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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943北大西洋海戦19

 全身を襲う鈍い痛みを感じて岩渕三等兵曹はゆっくりと目を開けた。意識がはっきりすると同時に、周囲からは慌ただしく看護兵に指示する軍医の声やそれに答える兵たちの声、それに負傷兵が上げる呻きや悲鳴が聞こえてきた。

 岩渕兵曹は眉をしかめながらも、痛みと騒音から自分がまだ生きていることを実感していた。まだ頭がぼんやりとしていたが体を横たえたまま頭だけを動かして周囲を見渡してみると、自分が食堂の床に寝かされているのが分かった。
 そういえば食堂は医務室に隣接していたから、緊急時は医務室を手術室として利用しながら面積の広い食堂を病室代わりにすると聞いたことがあるような気がした。

 寝かされた岩渕兵曹の周囲は同じ様な怪我人ばかりだった。どうやら護国丸の人的な被害は少なくなかったらしい。
 食堂に寝かされた怪我人の数は多かった。負傷兵達のなかにはあきらかに四肢が欠損して肩や太ももに包帯を何重にも巻かれているものや、精神をやんだのか虚空に向かって何事かをぶつぶつと呟くものもいた。
 岩渕兵曹は怪訝に思って首を傾げていた。横たわった負傷兵達の中に見慣れない顔が多いような気がしたからだ。


 絶え間なく聞こえてくる悲鳴とうめき声にうんざりとしながら岩渕兵曹はゆっくりと半身を起き上がらせた。右腕は折れているのか他よりも痛んだ。それに包帯が巻かれ、その下は添え木で固定されているのが分かった。
 だが、欠損した箇所は無いようだった。岩渕兵曹がそうやって自分の体を確かめていると、忙しく周囲の傷病兵の手当をしていた看護兵の一人が、兵曹が目を覚ましたのに気がついたのか振り返っていた。
 その看護兵も傷病兵の返り血ではない血で染められた包帯を頭に巻いていた。しかもその目は凍りついているかのように感情が浮かんでいなかった。

 ―――まるでコマネズミのように動きまわる奴だな。
 やはり見覚えのない顔の看護兵だった。護国丸には看護兵は数人しか乗り込んでいないはずだった。名前までは出てこないが、全員の顔くらいは覚えているはずだった。
 だから一瞬ふたりとも呆けたような間抜け顔をお互いに向けていた。しかし、岩渕兵曹がなにか声をかけるよりも早く一等衛生兵の階級、識別章を付けたその看護兵は医務室に引っ込むと分隊長と声をかけた。

 岩渕兵曹が手持ち無沙汰に周囲に顔を向けていると護国丸乗り組みの軍医長兼分隊長の軍医少佐が医務室の扉から勢い良く顔を出した。そして睨みつけるように岩渕兵曹をみつめると、やはり兵曹が声をかけるよりも早く再び医務室に引っ込んだ。
 取り残された岩渕兵曹が首をかしげていると、先程の看護兵を連れて、今度はたった一人の分隊士である軍医中尉が返り血だらけの白衣を着て医務室から出てきた。

 軍医中尉は未だ要領を得ない顔の岩渕兵曹に二、三質問しながら、素早く兵曹の問診を行った。そして短時間の問診を終えるとわずかに口元をほころばせながら右腕骨折の他は軽傷といった。
 背後の看護兵は手にした書類に素早く軍医中尉の見立てを書き込み終えると、一度医務室に引っ込んで書類挟みを置いて再び食堂の傷病兵の間を回り始めた。
 軍医中尉もぼんやりとした顔の岩渕兵曹に退院と命じると医務室へと戻ろうとしていた。どうやら退院というのは軍医中尉なりの冗談であったようだが、もう出ていってもいいのは確からしい。

 岩渕兵曹は慌てた様に軍医中尉に声をかけた。
「あの看護兵は誰です。この艦にあんな顔の兵が乗っていましたかね……」
 聞かれた軍医中尉は首を傾げて岩渕兵曹が左手で指さした見慣れない看護兵に視線を向けると、一度頷いてからいった。
「彼は檜の看護兵だよ。軽傷だったからそのまま手伝いをやらせている。今は働かせたほうが余計なことを考えずに済むだろう」
 それだけを言うと軍医中尉はさっさと医務室に戻ってしまっていた。

 ぼんやりと岩渕兵曹は考えていた。
 ―――なぜ撃沈されたはずの檜の乗員がここにいるのだ。
 だが、唐突に隣の兵が痛みからかうめき声を上げたのを聞いてぎょっとして我に返って振り返っていた。いつまでも傷病兵だらけのここにいても気が滅入るばかりだった。
 岩渕兵曹はまだ走り回っている看護兵に声を帰ると食堂を後にした。


