挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

146/290

1943アレクサンドリアーベルリン1

 近い将来に地中海戦線で大きな動きが生じる。この時期にそう予想したものは多かった。

 地中海南岸で展開されていた北アフリカ戦線は完全に国際連盟軍側が有利に転じてから久しかった。
 昨年末にロンメル元帥率いる枢軸軍がアレキサンドリア打通を目指して行った攻勢を跳ね返した国際連盟軍は、その余勢を駆って前線を一気に西へ西へと進めていった。
 イタリア本国と北アフリカへと至る枢軸軍の海上補給線に対して圧力をかけ続けていたマルタ島を最後まで奪取することのかなわなかった枢軸軍は、国際連盟軍の攻勢を押しとどめるだけの戦力を送り込むことが出来なかった。
 それどころか、アフリカに展開する枢軸軍部隊に対する十分な補給すら困難になっていた。

 更にこの時期、北アフリカ戦線のドイツ軍指揮官であるロンメル元帥は劣悪な砂漠の環境に長くいた事で病を患っており、元帥は本国に治療のために送還されていた。
 有力な指導者のないまま開始された枢軸軍の後退は、イタリア領リビア内で潰走にも等しい状況になっていた。
 もしもこの時イタリア軍の再編成のためにジョバンニ・メッセ大将が北アフリカ戦線に着任していなければ、指揮権の曖昧だった北アフリカ戦線は全面崩壊していてもおかしくなかったはずだ。

 しかし、ロシア派遣軍司令官から転任したメッセ大将が把握できたのはイタリア軍だけだった。
 イタリア領リビア内に幾重にも構築された防衛線でメッセ大将率いるイタリア軍が国際連盟軍を食い止めている間に、ドイツアフリカ軍団を始めとするドイツ軍の多くはヴィシーフランス軍が展開するチェニジアの防衛線への収容に成功していた。
 その一方でイタリア軍の多くは機動力と火力にまさる国際連盟軍に次々と包囲されてリビア内で降伏を余儀なくされていた。

 ロンメル元帥と指揮官を交代したアルニム上級大将率いるドイツアフリカ派遣部隊はその後もチェニジアで抗戦していたが、マルタ島どころかリビア内にまで展開していた国際連盟軍航空部隊に脅かされた枢軸軍の補給路は乏しく、ドイツ軍の部隊は可能な限りアフリカからの脱出が行われていた。
 その脱出作戦も現在はすでに中止されていた。政治的な理由から国際連盟軍はチェニジア領内への侵攻作戦を停止していたが、自由フランス軍を主力とする部隊が春先にチェニジア侵攻を開始し、現在では戦線はイタリア半島から距離のあるアルジェリアへと移動していたからだ。
 アジア圏の旧植民地から徴募された兵員を中核に再編成された自由フランス軍は指揮や練度はともかく装備や補給面では枢軸軍のドイツ軍やヴィシーフランス軍を上回っており、アルジェリアでの戦闘でも次第に枢軸軍は圧倒されつつあった。
 そしてチェニジアを自由フランス軍に奪還されたことによってシチリア島経由でほそぼそと行われていた航空機による補給路は断絶されていたのだ。


 アルジェリア西部に押し込まえた枢軸軍に対して、国際連盟軍の戦力には余裕が生じ始めていた。アルジェリア内の戦線は、基本的に自由フランス軍の担当と決まっていたからだ。
 チェニジア以西の北アフリカ沿岸地帯は元々フランスの植民地だった。本国に近いことから駐留するフランス三軍部隊も多く、今次大戦においても降伏を拒んだフランス海軍と英国海軍との間でメルセルケビール海戦などが勃発していた。

 北アフリカ植民地は軍事的にも要衝であったが、政治的にもその存在は大きかった。シリア方面の植民地を失った現在、すでに枢軸側で参戦していたヴィシーフランス政府が把握している海外植民地は実質上北アフリカだけだった。
 最後まで残された北アフリカ植民地も喪失した場合、ヴィシーフランス政府も国際連盟軍とのこれ以上の交戦を避けて講和を申し出るのではないのか、そう考えられていたのだ。
 実際には本国の少なからぬ面積をドイツ軍に占領されたフランス本国がそう簡単に単独講和が可能だとは思えないが、少なくとも厭戦気分の増大や、レジスタンス活動の活発化は誘えるのではないのか。

