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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦30

 日本陸軍でも最精鋭かつ重武装で知られる第7師団は2個ずつの戦車連隊と歩兵連隊を基幹戦力としており、配備される戦車の定数は200両を超えていた。
 他の多くの師団では歩兵支援用の大隊から増強大隊規模の師団戦車隊が配属されているのがほとんどなのだから、第7師団の重装備は突出しているように見えた。

 ただし、他の師団でも重武装の部隊が無いわけではなかった。それらの部隊は国内に駐留する平時編制こそ軽装備ではあるのだが、日本陸軍の仮想戦場であるバイカル湖畔に於いてシベリア―ロシア帝国とソビエト連邦との間に戦端が開かれた際には、ほとんど人員のみでウラジオストックに移動して事前に集積されている重装備を受領する手筈になっていたのだ。
 この有事の際の動員計画では重装備の師団を束ねたロシア派遣軍が短時間で誕生することになるが、平時から大規模な機甲師団編制をとっている第7師団はその中核となるべき部隊だと言えるだろう。

 その第7師団の基幹戦力の一つである第71戦車連隊は、当然の事ながら日本陸軍の機甲科の中でも最精鋭部隊であり、池部中尉の上官である根津大尉は連隊の中でも古参の士官だった。
 大学卒という経歴のせいで招集されてから幹部候補生試験を受けさせられて、その後の大戦勃発による動員などで軍を抜け出せないまま戦車将校になってしまったような池部中尉とは違って、根津大尉は陸軍幼年学校から士官学校へと進んだ本当の意味での将来の軍幹部候補だった。
 年齢は池部中尉とそれほど変わらないはずだから、根津大尉が士官学校で兵科を選択した頃は、未だ機甲科は旧歩兵科と旧騎兵科が主導権を巡って内部抗争を続けていた混乱期だったはずだが、その頃から将来の主兵は戦車であると大尉は考えていたと以前聞いていた。

 そのような大尉の思いはともかく、新編成された機甲科将校の言わば一年生とも言える根津大尉が第71戦車連隊の中でも将来を嘱望される逸材扱いされているのは間違いなかった。
 おそらくは近い将来に連隊を離れて、今度は統合後の機甲科将校初となる陸軍大学校の学生として本土に帰還するのではないのか。


 根津大尉は尉官ではあるが、連隊にとっても重要な将校だった。その大尉を派遣することを連隊長が決意したくらいだから、派遣先の第11独立混成旅団の被害は甚大なのではないのか。
 もしかすると旅団は壊滅的な損害を被っており、その立て直しのために根津大尉が派遣されることとなったのではないのか、池部中尉たちはそう考えたのだが、実際にはもう少しばかり事情は複雑のようだった。

 確かに第11独立混成旅団は昨日一日だけで少なくない損害を被っていたらしい。
 だが、撃破された戦車は少なくなかったものの、脱出した戦車兵もまた少なくなかったし、旅団だけではなく、第5師団や海軍第2陸戦師団の段列まで動員して回収した戦車を夜を徹して修理を行っていたから、今朝の段階ではかなりの段階まで戦力は回復していた。

 そのような回収作業が可能だったのも、上陸二日目から開始された枢軸軍側による反抗に対して、第11独立混成旅団をはじめとする上陸第一波となる部隊が頑強に抵抗を続けて海岸地帯を支配し続けられたからだった。
 それと同時に枢軸軍側の作戦もどこかちぐはぐなものであったらしい。

 大雑把に言えば上陸岸となった地帯を包囲するように枢軸軍の反撃部隊は布陣していたのだが、ジェーラ及びリカタの2方面から接触してきた部隊に対して、上陸岸中央に布陣した部隊は攻撃開始が遅れていた。
 東西方向から上陸岸を挟みこむように布陣していた部隊は、どうやら一時的に撤退していたイタリア陸軍の沿岸警備部隊を再編成したものらしく、兵力は少なくないものの、重火器に乏しく、火力や機動力は低かった。
 それに対して上陸岸北部のエンナ方向から向かってきた部隊は、大規模な戦車部隊を有しており、少なくとも1個大隊を超える数であったらしい。歩兵の頭数で言えば東西方向の部隊に劣っていたようだが、半装軌の装甲兵車も確認されていたようだった。


 東西方向の部隊がイタリア軍を主力とするのに対して、北部から進出しようとしていた部隊はドイツ軍の部隊のようだった。
 戦車部隊は四号戦車に加えて未確認の新型戦車も確認されており、その一方で未だドイツ軍の数的な主力を占めると考えられていた三号戦車の姿が見られなかったことから、装備の質に関しては相当に優遇された部隊であるのは間違いなさそうだった。
 投入された数が少なかったのか、新型戦車に関しては得られた情報は少なかったが、主砲威力や耐弾性は戦闘中の状況からして四号戦車を上回っているのは間違いなさそうだった。

