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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦14

 厨川大尉が直率して衛兵所を直接襲撃するのは、小隊のほぼ全力だった。支援に残すのは美雨達数人だけだった。


 襲撃に参加する兵たちのうち、日本軍で制式採用されており、特務遊撃隊でも時たま使用されている九九式自動小銃を使用するものはいなかった。それどころか、ほとんどの兵は軽快さを重視して拳銃しか持っていなかった。
 厨川大尉自身も銃は九五式拳銃を持ち込んでいるだけだった。

 ただし、兵たちが持っている拳銃は、ボトルネック型で高初速の銃弾を使用するモーゼル拳銃だった。初期に生産されていたものは機関部前方の弾倉が固定式だったが、特務遊撃隊で使用しているものは弾倉を脱着式に変更した上にセミオート射撃とフルオート射撃を切り替え出来る型だった。
 元々はドイツのモーゼル社で生産されていたものだが、先の大戦後に余剰品としてかなりの数が大陸に流れ込んでおり、弾倉と分割されたために細く成形された銃把が馬上で握りやすかったためか、馬賊でも愛用するものが多かった。
 著作権や特許などという言葉を何処かに忘れてきた中華民国では、需要の大きさから独自生産されたモーゼル拳銃がかなりの数出回っており、特務遊撃隊で使用しているのも、どこかの軍閥で原設計のモーゼル社とは無関係に生産されていたものだった。

 モーゼル拳銃は銃把が握りやすいとはいえ、フルオート射撃では相当に訓練された射手でも制御が難しいほどの反動があるが、ホルスターを兼用する脱着式の銃床を取り付ければある程度は反動も抑制できるから、短機関銃の代替品として使用することも出来た。
 馬から降りた後も空中挺進や機械化、隠密行動の多様などによって戦闘距離が一般歩兵部隊に比べて短い傾向のある特務遊撃隊にとって、狭隘な場所では銃身の長さから取り扱いすら難しくなる歩兵銃などに比べるとモーゼル拳銃は使い勝手の良い火器だった。

 特務遊撃隊ほど極端ではないが、日本陸軍の遊撃戦部隊である機動連隊でも、作戦内容にもよるが部隊の半数程度は9ミリ拳銃弾を使用する一式短機関銃を使用するし、残りの半数も歩兵銃と比べると銃身の短い騎銃を装備して機動力を重視していた。
 遊撃戦に於いては、長銃身による射程、精度よりも多弾数による火力を重視する傾向が強かったのだ。


 もちろん、特務遊撃隊を始めとする特殊戦部隊が闇雲に近接火力だけを重要視しているわけではなかった。見晴らしの悪い起伏に飛んだ地形の多いイタリア、欧州方面では拳銃弾を使用する軽快な火器を好んだというだけだ。
 北アフリカ戦線では特務遊撃隊も射程の長い九九式自動小銃を使用したこともあるし、九九式自動小銃の狙撃銃仕様も配備されていた。

 だが、今次大戦において奇襲的な上陸作戦や敵飛行場への襲撃といった特殊戦を幾度も実施していた英国軍の戦訓からしても、全体的な傾向としてはやはり一般の歩兵部隊と比べると、一発あたりの射程や威力が小銃より下回っていても火力の高い短機関銃の使用率が高いようだ。
 特殊戦では隠密行動が多くなり、自然と戦闘が開始される頃には拳銃弾の射程内に入り込んでいることが多くなるからだろう。

 特務遊撃隊の中で、射程の長い小銃を一番好んで使うのは美雨だった。だが、特務遊撃隊随一の狙撃手である彼女が愛用するのは現用の九九式自動小銃ではなく、旧世代の三八式小銃を原型として改造された専用の狙撃銃とでも言うべきものだった。


 日本陸軍では生産された九九式自動小銃の中から精度の高いものを選抜して、狙撃眼鏡取り付け台座の追加などの所要の改造を施したものを九九式狙撃銃として採用していた。
 組立後の試射時における成績を元に選抜することからもわかるように、九九式狙撃銃の構造は原型となる九九式自動小銃のままだった。絶対的な命中精度の高さよりも生産費用の低減や部品の共通性を重要視したためだった。

 九九式狙撃銃だけではなく、他国でも主力小銃の中から精度に優れたものをいくらかの割合で選抜して狙撃銃とする例があったが、それらの小銃は通常の歩兵部隊の中で選抜された射手に支給されるのが一般的だった。
 選抜射手は、射撃大会などで好成績を残したものが隊内で指名されて戦闘では分隊や小隊の中で他の兵たちとともに行動するが、特に中距離以上で正確な射撃を行うことを任務としていた。
 このように一般部隊の中で使用するものだから、九九式狙撃銃には通常の九九式自動小銃との間で使用銃弾や主要部品などに高い互換性が求められていたのだ。


