1940タラント防空戦5
タラント湾から出て、イオニア海上空へと乗り出した直後、ビスレーリ中尉は前方を観測していた。
明るい月を直接視認して夜間視力が失われないように注意しながら、前方空域の雲量や雲底高度を大雑把に計測していた。
長期時間の夜間単独飛行を強いられるが、自然環境はさほど悪くなさそうだった。
その前に簡素なものではあるが、原型機のファルコから水上戦闘機アストーレに改造されるにあたって増設されていたコンパスなどの航法支援機器の作動も確認していた。
だから、もう少しでイオニア海の海面近くの低空をすり抜けるように点滅する赤い光点が横切るのを見逃すところだった。
あまりにタラント近くでの不明目標の発見に、唖然としながらビスレーリ中尉はややもすればすぐにに消え去りそうなほど不安定に瞬く赤白い点を見つめていた。
次の瞬間、自信の幸運ににやけ顔になるのを抑えきれずに、アストーレを半径の大きい横旋回に入れながら、今度はゆっくりと海面近くまで降下させていった。
その間も、月明かりによって出来る自機の影が赤い点近くに降りてこないように慎重に機動させていた。
タラントに向けて移動する光点の右舷側から、ゆっくりとビスレーリ中尉のアストーレは接近していた。
水上戦闘機への改造にあたって、フロートなど抵抗となる付加物の影響で、原型よりもだいぶ速力の落ちているはずのアストーレではあったが、それでも油断すると光点を追い抜かしてしまいそうだった。
接近することで、光点の正体がはっきりしていった。
ビスレーリ中尉が考えていたとおり、赤い光点は調整が悪いのか、エンジンの排気管から漏れ出した未燃焼ガスの気筒外燃焼によるものだった。
エンジン出力を絞れば、赤い排気炎も消えてしまうだろうが、そう簡単には、出力を落とすことはできなさそうだった。
もしそんなことをすれば、たちまち機速が危険なほど低下して、海面へと墜落してしまうのではないのか。
ビスレーリ中尉にそんな考えを抱かせるほど、その機体は性能の低そうな旧式機に見えた。
アストーレの前をよたよたと飛んでいたのは、英国海軍航空隊の複葉雷撃機であるフェアリー、ソードフィッシュだった。
その特徴的な機体構造は間違いようもなかった。
いまどき複葉の攻撃機を運用しているのは少ない。
もっともイタリア空軍も機動性の高さを評価して複葉戦闘機フィアットCR.42を現役で運用しているのだからあまり人のことは言えないかもしれなかったが。
ビスレーリ中尉は、ほくそ笑みながら、気付かれないようにゆっくりとソードフィッシュにアストーレを接近させていった。
上手いこと相手の不手際のお陰で敵機を早くに発見できたのだから、こちらから発見されるようなことは避けたかった。
幸い、アストーレは、ソードフィッシュよりも空力的にも洗練されているし、エンジン馬力も大きいから、排気炎が漏れないように出力を慎重に絞ったままでも十分に追撃できた。
すこしばかり迷ったが、光が漏れるのを恐れて、光像式照準器の電源を投入するのも、ぎりぎりまで控えることにした。
そのように慎重に出力を絞りながら、ソードフィッシュに接近しながら、ビスレーリ中尉は、素早く背後を振り返った。
敵機を射撃する前に、逆に追撃されていない確認するのは、ベテランの搭乗員にとって習慣付けされた動作だった。
もっとも、この状況では、後方から接近する敵機がありえないことは予め予想していた。
満天の星空のほかは何もないことを確認すると、ビスレーリ中尉は安心して、舌なめずりさえしそうになりながら、ソードフィッシュに最後の接近をかけた。
ビスレーリ中尉が、違和感を感じたのその時だった。
排気炎を漏らしながら飛行しているソードフィッシュは一機だけだったが、偵察でもない限り一機だけが飛行しているとは思えない。
攻撃隊であれば同時に多数が飛行しているはずだった。
だが、機銃の射程近くまで接近したというのに、発見できたソードフィッシュは二機だけだった。
