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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア海峡航空戦3

 サルディーニャ島に展開する第3戦闘機大隊をはじめとする航空戦力は、北アフリカからの輸送船団の撤退が完了するまでは防空任務を継続するように命じられていた。爆撃機大隊は損害を受けて幾つかの部隊が撤退していたが、レーダー搭載機を含む哨戒機として運用される部隊は共に残存していた。


 その様な状況下で輸送船団の多くは無事にフランス本土に帰還していたが、プレー曹長は部隊への連絡などから伺えるその様子を複雑な思いで聞いていた。
 実のところは、ヴィシー・フランス上層部に取ってこの作戦は将兵を救出すること自体が目的ではないのではないのか、そう考えてしまっていたからだった。

 フランス本土に入港できた輸送船の影で、帰路途上で敵潜や長距離哨戒機による散発的な襲撃による損傷や、過積載状態での無理な高速航行による予想外の燃料消費の影響で本土まで航行出来ずにスペイン領海内で立ち往生して、乗船した将兵ごとスペイン海軍に臨検を受けて拿捕された輸送船が何隻かあったらしいのだ。
 最終的に拿捕された輸送船の数は少なかったとはいえ、ただ一度の大規模輸送船団だったために一隻あたりの乗船人数はかなり多く、スペイン国内に拘留された将兵はかなりの数になるようだった。


 現在のスペイン政府の状況からして、抑留された将兵が短期間で解放される可能性は低かった。
 フランス降伏直後に実施されたドイツ軍空挺部隊によるジブラルタル強襲前後はスペイン政府は表向きは中立を保ちつつも、そのジブラルタルを巡る領有権問題に起因する国民の反英感情の強さなどから親独的な姿勢が強く、スペイン領海内を通過するジブラルタルへの補給船も実質上黙認されていたほどだった。

 そのような風向きが大きく変わったのは、マルタ島沖海戦で枢軸軍が敗退した頃だった。同時期に実施された英国軍によるジブラルタル奪還に際してスペイン政府は表向きの反論のみでやはり黙認する姿勢を保っていたのだ。
 おそらく、内々に国際連盟加盟国からスペイン政府に対する働きかけがあったのだろうが、この政策方針の転換は、スペイン政府自体が枢軸軍の最終的な敗退を予期して、戦後の国際体制を考慮した結果なのではないのか。

 だから、スペイン領海を無視するようにオランからフランス本土までの最短距離を航行中に抑留された将兵を簡単に解放するとは思えなかったのだ。
 ここで独仏の要請で領海内で拘束された将兵を無条件で解放してしまえば、逆に国際連盟加盟諸国から中立政策に疑いの目を向けられるのは必至だったからだ。


 奇妙なことに、艦隊型曳船などの随伴がなかったとはいえ、スペイン海軍の哨戒艇によって臨検を受けるまでに漂流状態になった輸送船を救出しようという試みがなされていた形跡はなかった。
 表向きは、航行不能になった輸送船を救出するために他の無事な輸送船を危険に晒すことを避けるためだったというが、プレー曹長は説得力に欠ける言い訳だと思っていた。

 確かに、機関出力を喪失した数千トンの輸送船を同級の輸送船で救出するのは難しかった。
 機関出力はどれも似たようなものだったから、他船を曳航出来るほどの余剰出力は無かったし、上甲板まで救出した将兵で一杯になっていたらしいから、係留作業を実施する余地すら無かったかも知れなかった。
 将兵を満載していたのは随伴する植民地通報艦や軽巡洋艦群も同様だった。

 植民地通報艦は、極論すれば速力よりも航続距離や居住性を充実させた駆逐艦でしかなかったし、輸送船団に随伴する軽巡洋艦はいずれも練習艦や敷設艦としての任務を兼用する艦艇だったから、条約型巡洋艦の制限一杯よりも大分排水量は少なく、機関出力も低かったからやはり曳航は難しかったはずだ。


