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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア海峡航空戦8

 陸上基地から出撃する長距離攻撃機という機体の性質そのものが疑問視された結果、十五試双発陸上爆撃機計画が中断されたことで試製銀河の名は採用されなかった数多くの試作機の一つとして忘れされようとしていた。

 現役の陸上攻撃機操縦士だった桑原中尉も、自分が乗り込んでいた九六式陸上攻撃機の後継機である一式陸上攻撃機のさらなる後継機が開発中という噂までは聞いていたが、試製銀河という具体的な名前を聞くことはこの極光配備の夜間戦闘機隊に配属となるまで全く無かった。
 いずれは九六式陸攻が旧式化に伴って要廃となれば、それまで性能に劣る九六式陸攻配備に甘んじていた部隊も、一式陸攻を飛び越えて一気にその新鋭機に装備転換されるという期待もあったのだが、実際には一式陸攻配備部隊の多くが船団護衛用の哨戒部隊に転換される中で、九六式陸攻部隊は陸戦支援に用途を限定されて一式重爆撃機に装備転換されるか、老朽化した九六式陸攻を返納して部隊ごと解散されていた。

 桑原中尉は、一時期は磁探などの新型対潜機材の開発のために、大西洋北部を遊弋する氷山空母に展開する特設哨戒飛行分隊に配属されていたのだが、その任を終えて復帰する前に原隊は解散してしまっていた。
 行きどころを失って途方に暮れていた所に下された辞令が新設される夜間戦闘機隊への転属命令だったのだ。


 夜間戦闘機隊への転属命令を受けたのは桑原中尉だけではなかった。特設哨戒飛行分隊に派遣されていた要員の何人かも中尉と同じ部隊への配属命令を受けていた。
 配属命令が出ていたのは操縦士や偵察員などの搭乗員ばかりではなかった。特設分隊で分隊長を務めていた篠岡少佐も同隊への転属命令を受けていたのだ。

 だが、この転属命令の内容には桑原中尉も首を傾げざるを得なかった。部隊を新設するというのだから、余剰となっている飛行分科である陸上攻撃機隊から要員を抽出すること自体は特におかしいことではなかった。
 数少ない夜間戦闘隊の多くは前線で配置についているはずだから、そこから多くの将兵を転属させるのは難しかったのだろう。

 それに、日本海軍の夜間戦闘機隊はこれまであまり重要視されて来なかった部隊だった。海軍ばかりではなく、日本軍全体でみても夜間戦闘専用部隊の比率は英軍などと比べるとさほど高くはないはずだった。
 海軍でも陸軍でも、予想される夜間戦闘とは味方制圧地域に進入する敵機に対する迎撃戦闘であったからだ。

 海軍の場合は、長距離攻撃隊の攻撃時間は昼間が想定されていた。
 黎明時の曙光を利用した奇襲作戦などであればまだ可能性はあるが、低空での雷撃を重視する日本海軍航空部隊にとって夜間作戦は奇襲は望めるものの、命中率が著しく低下するだけではなく、まだ精度の高い電波高度計のない時期だったから、飛行時に目印となる目標物のない海面上での夜間低空飛行そのものが危険を伴う投機的なものでしかなかったのだ。
 その辺の事情は明るい昼間であっても命中率の高い爆撃を行わなければならない航空撃滅戦を主要戦術とする日本陸軍でも同様だったのではないのか。

 だが、迎撃戦闘を主任務とするとはいっても、日本海軍を含む国際連盟軍にとって戦術的なものであればともかく、地中海方面で敵枢軸軍が大型機を連ねて大規模な夜襲をかける事態が生起する可能性は低かった。
 元々ドイツ軍では単発の戦闘機や急降下爆撃機などを主力とする戦術空軍としての性格が強かったし、最近では枢軸軍は防戦一方だったから大規模な攻撃隊を編成するような余裕はないはずだった。


 しかし、いくら夜間戦闘機隊の規模が小さいからといって、桑原中尉のような尉官級の操縦士ならばともかく、航空隊幹部まで陸攻隊から転属させるの無理があるのではないのか。
 篠岡少佐は、特設哨戒飛行分隊で分隊長を務めていた経緯や現在の階級になってからの期間を考慮すれば中佐への昇任も間近なはずだった。
 そうなれば、夜間戦闘機隊のように部隊あたりの配備機数の少ない新設航空隊であれば航空隊司令に就任してもおかしくはないのではないのか。