 しかもこの部隊には噂のティーガー戦車までもが確認されていた。数は少なかったようだが、新型の三式中戦車の重装甲も、やはり戦闘距離で放たれたティーガー戦車の主砲弾には耐えられなかったらしく、正面装甲を貫通された車両があったらしい。
 第71戦車連隊では、確認された戦車部隊の編成からして、敵部隊はドイツ軍の1個戦車大隊を基幹として、ティーガー戦車を専用に運用する独立戦車大隊から1個中隊程度の増援を受けた戦闘団ではないかと推察していた。
 しかも基幹戦力たる戦車大隊は新型戦車が確認されたことから見ても精鋭部隊であることは間違いないから、装備の質からいってもこの部隊が反撃部隊の主力であると判断するべきだった。


 もしも、昨日の朝早くから開始された東西方向のイタリア軍部隊による反撃開始と同時に、このドイツ軍の戦車部隊が南下を開始していた場合は、遣欧第2軍は、第5師団と海軍第2陸戦師団との戦区の境界線を突かれて海岸まで突破されたとしても不思議ではなかったはずだ。
 だが、実際には池部中尉が目撃したように海岸地帯は日本軍が制圧し続けて、工兵部隊は着々と後続部隊を受け入れる準備を続けていた。

 これも北部のドイツ軍戦車部隊の攻撃開始が遅れていたからだ。正確に言えば、東西の部隊に対して攻撃発起点への到着が遅れていたらしく、移動を急いだためか、攻撃が開始された頃は陣形も乱れがちであったらしい。
 それに海岸線近くでは空母部隊から発艦した艦上機隊に加えて、一部の特殊船や輸送艦を母艦とする回転翼機の直協機部隊が活動を開始していたから、山岳地帯を貫く曲がりくねった街道を我武者羅になって高速で通過しようとしていた戦車部隊の姿は、早くから確認されていた。


 上陸直前にシチリア島最大の航空基地が存在するパレルモに対する航空撃滅戦が開始されていたが、基地の規模が大きいせいか、あるいはドイツ空軍が部隊を集結させて防備を固めていたためか、残存機の数はそれなりの数に達するらしく、上陸岸周辺の制空権は確立されたとはとても言えない状態だった。
 だから空母部隊から出撃する直掩機による防衛網を潜り抜けて、上陸岸に接近しようとする敵機は少なくなかった。
 それに敵戦車部隊には大口径の高射機関砲を搭載した装甲兵車が随伴しており、回転翼機は鈍足のせいか何機かが撃墜されていた。

 投入された回転翼機は直協機とは言っても、原型は着弾観測用の観測機であったらしく、機動性や速度に重点を置いた機体ではなかった。それでも滑走路の存在なしに自在に展開できる利点は無視できなかった。
 昨日の戦闘でも、平野部で地上部隊が接敵するまで敵戦車部隊の動向を最後まで回転翼機が確認し続けていたようだ。
 それで遣欧第2軍司令部では敵戦車部隊の性格な位置を把握し続けることができていた。

 上陸岸を包囲する部隊の戦力は少なくなかったが、正確な敵位置を把握できたことが遣欧第2軍の戦闘を有利に導いていた。反撃部隊の攻撃開始の時間差を最大限に利用して戦力運用を行うことが出来たからだ。
 東西からのイタリア軍を主力とする部隊による反撃開始に、上陸部隊の指揮官は当初は艦砲射撃を含む火力の集中投入で対応し、重火器の不足するイタリア軍沿岸警備部隊の反攻が頓挫して、代わってドイツ軍戦車部隊が戦場に投入された頃には、東西の両戦線から抽出した戦力で第11独立混成旅団を中核とする迎撃部隊を用意していた。


 しかし、迎撃部隊に対するドイツ軍戦車部隊の圧力は大きかった。鈍足ながらも重装甲、大火力のティーガー戦車を先頭に据えたくさびのような隊形で海岸に向けて突入を図ったのだ。
 これに対して、百式砲戦車や三式中戦車からなる迎撃部隊は果敢に抵抗を試みたが、隊列の先頭で全軍の盾となって前進するティーガー戦車を撃破するのは難しかった。

 後方の四号戦車や装甲兵車であれば、遠距離からでも百式砲戦車や一式中戦車の長砲身57ミリ砲や、三式中戦車の短砲身75ミリ砲で撃破することも出来たかもしれないが、迎撃部隊の火力はティーガー戦車に集中しており、結果として僅か数両のティーガー戦車を撃破したのと引き換えに、近距離まで踏み込まれた迎撃部隊の戦車はティーガー戦車だけではなく、随伴する四号戦車からも放たれた狙いすました射撃によって次々と撃破されていた。
 ティーガー戦車はともかく、四号戦車に対しては、三式中戦車であればある程度耐久できるらしく、完全に破壊された三式中戦車の数はそれほど多くはなかったが、それ以外の百式砲戦車や一式中戦車の損害は大きかったようだった。

 結局、昨日は敵戦車部隊の攻撃開始時間が遅すぎて、山岳地帯近くまで構築されていた日本軍の防衛線を抜けずに、海岸線に達する前に夜の帳が下りていた。
 おそらく、随伴する歩兵の数が少ない敵戦車部隊は、日本軍歩兵部隊による夜襲を恐れて攻撃発起点である裾野まで後退していった。それでようやく日本軍としても一息ついた形になっていた。


