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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943アレクサンドリアーベルリン9

 そこは狭く、暑苦しい部屋だった。アレキサンドリア近郊に作られた捕虜収容所の一角にあったこの建物は、さほど大きくはないが他の捕虜収容施設とは異なり、たった一人の人間を住まわせるために建てられたものだった。
 本来であれば居住性にも十分な配慮されて作られたはずだが、内密の会談を行うために窓を閉めきった上に分厚いカーテンの引かれた室内は、ひどく暑く薄暗い快適とは言いがたい空間になってしまっていた。
 小屋と言うには小さすぎるその建物の外には常に日本軍憲兵隊から派遣された複数の兵が衛兵勤務についていたが、今日はこの会談のために普段よりも衛兵の人数が多く、厳重な警戒態勢が敷かれていた。

 だが、その建物の中で顔を付きあわせて話し込んでいた二人には普段よりも高いはずの室温など大して気にもならないようだった。二人の間に張り詰めた緊張が正常な温度感覚を奪い去っていたからだった。
 正確に言えば、この場で口を開いていたのは片方だけ、イタリア王国陸軍参謀本部から来たジョゼッペ・カステッラーノ准将だけだった。
 この建物のたった一人の住人であるジョバンニ・メッセ元帥は、ずっと押し黙ったままカステッラーノ准将の説明を聞いているだけだったからだ。メッセ元帥は口とともに目もきつく閉ざされて椅子の上で微動だにせずにじっとカステッラーノ准将の言葉を聞いていた。
 一見しただけでは寝ているようにも見えたが、もちろんそんなはずはなかった。熟考するメッセ元帥から発せられる緊張感にカステッラーノ准将は圧倒されるものを感じていた。

 ―――これが立志伝中の英雄というものなのだろうか。
 説明を全て終えたカステッラーノ准将は、説明を受けていた頃と全く変わりない姿勢で考え込んでいるメッセ元帥を見つめながらも、ぼんやりとそんなことを考えてしまっていた。
 話すべきことは全て話してしまったものだから、次に何をすべきなのか、一瞬わからなくなってしまったのだ。それだけ集中するほど今回の会談でカステッラーノ准将が話した内容は長く、複雑なものだった。

 今回の説明ではカステッラーノ准将個人の考えはほとんど入っていなかった。それはイタリアを立つ前にバルボ元帥やチアーノ外相といった講話派の同志たちと幾度も話し合ってきた内容とほとんど同じだった。
 その後に北アフリカ戦線の全面的な崩壊といった状況の変化があったから、その点に変更を加えた位のものだった。しかも情勢の判断に関しても出来るだけ主観を廃して客観的な視点で論評を加えたつもりだった。
 それまでにバルボ元帥たちとは長い時間話し合ってきたものだから遠くはなれていても正確な情報さえ入手できれば、本国で彼らが考えているのと同様の判断を下すことが出来るはずだった。
 メッセ元帥との会談も本国を出発するときには本来は予定されていなかった事態だったが、その点でも計画にはさほどの変更点があるわけではなかった。メッセ元帥だけではなく、いずれは前線で戦う一線級の指揮官を説得しなければならない事態も想定されていたからだ。
 本来であれば友軍側から接触する予定だったものだが、国際連盟軍と接触した後に、彼らの捕虜となった将帥への会談という形に変わったのが違いといえば違いだったが、説明する内容に大きな変化があったわけではなかった。

 小細工を弄するつもりは最初からなかった。メッセ元帥ほどの人物に対してそんなことをしても無駄だったからだ。仮に自分たちに有利なように説明の内容に虚構を混ぜたとしても、全体の辻褄が合わなくなってすぐに内容は破綻してしまうはずだ。メッセ元帥はそれだけの洞察力を有しているはずだった。
 だからメッセ元帥を引きこもうとすれば、誠実な態度で自分達講和派の状況や現状の認識をすべて説明したうえで要請しなければならないとカステッラーノ准将は考えていた。