 だが、いくら新設の航空隊とはいっても、機種を変換したばかりの幹部要員を部隊指揮官に据えるのは無理があるのではないのか。
 それとも、篠岡少佐は航空隊の副長になるのか、逆に夜間戦闘機隊出身者を副長として補佐させるつもりだったのかもしれないが、新設の夜間戦闘機隊の編成日が近づいてもそのような気配は感じられなかった。


 もっとも、このように気をもんでいたのは桑原中尉達だけだった。当の本人である篠岡少佐は何らかの事情を予め聞かされていたのか、いつものように飄々とした態度を崩すことはなかった。
 桑原中尉達が事情を知ったのは、航空隊に対して正式に使用する機材である夜間戦闘機極光が配備された時だった。極光の前身が彼ら元陸攻隊達が乗り込むはずだった十五試双発陸上爆撃機、試製銀河であったからだった。

 編制準備段階で航空隊に配備されていたのは、各隊からかき集められた要員に対して夜間戦闘機隊への変換訓練を行う為に用意されていた月光だった。
 月光も極光と同じ双発複座の夜間戦闘機だったが、その性格はかなり異なっていた。元々別の用途で開発されていた機体を夜間戦闘機に転用したという事情は同じだったのだが、原型となった機体の用途が全く異なるものだったのだ。

 月光の原形となっていたのは、本来は長駆侵攻する長距離攻撃隊の援護用に開発されていた双発他座戦闘機だった。
 一式双発陸上戦闘機と呼ばれるこの機体は、制式採用はされたものの要求性能には未達であり、攻撃隊援護よりも機首に集中した重火力を活かして陸戦隊の支援を行う襲撃機として少数生産されたに過ぎなかった。
 だから、月光はこの一式双発陸上戦闘機の派生型といってもよかった。

 陸軍でも双発戦闘機である二式複座戦闘機を夜間戦闘機に転用していた。
 二式複座戦闘機と月光は、通常の双発他座戦闘機に夜間戦闘用の電探を追加したという点では同様だったが、二式複座戦闘機が原型通りの戦闘機としての性質を色濃く残していたのに対して、昼間戦闘機から迎撃用の夜間戦闘機に転用された英国のデファイアントにでも倣ったのか、連装20ミリ機関銃という有力な兵装を備えた後部旋回機銃座を備えているのは月光だけの特徴だった。

 月光には他にも一式双発陸上戦闘機から受け継いだ内翼部の20ミリ機銃が装備されていたが、主兵装は後部旋回機銃座と言っても良かった。
 双発戦闘機の細長い風防の後部から重爆のような機銃塔が突き出すという奇妙な見た目の機銃座だったが、そこには連装機銃からなる兵装だけではなく、夜間でも正確な照準を可能にする射撃管制用の電探まで備えられていたからだ。
 この自在に旋回する機銃座によって自機の姿勢と関わりなく鈍重な敵重爆に対する射撃を継続するというのが月光の基本戦術だったのだ。


 だが、航空隊に新たに配備された極光は、同じ夜間戦闘機とはいっても月光とはかなり印象の異なる機体だった。
 双発複座という部分は変わらなかったが、寸法では一回り極光のほうが大きいにも関わらず、旋回機銃座を装備していない分だけ流線型のより洗練された形状をしていたからだった。
 おそらく空気抵抗も大型の極光の方がより小さかったのではないのか。

 単純な火力では、極光と月光では20ミリ機関銃4丁と変わらなかったが、旋回機銃座のない極光では内翼と機首下部に配置された機関銃は全て前方を指向して操縦士が引き金を引くようになっていた。
 月光よりも極光が洗練された形状に見えるのは、不格好な機銃座の存在だけではなかった。月光や陸軍の二式複座戦闘機ではむき出しだった電探の空中線が小型化されたうえで電波を透過するという樹脂製の覆いの中に配置されていたからだ。
 前方に向けられた射撃管制、捜索電探が装備された機首上部はその樹脂製の覆いで占領されており、他にも胴体後部上面と尾部下面にも逆探や後方監視用の電探が備えられていたが、それらの電子兵装は全て月光のような射撃の仕事から解放された後部席の電信員が操作に専念することになっていた。


