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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦20

 敵艦の転舵を告げる見張り員の報告が響くと同時に、艦隊司令部の参謀達が上げたどよめきがキング・ジョージ5世の艦橋を満たしていた。


 日本海軍から派遣された連絡将校である笠原大尉が、そっとこの艦隊の司令官であるカナンシュ少将の方を覗き見ると、少将は参謀達のように声こそ出さなかったものの、眉をしかめた不機嫌そうな顔で敵戦艦が航行しているはずの方向を睨みつけていた。
 だが、艦橋構造物に据え付けられた高倍率の双眼鏡を使用する訓練された見張り員や、レーダーと連動した測距儀を備える射撃指揮所ならばともかく、現状では戦艦同士の砲戦距離としても距離があるから、肉眼で敵艦の詳細を確認するのは難しいのではないのか。

 もちろん、敵艦の艦種や隊形は既に把握されていた。
 英国海軍K部隊の旗艦であるキング・ジョージ5世とプリンス・オブ・ウェールズの同型艦2隻からなるK部隊主隊と距離を取りながら変則的な同航戦を行っているのは、ヴィシー・フランス海軍の最新鋭戦艦であるリシュリュー級戦艦のリシュリューとジャン・バールと思われる2隻だった。

 レーダー連動の測距儀を備えたことで、巨大な塔型上部構造物の割には洗練された主砲射撃指揮装置をキング・ジョージ5世級戦艦が有するのに対して、リシュリュー級戦艦はイタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級などと同じく、司令部艦橋を兼ねたためか、複数の測距儀を多層式に重ねた複雑で背の高い射撃指揮塔を備えているというが、この距離からでは詳細はわからなかった。

 その特徴的な射撃指揮塔の細かな艤装の違いから1番艦リシュリューと2番艦ジャン・バールの識別も可能だというが、戦闘中に個艦の識別を行うのは難しそうだった。
 常識的に考えれば、竣工の遅い2番艦の方が旗艦設備が整っているはずだから、2番艦であるジャン・バールのほうが旗艦となって隊列先頭に位置していると思われるが、このキング・ジョージ5世級戦艦のように仕様差が小さいために1番艦が旗艦であるかもしれないし、仮にジャン・バールが旗艦であっても、射撃が集中しやすい隊列先頭を避けて後方に位置している可能性も少なくない。


 要するに何もわからなかった。戦闘が開始されからすでに1時間以上経過していたが、その間両艦隊の距離はほとんど変化していなかった。
 正確に言えば、何度かカナンシュ少将は敵艦隊に接近させる機動をとったのだが、そのたびにはぐらかされるように敵艦隊が巧みな機動を見せて距離を保っていたのだ。

 だが、戦意は旺盛であるにも関わらず、敵艦を補足できないのは、敵艦隊の司令官や艦長たちの能力が優れているからだけではないはずだった。笠原大尉は、不機嫌そうな顔で転舵を命じるカナンシュ少将を冷ややかな目で見ながらそう考えていた。
 主な理由は、この艦隊司令官であるカナンシュ少将にあるはずだった。別に指揮官としての少将の能力に疑問があるのではない。笠原大尉の連絡将校としてのK部隊での勤務はそれほど長いわけでもないが、その間にカナンシュ少将の度量の狭さ、あるいは日本人への偏見か反感を感じ取っていたのだ。


 マルタ島周辺海域を主な行動範囲とするK部隊が最初に編成されたのは、北アフリカ戦線の戦闘が本格化し始めた二年程前の事だった。まだ日本帝国が正式参戦せずに、ユダヤ人移送計画の護衛を建前として艦隊を欧州に事前派遣していた頃の事だった。
 当時のK部隊は、2隻の戦艦を主力とする現在のK部隊とは全く異なる小規模な部隊だったらしい。元々の編成理由が、北アフリカとイタリアを結ぶ枢軸軍通商路の妨害を行うためのものだったからだ。

 だが、枢軸軍による空海からの絶え間ない圧迫を受けていた当時のマルタ島は次第に艦隊の根拠地として使用できるほど安全な場所ではなくなっていった。
 通商破壊作戦、あるいはマルタ島への船団護衛作戦を遂行する中で艦隊の損害が短時間で増大したこともあって、去年の初め頃にはK部隊を構成する各艦はアレクサンドリアまで撤退し、艦隊は解散していた。