 ジョバンニ・メッセ元帥は、昨年度のチェニジアへの枢軸軍の撤退という形で終了したリビア領内での防衛戦闘を指揮していた。
 リビア領内での戦闘は不利な条件が多かった。エル・アラメインでの攻防戦で重器材の多くを喪失したイタリア軍の戦力は乏しく、それまでドイツアフリカ軍団を指揮していたロンメル元帥は本国に去った上に代理の指揮官も戦死した状態のドイツ軍は、部隊単位での戦力はともかく全体では烏合の衆といってもよく、新たに友軍として加わったヴィシー・フランス軍は西方戦役開戦時の経緯からイタリア軍には非協力的だった。

 そのように不利な条件がそろっていたにも関わらずメッセ元帥の統帥は際立っており、主に戦力の低下したはずのイタリア軍部隊を再編成しつつ僅かな陣地群を巧みに利用して一部では限定的ながら戦車部隊を用いた敵部隊後方への迂回挟撃によって敵戦車多数を撃破する戦果も挙げていた。
 最終的には武運拙く大軍を要する国際連盟軍にリビア領西域で降伏はしたが、メッセ元帥が率いるイタリア軍部隊による遅滞行動によって稼いだ時間がなければ、新司令官アルニム上級大将のもとで再編成された多くのドイツ軍部隊が、国際連盟軍に捕捉されることなくヴィシー・フランス軍がチェニジア内に築き上げた新たな陣地群に収容されることもなかったはずだ。
 この功績によってメッセ元帥には最後の打電によって国王陛下からの元帥への叙任が行われていたのだ。


 イタリア王国陸軍最高の地位へと上り詰めたメッセ元帥は特異な経歴を持っていた。生まれや育ちが特異というわけではなかった。むしろその経歴は青年期になるまではありふれたものであると言っても良いほどだった。
 そうではなく、満足な高等教育も受けていないにもかかわらず、貴族出身の士官が幅を利かせるイタリア王国軍で一兵卒から志願して軍で最高位の階級にまで上り詰めたのが異様であったのだ。

 メッセ元帥はイタリア南部の貧しいコムーネの一家に生まれ、今世紀の初めに王国陸軍に志願入隊して部隊勤務で示した抜群の成績から軍内部からの選抜でモデナの士官学校に入学しており、先の欧州大戦への参戦時にはすでに少佐へと累進していた。
 その大戦時でも特別部隊である突撃兵部隊の創設から携わって最前線で負傷しながらも活躍し、今次大戦の開戦前にはすでに少将に昇進していた。

 今次大戦においてもギリシャ侵攻軍、ロシア派遣軍団の指揮官を歴任しており、その過程でイタリア軍のものだけではなく、ウクライナ戦線での活躍からドイツ軍から騎士鉄十字章をも授与されていた。
 ロシア派遣軍団の指揮官職を後任に譲った後は大将に昇進するとともに、急遽本国に呼び戻されてロシアの寒い平原から砂漠の北アフリカへと派遣されていたのだ。


 メッセ元帥は不利な状況下での戦闘が続く今次大戦のイタリア軍において、幾度もの勝利をつかみとった数少ない智将の一人だった。しかも一兵卒から元帥まで昇進したという経歴から下士官兵や貴族出身ではない下級士官からの支持は絶大なものがあった。
 工業化の進む北部と比べて経済的に立ち遅れた南部出身ということもあって軍部以外でも支持者は少なくなかった。南部の貧しい庶民層からすれば、メッセ元帥は数少ない成功例として故郷の英雄とでも言うべき立場なのではないのか。

 まともな産業がないという意味では南部と状況は全く同じシチリア島の出身であるカステッラーノ准将にしてもそれは納得ができる理由だった。
 裏を返せば、メッセ元帥の説得に成功して講和派に引きこむことさえできれば、彼の支持者達の多くも自然と付いてきてくれるはずだった。

 カステッラーノ准将は期待を込めてメッセ元帥を見つめていた。
 実のところメッセ元帥が講和派に賛意を示す可能性は低くはないと考えられていた。なんといってもメッセ元帥はムッソリーニ統領の始めた無謀な戦争の最前線で指揮を取り続けてきていたのだから、悲惨な前線の状況とファシスト党が盛んに自分らに有利な報道管制を敷いている本国との大きな矛盾を誰よりも強く感じているはずだった。
 だからこそ誠意をもって真実を語りさえすれば、熱心な王党派とも知られるメッセ元帥であれば説得に応じるのではないのか、そうカステッラーノ准将は考えてすでに接触していた日英の首脳部の協力でここに来ていたのだ。