もう一機のソードフィッシュは、暗闇に紛れるように安定した飛行を行なってはいたが、僚機から断続的に漏れ出る排気炎に照らしだされていたのだ。
しかし、その他のソードフィッシュは見当たらなかった。
夜間偵察にしては、二機、それもかなり緻密な編隊を組んでいるのは奇妙だった。
それに加えて思ったよりもアストーレとソードフィッシュとの間隔が詰まっていかなかった。
敵機に察知されるのを恐れるあまり、必要以上にエンジン出力を絞ってしまったのだろうか、あるいは燃料を大量に積載しているアストーレが重くて速度が出ていないのかもしれない。
そうも考えたが、手早くエンジン回転計や速度計を確認したかぎり、そうではなさそうだった。
単に、ビスレーリ中尉が考えていたよりも、ソードフィッシュの速度が大きいのが原因だった。
ビスレーリ中尉は、ソードフィッシュが過積載状態で巡航飛行を行なっていると仮定して、ほとんどアストーレを失速ぎりぎりの速度で飛行させていたのだが、実際には、追跡中のソードフィッシュは、最大速度に近いかなりの速度を出しているようだった。
もちろん、それでもその速度は、アストーレ自身の最大速度からすれば約半分程度に過ぎない。
だから、多少エンジン出力を上げても追尾は容易だった。
ビスレーリ中尉は、違和感を押し殺すと、一気にエンジン出力を上げた。
一度の襲撃で一気に二機を撃墜するつもりで、敵編隊の同高度で右斜め後方からつきかけていった。
最初の標的は排気炎をもらさずに飛行している機体だった。
闇夜の中で目標となる排気炎を出しながら飛行する方が未熟なのだろうから、より簡単に撃墜できると考えたからだ。
それならば、奇襲となる初撃で確実にベテランから撃墜すれば、確実だろうからだった。
それに、僚機の排気炎からに照らし出されるだけの機体よりも、排気炎で確認できる機体のほうが、もし見失ったとしても再発見は容易だろう。
アストーレは、出力を高めながら、大鷹を意味するその名のごとくに鋭く斬り込んでいったが、その急に大きくなった騒音か、あるいは気配に気がついたのだろう。
目標としたソードフィッシュの後部席の機銃手がアストーレに気がついた、ような気がした。
実際には、もっと前からアストーレに気がついていた機銃手が、このタイミングで射撃を開始しただけかもしれない。
だが、いずれにせよ、斜め後方から突き進むアストーレを捉えきれずに、ソードフィッシュからの射弾は虚しく宙を切るだけだった。
それどころか、ぼんやり僚機の排気炎の反照に浮かんでいただけの機体が、発砲炎で明確になっただけだった。
ビスレーリ中尉には、後部席機銃手の動揺が感じ取れるほどだった。
それに、味方機からの援護射撃が始まる気配もなかった。
目標ソードフィッシュの後部席から放たれる貧弱な7.7ミリ弾の弾道を見切りながら、一気に接近をかけると、ビスレーリ中尉は照準器の電源を入れて、機銃の引き金にそっと指を当てた。
機銃弾の弾帯に一定割合で含められた曳光弾の弾道を追う必要もなかった。
ビスレーリ中尉は、ブレダ12.7ミリ機銃の射弾がソードフィッシュの胴体に食い込む手応えを感じていた。
機銃弾は、機銃手近くの英国国籍標識であるラウンデルから、前方へと命中痕を残していた。
命中痕が描く線は、最前部の操縦員席を超えてエンジンまで達していた。
アストーレから放たれた機銃弾は、ソードフィッシュのエンジンに致命的な損害を与えたらしく、射撃直後にがくりと機速が低下していた。
正常な飛行態勢へと回復させるための動作を行う操縦員も機銃弾で被害を受けたらしい。
射撃を受けたソードフィッシュは、機速を低下させたまま、海面に着水するようにゆっくりと機首を落としていった。
もちろん水上機ではないソードフィッシュがそのような態勢で着水出来るはずもない。
いまだ存速を保ったまま不安定な姿勢で海面に接触したソードフィッシュは、一瞬の内に機体を縦転させると、重量物のエンジンを下に向けてぐずぐずと沈んでいった。
ビスレーリ中尉は、ソードフィッシュが沈みゆくさまを確認しなかった。
