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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943アレクサンドリアーベルリン4

 特務遊撃隊の隊員たちが戻るまで尚少佐の話は続いた。
「実はこの特務遊撃隊の隊員たちは元々は美雨の兄の配下でね。私と彼は不思議と気が合うというところがあって、義兄弟の契を交わした仲だったのだ。美雨が私を兄貴と呼ぶのはそのためだよ。美雨もそうだが彼女の兄も武芸に優れ、特に狙撃の腕では右に並ぶものがなかった。
 馬将軍ともその頃からの知り合いなのだが、彼女の兄も私も馬将軍の理想を信じてこの国を共に作るために戦っていたのだが、共産匪との戦闘で彼女の兄が殺されてしまってね。
 美雨はその頃から銃の腕は天下一品と言っても過言ではないほどだったのだが、まだ部隊を率いるには幼かったし特にまだこの国は動乱期にあったから副頭目の金や馬占山将軍と相談して将来は美雨にこの部隊の指揮官の座を譲るとして暫くの間は私がこの特務遊撃隊を率いることになったのだ」

 厨川大尉は唖然としながら尚少佐の話を聞いていた。義兄弟の契りだの、武芸に優れる指揮官だの、部隊指揮官の座を譲るなどと、いくらこの部隊が軍政部長の馬占山将軍の子飼いだったとしても、近代国家の軍隊だとは思えなかった。
 これではまるで厨川大尉が子供の頃にあこがれて読んでいた三国志の中国と本質的には変わらないのではないのか。そうでなければ清水の次郎長のような任侠の世界だった。

 厨川大尉に言わせれば、近代国家の軍隊の指揮官とは国家の意思を代行する上官によって、家柄ではなくその職務にふさわしいものが任命されるべきだし、部隊としての戦闘能力を高めるためにも、必ずしも指揮官が先頭に立って戦う必要も、個人としての戦闘能力に優れる必要もなかった。
 それよりも部隊の火力や防護力を高めるための戦術的な判断能力や分析能力の方が重要なはずだった


 だが、厨川大尉はその日の夜のうちに自分の常識がこの部隊では通用しないことを思い知らされていた。
 厨川大尉の着任を祝う酒宴は盛大なものだったが、始まってからすぐに大尉は辟易し始めていた。次々と尚少佐の脇に座った大尉の元には隊員たちが赤ら顔で酒を注ぎに来るのだが、決まって彼らは聞いてもいないのに戦歴談やら武勇自慢を語り始めるのだ。
 最初のうちはまだ良かった。満州共和国建国の際における動乱時の自慢話であればさほど昔のことでもないし、まだ酔いが回るほどでも無かったためか、彼らの話がまだ正確だったからだ。
 しかし、動乱時に部隊に加われなかったのを不満に思っているのか、美雨が仏頂面でそっぽを向いているのを察した小隊長の一人である金少尉が話題をそらし始めると、だんだんと話が荒唐無稽なものに変わり始めた。
 叩き上げの少尉といった雰囲気が無いわけでもない金少尉は副頭目格といってもよい地位にあった。朝鮮族の出身だったが流浪の果てに美雨の兄に拾われて馬賊の一員となったらしい。
 そこまでは良かったのだが、金少尉も酔ってきたのか次第に戦歴談が段々と正誤が怪しくなってきていた。
 美雨の兄と二人で旅した時に50人からの匪賊に囲まれたところを二人で背中を合わせ撃ちまくって撃退したとか、とてもではないが信じられないような戦力差だった。
 もっとも脇で聞いていた美雨は目を輝かせていた。話は兄妹にとっての兄貴分の尚少佐にまで及んだが、肝心の本人は曖昧に笑みを浮かべたまま黙って杯を傾けるだけだった。


 しばらくは厨川大尉も明らかに誇張された自慢話を辟易としながら聞かされていたが、唐突に近くから銃声が聞こえてきた。厨川大尉は咄嗟に椅子を蹴り倒して身構えようとしてしまったが、尚少佐は平然としていた。金少尉は慌てて立ち上がったが、すぐに銃声が聞こえてきた理由を察したのか、面白そうな顔になっていた。
 いつの間にか卓から離れていた美雨が何故か銃を構えて立っていた。しかも彼女が構えるブローニングの銃口からは硝煙が立ち上っていた。どうやら銃声もそこから聞こえてきたらしい。
 厨川大尉が唖然としているうちに、美雨が脇にいた一人の隊員に叫んでいた。
「南、もう一度だ」
 慣れた様子の南が何かを放り上げると、そこに向けてブローニングを向けるが早いか二度三度と素早く連写していた。

