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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943北大西洋海戦11巡洋戦艦マッケンゼン

 ドイツ海軍の最新鋭艦であるマッケンゼンは、海軍内の公式書類上では戦艦に分類されてはいるものの、艦隊内ではその戦闘能力に疑問を抱いているものが少なくなかった。
 元々マッケンゼンは1940年代末の完了を目指して進められていたドイツ海軍の艦隊拡張計画であるZ計画の中で、従来のドイッチュラント級装甲艦の後継として設計が進められていた艦だった。

 同じくドイッチュラント級装甲艦の後継であったシャルンホルスト級の場合は、装甲艦が持っていた旧式戦艦代替としての機能に注目し、最終的には大口径砲と兵装に見合った従来型の戦艦として完成していたのに対して、後にマッケンゼンと命名されることになるO級は装甲艦の通商破壊艦としての機能を高めた艦艇であったと言ってもよかった。

 O級戦艦はZ計画の中で次代の主力戦艦として設計が進められていたH級戦艦の支援戦力として整備されるはずだった。O級戦艦が単艦出撃して遠距離で通商破壊作戦を実施し、これを制圧するために出撃するであろう英国の分艦隊を我が主力艦隊で叩くというのがZ計画立案当時の基本戦略であったらしい。
 だからO級戦艦には、ドイツ本国を遠く離れた海域で積極的な通商破壊作戦を実施するために、長大な航続距離と速力が求められており、ドイツ海軍では乏しい外洋型補給艦の支援が得られない環境下でも単艦で行動することが可能だった。
 強大な主砲を含む砲兵装も突き詰めてしまえば、英国海軍に対して巡洋艦級以下の補助艦艇ではなく、主力艦の派遣を決意させるためのものと言っても良かった。


 しかし、Z計画の立案が開始された頃からマッケンゼンが就役するまでの間にドイツ海軍を取り巻く戦略環境は大きく変化してしまっていた。
 英国などに遅れて宣戦布告してきた日本帝国などの国際連盟加盟諸国の参戦によって航続距離の長い陸上型、飛行艇型の大型哨戒機が英国本土周辺に多数配備されたことによって、水上艦による通商破壊作戦の実施自体が極めて困難になっていたのだ。
 運よくマッケンゼンは今回の出撃でこれまで敵哨戒機に遭遇することは無かったようだが、これは本艦が国際連盟側にとって目標とされていない未知の戦闘艦であったからに過ぎない。


 現にマッケンゼン出撃の陽動を兼ねてブレストから出撃しようとしていたビスマルクは、実際に出港する前から敵哨戒機に接触されていたらしく、外洋では有力な艦隊が待ち構えていたらしい。
 ビスマルクほど運に恵まれなかったヴィシーフランス海軍の艦艇の何隻かは主要軍港に張り付いていたらしい敵潜水艦によって損害を受けたというが、詳細はマッケンゼンには知らされていなかった。

 結局ビスマルクは、ブレスト近郊から出撃する援護の空軍戦闘機の行動半径から出ることなく、敵艦隊を牽制しただけで帰還したというが、おそらくマッケンゼンも一度目撃されて特定されてしまえば、同じように出撃を警戒されて満足に行動できなくなるはずだ。
 どうやら国際連盟軍はドイツ海軍に所属する大半の大型戦闘艦の行動に注目しているようだった。


 マッケンゼンの場合は、おそらく再出撃はビスマルク以上に慎重に行わざるを得ないはずだった。通商破壊艦として設計されていたマッケンゼンは、元々敵主力艦と真正面から交戦を行うことを目的とした戦艦らしい艦艇として建造されたわけではなかったからだ。
 ビスマルク級戦艦が装備するのと同じ強力な47口径38センチ砲を連装三基計六門という戦艦にふさわしい兵装を持つにもかかわらず、マッケンゼンの装甲は重巡洋艦と同程度に過ぎなかった。
 自艦が持つ兵装に耐えうる程度の装甲を持つのが戦艦の定義であるのならば、明らかにマッケンゼンは戦艦と呼ぶのにふさわしくなかった。

 マッケンゼンの主兵装である47口径38センチ砲の連装砲塔は、シャルンホルスト級の28センチ砲三連装砲塔と重量が近しいものだった。
 実際に、シャルンホルスト級にはより強力なこの連装砲塔への改装計画があったほどだ。マッケンゼンの早期就役のためにこの改装計画は中止されていたが、当初からこの計画が存在したことが示す通りにこの両砲塔にはある程度の互換性が確保されていたらしい。
 つまり28センチ砲三連装砲塔を三基装備したシャルンホルスト級とマッケンゼンの兵装重量はほぼ同等であると言えた。さらに言えばこの二隻の排水量などの艦体の規模もほぼ同等であった。