 そのK部隊が再編成されたのはそれから半年以上経った去年の夏、マルタ島をめぐる一連の攻防戦に決着が付いた頃だった。
 マルタ島に枢軸軍空挺部隊が降下する中で、日本海軍遣欧艦隊主力を投入して行われた航空機材を中心とした緊急輸送によって戦力を回復したマルタ島在住の航空戦力は、枢軸軍の地中海縦断航路に再び大きな制約を掛けるようになっていた。
 そして、マルタ島沖海戦で独伊仏連合艦隊の戦力が大きく低下したことから、東地中海の制海権は大きく国際連盟軍側に傾き、その結果マルタ島が再び艦隊根拠地として使用できるようになっていたのだ。


 だが、再編成されたK部隊は、以前とはその性質が異なる艦隊となっていた。マルタ島沖海戦直後の再編成直後は、軽巡洋艦2隻を基幹とする小規模艦隊だったのだが、通商破壊作戦用のそのような小規模艦隊にK部隊がとどまっていたのは短い期間でしかなかった。
 今度はK部隊の襲撃対象となる枢軸軍の航路が北アフリカ戦線の西進に伴って移動したことや、敵味方相互の哨戒網の充実によって、通商破壊作戦の主力が潜水艦に移行していったためだ。
 その中で、K部隊のおおまかな任務変更と増強が同時に行われていたのだ。

 アレクサンドリアに駐留していた地中海艦隊主力から抽出されたK部隊への増援は大規模なものだった。軽巡洋艦2隻と駆逐艦からなる艦隊に対して戦艦が増派されたのだから、むしろ増援部隊に在来の部隊が吸収されたというのが正しいのではないのか。
 2度目の再編成を行った後のK部隊は、最新鋭の四万トン級戦艦であるキング・ジョージ5世級戦艦2隻を基幹に、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦3隻からなる有力な高速水上砲戦部隊に生まれ変わっていた。

 K部隊に本格的な再編成作業が行われた理由は、シチリア島上陸作戦に参加する英国海軍地中海艦隊の本隊とも言えるH部隊が上陸支援や輸送船の直援任務に専念する間に、機動力のある予備戦力となるためのようだった。
 新鋭キング・ジョージ5世級戦艦に対して旧式で鈍足ではあるが、より砲威力に勝るネルソン級戦艦2隻を主力とし、護衛戦力となる数多くの巡洋艦や駆逐艦、更には上空援護を行う空母部隊をも含むH部隊は、艦隊を構成する主力各艦の速力においても劣っていたし、大規模故に小回りは効かないから、周辺海域の警戒や万が一の敵艦隊接近に対する備えとして、比較的小規模な編成ながら高速であるK部隊が準備されたのだろう。


 再編成後のK部隊の司令官に就任したのは、それまで北大西洋でカナダと英国本土を結ぶ護送船団の指揮官を務めていたカナンシュ少将だった。
 船団護衛部隊では戦果確認の難しい対潜警戒が主任務となるから、これまで華々しい戦果とは無縁だったが、英国本国を維持するために絶え間なく航行させなければならない船団を幾度も護衛してきたらしい。

 最近の船団護衛部隊には、日本から貸与された海防空母や対潜戦闘に特化したハント級護衛駆逐艦、リバー級フリゲートといった戦時量産型の規格化された護衛艦艇が充実して配備されるようになっていたが、今次大戦の開戦直後からカナンシュ少将は大西洋で船団護衛部隊の指揮をとっていたから、本国艦隊で急遽編制された雑多な艦艇で構成された部隊を率いてドイツ海軍潜水艦隊と激戦を繰り広げていたのではないのか。
 そのカナンシュ少将にとって、K部隊指揮官への就任は大抜擢のはずだった。部隊の規模自体はこれまで率いてきた護衛部隊とそれほど変わらないはずだが、K部隊は新鋭戦艦2隻を含む有力な艦隊だったからだ。


 シチリア島への上陸作戦に関する準備行動が本格化する中で、日本海軍では本土から送られてきた増援部隊や輸送艦の編入によって遣欧艦隊指揮下の各隊の再編成を図るとともに、英国軍の上陸支援部隊であるH部隊、K部隊の2つの艦隊の司令部にそれぞれ連絡将校を配置していた。
 今回の上陸作戦は、国際連盟軍が敵地に上陸する初の戦闘になるはずだった。これまでに小規模なコマンド部隊といった特殊戦部隊が欧州大陸に上陸を図った戦例はあったが、師団どころか複数の軍団を一気に敵地に送り込む上陸作戦は、世界史的にみても先の欧州大戦で行われたガリポリの戦い以来のことになるはずだ。

 しかも、日本軍を主力とする部隊が上陸するシチリア島南西岸と、英国軍主力が上陸する南東岸は最短距離でも50キロ以上の距離があり、揚陸岸からの間合いを考慮すれば、日英艦隊がそれぞれ展開する海域間の距離は100キロ近くになるのではないのか。
 ただでさえ戦闘艦を除いたとしても両軍合わせて200隻近くの輸送船が動員されるのだから、有機的に両国海軍艦隊を運用するためには連絡の徹底が不可欠であり、その為には連絡将校の派遣が必要だったのだ。