 しかし、輸送船団には他にも大型艦が残されていたはずだった。

 2隻のデュケーヌ級は、基準排水量一万トン以下という制限が課された条約型巡洋艦の第一世代として建造された重巡洋艦で、それ以後に建造されたシュフラン級重巡洋艦やアルジェリーが、戦艦群を補佐するために装甲を充実させた準主力艦として建造されていたのに対して、デュケーヌ級は軽装甲ながら高速艦として設計されていたために、機関出力は大きかった。
 それに練習巡洋艦であるジャンヌ・ダルクやラ・トゥール・ドーブルニュ、エミール・ベルタンの2隻の敷設巡洋艦のように艦内には大きな余剰スペースがないから、輸送船としてではなく純粋な戦闘艦として輸送船団の直衛護衛戦力の役割を担っていたはずだった。
 つまり、甲板員の作業が必要な係留作業を行うことは不可能ではなかったはずなのだ。


 輸送船団から即時戦闘行動が可能な直掩艦を引き抜きたくないというのであれば別の方法もあった。
 その時、バレアレス海には国際連盟軍の迎撃艦隊との交戦後に撤退して洋上で緊急の再編成を行っていた艦隊が遊弋していた。

 シチリア島への進撃時には、日英の艦隊を誘引するために、総司令部直轄部隊である襲撃艦隊を母体にしたジャンスール中将率いる第1艦隊と、同じく外洋艦隊を母体としたオリーヴ中将指揮下の第2艦隊という2群に分かれていた。
 この2群の高速艦隊は、シチリア海峡での戦闘でダンケルク級戦艦ストラトブールを始めとする少なくない数の戦闘艦を喪失した結果、艦隊戦力は大きく低下していた。

 しかし、この戦闘の後も国際連盟軍は有力な艦隊を残していた。新鋭リシュリュー級の2隻と交戦したキング・ジョージ5世級戦艦には大打撃を与えていたが、日本海軍はこの戦闘に4隻もの高速戦艦を投入していたから、残存艦だけでバレアレス海まで突入してくる可能性は残されていた。
 最終的に海軍総司令部は、ストラトブールを喪失した第1艦隊を臨時に第2艦隊に編入させて連合艦隊を編成していた。

 ただし、2艦隊連合とはいっても撃沈された艦艇以外にも大きな損傷を受けて戦闘不能になっていた艦もあったから、再編成後の戦力は戦闘前の1群にも劣っていたのではないのか。


 プレー曹長が注目したのは、この再編成時に臨時連合艦隊に編入されなかった艦艇だった。この時点で艦隊に編入されなかったということは、機関に損傷を受けて艦隊の航行速度についてこれないほど速力が低下していたのか、あるいは自衛戦闘も不可能なほど戦闘力が低下していたのでないのか。
 そうでなければ戦力不足の中で帰還を命じられることはなかったはずだ。

 だが、その状態でも機関さえ無事であればかなりの曳航能力があったのではないのか。
 2群の高速艦隊に所属する巡洋艦はいずれも一万トン級の大型艦だったし、随伴する駆逐艦も大型のモガドル級やル・ファンタスク級だったから、1隻では無理でも2隻で分担すれば輸送船の曳航は可能だったはずだ。
 だが、再編成から漏れた艦はいずれも艦隊解散後は輸送船団のオランからの出港を待つことなく一足先にトゥーロンに帰還していた。

 もちろん曳船さえあれば全ての輸送船が無事にフランス本土までたどり着くことが出来たとも思えなかった。
 曳航作業で速力の低下した戦闘艦が輸送船ごと拿捕されていたかもしれないし、戦闘を想定した大型船の長距離曳航自体それほど前例がないから途中で浅瀬に座礁して曳船ごと喪失していたのかも知れなかった。
 だが、プレー曹長にはどうしてもヴィシー・フランス上層部が、北アフリカ戦線で戦った将兵たちが輸送船に乗り込んでオランから出港した後は急速に冷淡になっていたような気がしていたのだ。


 だから、ヴィシー・フランス上層部にとって本当に重要だったのは、精鋭集団である北アフリカ派遣部隊の将兵を2つにわかれたフランス、その片割れである自由フランス側に合流させるのを阻止することにあったのではないのか、プレー曹長はそう考えていたのだ

