挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
217/255

1943シチリア海峡航空戦17

 プレー曹長は意識が朦朧としているのを感じていた。なんとか気力を振り絞ろうとしているのだが、意志に反して体の動きは鈍かった。
 D.525のすぐ脇を飛行しているのは、確かにグローン中尉を撃墜した麦穂を描いた三式戦闘機だった。もしかするとその機体には旧友クロード・リュノが乗り込んでいるのかもしれなかったが、それを確かめる手段はなかった。
 何故か淀んで見える操縦席の窓ガラス越しの敵搭乗員は、少しばかり距離がある上にゴーグルと酸素吸入器用のマスクでもつけているのか人相がわからなかったのだ。

 しばらくは不思議な並走状態の飛行が続いていた。プレー曹長が三式戦闘機に手出しをしなかったのは、被弾している上に意識が朦朧としていたからだが、よく見ると相手も被弾していたらしく、胴体の弾痕から燃料か潤滑油か分からないが、何かの油脂のようなものが気流にそって斜めに垂れた跡が醜く残されていた。
 だとすると、相手も戦闘力を喪失した状態なのかもしれなかった。

 三式戦闘機の損害は軽微なものではなく、一体何故こんなひどい状態の敵機を先程は流麗と感じたのかわからない程だった。
 もしかすると、この麦穂を描いた三式戦闘機も被弾による損害で北アフリカへの帰投を断念して、サルディーニャ島への不時着を目指していたのかもしれなかった。

 もっとも後から思えば、冷静にそのようなことを一気に判断できたとは思えなかった。重い頭を抱えてぼんやりと思考していただけのような気がする。
 そうでなければ、不時着の瞬間に意識を失ってしまうこともなかったはずだった。


 次にプレー曹長が意識を取り戻した時、すでに日は暮れていた。真っ白に輝く月が中天にかかっていたのだ。だが、月以外の星々の光はまるで見えなかった。
 妙だった。幾ら月がずば抜けて明るかったとしても、他の等級の低い全天に広がる星の明かりをすべて打ち消す程ではなかったはずだ。

 しかし、その理由はすぐにわかっていた。プレー曹長の耳に焚き火が爆ぜる音が聞こえてきたからだ。
 どうやら地面に寝かされたプレー曹長のすぐ近くで火が焚かれているようだった。その明かりで月以外の星が見えなかったのだろう。
 鈍く痛む体を起こすと、焚き火の明かりの影に隠れていた星々の明かりがまばゆいばかりに視界に入ってきていた。


 ―――こんなにも美しいところで戦っていたのか……

 プレー曹長が呆然としていると、唐突に声が聞こえてきていた。
「こうしていると、昔狩りに行った時のことを思い出さないか。崖から落ちてから迷ってケルグリの位置が分からずに何とか二人で火を焚いた時のことだ」

 慌ててプレー曹長が振り返ると、薪を追加する男が焚き火の向こうに座っていた。思わず懐かしさに胸が苦しくなったが、口を開いて出てきたのは、全く違う言葉だった。
「あの時は……二人共もう家に帰れないと思ったが、朝明るくなったらすぐ近くにケルグリが見えたんだったな……だが、あの時落ちて怪我をしたのは君だったはずだぞ……クロード」
 そうだったかな。そう嘯くようなことを言いながらその男、クロード・リュノは更に薪を追加していた。

 ふと気が付くと、額には包帯が巻かれていたし、操縦服以外の装具も外されていた。
「君が手当してくれたのか……」
「それほど傷は深くない。操縦席の血痕からして流れた血の量も多くはないだろう。だが、しばらくは安静にしていることだ」
 そう言うとクロードは焚き火を弄るのをやめて、手足を縮こませていた。


 プレー曹長はしばらく無言のまま、クロードの顔を見つめていた。直に会えれば話したいことが幾つもあった気がしたが、いざ本人を目の前にしてみると、何も浮かばなかった。
 それがひどくもどかしくて、プレー曹長は顔を歪ませていた。

 それに対して、焚き火の向こうのクロードは身動き一つしなかった。ただ、焚き火が海風に揺られて不規則に揺れ動くせいで、彫りの深いクロードの顔に浮かぶ陰影が変化するものだから、一見すると表情がくるくると変わるように見えたが、実際には本人は不動のままだった。
 先ほどの他愛もない会話がまるで嘘かのようだった。まるで彫刻のようだった。本当にクロードなのだろうか、そう考えて嫌気が差したプレー曹長は思わず視線をそらしていた。


 そらした視線の先にあったのは、焚き火と月の明かりによってぼんやりと照らしだされれて、所々が黒ずんで見えた三式戦闘機だった。僅かな明かりだったが、特徴的な麦穂の絵だけは鮮明に見えていた。
「この機体に乗っていたのは、やはり君だったんだなクロード……君が最初に撃ち落としたのは、グローン中尉だったんだぞ」
 何の考えもなかった。口から出たのは、ただ反射的に脳裡に浮かんだ言葉だけだった。

