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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943アレクサンドリアーベルリン16

 それまでエジプト領内で停滞していた北アフリカ戦線の流れが一気に変わったのは、昨年の秋頃に起こった海岸の小都市エル・アラメイン周辺をめぐる攻防戦がきっかけとなっていた。

 それ以前にマルタ島への枢軸軍の進撃を完全に防いだ時点で、国際連盟軍はマルタ島周辺海域の制海権を掌握していたから、枢軸軍の欧州本国から北アフリカへと向かう補給路は同島に展開する航空部隊によって大きな圧力を受けていた。

 エル・アラメインをめぐる戦闘で当初枢軸軍が積極的な戦闘を行ったのには、この補給線への影響が少なからずあったはずだ。
 継続的な補給が困難になっていた枢軸軍は、逆転の機会を求めて機械化部隊を集中した突破部隊で一気にアレクサンドリアを突くか、現地の国際連盟軍を統率する司令部の撃破を目的としていたのではないのか。
 だが、枢軸軍が乏しい補給物資を蓄えながら攻勢に備えていたのと同時期に、国際連盟軍もまた日本本土などのこれまで戦火にさらされること無く生産体制の強化を図ってきたアジア諸国からの膨大な物資を背景とした一大反攻作戦を企画していた。

 攻勢開始のタイミングを最後まで隠しきった枢軸軍の戦略的な奇襲効果によって国際連盟軍は一時的な麻痺状態にはおちいったが、モントゴメリー中将率いる前線部隊は粘り強い抗戦によって突破口の拡大を阻止し、急遽戦線に投入された日本陸軍第7師団を主力とする予備部隊はドイツアフリカ軍団からなる枢軸軍突破部隊の侵攻を前線後方で食い止めることに成功していた。
 前進の停止によって衝撃力を失ったドイツアフリカ軍団は、海岸線近くに急造陣地を構築した日本陸軍北アフリカ軍直轄の重砲兵連隊や急遽出動した戦艦比叡を始めとする水上砲戦部隊による集中した砲撃によって大損害を受けて撤退を余儀なくされていた。


 そして戦局を大きく変化させたのは、ドイツアフリカ軍団の撤退直後に改めて開始された国際連盟軍の反攻作戦だった。ドイツアフリカ軍団の前線突破時にもモントゴメリー中将は最後まで反攻作戦の主力とするために機甲師団を集中して配属させていた英第10軍団を動かさなかった。
 枢軸軍と異なり海上補給線によって事前に大量に集積されていた砲弾による長時間の攻勢準備射撃という強大な支援を受けながら、それまで前線を支えてきた英第30軍団を超越して無傷の第10軍団は前線に投入されていた。

 乏しい補給物資をやりくりしてドイツアフリカ軍団による突破を行った直後の枢軸軍には、英第10軍団や、態勢を立て直した日本陸軍北アフリカ軍なども加わった国際連盟軍の大規模な反攻作戦を阻止する戦力は残されていなかった。
 彼らの後方の防衛線への撤退が全面的な戦線の崩壊に移行するまでさほどの時間はかからなかった。


 フランス侵攻直後からこれまで続いていた北アフリカ戦線では、枢軸軍と英国軍との間の戦線が大きく揺れ動くことが少なくなかった。
 実質上、海岸にへばり付くような街道に貧弱な補給線が固定されてしまうものだから、イタリア領リビアやアレクサンドリアといった両軍の根拠地に攻めこむほど相手の補給線が短くなり、逆にこちらの補給線は伸びきってしまうことになる。
 だから攻め込めば攻めこむほど逆に不利となって最終的に攻勢が跳ね返されるという逆転劇がこれまで繰り広げられていたのだ。

 しかし、エル・アラメインの戦いはこの状況を一変させていた。これまでの北アフリカ戦線の状況とは異なり、最近の国際連盟軍は戦火の及ばない遠く離れたアジア圏からの補給線を確立させていたから、補給態勢は大きく向上していたのだ。

 開戦直後こそドイツ海軍の仮装巡洋艦どころか大型の正規艦艇までもがインド洋にまで進出していたが、通商破壊艦に対する組織的な掃討戦による戦力の損耗や船団護衛態勢の確立などによってドイツ海軍の活動域は大西洋、それもドイツ本国や占領下のフランスなどから近い北大西洋のみに限定されつつあった。

 これに対してマルタ島周辺の制海権を確立させた国際連盟軍は、同島に駐留する航空部隊による支援を受けて北アフリカ沿岸を航行する海上補給線を、占領した旧イタリア領リビア内のベンガジやトリポリまで延長させることで、低コストかつ大量輸送が可能な船舶輸送を可能としていたのだ。
 これによってこれまでの北アフリカ戦線での最大到達点を大きく超えて、国際連盟軍は補給に悩むことなしに西進を継続することが可能となっていたのだ。