 そのような政治的な効果を持つだけに、北フランス植民地の開放に自由フランスの首脳陣は並々ならぬ姿勢で望んでいた。諸外国による戦後の発言力の増大を嫌ってか、シリア方面の植民地以上に戦闘は自由フランス軍主体で行いたがっていたのだ。
 実際のところ、これまで開放してきた植民地などから徴募されてきた兵員によって自由フランス軍の戦力は増大していたから、英国軍を主力とした予備兵力こそ用意されていたものの、自由フランス軍単独による北アフリカ植民地の解放は決して不可能ではなかった。
 チェニジアで脱出がかなわずにヴィシーフランス軍に収容されたドイツ軍アフリカ派遣部隊の数は少なくなかったが、撤退戦の途中に燃料、補充部品の枯渇によって放棄された重装備も多く、額面上の戦力を発揮することは難しいようだった。


 アルジェリア戦線を自由フランス軍が担当した一方で、これまで北アフリカ戦線の主力であった英陸軍のモントゴメリー中将が率いる第8軍や、エル・アラメイン戦で第8軍の指揮下に入っていた山下中将率いる日本陸、海軍集成の遣欧軍は前線を離れて戦力の回復に努めていた。
 インド師団を中核に新たに編成されたスリム中将を指揮官とする第9軍に自由フランス軍の後詰を任せた両軍は、アレキサンドリアに駐屯して兵員の休息や装備の更新に努めており、その戦力は急速に回復、向上していた。

 特に日本陸軍は本土から高田に駐留していた予備師団であった第13師団を現役に復帰させて北アフリカに新たに送り込んでいた。新潟に駐留する第13師団は大正時代の軍縮期に実質上は司令部機能のみを残した予備師団となっていたが、日本本土の各地で開戦以後に招集された将兵からなる部隊を集成させて現役師団に復帰させていた。
 しかも現役復帰に合わせて第13師団は新鋭の三式戦車などのいわゆる三式装備を支給されるとともに装甲兵車などを豊富に装備する重装備の機動歩兵師団化がなされていた。

 それに機械化が進んで機動歩兵化されたのは第13師団だけではなかった。先に北アフリカに派遣されていた九州の第6師団も三式装備の機動歩兵師団にアレキサンドリアで改編が進んでいた。
 これらの大兵力を一人の指揮官が指揮するのは難しかったため、日本陸軍は遣欧部隊を遣欧第1軍と遣欧第2軍に分割し、従来の遣欧軍から広島を師管区とする第5師団を引き抜いて、山下中将が引き続いて指揮官となる遣欧第1軍を第6、第7、第13の三個師団編成としていた。
 遣欧第1軍は師団数で言えば英国陸軍の軍団と同じ程度でしか無いが、所属する師団がいずれも規模の大きい歩兵ないし戦車4個連隊を中核とする4単位師団であること、機械化の進んだ機動歩兵あるいは機甲師団であることから、実際の戦闘力で言えば3単位師団である英国陸軍の軍とくらべてもさほど劣るものではなかった。

 遣欧第1軍が機動戦を想定した重装備の部隊であるのに対して、第5師団を中核に再編成された遣欧第2軍は異様とも言える部隊編成となっていた。
 基幹戦力となっているのは日本陸軍の中でも特に上陸戦闘に特化した第5師団に加えて、海軍の各地の鎮守府で編成された常設の特別陸戦隊を集成した海軍第2陸戦師団だった。
 この上陸戦闘を得意とする陸海軍の2個師団の他に、善通寺の第11師団から抽出した機甲部隊を中核とした第11独立混成機甲旅団が遣欧第2軍には配属されていた。
 だが、異様なのはこれ以外の部隊だった。

 遣欧第2軍は日英の混成部隊編成をとっていた。しかも、そこに含まれるのは通常の部隊ではなかった。潜水艦から密かに上陸を行うため部隊の初期編成時にサブマリンからS特などと呼称されていた日本海軍特務陸戦隊、日本陸軍の空中挺進部隊などを集成した機動旅団、さらに英国陸軍のコマンド部隊である第77旅団までもが遣欧第2軍の指揮下におさめられていたのだ。
 この3部隊はどれも旅団編成とはなっていたが、正規の部隊編成とは異なる少数精鋭の集団であり、投入方法や部隊編成に違いはあるものの、いずれも長距離浸透や後方補給線の破壊活動などを目的とした特殊な部隊だった。
 さすがに正規の編成表では表向きこれらの部隊は記載されていなかったが、第5師団と第2陸戦師団の配属だけをみても遣欧第2軍が揚陸作戦を前提として編成されていたのは明白だった。