 医務室を追い出された岩渕兵曹は、すぐに途方に暮れることになった。本来の配置である指揮所に辿りつけなかったからだ。
 指揮所があった下部船橋周りは残骸だらけになっていた。命中弾は船橋を突き抜けていったらしい。その様子を見る限りたとえ指揮所が健在だったとしても、兵曹が担当していた電探が無事であるとはとても思えなかった。
 このような場合は何処へ向かえばいいのだったか。岩渕兵曹が考え込んでいると後ろから声がかけられた。

「何だ、貴様生きておったのか。これまで何を……そうか負傷していたのか」
 慌ただしい声だった。岩渕兵曹が振り返ると直属の上司であるはずの通信長が呆れたような顔を向けていた。招集された予備役士官である通信長は満面の笑みを浮かべながら岩渕兵曹の背中を嬉しそうに叩いた。
「指揮所は壊滅したと聞いたからてっきり兵曹も戦死したものだと思っていたぞ。無事でよかったのう」
 通信長は大声でいったが、岩渕兵曹は居心地悪そうに周りを見回した。気が付くと先ほどの食堂だけでは収容しきれなかったのか、周囲にも横たわったり、呆けたような顔をした負傷兵がいたからだ。
 おそらく岩渕兵曹のよう軽傷と判断された負傷兵はすぐに食堂を追い出されてしまうのだろう。

 通信長も周囲の負傷兵達の無遠慮な目に気がついたのか、気まずそうな表情になると岩渕兵曹を引っ張るようにして中央楼内の無事な区画に移動していた。どうやら通信長の持ち場であった通信室は破壊されずにすんでいたようだった。
 だが、通信室内も慌ただしく何処かと無線連絡を取り合って混乱が続いているようだった。
 その様子に太い眉をしかめた通信長はさらに奥の通信科事務室に岩渕兵曹を引き釣りこんでいた。


 さすがに通信科事務室は比較的静かだった。通信長はさっさとコーヒーを二人分入れると、あまり来たことのない通信科事務室内の様子を伺っている岩渕兵曹の目の前にカップを置いた。
「確か兵曹は横文字の方は話せたはずだな」
 そう言いながら通信長は右手を口の前に持ってくるとぱくぱくと開いて見せた。おそらく英語が喋れるかどうかと聞いているのだろう。食堂や上甲板で見た風景とコーヒーの香りの格差にぼんやりとしていた岩淵兵曹は首を傾げていた。
「はぁ……こっちに来る前の促成教育しか受けていませんが、多分日常会話ぐらいならばなんとかなると思いますが」
 質問の意図がわからずに岩渕兵曹はそう答えたのだが、通信長は嬉しそうに頷いただけだった。
「その程度で構わん。見たところ右手は使えんようだから兵曹を他の仕事につけるわけにもいかんし、とりあえず案内程度なら出来るだろう。通信科からも人を差し出せと言われて困っておったんだ」
 そう言われても岩渕兵曹は首を傾げるしかなかった。一体誰を案内するのかさっぱりわからなかったからだ。

「誰か……護国丸にイギリス人が乗艦するのですか」
 間の抜けた表情で岩渕兵曹が尋ねると、通信長は呆気にとられた表情で兵曹の顔を覗きこんでいた。
「何だ、兵曹は聞いていなかったのか。今、護国丸は楓の溺者救助を終えてからレゾリューションとの邂逅点に向って航行中だったんだ」
「楓の溺者、ですか。第22戦隊や檜はどうなったのです。本艦の損害も小さくないようだし、機動力のある艦艇でなければ危険ではありませんか。その……敵潜の脅威も排除されていないのでしょう」

 通信長はすこしばかり首を傾げてからいった。事態を把握していないわけではないようだった。単にどのような形で話せばいいのか迷っているだけのようだった。その証拠に口を開いた後の通信長の説明はよどみがなかった。
「どうも兵曹は状況を正しく理解していないようだな。少なくとも俺ならこんなぼろぼろの船1隻は狙わんな。それよりももっと旨味のある獲物がごろごろ転がっている船団がすぐ近くに航行しているからだ。
 しかもその船団の護衛艦艇は戦艦の襲撃で陣形は乱れて隻数も減っておるのがわかっている上に、戦艦から逃れるためにこれ以上読みやすいことのないように真っ直ぐに航行中だ」
 ぎょっとして岩渕兵曹はおずおずと尋ねた。
「船団に、損害が出ているのですか」
「無線封止は継続中だから状況は断続的にしかわからんが、どうも複数の潜水艦から襲撃を受けたらしい。沈んだ貨物船は1隻や2隻ではないようだ。
 だから船団に急行した第22戦隊の2隻の特設巡洋艦はそっちの沈没船の溺者救助で大わらわになってるんだろう。今の護送船団に報国丸と愛国丸以上に収容能力のある艦艇は他にいないからな。まさか他の兵員輸送船をとめて救助に当たらせるわけにもいかんしな」