命中弾を与えて、対象機が降下しつつある時点で、ビスレーリ中尉にしてみれば敵機を撃墜したも同然だった。
少なくともそのような状態でタラントに空襲をかける可能性はない。
それよりも、次の機体に攻撃をかけるほうが先決だった。
一機目への射撃は短時間で終了したはずだったが、それでも機首に設置されたブレダ機銃の発砲炎でビスレーリ中尉の目は眩惑されていた。
機銃の発砲炎がまだちらつきながらも、ビスレーリ中尉はアストーレのコクピットから周囲を見渡しながら、もう一機のソードフィッシュのエンジン排気炎を見つけ出そうとしていた。
だが、夜間視力が戻ってきたと、星空の見え具合から判断するほど時間がたっても、一度見逃してしまったソードフィッシュの排気炎を見つけることが出来なかった。
計算どおりならば、残り一機のソードフィッシュは、一機目を撃墜した時点で前方やや右側を飛行しているはずだった。
編隊の右側を占める一機を右側から射撃後に、一旦かじを切って今度は敵機の左側から接近するつもりだった。
本来ならば敵機の後ろ側から射撃を行うべきなのだが、それだと後部席の防護射撃を長時間受けることになるし、何よりもソードフィッシュは低速だから、後方から接近して行くのが難しかった。
それならば見越し射撃になるが、敵機の長大な側面を狙おうとしていたのだ。
横方向からの見越し射撃は確かに技量を必要とするが、低速のソードフィッシュならば狙うのは用意の筈だった。
しかし、排気炎という顕著な目標があるはずなのに、ソードフィッシュは見つからなかった。
一度追い抜いてしまったのだろうか、首をかしげながら、ビスレーリ中尉はアストーレを旋回させようとしていた。
前方から排気炎を確認するのは難しいだろうから、もう一度ソードフィッシュの後方を確実にとってから排気炎を確認して接近しようとしていたのだ。
アストーレに射弾が命中したのは、その瞬間だった。
―――上方からの射撃だと…
とっさに、操縦桿を握りしめてラダーペダルを蹴り上げるてアストーレを鋭く旋回させて回避させながら、ビスレーリ中尉は上空を見上げた。
そこには、機首を発砲炎で真っ赤に染め上げながら一気に降下してくるソードフィッシュが見えた。
ソードフィッシュからの射弾は、アストーレの右翼面をかすっただけで終わった。
しかし、圧倒的に劣位であったはずの敵機から奇襲を受けた心理的な圧迫感は強かった。
もしかすると、機体から出ていた排気炎は単に整備の問題だけで、実際にはこちらのほうが手練の乗員だったのかもしれない。
鋭く機銃弾を放ったあと、一気に海面近くまで降下したソードフィッシュを見ながら、ビスレーリ中尉はそう考えていた。
その時には、ビスレーリ中尉にも何が起こったのかわかっていた。
僚機が銃撃された瞬間に、ソードフィッシュは機首を上げて素早く上昇した。
速度エネルギーを高度に転換することで、機体が持つエネルギー総量を維持したままアストーレから逃れるためだ。
ビスレーリ中尉は、間抜けなことにそれに気が付かずに同高度をそのまま直進しているか、旋回してむやみとエネルギーを喪失しているだろうと考えて敵機を捜索していたのだ。
だがソードフィッシュのパイロットの方が上手だった。
エネルギーを保ったまま、しかもアストーレに反撃さえ行うと、低空を高速で逃走した。
ビスレーリ中尉は、急な旋回で態勢が崩れたアストーレの飛行姿勢を安定させると、気持ちを切り替えながら、ソードフィッシュの追撃に移った。
確かにソードフィッシュのパイロットの技量は優れていた。
さらに言えば、ソードフィッシュという機体も侮っていたかもしれない。
複葉機とはいえ、相手は軽快で、安定した性能と信頼性を持つ機体だった。
しかし、そうはいっても機体性能で言えば、こちらが圧倒的に優位であることは間違いない。
向こうは重量物である爆弾か魚雷を抱えているはずだし、エンジン出力、火力、速力全てがフロートという重荷を抱えているにもかかわらずアストーレのほうが有力なのだ。