 だが、クロードの顔に浮かんだ反応は一瞬だけだった。それも焚き火の明かりが僅かに揺らいだことで見せただけかもしれなかった。
 それにいらだちを感じて、プレー曹長は次々と非難の言葉を口にしていた。
「どうして君が祖国を裏切ったド・ゴール准将の手下などに成り下がってしまったのだ。彼は単なる犯罪者ではないのか。昔、僕に君が言った自由、平等、友愛、我が祖国の標語はどこへ言ってしまったのだ」

 プレー曹長が絶句して口を閉じると、のそのそとクロードが顔を上げていた。だが、その顔に浮かんだ表情は、曹長が予想していたような後悔や反発を感じさせるものでは無かった。
 単に面倒くさそうな表情をクロードは浮かべてていただけだったのだ。
「自由、平等それに友愛か……お前は本気でそんな言葉を信じているのか。フランス人がその標語を守る相手は自分たちの仲間だけなんだぞ。俺は東南アジアの植民地で、ぶくぶくと太った豚のようなフランス人がその言葉全てに反する行動を現地人に取るのを何度も見てきたんだぜ……
 それに、あのちっぽけなケルグリでアルジェと呼ばれ続けていたお前がその標語の無意味さを1番知っているはずだ」

 プレー曹長は、思いもよらなかった反論に戸惑って及び腰になりながらも続けた。
「だが……だが、君は完全に白人で……僕とは違う本当のフランス人じゃないか。だから、君は、君だけには祖国を裏切ってほしくはなかった」
 何を言いたいのか、プレー曹長自身にも分からなくなってきていた。ただ、自分のような半端者とは違うクロードには理想のフランス人として振る舞って欲しかったのかもしれなかった。


 だが、クロードは面倒くさそうな表情を変えることはなかった。
「本当のフランス人か……そうか、お前は俺の両親が離婚した理由を知らなかったのか。俺の母親はユダヤ人だ。それが原因で結局両親は別れて、俺だけが父に連れられてケルグリに戻ってきたんだよ」
 プレー曹長は衝撃を受けて呆然としていた。クロードの態度はあまりに自然だったからだ。もしかすると、ケルグリコミューンでその事実を知らなかったのか自分だけではないのか、それよりもそんなことさえ知らなかった自分は、本当に彼の友人であったのか、それが分からなくなりかけていたのだ。

 だから、プレー曹長は次第に弱々しい声になっていった。
「だが……グローン中尉を殺すことはないじゃないか……ユダヤ人だって酷いことをしているのは、ナチスドイツなんだろう……」
「俺には妹がいた」
 プレー曹長のがしどろもどろに反論するのを遮って、唐突にクロードが強い口調で声を上げていた。慌てて曹長が顔を上げると、別人のように鋭い視線をクロードは向けていた。
 それが彼にとっても自分に言い聞かせていたのだと気がついたのはずっと後になってからの事だった。


「俺には妹がいた。パリにいた頃の話だ。俺は父親に連れられてケルグリに来たが、妹は母親とパリに残っていたんだ。だが、二人ともパリが陥落した時に捕らえられて死んだ。本国から脱出してきた叔父貴が教えてくれたんだ」
 プレー曹長は愕然としていた。長い付き合いだったと思っていたのだが、妹の事など聞いたことがなかったのだ。
「それは……ドイツ軍がやったことではないのか。今のヴィシー政権のペタン元帥はそんなことはしていないのではないのか」

 クロードは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「確かに、妹や他の多くのユダヤ人を殺したのはドイツ人だったかもしれない。だが、そいつらは命令されてやったことだ。恨みはあるが、俺の復讐相手はそいつらじゃないんだ」

「復讐だと……君は復讐で自由フランスについたのか」
 唖然としてプレー曹長はそういったが、クロードは暗い笑みを向けただけだった。

「おかしいと思わないか。パリに昨日今日来たばかりのドイツ人がどうしてユダヤ人を次々と捉えることが出来たのだ。答えは簡単だよ。妹達はフランス人に……生き延びたい本当のフランス人共に売られたのさ。
 おかしな話じゃないか。住民を守るパリ警視庁が次々とユダヤ人だというだけで住民を連行してドイツ人に喜々として引き渡しているのさ。
 笑える話さ。叔父貴の方は、逆にフランスを占領しに来た親切なイタリア兵に保護されて本国を脱出してきたらしいぜ。占領者の方がユダヤ人に同情的で、昨日まで隣人だったほうがユダヤ人を裏切ったというのだ。
 こっち側にいるといろいろと聞こえてくるんだ。フランスもオランダも、ドイツに占領された人間は自分が助かるために次々と昨日の友を裏切っているんだ。
 裏切り者の名前はもうわかっているんだ。俺はだからパリに行くんだ。妹達に代わって裏切り者共を地獄に送ってやるためにな。
 その邪魔をするものは、お前だろうと容赦はしない。昔の馴染みで助けはしたが、今度俺の目の前に立ちはだかろうと言うのならば、俺は容赦なく引き金を引くぞ」