 現在の戦線は旧イタリア領リビアどころか、フランス領チェニジアをも超えてアルジェリア中央部にまで達していた。
 しかし、エル・アラメインをめぐる攻防戦の直後に行われた反攻作戦開始時と比べると、国際連盟軍の進撃速度は低下し始めていた。これは北アフリカ戦線でこれまで見られたような敵領深く侵入したことによる補給態勢の悪化によるものではなかった。

 新たに独立した旧フランス領インドシナ植民地からの大量の徴募兵や、太平洋の植民地から算出される豊富な地下資源の供与などを背景に国際連盟軍内で大きな政治的発言力を確保した自由フランスの強い要望によって、北アフリカの旧フランス領植民地への侵攻は自由フランス軍部隊が担当することになっていた。
 チェニジアでの戦闘では一部の日英の部隊がイタリア領リビアからの越境攻撃を行っていたが、アルジェリアへの侵攻は第一線を完全に自由フランス軍が担当していた。
 インド師団を中核に新編制されたスリム中将率いる英第9軍が予備兵力として控えていたものの、これまでの戦闘では主に自由フランス軍部隊の後方で警備や治安維持任務を行っているだけらしい。


 だが、英国の支配が長く続いていたインド帝国から徴用されたインド師団はともかく、新たに自由フランス軍に加わった旧インドシナ植民地などから徴用された兵員の練度や士気には国際連盟軍内でも疑問を呈するものが少なくなかった。
 これらの旧植民地の独立を認める代わりにインドシナでの徴募を実施するという露骨なまでの独立への対価として彼らは自由フランス軍に加わったのだが、戦後の国際的な発言権増大を狙う新独立国首脳部の思惑などもからみ合って兵員の士気には部隊や出身国によってかなりのむらがあるらしい。

 それ以前に旧フランス植民地への侵攻を急ぐ自由フランス上層部の判断によって部隊単位の戦力化が急がれたものだから、十分な訓練期間を確保できていないのではないかという恐れが強かった。
 自由フランスはフランス本国のヴィシー・フランス政府は勿論、国際連盟加盟国にも警戒心を覗かせていた。おそらく彼らは旧フランス領植民地を自らの手で開放しないかぎり、戦後も政治的な圧力を受けるのではないかと警戒しているのではないのか。

 だが、日英などの国際連盟軍首脳陣の疑念に対して、自由フランス軍はアルジェリアなどの旧フランス領への侵攻に対してかなり楽観視していたらしかった。
 彼らの思惑としては、これまでの北アフリカ戦線で主力であったドイツアフリカ軍団も惨敗を呈した現在では、現地のヴィシー・フランス軍の士気は大きく低下しているはずだから、同胞である自由フランス軍の進撃に対して降伏や合流を試みる部隊も少なくないのではないのか、そう考えていたようだった。


 自由フランス軍首謀部が身勝手に抱いていた楽観論が大きく後退するまでさほどの時間は掛からなかった。確かに参戦早々にアルジェリアまで押し込まれたヴィシー・フランス軍の士気や装備状況は悪化してはいたが、自由フランス軍に対する敵愾心は決して小さくはなかったのだ。
 ヴィシー・フランス軍の一般的な兵士達にしてみれば、自由フランス軍は新たな同盟者となったドイツによりフランスにもたらされた新秩序に反抗する裏切り者に過ぎなかった。

 それに皮肉なことに旧植民地から徴募された多くの兵員によって肥大化した自由フランス軍を、ヴィシー・フランス軍兵士達は人種的な意味でも同胞とはみなしていなかったのだ。
 彼らにしてみれば裏切り者の自由フランスは、フランス共和国の正統な権利であった植民地を勝手に独立させて、さらにアジア人を兵士として欧州に攻めこませていると見えているのではないのか。

 ドイツ宣伝省がヴィシー・フランス領を含むフランス全土で黄禍論を前提とした反国際連盟世論の形成を目的とする報道を行っていたこともあって、現在のヴィシー・フランス軍が自由フランス軍に抱く敵愾心は強いものらしく、ヴィシー・フランス軍部隊が降伏する先としてより接触が困難であり、反英感情を抱いていた筈にもかかわらず英国部隊を選択する傾向があることがすでに知られていた。