 厨川大尉は銃声に混じって硬質の金属音を聞いていた。どうやら南が放り投げた硬貨か何かを美雨が撃って見せているらしい。こんなことは日常茶飯事なのか、周囲の隊員たちは驚くどころか囃し立てる始末だった。
 眉間にしわを寄せながら、厨川大尉は尚少佐に振り返っていた。酔って腕自慢を、しかも銃を使ってやりだすとはこの集団はまるで山賊だった。
「少佐殿は……この馬鹿騒ぎを止めないのですか」
 厨川大尉の怒りを堪えた声に気がついたのか、周囲と同じように囃し立てていた金少尉が慌てて振り返っていた。金少尉は恐る恐る厨川大尉と何も気が付かずにまだブローニングを撃ち続ける美雨を見比べていた。

 一触即発と言った雰囲気の厨川大尉だったが、その怒気を真正面から向けられたにも関わらず、尚少佐は平然とした顔をしたままだった。さらに厨川大尉が言い募ろうとした機先を制して、尚少佐は口を開いていた。
「厨川大尉は剣術の方をやるのではないかね。どうだろうその腕を披露してくれないかね」
 怒気を浮かべていた厨川大尉は、困惑して黙り込んでいた。確かに自分は故郷で剣術を納めていたが、そのことを尚少佐が知っているとは思わなかったのだ。機動連隊にいた時も昔話をしたことはあまりないから、軍内でも厨川大尉が無外流の遣い手だということを知っているものは少ないはずだ。
 満面の笑みを見せる尚少佐に毒気を抜かれながらも、厨川大尉は断りの言葉を探していた。自分にとって剣とは無闇矢鱈と他人に晒すものではないと考えていたし、何よりもこれから先軍事顧問として個人の武芸ではなく部隊としての戦闘能力の向上を伝えなければならない立場の自分が率先して剣をふるうのは矛盾しているはずだ。

 しかし、そこに急に声がかけられていた。どんな都合のいい耳をしているのかは分からないが、美雨が身を乗り出すようにして目を輝かせながら言った。
「尚兄貴、それは本当かい。僕も一度本場の倭刀を見てみたかったんだ。それはいいな」
 厨川大尉は鋭い目で美雨を睨みつけた。
「馬鹿なことを言うな。大陸ではどうか知らんが、武芸とは他人に見せつけるためのものでは……」
「何だ、日本軍の軍人ともあろうものが逃げるのか」
 不機嫌そうな厨川大尉が最後まで言い終わるのよりも早く、大尉の鋭い視線に見据えられているのにあっけらかんとした表情の美雨が平然と口を挟んでいた。
 厨川大尉の視線はこれ以上ないほど鋭くなっていた。尚少佐や美雨は平然としていたが、金少尉はおろおろと何とかこの場をなだめようとしていたが美雨には何事も言えないようだった。


 厨川大尉は内心戸惑いながら、美雨を睨みつけていた。理屈ではここで剣の腕を見せることに意味など無いはずなのだが、この程度で臆したと思われるのは釈然としないものを感じていた。
 それに、ここで無理に断れば、この部隊の兵たちから今後も侮れれる、そんな予感があった。

 あるいは、単に厨川大尉も酔いが回っていい加減な気持ちになっていただけかもしれなかった。
 暫くしてから厨川大尉は思い切り良く振り返ると、最初に目に入った兵にやはり睨みつけるような視線を向けた。まだ少年の面影を残すその兵は視線に臆したか後退りしようとしたが、それを凝視したまま厨川大尉はやけになったような大声を出していた。
「貴様、確か申だったな。俺の将校行李の脇に軍刀が置いてあるから急いで持ってこい」
 慌ててその兵は飛び出していた。
「そうでなくっちゃいけないな」
 にこにこと何が楽しいのか美雨は満面の笑みを浮かべていたが、金少尉たちはほっとため息をついていた。
 だが、彼らが安心するのはまだ早かった。


 どれだけ急いだのか、申と呼ばれた兵が慌てながらも大事そうに一振りの軍刀を手に駆け寄ってきていた。慣れた様子で厨川大尉はその軍刀を受け取りながら試すかのように僅かに刀身を出すと、すぐに音を立てて戻していた。その時の鍔の音がやけに大きく響いていた。