 国際連盟軍の揚陸作戦が近いうちに実施されるのを伺わせていたのは陸上部隊だけではなかった。日本陸海軍が開発した揚陸艇である大発動艇の母艦として建造された特殊船が第5師団や第2陸戦師団の北アフリカへの移送に使用されていたが、これに加えて各種の揚陸専用艦艇がアレキサンドリア港に集結し始めていた。
 これまでも松型駆逐艦の艦体後半部を再設計して大発を発進させるスロープを搭載した一等輸送艦は、地中海に投入されてマルタ島などへの輸送などに従事していたが、これに加えて大発を大型化したように艦ごと海岸に擱座させて艦内に搭載した戦車などを揚陸させる二等輸送艦などが続々と地中海に投入されていた。
 戦車1個小隊程度を搭載する二等輸送艦に対して、艦体を大型化して戦車1個中隊規模を一度に上陸させる就役し始めたばかりの特号型輸送艦までその姿をアレキサンドリアに見せていた。


 国際連盟軍が近い将来に揚陸作戦を企画しているのは誰の目にも明らかだった。それは間諜や航空偵察によってアレキサンドリアの様子を把握していた枢軸軍も同様だった。
 しかし、枢軸軍中枢は国際連盟軍が揚陸作戦を計画しているのは確信していたが、その上陸予定地点は絞りきれていなかった。国際連盟軍上層部の情報統制が厳しい上に、この時期に国際連盟軍が狙いそうな地点が地中海沿岸に限っても複数存在していたのだ。


 最有力となる候補はイタリア半島の南西に位置するシチリア島だった。シチリア島は北アフリカ戦線への枢軸軍補給路の中継点として機能していた要地だった。島内の軍事基地も多く、制圧された際の損害は大きかった。
 独立した島ではあったがイタリア半島とシチリア島を隔てるメッシーナ海峡は狭く、その島の大きさから言ってもシチリア島への侵攻は、イタリア本土へのそれと言っても差し支えなかった。
 それにシチリア島を制圧することに成功すれば、地中海中央部の航行の安全が盤石なものとなるはずだった。
 そのような重要地点にもかかわらず、枢軸軍の防衛体制は必ずしも盤石とは言いがたかった。北アフリカ戦線でイタリア軍が喪失した戦力は膨大なものがあり、チェニジアからの脱出に成功したドイツ軍も重装備を放棄していたものが多かったから、東部戦線の戦況が悪化している中で再編成には時間がかかっていたのだ。


 重要度という点ではギリシャ南東に浮かぶクレタ島も無視できなかった。こちらはより政治的な効果があった。
 この時期、東部戦線では米国の支援を受けたソ連赤軍の反攻作戦が激しさを増しており、一時期モスクワ付近まで攻め込んだドイツ軍はウクライナ領内まで押し戻されていた。
 国際連盟軍がクレタ島、さらにはギリシャ本土へと侵攻した場合、この悪化した東部戦線の脇腹を突かれる恐れがあった。国際連盟がこれまで敵対関係にあったソ連と共同戦線を取るとは思えないが、戦後の政治的発言力確保のために国際連盟軍がソ連に先んじてバルカン半島諸国を確保しようとする可能性は低くないのではないのか。
 アレキサンドリアへの航空攻撃の拠点として整備されているクレタ島はともかく、バルカン半島に駐留している部隊の多くは後方警備用の二線級の部隊ばかりだったから、国際連盟軍の精鋭であれば広大なバルカン半島全域に侵攻するのも不可能とは言い切れなかった。


 可能性でいえば、アルジェリアの戦線を素通りしてジブラルタル対岸の北アフリカモロッコなどに上陸して自由フランス軍とともに現地のヴィシーフランス軍部隊を挟撃する作戦もありえた。
 これだけ大規模の部隊を投入するには過大かも知れないが、この場合は自由フランス軍に圧倒されつつあるヴィシーフランス軍が降伏するのは時間の問題だろうから、北アフリカ沿岸航路の安全を確保できるというメリットは大きかった。
 それに自由フランス軍との挟撃であれば国際連盟軍の損耗も最低限に抑えられるだろうから、次の欧州大陸への侵攻も短時間で再開できるのではないのか。つまり戦略的には本格的な上陸作戦の予行演習とも出来るはずだった。


 枢軸軍中枢は国際連盟軍の狙いを絞り切ることが出来ずに貴重な戦力を分散させてしまっていた。
 近い将来に地中海戦線で大きな動きが生じる。そう予想したものは多かったが、そこがどこになるのか確信を抱いているものはまだ少なかった。
三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html
神州丸型揚陸艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lsdshinsyuumaru.html
秋津丸型揚陸艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lhdakitumaru.html
特1号型輸送艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lsttoku1.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