 だが、東西方向のイタリア軍部隊はともかく、敵戦車部隊に与えた損害はそれほど大きなものではなかったし、シチリア島中心部からジェーラ方向に向かって移動する敵部隊も確認されていたから、戦力を回復させたドイツ軍部隊によって今日も激しい戦闘が開始されることが容易に予想できた。
 そこで日本軍は迎撃部隊を補強するために、遣欧第1軍隷下の一部部隊の上陸予定を早めるとともに、第11独立混成旅団の強化を図るために、将校団の増強を行うことにしていた。
 根津大尉の派遣もその一つであるようだった。


 昨日の戦闘で、第11独立混成旅団が数の上では互角か、それ以下であったはずのドイツ軍戦車部隊に対して劣勢に立たされたのにはいくつかの理由があった。

 まず考えられるのが火力の不足だった。
 東西方向から進出してくるイタリア軍部隊に対しては、戦艦や巡洋艦だけではなく、射程の短い駆逐艦級の戦闘艦までもが長時間の艦砲射撃を実施していた。
 だから戦闘が継続中であっても第11独立混成旅団を始めとする有力な部隊を東西方向の戦線から抽出することが出来たのだろう。

 しかし、東西方向のイタリア軍部隊に放たれたほどの火力をドイツ軍戦車部隊に対して指向することは出来なかった。
 イタリア軍部隊は海岸沿いに進出してきたために、海上に展開する艦側からの観測でも射撃を行えるほどだったのだが、内陸部から進出するドイツ軍部隊に対しては砲兵情報連隊などによる間接照準が不可欠だった。
 だが、遣欧第2軍に随伴して海岸に展開した砲兵情報連隊の将兵の数は限られていたし、貴重な観測機部隊の少なくない数が偵察機として運用されていたから、着弾観測が可能な対象はそれほど多くはなかった。

 しかも友軍が布陣する海岸線付近を超越して射撃を行わなければならなかったから、射程の短い駆逐艦級艦艇では誤射の危険性が強すぎて射撃は実施されなかったようだ。
 池部中尉には詳細な事情は窺い知れなかったが、海岸線近くに展開する戦艦の数は上陸初日と比べて半減していたというから、最終的にドイツ軍部隊に向けられた砲火はそれほど激しいものではなかったのだろう。


 火力の不足は間接支援だけではなかった。敵戦車と対峙して直接砲火を交わしあった戦車部隊においても同様だった。
 戦車同士の質はそれほど大きな差はないはずだった。短砲身75ミリ砲を装備した三式中戦車は、機動性を除けばティーガー戦車に対しては完全に劣勢にあるはずだが、詳細不明の新型戦車はともかく、数的に敵部隊の主力を占める四号戦車とならば相手が長砲身型であっても互角に戦えるはずだったのだ。

 だが、結果を見ればティーガー戦車どころか、四号戦車に対してもどこか腰の引けた効果の出ない戦闘をだらだらと続けることになっていた。

 その理由ははっきりとしていた。相手が集団での機甲戦闘に特化したようなくさび形の陣形を取ったのに対して、迎撃部隊の主力たる第11独立混成旅団だけではなく、師団戦車隊などから抽出された増援部隊を含めて殆どの部隊が中隊単位での横陣を取って待ち構えるようにして布陣していた。
 そのせいで各隊ごとに五月雨式に戦闘に加入していた結果、せっかくの火力が分散されていた上に、中隊単位での歩兵支援の訓練ばかりを繰り返してきた各隊の指揮官や車長が大規模な機甲戦闘に不慣れだったものだから、分散された火力が長距離から実際には貫通する可能性のないティーガー戦車に向かってしまって大部分が重装甲に跳ね返されただけに終わったらしい。

 もしも第11独立混成旅団がくさび形陣形をとる敵部隊の側面に一部部隊を展開させたり、火力をより効果のある対象に指向できていれば敵部隊に与えた損害はもっと大きかったのではないのか。
 だが、実際には歩兵支援任務を前提としていた第11独立混成旅団の指揮官たちは三式中戦車の大出力と走破性を活かした大胆な機動を行えるだけの判断を下すことが出来なかったようだ。

 おそらく、機甲戦闘に対応した第71戦車連隊から根津大尉が派遣されるのも第11独立混成旅団でその経験を活かすためなのだろう。
 それに中隊単位での展開が多い歩兵支援任務に特化した旅団では大隊長級の中堅将校の数は少ないらしいから、実際には根津大尉は少佐進級か陸大入学を控えた古参の大尉だったから、中隊長としてではなく複数の中隊を指揮下において大隊長として扱われるのではないのか。

 根津大尉は階級以上の権限と責任を追うことになるが、それは池部中尉も同じだった。
三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
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神州丸型揚陸艦の設定は下記アドレスで公開中です
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秋津丸型揚陸艦の設定は下記アドレスで公開中です
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二式観測直協機の設定は下記アドレスで公開中です
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百式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です
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