 笠原大尉は、それまで英国海軍ではなくモントゴメリー中将率いる英国陸軍第8軍司令部に連絡将校として派遣されていた。その任を解かれ、短時間実質上の待命期間である遣欧艦隊司令部付きを勤めてから、この上陸作戦に合わせてK部隊の連絡将校として派遣されていた。
 遣欧艦隊司令部付きである間に同僚らと話していた時には、K部隊の連絡将校の職務はそれほど難しいものではないと考えていた。
 この作戦で英国海軍が編成した上陸支援部隊の主力は航空母艦を含むH部隊であるから、何事もなければK部隊は警戒任務で周辺海域を遊弋するだけで終わるかもしれないし、日本軍と連携して行動しなければ連絡業務はさほど多くはないというのがその根拠だった。

 それに、厳格で毒舌家であるモントゴメリー中将は、下士官兵に別け隔てなく気さくに接触する一面をもつ一方で、司令部幕僚には厳しくあたっていた。海軍の笠原大尉にして見ればモントゴメリー中将はかなり厄介な上官という印象だったのだ。
 大西洋での勤務が長かったカナンシュ少将に関しては、遣欧艦隊司令部でも詳細な人物像などは把握していなかったが、先の欧州大戦時最大の海戦となったユトランド沖海戦において、日本海軍が派遣した第3特務艦隊に連絡将校として赴任していたことは記録に残されていた。
 別に何の根拠があるわけでもないはずだったが、かつて同じような立場になったのだから、カナンシュ少将に何とはなしに親近感を抱いてしまったのだろう。

 ユトランド沖海戦にビーティー中将率いる巡洋戦艦艦隊指揮下に加わっていた第3特務艦隊は、日本海軍が初めて海外に派遣した主力艦隊だった。
 それ以前に編成されていた第1、第2特務艦隊が船団護衛を目的としていたのに対して、第3特務艦隊は当時最新鋭の金剛型巡洋戦艦4隻を基幹戦力としていたからだ。
 その日本海軍の主力艦隊にサブルテナントという他国で言えば中、少尉に相当する階級で連絡将校として派遣されていたカナンシュ少将は、当時から軍中枢に期待された貴族出身のエリート士官だったのではないのか。


 しかし、実際にK部隊に着任した笠原大尉は困惑する事が多かった。事前の勝手な予想に反して、カナンシュ少将は人種差別的な意識が強いのか、日本軍には非好意的だったのだ。
 もちろん同盟国に対する礼儀を失することはないのだが、言葉の端々から日本への反感を感じられることが多かったのだ。

 笠原大尉にはやりづらい環境だった。もしも他の司令部要員もカナンシュ少将と同じような立場であれば職務を全うできないところだったのではないのか。
 幸いなことに地中海艦隊から抽出された戦力で構成されたK部隊の司令部要員には、以前からマルタ島に派遣されていたものも少なくなかった。特に下級士官や事務要員の下士官は地中海戦線で長く戦ってきたものが多かったから、日本海軍には概ね好意的だった。
 それがなければ笠原大尉は、K部隊司令部で孤立していたかも知れなかった。

 だが、その事自体がカナンシュ少将は気に入らなかったようだった。
 今ではK部隊の拡張にともなって新たに赴任したカナンシュ少将を始めとする貴族出身の多い高級将校と、以前から先任艦長の元編成されていたK部隊司令部に勤務していた下級将校、下士官たちとの間には見えない溝ができているような気がしていた。


 もしかするとカナンシュ少将は、第3特務艦隊司令部で今の笠原大尉のように嫌な思いでしたのかもしれない。

 ―――確か、当時の第3特務艦隊の司令官は小杉大将だったか……とうの昔に予備役編入されていたが、存命ではあったかな
 兵学校の戦技に関する座学で教わった第3特務艦隊の果敢な戦闘はいくらでも思い出せるが、笠原大尉は遥かな先輩の顔を思い出そうとして失敗していた。

 別に当時のカナンシュ少将が第3特務艦隊に嫌な思い出があったとしても、笠原大尉が何十年も立ってからその意趣返しをされていたのだとしても、最終的な戦術判断に誤りさえなければ問題はなかった。
 だが、笠原大尉の見る限り、カナンシュ少将の判断は誤っていたとしか思えなかった。

 日本海軍からの一個水雷戦隊を増援として派遣するとの申し出を断って、K部隊単独でフランス艦隊の一群との交戦に突入していたからだった。
三原型海防空母の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvmihara.html
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