 実は、プレー曹長も参加していたシリア、レバノンでの戦闘が終結した後、ヴィシー・フランス軍内部にある種の噂が広がっていた。
 国際連盟軍の制圧後も一度激化してしまった内戦が終わる気配を見せなかったレバノンは兎も角、シリア領域内には取り残されたヴィシー・フランス側の部隊がかなりの数存在していた。
 その少なくない数の将兵が、国際連盟軍側についた自由フランスに寝返っていたというのだ。


 今次大戦の開戦直後からの豊富な実戦経験をもつ貴重な搭乗員を多数抱える第3戦闘機大隊は、後から思えばシリアに派遣されていた部隊の中でも優遇されていた方だし、飛行隊長のリシャール大尉は空中戦闘ばかりではなく地上でも目端が利く上に、本土の何処かから実験段階の装置を輸送させるという奇妙なコネまで持ち合わせていたから、戦闘終了後も整備兵などの後方支援要員まで無事に撤退することが出来ていたが、他の部隊でそれは困難だったはずだ。

 地上戦闘部隊はもちろん、航空部隊に関しても海路での脱出はいち早く進出していた国際連盟軍艦隊の活動が活発化していたから困難だったし、空路であっても、枢軸軍が支配するギリシャとの間には、中立を保っていたトルコ領が広がっていたから、数少ない長距離飛行能力を持つ大型輸送機を保有する輸送航空群は引っ張りだこになって事故や戦闘による損耗も多かったらしい。
 だから、最前線に取り残された将兵の中には、満足な撤退手段も補給物資すら用意せずに、国民世論を背景に徒に徹底抗戦を叫ぶヴィシー・フランス上層部に見捨てられたと感じて、それまで交戦していたはずの自由フランスに合流したものもあったのではないのか。


 どれだけの割合の将兵が実際にヴィシー・フランスから自由フランスに鞍替えしたのかはわからないし、それが個人単位だったのか、それとも部隊ごと離反した例があったのか、プレー曹長達の元には噂しか流れていなかった。

 だが、政治的な信頼性を政権から疑われている軍上層部が末端部隊内部の動向にこれまで以上に神経をとがらせているのも事実だった。
 海軍ではヴィシー・フランス領内ではなく、ドイツ占領地帯のパリに最高司令部とその家族用の居住区を置くとともに、これまで大型艦艇に同盟国との共同運用の円滑を図るためとしてドイツの親衛隊士官を乗艦させて監視させていたが、軽巡洋艦以下の艦艇にもこの措置を拡大しようとする動きがあるらしい。

 空軍や陸軍でもこれまでは連隊司令部単位でしかそのような措置は取られていなかったが、旧フランス軍の軍制をそのまま引き継いだ部分の少なくないヴィシー・フランス軍ではこの監視体制には穴があった。

 他国のように連隊単位でまとまって移動するよりも、ドクトリン上でフランス軍は頭数が重要な歩兵部隊であっても中隊単位で原隊から抽出されてばらばらに編成される事が多かったからだ。
 先の対独戦における敗退の一因も上級司令部の統率能力の不足とともに、中隊単位で防衛線に配置された部隊がそれぞれ上級部隊が異なるために連絡が悪かったためでもあったと言われていた。

 空軍でも連隊編制を解いてより実戦的な戦闘単位である航空団に再編制されて、さらには飛行場の規模などから飛行大隊単位での単独配置も珍しくなかったから、政治的な独立性は陸軍以上に高かった。
 それで空軍にも大隊ごとに何らかの監視体制が構築されるらしいという噂が流れていたのだ。


 前線で戦う部隊の将兵にしてみれば実に業腹な処置ではあったが、そのような噂が流れているということ自体が軍上層部の危機感の高まりの原因、つまりはこれまでの戦闘で降伏して自由フランスに合流した部隊の存在が事実だということになるのではないのか。