確かに奇襲といっても良い一撃を食らってはいたが、今のところ頑丈な翼構造に異常は見られないし、操縦翼面は全て支障なく稼動している。
だから、慎重に技量の全てを尽くして戦えば決して撃墜は難しくない。
そう自分に言い聞かせながらビスレーリ中尉はアストーレを加速させた。
だが、ほんの少しばかり飛び続けてソードフィッシュを再発見してすぐにビスレーリ中尉は自分が再び間違っていたことを発見していた。
このソードフィッシュを撃墜するのは相当に難しそうだった。
ソードフィッシュは、相変わらず排気炎を光らせながら、高度をさらに下げて、海面に張り付くようにして飛行していた。
心なしか、排気炎の光量が大きくなっているような気がしていた。
もしかすると、エンジン出力をさらに上げて速力を増しているのかもしれない。
もちろんアストーレに比べれば、それでも鈍足であることにはかわりはないのだが、安易に上空から襲撃をかけるのは極めて危険だった。
大きな速度差を保ったまま、この状態のソードフィッシュに対して突っ込んでいけば、海面への衝突を避けるためにおそらく銃撃直後に機体を引き上げなければならなくなるだろう。
もしかすると射撃時間すらとれないかもしれない。
かといって速度をおとして接近するのも危険だった。
襲撃時はほとんど直線で飛行するしかないから、後部席からの狙いすました防御射撃の目標とされるのは目に見えている。
それにどんなパターンを取るにせよ、襲撃機動に入った瞬間にソードフィッシュはさらにするりと回避するような気がしていた。
ソードフィッシュは複葉機である上に、羽布張り構造の軽い機体だから、重いフロートを抱えた単葉のアストーレよりも翼面荷重は極めて小さい。
そこへ機体を知り尽くしたパイロットの腕が加われば、恐ろしく小さな旋回半径でくるりくるりと避けられてしまうのではないのか。
海面をただはうように飛行しているだけなのに、そのソードフィッシュからはそのような剣呑さが感じられていた。
もっとも、ソードフィッシュにそのような飛行を長時間続けられるだけの余裕があるとは思えなかった。
海面直上を大出力で飛行すれば燃費はかなり悪化するから長時間の巡航はできないし、夜間に海面ぎりぎりを高度に注意しながら飛び続けるのは予想以上に搭乗員の体力と注意力を消耗させる。
なによりもタラントを攻撃するつもりならば陸地に近づいた時点で何があろうとも上昇しなければならない。
だから、低空をはうように飛行するソードフィッシュに無理をして襲撃をかけるよりも、相手がタラントを目前にして隙を見せた瞬間を狙えばよかった。
ビスレーリ中尉はそう判断すると、ソードフィッシュの搭乗員にプレッシャーを掛けるように、敵機の斜め上空にぴたりと張り付いて飛行を続けた。
これならば、ソードフィッシュの搭乗員は海面との間隔を常に注意しながら飛ばなければならないが、ビスレーリ中尉の方は、光点となるソードフィッシュとの距離さえ一定に保てば安全だから、消耗度は低いはずだった。
だが、そんな不自然な編隊を組んだ飛行が続くにつれて、ビスレーリ中尉の心に焦りが生じていた。
もうタラントまでほど近くなっても、ソードフィッシュに動きは見られなかった。
しかも、そのまま前進すれば、タラントの市街地より南に上陸する筈だった。
タラント軍港の艦艇泊地に襲撃をかけるのであれば、何処かで回頭しなければならないはずだったが、その気配は全く見られなかった。
ビスレーリ中尉は、不可解な敵機の動きに首をかしげていた。
一体この機体は、どうやってタラントを攻撃するつもりなのだろうか。
そういえば、さっき上空から襲撃をかけた時のソードフィッシュの機動は、胴体下に長大な兵装を抱えているようには思えなかった。
それにわずか二機で襲撃をかけるのも奇妙だった。
ほかに本隊が存在するのだとしても、わずか二機では分派しても有効な戦力になるとは思えなかった。
理由がよくわからないまま、ソードフィッシュとアストーレは、距離を保ったままタラント陸上へと乗り上げていた。
