索隊や戦車隊で火力支援用の独立混成旅団を臨時編成したのも、軍単位の火力不足を補うためではなかったのか。

 つまり、遣欧第2軍は、機甲化師団である第7師団などの重装備の師団を集中した主力である遣欧第1軍の露払い、上陸援護を行うための部隊でしか無かったのだ。


 しかし、この遣欧第1軍と第2軍間の統制はあまりうまく行かなかったようだ。

 シチリア島上陸作戦時には、結局枢軸軍の逆襲部隊を主力であるはずの第1軍から五月雨式の援軍を得たものの、遣欧第2軍が独力で迎撃する羽目になった上に、上陸時の火力支援を行うはずの遣欧艦隊は遣欧第2軍との事前連絡無しに戦艦部隊の大部分を別の戦闘に抽出してしまっていたのだ。
 勿論、後から見れば橋頭堡に対するヴィシー・フランス艦隊襲撃の可能性などを考慮すれば、遣欧艦隊司令部の判断が誤りとはいえなかったが、同格の司令部ではない遣欧第2軍が結果的に孤軍奮闘する羽目になったのも事実だった。

 このような矛盾を解消するために、シチリア島上陸作戦から短時間の内に遣欧軍の編成が大きく変更されることになっていた。
 まず、遣欧第1、第2軍の上級司令部であるとともに海軍の第1航空艦隊と同格となる遣欧方面軍が設営されることになった。今回、小畑中将が指揮官に就任するのは、この方面軍の司令官職だった。


 さらに遣欧方面軍の設立に合わせて、遣欧第2軍の抜本的な強化、あるいは性質の変化が実施されていた。
 これまで配属されていた特殊戦部隊は日英混成の空挺軍団に集成され、橋頭堡の確保を行う海軍陸戦師団も遣欧方面軍直轄部隊に引き抜かれていた。
 そして、遣欧第2軍は純粋な野戦部隊に生まれ変わっていたのだ。

 戦闘序列の最上位に第5師団が置かれているのに変わりはないが、同師団は船舶工兵などの一部の揚陸戦部隊が抽出される代わりに、師団砲兵隊の重榴弾砲装備などの重装備化が実施されて、他の師団同様に機械化された重装備を保有する機動歩兵化が図られていた。
 そして、第5師団同様に欧州派遣時に新たに重装備化が図られた第1、第11師団が配属されたことで、遣欧第2軍は正規かつ重装備の機動歩兵化された3個師団を中核とする遣欧第1軍と同等の戦闘能力を持つ軍団級の戦力となっていたのだ。


 だが、遣欧第2軍は独立した輜重兵連隊や高射砲連隊が配属された一方で、射程、威力ともに大きい軍直轄の重砲部隊は配備されなかった。
 それどころか遣欧第1軍は逆に野戦重砲兵連隊を引き抜かれて弱体化されたと言っても良かった。遣欧各軍の戦力の均質化は第2軍の強化とともに、第1軍の弱体化をも意味していたのだ。

 これまで遣欧第1軍に配属されていた重砲兵連隊、砲兵情報連隊は、方面軍直轄戦力となる新設の臨時編成部隊である第1砲兵団に集約されることになっていた。
 この第1砲兵団は、海軍第2陸戦師団と共に遣欧方面軍直轄戦力の中核を担う部隊だったが、当然のことながら陸戦師団とは部隊としての性格が大きく異なっていた。


 第1砲兵団の主力となるのは、これまで遣欧第1軍に配属されていたものと、日本本土から新たに移送されてきたものを含む、第1、5、7の野戦重砲兵3個連隊だった。
 これらの野戦重砲兵連隊は、最近になって師団砲兵連隊へも配備が開始された15センチ九六式榴弾砲と同口径ながらも、より長砲身の15センチ九六式加農砲や大口径の24センチ九六式榴弾砲といった分解式の砲床の設置が必要な大威力、長射程の重砲を運用していた。
 これに加えて陸軍では独立運用される列車砲まで欧州に送っているようだが、これを使用する機会があるかどうかはまだ分からなかった。

 ただし、第1砲兵団の存在意義はこれらの砲兵連隊が有する大口径砲による大威力攻撃だけではなかった。砲兵団には野戦重砲兵連隊に加えて、機械化された2個砲兵情報連隊が配属されていた。
 二式軽戦車を流用した観測挺進車や回転翼機の二式観測直協機といった最新の観測機材を装備した砲兵情報連隊は、遣欧方面軍隷下の各部隊に前進観測将校を派遣する事になっていた。
 機動力を有する戦車隊には、1個中隊に1両の割合で観測挺身車仕様の軽戦車を配属すると言うから、方面軍全部隊ではかなりの規模になるのではないのか。

 勿論、単に前進観測将校を派遣して観測情報を報告させるだけではなかった。報告先である砲兵団司令部は、歩兵師団などと比べると遥かに大規模の人数を抱える臨時編成とは思えないような大所帯になっていた。
 実質上、方面軍の前線全面から上がってくる情報を取捨選択するとともに、指揮下の野戦重砲兵連隊の強大な火力を適切な目標に指向しなければならないからだ。


 第1砲兵団の機能はそれだけではなかった。場合によっては砲兵団に所属する野戦重砲兵連隊だけではなく、方面軍指揮下の遣欧各軍の師団砲兵連隊に目標を指示する権限を有していたのだ。
 つまり、非常時には砲兵団どころか、遣欧方面軍の総力を上げた砲撃戦の指揮をとることも可能だったのだ。

 指揮権の混乱を避けるために、師団砲兵連隊へ下されるのは命令ではなく、目標指示ということだったが、これは実質上の命令だった。
 従来であれば越権行為となるところだが、このような直属上官である師団長を飛び越えた措置は火力を重視するソ連軍では以前から実施されているらしい。陸軍では主要な仮想敵であるソ連軍に対する研究は積極的に行われていたから、その成果が今回の措置に現れているのではないのか。

 このように強大な権限を持たされた第1砲兵団司令部は膨大な要員を抱えるとともに、その指揮官にも師団長級の中将を宛てていた。
 団長である北島中将は先の欧州大戦にも出征した砲兵科でも有数の戦闘経験を持つ将官だったから、高度な柔軟性を有する砲兵団の運用を任せるには最適だったのではないのか。
 勿論、第1砲兵団のこのような措置は砲弾使用量の増大を招くはずだったが、戦時標準船で途切れなく日本本土から欧州に向けて送り出される船団の輸送量は大きいから、火力戦闘に対応した砲弾輸送は可能なはずだった。


 ただし、柔軟な火力戦闘を第1砲兵団、更には方面軍に実施させるには一つの条件があった。直属の上官となる遣欧方面軍の司令官が、砲兵戦に関しては絶大な権限を持つ砲兵団長を信頼して指揮権の一部を委任する必要があったのだ。
 もしも、方面軍司令官が砲兵団の権限を制限したり、指揮下の遣欧軍隷下の師団砲兵連隊への統制を阻害するようでは、第1砲兵団の火力も宝の持ち腐れとなってしまうのでは無いのか。

 無言のまま三人から説明を受ける小畑中将の横顔を、後藤は危惧の念をいだきながら見つめていた。
二式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/02tkl.html
二式観測直協機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2o.html
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