 シャルンホルスト級に比べてマッケンゼンは最大速力でやや上回っており、燃費の良いディーゼルエンジンを搭載することで長大な航続距離を確保していた。
 だが、同程度の排水力を確保しているにもかかわらず、兵装重量でほぼ同等、機関重量では大重量のディーゼルエンジンを搭載したマッケンゼンの方が重かったから、シャルンホルスト級に比べて何かの犠牲があったと考えるべきなのだ。
 それが主兵装に比べてアンバランスなほど弱体に抑えられていた装甲の形で現れていたのだ。


 通商破壊作戦を重視したマッケンゼンの性能は戦艦と呼称するには心もとなく、先の欧州大戦時に勃発したユトランド沖海戦でその基本概念の破綻を見せたはずの重武装かつ弱装甲という旧来の意味での英国海軍式の巡洋戦艦にも似た存在だった。
 しかも、先の大戦時と比べると皮肉なことに列強海軍の軍備を制限するはずの軍縮条約を受けて、条約の制限ぎりぎりで設計された条約型巡洋艦の性能がそれまでの旧式巡洋艦と比べて格段に高まっていた。

 特に米国の巡洋艦級艦艇の大量建造に対向するように建造された最近の日本海軍の巡洋艦は大型化が進んでいた。新世代の巡洋艦として建造されていた最上型軽巡洋艦や伊吹型重巡洋艦は軍縮条約の制限一杯の艦体に10門以上の5インチ乃至8インチ砲という大火力を搭載していた。
 だから、実質上英国海軍の巡洋艦群との交戦で命運を絶たれたアドミラル・グラーフ・シュペーのように、マッケンゼンの場合も本来格下であったはずの巡洋艦との戦闘も、交戦距離次第では戦艦としては明らかに薄い装甲を貫通されて致命的な損害を受ける可能性は低いものではなかったのだ。


 ヴェルナー技術大尉の見た限りでは中途半端な戦力価値しか持たないマッケンゼンだったが、艦隊司令部が本艦の出撃に寄せた期待は少なくないようだった。
 マッケンゼンがこの海域に到達するまでの間に、すでに陽動として出撃したヴィシーフランス海軍の戦闘艦と補給艦数隻が撃沈されていた。
 ビスマルクのように実質的な被害はなくとも出撃を余儀なくされた艦艇も少ない無い。

 艦隊司令部はいったいなぜここまでしてマッケンゼン一隻を戦場に出したのだろうか。ヴェルナー技術大尉は首を傾げるばかりだった。
 司令部からの命令では、マッケンゼンは大西洋中心部に進出し、偽装された洋上補給艦の支援を受けながら可能な限り国際連盟軍の海上通商路を破壊し続けることとあった。

 しかし現状では無理をして大型水上戦闘艦を進出させる必要は無いはずだ。この頃、通商破壊作戦の主力は完全に潜水艦に切り替わっていたからだ。
 一時期は正規戦闘艦や仮装巡洋艦によって遠くインド洋まで進出して通称破壊作戦を果敢に展開していたドイツ海軍も、大型水上艦による通商破壊作戦を完全に停止させていた。国際連盟軍による哨戒網の構築が水上艦の行動を束縛していたからである。

 今次大戦勃発初期ならまだしも、現在では大西洋の制海権は日英同盟軍側に大きく傾いていた。艦隊拡張計画半ばで開戦を余儀なくされたドイツ海軍は、半ばヴェルサイユ条約に縛られたままで数的に劣勢にあった。
 開戦以後の幾度かの戦闘によって艦隊主力となる大型水上艦の多くは損害を受けており、そうでない艦も陸上機による制空権が期待できる沿岸域から離れて航行するのは危険となっていた。
 特に日本海軍は大型水上機多数を哨戒機として戦線に投入しており、その長大な航続距離を利用して監視網を大西洋上に構築していた。今では水上艦の航行どころか、潜水艦の浮上航行ですら日中は自殺行為となりつつあったのだ。

 昨年度、修理中のグナイゼナウが改装工事のためポーランドのゴーテンハーフェンに回航されたのだが、回航作業が開始されてしばらくした後、デンマーク沖合で国際連盟軍による大型水上機や哨戒機による哨戒網が強化されているのが確認されていた。ドイツ海軍では、この哨戒網の強化はグナイゼナウの行動が監視されている結果であると考えていた。