陸地上空に達したことで飛行条件が異なったせいか、ソードフィッシュは大きく揺れたが、飛行姿勢は次第に安定していった。
泊地まではあと数分しかなかった。
さすがにここまで来ては放置しておくわけにも行かない。
危険だが、上空から突撃するしかなかった。
ビスレーリ中尉は意を決すると、アストーレの機首をソードフィッシュに向けて降下を始めた。
さっきの上空からの奇襲を逆転させたような突撃だった。
しかし、ビスレーリ中尉は一人でアストーレを操縦しているが、ソードフィッシュには三人が乗り込み、索敵を分担していた。
だから、上空からアストーレが突撃をかけた瞬間にそれは察知されたはずだった。
鋭く旋回回避を試みるソードフィッシュに対して、ビスレーリ中尉は、アストーレの機首をわざとぶらすようにして機銃弾を広範囲にばらまくようにした。
だが、それでもわずかに何発かが主翼に命中しただけで終わったようだった。
羽布貼りのソードフィッシュにはそれは致命傷にはならなかったようだった。
何事もなかったかのように、わずかに高度を上げたソードフィッシュはさしたる損傷もなさそうだった。
だが、それはビスレーリ中尉も予想していた。
もちろん諦めるつもりはなかった。
シザーズ機動で今度はソードフィッシュの斜めから襲撃するつもりだった。
しかし、ビスレーリ中尉の襲撃は、唐突に外部要因で打ち切られた。
アストーレのコクピットに、凄まじい閃光が飛び込んできた。
咄嗟に目を細めながら周囲の地形を探っていた。
いつの間にか、タラント郊外の貯油施設近くにまで飛んできてしまっていたらしい。
ビスレーリ中尉の目を射ぬいたのは、貯油施設防衛のために設置されていた探照灯に間違いなかった。
もうタラントの艦艇泊地まで数キロしか残されていなかった。
だが、こんな状態ではもう敵機を追撃するのは不可能だった。
それどころか、夜間視力を奪われて、下手をするとそのまま地面に墜落しかねなかった。
いまだにアストーレを眩く照らし出す探照灯を直接視認しないように注意しながら、ビスレーリ中尉は慎重に機体を上昇させていた。
下手に探照灯を避けるような機動を行っては、味方の防空部隊から敵機と誤認される恐れがあった。
とにかくできるだけ防空部隊と慎重に距離をとって、あとのタラント防空の任務は彼らに任せるしかなかった。
嘆息を漏らしながら、ビスレーリ中尉はアストーレを再び海上へと向けて旋回させようとした。
だが、突然の探照灯の照射によって眩惑されていたのはビスレーリ中尉だけではなかった。
ビスレーリ中尉は、名残惜しそうな目で最後にソードフィッシュを見ていたが、唐突にそれに気がついていた。
それまで鋭い機動を連続していたソードフィッシュが、奇妙なほどのたくったような機動を行なっていたのだ。
被弾による損傷とは思えなかった。
アストーレからの銃撃を受けてもさしたる損傷を受けたようには見えなかったし、防空部隊からの射撃は始まったばかりで有効打を与えているとはとても思えない方向に向けられていた。
―――探照灯の光を直接見てしまったのか
それがビスレーリ中尉の結論だった。
ソードフィッシュは、これまでの手練の乗員らしさが全く消え失せていた。
もしかすると搭乗員たちもパイロットの視力が失せたことでパニックになっていたのかもしれない。
ビスレーリ中尉は、大きく目を見開いた。
ソードフィッシュが前方の阻塞気球に向かって一直線に飛行していたからだ。
おそらく前方の阻塞気球は、搭乗員達の幻惑された視野では闇夜に紛れて見えなくなっていたのだろう。
だが、同じように夜間視力が低下してはいても、角度を大きく変えた上空に逃れたビスレーリ中尉の位置からは、阻塞気球に向かって突進するソードフィッシュの様子が手に取るように見えた。
思わずビスレーリ中尉は警告のために声をあげていた。
無線が通じるわけではないからそんなことをしてもソードフィッシュに伝わるはずはなかったし、第一なぜ敵機に向かって警告などしようとしたのか、それはビスレーリ中尉にもよくわからなかった。