 日本陸軍でこのような制度が誕生したのには、小部隊における戦闘距離の進捗を重要視して専用の射手を訓練してきた友邦シベリアーロシア帝国の影響があるらしい。
 選抜射手は、通常の歩兵部隊の決戦距離を超える長距離でも支援火器を持たない分隊単位の歩兵部隊にある程度の戦闘能力を与える上に、使用する狙撃銃は通常の歩兵銃、自動小銃と基本的に同じ構造を持つから、歩兵の決戦距離でも同様に運用できるし、弾薬も分隊内で使用する小銃や軽機関銃と互換性があるから兵士同士で融通しあうのも可能だった。

 日本帝国本土に残置されている部隊の中には、未だに九九式自動小銃に改変されずに旧式の三八式歩兵銃を使用している部隊もあったが、そのような部隊の選抜射手には九九式狙撃銃ではなく、三八式歩兵銃を原型とした狙撃銃を配備していた。
 九九式自動小銃と三八式歩兵銃では弾薬や機関部の部品に互換性がないからだ。

 選抜射手はあくまで制度上のものであって、独自に編制された部隊ではないのだから、専用部品が必要な銃などを支給していては兵站に多大な負荷がかかってしまうはずだ
 もしも選抜射手が専用の銃弾を使用する高価な狙撃専用に設計された銃を使用するのであれば、とてもではないが一般的な歩兵小隊に配備することは出来なかったはずだ。
 通常の小銃の生産工程の中に組み込まれたからこそ、九九式狙撃銃の生産数は万の単位に達していた。


 だが、これが特殊戦部隊にだけ配備する特殊な狙撃銃となると前提から話が変わってくることになる。
 一般部隊とは異なる遊撃戦や破壊工作といった戦闘に投入されるこうした部隊は、特殊な機材や訓練を必要とするから単純に兵員数を増やすのは難しいし、真正面からの正規戦闘に投入するのも難しいから部隊数はそれほど多くする必要性はなかった。
 そうした部隊に配備されるのだから、狙撃銃の配備数も限られることになる。部隊員のすべてを狙撃手にする必要もないのだから、多くても部隊数の数倍程度にしかならないのではないのか。

 生産数がその程度であれば、1丁あたりの生産費用を多少低減したところで全体としての費用にはそれほど影響を及ぼさないはずだった。どのみち通常の小銃の生産工程に組み込めないのであれば、1丁あたり職人芸でつくり上げるしか無かったからだ。
 大量生産される中から、偶然精度よく組み上げられた個体を使用するのではなく、最初から高い精度を持った銃を狙ってつくり上げるには熟練工がつきっきりで組み立てと調整を行わなければならない。
 そういったやり方では、生産工程における大規模な機械力の導入も難しいから人件費だけで馬鹿に出来ない高さになってしまうはずだ。


 それに、特殊戦部隊では今の特務遊撃隊がそうであるように部隊内で使用する銃器が統一されていない場合も多かった。一箇所にとどまる陣地戦などであれば兵站への負担が膨大なものとなるのだろうが、特殊戦では奇襲などの短時間の戦闘が多いことからそれほど装備の統一を図る必要は薄かったのだ。
 もちろん長距離の行動が想定されているのであれば装備の統一を図ることもあるが、その場合は特務遊撃隊では狙撃手である美雨も軽快さを重視したのかモーゼル拳銃の銃身を伸ばして着脱式ではなく、銃把と一体化した曲銃床を装備した騎銃仕様の特注品を愛用していた。

 馬賊時代の美雨は、もっぱらその騎銃仕様のモーゼル拳銃とブローニングハイパワーという恐ろしく釣り合いの悪そうな二丁の拳銃で、今の特務遊撃隊の原型となった馬賊を率いて並み居る匪賊と渡り合っていた、らしい。

 厨川大尉は酒席で実質上部隊の副官格である金少尉から、馬賊の頭目だった兄と並んで戦う美雨のそんな話を聞いたのだが、俄には信じられなかった。
 満州共和国建国時期の話だとしても、20代半ばに達したかどうかすら怪しい美雨が戦場に立っていたとすれば10代から堂々と前線に出ていたことになる。
 いくらなんでもそんな小娘が荒くれ者共揃いの馬賊を率いることなど出来ないようにも思えるが、満州には厨川大尉の常識は通用しないようだから、そのようなこともあったのかもしれない。
 厨川大尉はそのあたりのことはもう深く考えないようにしていた。