 ドヴォアチヌD.525は定められた上昇率を保ちながら予想迎撃高度まで上昇を続けていた。単調なエンジン音だけが響く一人きりのコクピットの中で、プレー曹長は不意に眉をしかめていた。

 実のところプレー曹長の脳裡でずっと引っ掛かっているのは、子供の頃から同じケルグリコミューンで育った幼なじみであるクロード・リュノの事だった。
 父親が不明で、母親も早くになくして叔父夫婦に育てられたプレー曹長はずっと白人種とは異なる浅黒い肌でからかわれていたから、10歳の頃にパリから越して来たクロードは人生で最初の友人であったのかも知れなかった。

 だが、航空兵として空軍に入隊したプレー曹長とは異なり、クロードは空軍士官学校を卒業した将校としてインドシナ植民地に配属されていた。
 そして、フランスの降伏で音信が途絶えがちとなり、国際連盟軍の侵攻後は彼だけではなく東南アジアに駐留していた独立飛行群などの行方は知れなくなっていたのだ。


 それ以来プレー曹長はクロードに会うこともなかったが、一度だけ彼の存在を身近に感じた時があった。レバノンでの戦闘終盤にプレー曹長は敵偵察機を撃墜するために特別仕様のドヴォアチヌD.520で出撃したのだが、突如出現した直掩機によって編隊ごと一蹴されていた。
 その敵直掩機の長機には自由フランス軍所属を意味するロレーヌ十字と共に地味な麦穂の絵が描かれていたのだが、それはかつてケルグリコミューンで同郷の先輩パイロットであるル・グローン中尉が帰郷飛行を行った時に、一面の麦畑の中で共にパイロットの道に進むことを誓ったクロードと共に考えたマークだったのだ。

 以前調べた限りでは全フランス軍の中で、個人によるものにせよ部隊によるものにせよそのような地味なマークを採用した例はなかったはずだった。
 その後、その戦域では日本製の戦闘機を装備した自由フランス軍の連隊単位の部隊が展開していることが確認されていたから、麦穂のマークの機体がその部隊の所属である可能性は高かった。

 その時まで、プレー曹長は祖国を裏切った自由フランス軍に親友が所属しているなどと思ったこともなかった。だが、あの時の戦闘で強い疑惑を抱き始めていた。
 もちろん、麦穂のマークだけであの時の戦闘機を操縦していたのがクロードであるという確証が得られたわけではなかった。

 それに、撃墜された瞬間プレー曹長は確かに敵機の銃撃の向こう側に強い殺意を感じ取っていた。プレー曹長が生存できたのは、単に当たりどころが良かったのと、他の編隊機への攻撃に敵機が素早く向かってくれただけの事だった。
 実際、あの戦闘で何とか基地まで逃げ延びられたのはグローン中尉一人だけで、機を捨て脱出して生き延びたのもプレー曹長だけだったから、同数の敵機とあたった曹長達の部隊は僅かな戦闘で壊滅していたのだ。

 あの麦穂を描いた敵機に搭乗していたのがクロードであったのかどうかはわからない。だが、ロレーヌ十字のマークがある以上は自由フランス軍に所属していたのだけは確かだった。

 少なくともプレー曹長には、簡単にかつての友軍に対してあれだけの殺意を込めることが自分に出来るとは思えなかった。一体あのパイロットにどのような事情があったのか、それを確かめなければならない。
 プレー曹長は、あの時の戦闘を思いこす度にいつの間にかそう漠然と考えていた。それが可能な手段は、曹長には一つしか思い浮かばなかった。


 相次いで空襲を受けていた枢軸軍は、レーダーを用いた哨戒範囲の拡大を行っていた。
 その方針に従ってサルディーニャ島沖合いまで進出してレーダーによる捜索を実施していたアミオ359から敵大型機の編隊らしき反応を確認したとの連絡を受けて、飛行隊は緊急発進していたがその中に混じるプレー曹長のドヴォアチヌD.525の胴体には、かつて曹長を撃墜した敵機に描かれていたのと同じ麦穂が描かれていた。
ドヴォアチヌD.525の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/d525.html
アミオ359の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/amiot359.html
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