 思ったよりも護送船団を取り巻く状況は悪いようだった。岩渕兵曹は呆然としながら通信科事務室の窓から外を見てふと気がついていた。
 開閉式の小さな窓からは眩しい太陽光が差し込んでいた。兵曹が気を失ってる間に日が完全に昇っていたようだ。この天気ならば護送船団に随伴する海防空母から哨戒機を発進させるのは難しくないのではないのか。
 これまでの戦訓から哨戒機による上空からの哨戒が敵潜の発見に大きく効果があることが判明しているはずだった。

 だがそれを指摘しても通信長の顔は晴れなかった。
「どうかな……敵潜の行動を考えると、こちらの航空機搭載型電探の性能や周波数が読まれている節がある。つまり敵潜はこちらの哨戒機の概略位置程度ならば探知できるというわけだ。だから昼間に哨戒機を飛ばしても潜って隠れてしまえるんだ。
 こちらの哨戒機の数や航続距離にも限りがあるから、船団を追尾できる程度の距離でも航空哨戒から逃れつつ行動できるのではないのか。それで夜の間に船団を追い抜かして攻撃位置につかれてはまた同じことの繰り返しだ。
 これを避けるためには、結局は敵潜を発見次第、対潜艦艇でしつこく制圧して船団を追尾できないように追い払うしか無いのではないのかな。おそらく護衛艦隊の伊崎司令官もそう考えているから檜を早急に船団に呼び戻したのだろう。
 それに哨戒機は敵潜だけではなく、例の戦艦の接触にも出さないといかんから、第5航空戦隊に引き継ぐまで隼鷹と飛鷹も機体のやりくりに苦労しているのではないかな」
 岩渕兵曹は急に聞こえた単語を整理しながら眉をしかめた。
「あの戦艦は逃げ出していたのですか……それに5航戦が近くにいたのですか……」
「俺も詳しくは知らんが、南アフリカで休養中の艦隊がおっとり刀で出撃したらしい。英国本国艦隊はビスマルクへの警戒で相変わらず動かせないらしいが、大西洋は例の戦艦1隻を追いかけるために日英の戦艦、空母に正規の水雷戦隊と大騒ぎで動員がかけられているらしい」

 岩渕兵曹は大きくため息をついていた。
「それで本艦しか動かせる艦がいないということですか……そういえばレゾリューションの方は沈まなかったんですか。本艦の救助は必要なようですが」
「そっちも詳細はわからん。沈んでいないのは確かだが、負傷兵が多数出ているそうだからこちらに重傷者だけでも引き取って欲しいと連絡が来ていたんだ。本艦も損害は小さくないが、とりあえず医療機能は支障がないからな。
 レゾリューションからの通信も艦長ではなくて、代理の何とか長からのものだったから、もしかするとあっちでも詳細はわかっていないのかもしれん。これでレゾリューションは南アフリカの船渠に逆戻りだな」
「そんな……状況だったのですか。しかし、そんな状態でよく総員退艦となりませんでしたね」

 通信長はつまらなそうな顔になっていた。
「詳細は想像するしか無いがな、今回の襲撃を受けて上の方から戦艦を沈めるなと厳命されたのかもしれん……もしかするとこの航路でも護送船団に戦艦の随伴が要求されるようになるかもしれんな。そうなればあの敵艦は目的を果たしたということになるわけだ」
「目的……ですか。通信長は敵艦の目的がわかっているのですか」

 相変わらずつまらなそうな顔で通信長はわずかに頷いてみせた。
「無論こいつは想像だが、すくなくともこちらに戦艦の展開を強要させるのが含まれていたのは間違いないと思うぞ。ここであの敵戦艦を撃沈したとしても、あっちにはまだブレストのビスマルクがいるし、ドイツ本国にはシャルンホルスト級2隻が出撃待ちだ。
 今回の戦闘でレゾリューションがいなかったらどうなったと思う。賭けてもいいが本艦や第22戦隊が束になってかかっていっても一蹴されるのがおちだ。まだドイツ海軍の水上艦隊は無視できん戦力だと思い知らされたわけだ。
 少なくとも今まで以上にこちらの偵察機は重点的に戦艦を捜索せざるを得ないだろうが、戦艦にせよ偵察機にせよそれだけ他の方面から戦力を引きぬかなければならなくなったというわけだ……全く戦争というやつはこちらの都合よく進まんもんだな」

 岩渕兵曹は再びため息を付きながらいった。
「だから貴重な戦艦であるレゾリューションやその乗員を失うわけには行かないというわけですね。それでは本艦もそれに付き合って南アフリカ行きということですか。しばらくは日光浴はしたい放題ですな」
 通信長はにやりと笑みを見せた。
「いやそれだけじゃないぞ、レゾリューションから負傷兵を引き取った後は、沈んだ自由フランスの兵員輸送艦、ノルマンディーの溺者救助だ。ところで貴様横文字の方だが、英語は分かったが仏語はどうなんだ」
 岩渕兵曹は思わず天を仰いでいた。よくわからないが、護国丸が南アフリカにたどり着く頃には、艦内は足の踏み場もなくなっているのではないのか。そう考えていた。
特設巡洋艦護国丸の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/hskgogokumaru.html
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