 そして、極光が配備された際に行われた際の座学において初めて桑原中尉達はこの機体がかつての十五試双発陸上爆撃機の改設計機であることを知ったのだった。
 極光の充実した電子兵装の大半が装備された機首前面は、元々は爆撃手を兼ねる偵察員用の席が配置されていた部分だった。その空間に空中線や電源を含めた電探を配置して、自衛火器を超える大口径の機銃を装備したのが、極光が十五試双発陸上爆撃機から夜間戦闘機へと用途を変更するために改設計した内容の大半だった。
 だが、その他の部分は設計期間を短縮するためか双発陸上爆撃機として開発されていた頃からほとんど変更されていなかった。

 この新設された夜間戦闘機装備の航空隊に元陸攻隊がかき集められたのも道理だった。双発戦闘機を夜間戦闘機に改造した月光よりも、極光は大型陸上機に近い性格の機体だったのだ。
 いってみれば、月光が戦闘機を大型化した機体であったのに対して、極光は陸上攻撃機を小型化した戦闘機なのだった。だから陸上から発進する大型機に慣れた桑原中尉達が選出されていたのではないのか。


 ただし、海軍にとって極光は新鋭機ではあっても、必ずしも夜間戦闘機の本命というわけではなかった。日本海軍にとっての夜間戦闘機とは本来の仮想敵である米軍やソ連軍の重爆撃機群による夜間爆撃を阻止するための機体だったからだ。
 軽快な戦闘機を相手にするのではなく鈍重ながら重武装重装甲の大型機を相手にする場合は、射角に制限のある前方固定機銃よりも射撃継続時間の長い旋回機銃が有効であると考えられていたのだ。

 現行の夜間戦闘機である月光の場合は、長距離援護戦闘機として開発されていた原型機が装備していた遠隔操作式の旋回機銃座は射撃指揮装置の精度が低いうえに重量過大の原因として廃されており、電探付きの動力銃座はその代替として搭載されていたものだった。
 ただし、月光が装備した動力銃座に海軍が満足しているわけではなかった。射撃管制用の電探と連動した動力銃座はそれなりに実用性はあったものの、空気抵抗の増大と重量は合計エンジン出力の大きな双発戦闘機にとっても過大なものだったからだ。

 それに、月光の運用時の実績などから、銃手が電探表示面を見て照準をするのであれば、旋回する機銃座を大型化して銃手席を配置する必要性は薄いのではないのかという疑問も抱かれていたようだった。
 何ということはなかった。結局は月光の原型機が装備していた遠隔操作式の旋回機銃座の概念が復活したということだった。

 もっとも、次期主力夜間戦闘機に搭載されるはずの機銃座は、数年前に廃された機械式の遠隔操作機銃座とは使用される技術の程度が異なっていた。
 重量過大以前に、月光原型機の旋回機銃座は肉眼での照準が基本だったから操縦席直後の機銃手席と更にその後部に設けられた機銃座との視差によって生じる射撃時の誤差を解消できなかったのも問題であったらしい。

 しかし、旋回機銃座と連動する電探による照準であればその問題は解決するはずだった。機銃手である電信員は自席からの肉眼観測に頼ることなく、電探表示面を見て射撃を行えばいいからだった。この方式であれば視差の問題は解決されるはずだった。
 以前の重量過多も、ここ数年の弱電関係技術の急速な発展を考慮すれば、銃座と電信員席を電気的に接続すれば良いのだから、実用的な範囲内に収まるのではないのか。


 だが、そのような新技術を盛り込んだ次期主力夜間戦闘機は開発が難航しているらしかった。
 その一方で双発戦闘機を急遽夜間戦闘機に転用した月光の機体寿命は刻一刻と迫っていたから、現行の月光と次期主力夜間戦闘機の間を埋める繋ぎの機体が必要だったのだ。
 しかも、開発期間の短縮を図るために、電探などの夜間戦闘機用機材は月光や次期主力夜間戦闘機用に開発されていた機材を転用するしか無かったから、繋ぎの機体は双発以上の大型機、しかもそれなりの機動性と搭載量を両立させた機体である必要があったのだ。

 その時点で条件を満たす機体は一つしか無かった。それが実質上十五試双発陸上爆撃機が中止に追い込まれる中で、セントーラスエンジン搭載の実験機として運用されていた試製銀河だったのだ。
四三式夜間戦闘機極光の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/p1y1.html
九六式陸上攻撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/96g3.html
一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbb.html
夜間戦闘機月光の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/j1n1.html
二式複座戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2tf3c.html
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