 プレー曹長は、語り続けるうちにどんどんと鋭くなっていったクロードの強い視線に気圧されて思わず後ずさっていた。クロードの方は、何事もなかったかのように落ち着いた様子で視線を落としていた。
 航空時計の針を確認したクロードは顔を上げていたが、そこには先ほど見せた激情の跡は大雨で洗い流されたかのように失せていた。

 漂白された様に無表情になったクロードはゆっくりと立ち上がってプレー曹長を見下ろしながらいった。
「そろそろ俺は行くぞ……せっかく助けた命だ。悪いことは言わんからお前もここを離れたほうが良いぞ」
 慌ててプレー曹長も立ち上がっていた。急に立ち上がったせいか、それとも傷のせいか、激しい立ちくらみを感じて目を瞬かせてながら無理をして声を上げていた。
「どこへ行くつもりだ。それにここを離れろだと。それよりも……帰らないか、基地まで何キロかあるだけのはずなんだ。一緒にフランスへ帰ろう」
 とっさに出た言葉だった。理由はよくわからなかったが、ここでクロードをどこかに行かせればもう会えないのではないのか。そう思ったのだ。

 クロードはプレー曹長の声が聞こえなかったかのように、平然とした表情で海の方を見つめながら言った。
「日本人というのは思ったよりも気の利く連中らしくてな、パイロットを回収するために定められた不時着地点の近くに潜水艦を派遣してくれているはずなんだよ」
「潜水艦だと……」
 プレー曹長は唖然としていた。それが本当だとすれば用意周到なことだが、地中海戦域における国際連盟軍の圧倒的な海軍力の優勢を考慮すれば潜水艦の1隻や2隻を派遣するのは不可能ではない気がしていた。
 数人のパイロットを回収するために潜水艦を危険に晒すのは理不尽なような気もするが、時間や予算をかけて特殊な訓練を施した貴重なパイロットを失うことや、敵地に脱出後も救出される可能性があることによる士気の向上を考えれば帳尻は会うのかもしれなかった。


 プレー曹長はようやく麦穂を描いた自分の機体とクロードの機体が同じ場所に不時着を試みた理由がわかっていた。河口で湿地帯になっていたこの場所が潜水艦との連絡が取りやすい海岸線に近い上に地面が適度に柔らかく不時着に適していたからだ。
 同じ絵を描いた機体同士が惹かれ合っていたのではないのか、何故かそう考えてしまっていた自分を恥じながら、プレー曹長はクロードを見つめていた。

「三式戦闘機は日本人にとっても最新鋭の機体だ。おそらく近いうちにこの島は国際連盟軍が占拠するだろうが、機体を回収される危険は冒せない。だから潜水艦の備砲で焚き火の明かりを標的に艦砲射撃を行うことになると思う。
 発砲開始期限は俺が回収されるまでだと思ったほうが良い。だから、早くここから立ち去ったほうが良いぞ。
 それと、生き残りたければあまりお前たちの基地にも近寄らんほうが良いぞ。少なくとも朝が来るまでは島の何処かに隠れておとなしくしていることだ」
 すでにクロードは喋りながらもプレー曹長に背中を見せていた。その余裕に撃墜されたグローン中尉の姿を思い出した曹長はとっさに操縦服に括り付けていた拳銃を取り出してクロードに向けていた。

 静止の声を上げようとしたプレー曹長だったが、違和感を感じて拳銃に目を向けていた。違和感を感じるはずだった。自動式の拳銃の銃把からは弾倉が抜き取られていたからだ。
 唖然としているプレー曹長に振り返ると、クロードは暗い笑みを浮かべながら、これみよがしに弾倉を一度目の前で手で振ってみせると遠くへ放り投げてからいった。
「それが自然な感情というやつだろう。だから言ったろう。俺の目の前に立ちはだかるつもりならば容赦はしないと。もう会わないほうがいいだろう」

 プレー曹長は何も言えなかった。本当に自分がクロードを撃つつもりがあったのか。それともただ反射だったのか。
 何も言えずに下ろした手から拳銃が滑り落ちた後も、ずっとプレー曹長は去っていくクロードの後ろ姿を見つめていた。

挿絵(By みてみん)
D.525 ヴィシー・フランス空軍 ジャン・ル・プレー曹長搭乗機 サルディーニャ島上空
挿絵(By みてみん)
三式戦闘機一型乙 自由フランス軍 クロード・リュノ中尉搭乗機 サルディーニャ島上空
ドヴォアチヌD.525の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/d525.html
三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hf1.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