 カステッラーノ准将が見つめる中で、ゆっくりとメッセ元帥が目を開けていた。カーテンの引かれた室内は日中にもかかわらず薄暗くなっていたはずだが、それでもメッセ元帥は眩しそうに目を瞬かせていた。
 しかも、メッセ元帥は眠そうな目をカステッラーノ准将に向けていた。まさか本当に説明の間ずっと寝ていたとは思えないが、それでもひどく眠気を感じているのは事実のようだった。

 熟考を重ねているのではないのかという本来の予想とは違うメッセ元帥の態度にカステッラーノ准将は唖然としてしまっていた。そんな態度が顔に出ていたのか、メッセ元帥は面白そうな声で言った。
「話はそれで終わりかね」
 カステッラーノ准将は困惑して口をもごもごとさせてからいった。
「小官の説明はこれですべてです。最新の現状と講和派の現状についてはご説明させていただいたとおりですが……」
「もう一度聞くが、話はそれで全てなのだね」
 メッセ元帥は相変わらず退屈そうな顔でカステッラーノ准将の説明を断ち切るようにしていった。
 表情は柔和なものだったが、その言葉には曖昧さを許さないものがあった。思わずカステッラーノ准将はたじろいでしまっていた。


 実は一つだけ説明を省いていたことがあった。それは現在の講和派を束ねている首領に関してのものだった。表向きは組織の中枢をになっているのはファシスト党幹部にして空軍の重鎮たるバルボ元帥とチアーノ外相であり、それに軍部を代表して海軍のサンソネッティ中将や陸軍のカステッラーノ准将が関わっているという形だった。

 実際にはバルボ元帥とチアーノ外相といったファシスト党の対外協調派と軍部の重鎮という立場の異なる2者に加えて、宮内大臣アックロワーネ公までも従える存在がこの講和派の真の首領だった。
 だがその人物、皇太子にして海軍最高司令部付きのウンベルト・マリーア海軍中将の名だけは明かすわけにはいかなかった。皇太子が講和派の首領だということが万が一ファシスト党の主流に知られてしまえば、王家とファシスト党との対立が顕になってしまうかも知れなかったからだ。
 もちろんメッセ元帥が講和派の一員となれば話は別だった。メッセ元帥の地位や立場からして現在の講和派の中でもバルボ元帥と並ぶ位置に置かれるのは間違いないから、国際連盟軍の捕虜という立場では難しいかもしれないが、いずれ直接マリーア中将とも膝を交えることになるのは間違いなかったからだ。


 しばらく何も言えずに押し黙ってしまったカステッラーノ准将を見つめていたメッセ元帥は、真面目そうな表情を作ると重々しく口を開いていた。
「本当にそれで話は終わりでいいのかね……実は准将に合う前にこの場所で古い友人と再開してな、そのあたりの話はもう聞いていたのだ。実際に本国から来た人間の口から話を聞きたくて准将に説明してもらったのだが、一つだけ食い違うことがあったな」
 カステッラーノ准将の頭を強く殴られたような衝撃が襲っていた。少なくとも准将が知りうる限りでは自分以上に講和派の中枢に近い人間がここにいるはずはなかったからだ。
 だが、その衝撃は一瞬でおさまっていた。それが何故なのかはよくわからなかったが、古い友人と会ったという話を何処かで聞いていたせいかも知れなかった。

 それよりもメッセ元帥が事前に聞いていた話とカステッラーノ准将の説明との食い違いという言葉が気にかかっていた。今回の説明で意図的に話を省いていたのはただ一つだった。
 カステッラーノ准将はしばらく迷うように目を閉じてから、まっすぐにメッセ元帥の目を見つめた。もう何も秘匿するつもりはなくなっていた。すでにメッセ元帥は全てを知っている。何故なのかは相変わらず分からなかったが、その前提は間違いないとの確信だけはあった。

 やはり相手を誠実に説得するつもりであれば、何一つ隠し事などすべきではなかったのだ。そう考えながらカステッラーノ准将は最後の説明を始めていた。
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