 その証拠に、哨戒網の強化が始まったタイミングは、仮にグナイゼナウがキールから出港した場合にデンマーク沖合に到着するであろう日時に合致していたからだ。そしてしばらくしてから哨戒網は再び常態へと戻されたが、その間にキール運河の北海側であるブルンスビュッテルなどにも幾度か日本軍が保有する長距離偵察機の出現が確認されていた。
 おそらく国際連盟軍はキールからグナイゼナウが出港したのを確認した後、北海への出撃を懸念して哨戒網の強化を行なったのだろう。そしてゴーテンハーフェンへの回航を確認したのか、あるいは他の理由で北海への出撃が考えられなくなってからようやく警戒を解いたのだ。

 もちろん警戒態勢にあったのは哨戒部隊だけでは無かったはずだ。おそらく英国本土のスカパフロー泊地あたりではグナイゼナウが出撃したときのために英海軍の戦艦部隊が待機していたはずだ。
 大規模な戦艦部隊を出撃させるのが難しくなっていた枢軸国海軍に対して、旧式戦艦なども多数要する国際連盟軍にはその程度の余裕はあるはずだった。
 現在国際連盟軍と枢軸軍の海軍戦力が衝突する戦場は通商路を除けば、国際連盟軍側に大きく傾きつつあった地中海戦線のみといって良い状況だったからだ。


 実は一時期、国際連盟諸国がソビエト連邦に対して支援を行う可能性が取りざたされたことがあった。日英がこれまで仮想敵であったソビエト連邦に物資を提供し、自軍の反対側に展開する東部戦線を活発化させることでドイツ軍の余力を削ごうとしたのだ。
 しかし、この計画は実行されなかった。不確かな噂によれば、実際に計画が企画されるところまではいったらしいが、結局国際連盟側の船団がソビエト連邦に向けて航行することはなかった。

 詳細はよくわからないが、日英の強力な同盟国であるシベリア-ロシア帝国が不倶戴天の敵であるソビエト連邦への支援に強く反対したからだと言われている。
 国際連盟に未加盟のソビエト連邦が、支援物資をドイツと戦う戦線に投入せずにその矛先をシベリアーロシア帝国に向けないという保証は無かったからだろう。

 もしもこの支援計画が実施されていれば、英国本土から北海を経由してソビエト連邦へと向かう船団はドイツ海軍の重要な襲撃目標となる可能性もあっただろう。ノルウェー沿岸を策源地としたドイツ海軍からみれば英ソ航路は目と鼻の先にあるからだ。
 その場合は航洋力に優れる水上艦どころか、航続距離の短いUボートであっても容易な目標となったのではないのか。

 だが、現実としては皮肉なことに対ソ支援が実施されなかったことで英国海軍は余力を得ているとも言えた。
 どのみち唯一と言っても良い友好国である米国に支援されたソビエト連邦はモスクワ防衛に成功し、東部戦線もドイツ軍が構成限界点に達しているようにも思えていたから、国際連盟による支援が無くとも大勢はかわりなかっただろう。

 だから、ドイツ海軍が英国に対してとりうる攻勢は、潜水艦による北部大西洋での襲撃に限定されつつあった。そしてそれも哨戒機や護衛艦艇の充実によって次第に困難になりつつあった。
 また、日本軍の長距離偵察機によって既存の大型戦闘艦の動静が把握されることによって、国際連盟側は貴重な大型水上戦闘艦を自由に動かすことができるようになっていた。

 大戦勃発序盤の哨戒網がまばらだった時期にはドイツ海軍水上部隊にもかなりの行動の自由があった。例えばビスマルクを旗艦とする戦艦部隊が急遽出撃した際は、迎撃準備の整わなかった英国海軍は有力なドイツ艦隊に対して場当たり的に戦力を投入することしか出来なかった。
 もしも現在のように哨戒網が機能していれば、戦艦3、重巡洋艦1を有するビスマルク艦隊に対して初戦でフッドとプリンス・オブ・ウェールズの二隻の戦艦とその護衛部隊のみで交戦することはなかっただろう。
 この戦闘でビスマルク艦隊は、ビスマルクの小破と引き換えにフッドを撃沈し、プリンス・オブ・ウェールズを大破させることに成功した。
 しかも五月雨式に出撃した英国海軍主力艦隊はビスマルクの捕捉に失敗していた。最終的に、英国海軍はビスマルクに損害を与えただけで、戦艦フッドと軽巡洋艦シェフィールドを喪失し、プリンス・オブ・ウェールズ他の艦艇も損害を受けた。
 プリンス・オブ・ウェールズはその後マルタ島奪還作戦まで行動が確認されておらず、かなりの期間修理を行わざるを得なかったようだった。
 この一連の戦闘で、英国海軍はドイツ海軍を総戦力の面で圧倒していたにもかかわらず、実際の戦局では常に不利な数で各個撃破されてしまったのだ。

 しかし、このような状況は、日本軍の参戦による英国側の大幅な戦力増強によって覆されることとなった。
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