 だが、厨川大尉の知らない過去の美雨たちがどうであれ、彼らがいずれも銃の名手であることは変わりなく、その中でも美雨の腕は群を抜いていた。馬上での拳銃捌きも様になっていたが、長銃身の狙撃銃も得意にしていた。
 疎林の縁からやや奥まった急増の射座で狙撃態勢に入っている美雨が手にしているのは、九九式自動小銃の以前に日本陸軍が制式化していた三八式歩兵銃を原型とした改造銃だった。

 原型となった三八式歩兵銃は今世紀初頭の日露戦争直後に日本陸軍に制式化された小銃だった。それまでの試行錯誤から脱却して日本製の小銃が世界標準の域に達した傑作銃と言っても過言ではなかった。
 制式化直後は未だ需要が日本陸軍のみで、日露戦争後の一時的な軍縮期にあたっていたことから生産数が少なかったために、それまでの三十年式歩兵銃の置き換えとして生産されていた頃は手作業が多く、部品の規格化も進んでいなかった。

 しかし、先の欧州大戦への日本帝国の本格的な参戦、その後のシベリアーロシア帝国の建国とこれへの軍事支援の本格化といった国外輸出を中心とする需要の大幅な増大を受けて、三八式歩兵銃の生産数も増大が図られ続けた結果、九九式自動小銃に制式小銃が切り替わる頃には生産工程にも大幅に機械化や規格化が取り入れられていた。


 三八式歩兵銃は生産数が多いだけに、銃身を短縮した騎銃だけでも数種類あるほど派生形も少なくなかった。シベリアーロシア帝国との軍事交流が盛んになってきた頃から九九式自動小銃と同様に狙撃仕様の改造型も生産されていたが、特務遊撃隊で使用されているものは通常の狙撃仕様とは異なるものだった。
 美雨が今手にしているのは、通常の歩兵銃型の生産工程から精度に優れたものを抜き出したものではなく、一般と同じ設計の機関部ながら熟練の銃職人によって組み立てと調整が行われた特注品だった。
 基本的な外観は狙撃仕様の三八式歩兵銃と類似しており、狙撃眼鏡と干渉しないように下方に折り曲げられた形状の槓桿などは同一の部品を使用していた。

 だが、同一なのはそこまでだった。狙撃眼鏡取付金具はより銃本体と一体化した頑丈な構造に変更されており、取り付けられた狙撃眼鏡も通常のものよりも倍率が高い高価なものを使用していた。
 市場参入を狙ってか旭工学とかいう名前の日本の光学関係企業が満州共和国の高官に贈呈したというその狙撃眼鏡は、一体どうゆう伝を頼ってきたのかはよくわからないが、いつのまにか最初は東京光学製の日本陸軍標準品だったはずの狙撃眼鏡と取り替えられていた。
 流石に贈呈用に試作されたという一品物らしく精度は抜群のものがあり、大口径のレンズは歪みや色収差は殆ど感じられなかった。

 一品物なのは狙撃眼鏡だけではなかった。通常の三八式歩兵銃よりも耐久性や耐候性の強い肉厚の銃身を使用している他、銃身や機関部を包む銃床も原型とは異なる形状になっていた。
 こちらは元々は三八式歩兵銃と同一形状だったのだが、射手である美雨自身が自分の体躯に合わせて加工したものだった。
 普段とは打って変わって真剣な表情で美雨がノミやヤスリで木くずだらけになりながら、何度も修正しながら試射をしていたのを、厨川大尉もいつもこれくらい真面目だといいのだがと考えながら見ていたのを思い出していた。


 なぜ襲撃前にこんなことを思い出すのか、すこしばかりうんざりした次の瞬間、厨川大尉の顔が引き締まっていた。疎林に潜む大尉達に合図が送られてきていた。
 視界ぎりぎりのところから手信号を送ってきたのは、本隊から離れて密かに街道まで進出していた別働隊だった。隊の中で無線士の資格を持っている李を中心とした少人数の部隊だった、
 彼らの任務は、本体の襲撃が開始されると同時に衛兵所から繋がる電話線を切断して通信を遮断することだった。見たところ衛兵所からは大出力の無線機に繋がる空中線は伸びていなかったから、おそらく普段の連絡は無線ではなく、確実な通信が可能な有線の電話に限られるはずだ。
 李の合図は電話線の識別と切断準備が整ったことを知らせるものだった。

 厨川大尉は、一度襲撃を実行する本隊の兵たちを見渡すと、彼らは押し黙ったまま手慣れた様子で手にしていたモーゼル拳銃の薬室に初弾を装填していた。
 古強者といった風の兵たちに満足そうに頷くと、厨川大尉は振り返りながら立ち上がると、合図に手を大きく振っていた。
九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99ar.html
九五式拳銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/95p.html
一式短機関銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01smg.html
九九式自動狙撃銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99asr.html
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