 自由フランス首脳部のフランス本国などに対する誤認識にも関わらず、国際連盟軍がアルジェリア領内で進撃速度を低下させながらも攻勢を継続できたのは、確立された補給態勢、特に野砲兵部隊や戦車部隊などの重装備に対する補充部品や弾薬などの手当が万全であったからだ。
 逆にヴィシー・フランス軍やドイツ軍は、地中海西部にまで哨戒圏を拡大させつつある国際連盟軍諸国の海軍部隊によってイタリア本国どころかフランス本国からも切り離されて補給も乏しくなっているようだったから、現在の自由フランス軍の戦力でも北アフリカの旧フランス植民地の解放は時間の問題だと考えられていた。


 だが、アルジェリアに侵攻した自由フランス軍の中でも精鋭とされた機械化部隊が、防衛にあたっていたドイツ軍の前に惨敗したことで戦局の雲行きはにわかに怪しくなっていた。

 アルジェリア侵攻当初に国際連盟軍が遭遇した敵部隊は大半がヴィシー・フランス軍に所属するものであったらしい。自由フランス軍上層部が期待していた投降者も殆ど無く、装備は貧弱でも陣地にこもったヴィシー・フランス軍によって進撃速度は低下していた。

 これを憂慮した自由フランス軍は、海岸線近くを進軍する主力部隊とは別に、英国などから供与された戦車や兵員輸送用のトラックなどを集中配備された機械化部隊を海岸から離れた山岳地帯を通過する峠道を利用して迂回させようとしていた。
 侵攻距離は長くなるが、機械化された部隊だから進行速度は主力部隊に遜色が無いはずだった。
 峠道も海岸線沿いの街道もアルジェリアの首都として整備されていたアルジェ付近で合流するから、うまくすれば機動力を利してアルジェ防衛のために構築された敵陣を背後から突くことも出来るかもしれなかった。

 しかし、峠道を利用した迂回機動は枢軸軍も予想していたようだった。あるいはアルジェリア侵攻当初から峠道と海岸沿いの街道との同軸攻撃を行っていれば枢軸軍の布陣前に突破が可能だったかもしれないが、自由フランス軍指揮官の決心は遅すぎた。
 峠道に布陣していたのは、アルジェリア領内の陣地帯に収容された後にこれまで再編制を行っていたはずのドイツ軍部隊だったからだ。


 西方戦役の教訓を得て編制されていた自由フランス軍機械化部隊には戦車部隊が集中配備されていた。この戦車の集中運用とそれに追随できるはずの自動車化された歩兵部隊による突破力が期待されていたのだ。
 ドイツ軍部隊と接敵した機械化部隊は、その重装甲の英国製歩兵戦車による衝撃力を頼みに、航空偵察によって防衛部隊の存在が確認された後も、前哨陣地と思われる小規模な部隊と交戦しながらあらかじめ定められた攻撃発起点に集結しようとしていた。
 だが、自由フランス軍機械化部隊はその攻撃発起点から殆ど前進できずに追い払われてしまったらしい。


 効果的に戦車用掩体を利用したドイツ軍は大口径砲による長距離砲戦を実施し、6ポンド砲を装備するバレンタイン戦車を主力とする自由フランス軍戦車部隊は、敵の姿もろくに確認できないまま自車の有効射程外から一方的に撃破されていったらしい。

 稜線に陣地を構えたドイツ軍に対して、一部の果敢な指揮官に率いられた戦車部隊は峠道を更に迂回しようと試みたが、それも狭隘な地形を狙って集中的に配置されていたと思われる貴重な対戦車砲や歩兵部隊の対戦車手榴弾などを用いた近接戦闘によって阻止されてしまったという。
 しかも、戦車部隊を援護するはずだった歩兵部隊は、一部の輸送用トラックは不用意に戦車砲の射程内に踏み込んで早々に輸送されていた歩兵ごと壊滅的な損害を受け、またある部隊は頼みの綱の戦車が目の前であっさりと撃破されたことで恐慌状態に陥って士気が崩壊した旧植民地からの徴募兵達が一斉に逃亡を図った為にこれを掌握するのに手一杯になるという有様だった。


 無様な敗北を喫した自由フランス軍だったが、この峠道の突破自体はそれからしばらくしてから成功していた。緒戦での機械化部隊の敗北に反省した自由フランス軍は、打って変わって入念な準備砲撃後に慎重な攻勢を行ったからだ。
 ただし、突破の成功がこの長時間の準備砲撃の成果によるものかどうかはわからなかった。ドイツ軍部隊の撤退は整然としたものであったようであり、もしかすると単に自由フランス軍に砲撃を強いることで持久抵抗を行っただけだったかもしれなかった。

 だが、自由フランス軍は本来迂回攻撃のための峠道に膨大な弾薬を運びこんでまで行ったこの攻勢作戦は成功裏に終わったと国際連盟軍に説明していた。彼らが勝利の証として示したのが、燃料の欠乏か機関故障で放棄されていたドイツ軍の新型重戦車、六号戦車ティーガーだった。
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