 まるでその鍔の音が合図だったかのように、その場の雰囲気が変わっていた。
 先ほどとは打って変わって厨川大尉の顔から怒りや困惑といった感情が消え失せていた。その代わりに周囲を圧する緊迫感が大尉の全身から発せられていた。
 酔って囃し立てたりしていた兵たちもその場の雰囲気に飲まれたのか、押し黙っていた。

 その刀は、拵えは制式化された軍刀に似せられていたが、刀身は厨川大尉の親族が保有していた古刀だった。陸軍士官に任官した時の祝いとして軍刀拵えにして貰ったものだった。
 刀身は無銘だったが、陸奥守吉行が土佐藩に請われて移住する以前の陸奥国在住の頃に作刀されたものと言い伝えられていた。その真偽は定かではないが、透き通るような刃紋はかの名匠の手になるものと言われても不思議ではない美しさだった。
 だが、その美しい刀も今は野暮ったい軍刀拵えに包まれて実用品の武器とかしていた、はずだった。

 厨川大尉は無心を思わせる表情の浮かんでいない顔でそっと刀に手をかけながら静かに腰を落として構えていた。大尉を中心に周囲を冷厳とした雰囲気が包み込んでいた。
 まるで口を開いた瞬間にその緊張が崩れるという予感だけがあった。周囲の兵たちはもちろん、美雨や尚少佐も緊張に囚われたのか動きを見せずに無言を貫き通していた。
 そのなかで厨川大尉の視線を向けられた南だけが助けを求めるように顔を左右に向けていた。実際にはその手から放たれる銅貨の行方を見つめていただけなのだが、その獲物を狙う鷹のような視線を向けられた南は緊張のあまり腰が抜けそうになっていた。

 厨川大尉の脳裏に浮かんでいたのは遠い故郷の道場で修行していた頃のかすかな記憶だった。それはもう遠い昔の出来事だったが、越後の山里にひっそりと立つ道場が雪に包まれていた時、板敷がひどく冷たかったことは鮮明に覚えていた。
 だが、そのような記憶の復元も厨川大尉の外には出ていなかった。ただ無心で目標である弾かれる銅貨の軌跡だけを捉えようとしていた。周囲のざわめきが消え去ったことにすら注意を払っていなかった。


 その時、誰かがつばを飲み込む音がした。もちろんそんな小さな音が聞こえるはずも無かった。だがそれを不思議に思ったものは誰もいなかった。この緊迫した雰囲気の中では何が起こっても不思議ではない。そんな認識があったからだ。
 南に実際にその音が聞こえたかどうかはわからなかった。ただ、周囲の反応がそのきっかけとなっただけかも知れなかった。
 ただ、その音が聞こえてきたのにやや遅れて、自棄になったかのような南が勢い良く銅貨を投げ捨てるようにして放っていた。
 その勢いはあまりに強く、まるで厨川大尉に向けて投げつけたかのようだった。直線で向かってくる銅貨の飛来時間は短く、条件は美雨が銅貨を弾いた時よりもずっと悪いはずだった。

 次の瞬間に厨川大尉は抜刀していた。しかし、その瞬間を理解していた兵は少なかったはずだ。多くの兵たちの目には稲妻が走ったようにしか見えなかったのではないのか。
 実際に抜刀した様子を把握できたのはほんの数人でしかなかったはずだ。それもその動きに反応できたものは一人もいなかったはずだ。ただ目で捉えられたというだけだった。
 多くの兵たちが見たものは、厨川大尉の手元から稲妻が走った次の瞬間には再び手元に刀が戻されていたということだけだった。

 そして厨川大尉の足元にはあり得ない軌道をとって銅貨が転げ落ちていた。
 一見銅貨の外見に変化は見られなかった。今のは刀で銅貨を弾いただけなのだろうか、幾人かの将兵はそう早合点したのか、侮るような顔を仕掛けていた。
 そこに再び厨川大尉の手元から鞘と鍔がぶつかる音が聞こえた。
 今度こそ、それが合図となった。地面に落ちた銅貨がゆっくりと半分に割れて転がろうとしていた。

 だが、それを確認しようともせずに厨川大尉は勢い良く振り返っていた。その顔にはまるでつまらないものを斬ってしまったと言わんばかりの後悔の色があった。
 あるいは、久々に居合を見せたことで酔いによる勢いがなくなっただけかも知れなかった。

 厨川大尉が一歩踏み出したと同時に、地面に落ちていた銅貨は更に2つづつ、計四辺に割れていた。
 抜刀した瞬間に二度刀を振るっていたことに気がついていたものは、また笑みを浮かべ始めた尚少佐だけのようだった。
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