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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943川南工業香焼島造船所6

犯人は社長
 川南社長の発言は、岩崎技術大尉にとってとても容認できなかった。このまま本船を就役させることなど危険極まりなかったからだ。
 それに形の上では艦政本部を代表している岩崎技術大尉の判断を頭から否定するということは、海軍の権威を認めていないということにもなるのではないのか。
 ことは一技術大尉の感情では済まなくなってくるのだ。だから岩崎技術大尉も簡単に引き下がるわけには行かなかった。

 だが、岩崎技術大尉が何かを実際に言う前に、川南社長は笑みを浮かべたまま片手を上げて制した。
「失礼ですが、岩崎大尉は戦時標準規格船建造計画の状況を正しく理解されていないのではないですか」
 川南社長の口調は丁寧なものだったが、その内容はひどく険しいものだった。というよりも非礼に近いのではないのか。海軍艦政本部から戦時標準規格船建造計画に出向している岩崎技術大尉に向かっていうこととは思えなかった。
 しかし、自信ありげに言いながらそこでいったん言葉を切った川南社長を無視することも出来なかった。単に岩崎技術大尉を怒らせるだけが川南社長の意図だとは思えなかった。むしろ大尉を刺激して冷静な判断力を奪おうとしているのではないのか。
 岩崎技術大尉は内心に沸き上がりつつある怒りを押し込めて無表情をつくると無言で先を促した。

 予想通りに岩崎技術大尉が話に食いついてきた様子に満足したのか、川南社長は大きく頷いて見せてから淡々とした口調でいった。
「この船の工期が遅れることそのものはさほどの問題となるわけではありません。配船の日程が多少狂いはするでしょうが、今では全国各地で同型船が建造されていますから、一隻の竣工が遅れても代替船の手配は難しくありませんから。
 ですが問題はこの船一隻に留まらないでしょう。艤装桟橋に長期係留されているくらいならば艤装品製造の遅れや工員の都合がつかないといった理由を作り上げられますが、船腹を開けるほどの大工事ともなればいくら防諜体制を強化しても自然と話は漏れていくものです。民間造船所の周囲すべてを監視できるほど憲兵隊は暇ではありませんからね。
 近隣住民の噂話程度で済めばいいのですが、新聞社の人間に気が付かれるのは時間の問題でしょう。あるいは諸外国の工作員がその中に紛れているかもしれません。そうなれば戦時標準規格船への信頼性は一気に失われることになります。例え後から事実を公表したとしても、その時点で悪意に満ちた宣伝が開始されているから、真実は隠されてしまうはずです。
 つまりこの船一隻の調査工事を行うことによって、戦時標準規格船の大量建造という今の帝国の方針そのものが揺らぐことが問題なのです」
 岩崎技術大尉は一瞬呆けたような顔になっていた。川南社長の言い分は矛盾していた。徹底した調査工事が戦時標準規格船の大量建造に悪影響を及ぼすというが、それでは不具合が発生する可能性の高い船をそのまま就役させる事による影響はどうするのか。
 川南社長は不具合のある船を海に浮かべがら、その不具合に意図的に目をつぶろうというのではないのか。岩崎技術大尉は気が付くと険しい表情を作っていた。

 それに気がついたのか川南社長は取り繕うように続けた。
「勿論破断事故のことを無視するつもりはありません。当工場で施工の際に使用した工事用図の提供は勿論ですが、同様の条件で同じ工員が施工したブロックを試験用に建造することも考えております。もちろん表向きの用途は製造試験および教育用としておく必要があるでしょう。それならば工員以外の人員が長時間調査を行っても不審に思われる可能性は薄いはずです」

 しばらく考えてから岩崎技術大尉は苛立たしげに首を振った。確かに同じ工員が製作したブロックなら類似性はあるかもしれないが、それはあくまでも似ているだけだ。
 実際に船に組み込まれたブロックは周囲のブロックとの取り合いの修正やブロック同士の接合時の溶接の熱収縮で変形することがあるが、もしもその変形が事故の原因であれば試験のために特注されたブロックでは原因を明らかにすることはできない。
 やはり試験片は実際に船の形になったブロックから切り出すほうが確実なのではないのか。それに試験用として特別に製作されたブロックならば工員達も普段よりも精度を高く製作しようとするだろうから、やはり厳密には異なってくるのではないのか。

 だが川南社長は、岩崎技術大尉の苛立ちなど気がついていないかのように続けた。
「それに本工場では建造の主軸を戦時標準規格船二型から三型に移行させるところです。破断事故の原因が設計、あるいはそれによる施工法にあるとすれば、新たな設計図、施工図に切り替わる戦時標準規格船三型で同じ問題が発生する可能性は低いのではないですか」
 岩崎技術大尉は意表を突かれて押し黙っていた。

 これまで川南工業香焼島造船所で建造されていた戦時標準規格船二型は正確には汎用貨物船であるA型と呼ばれる型式のものだった。このA型は実質上戦時標準規格船の原型とも言えるもので、居住区画によって分断された船体の前後に貨物倉があった。
 貨物を限定しないために倉内に特別な設備は設けられておらず、デリックの容量も一般的なものに収まっていた。
 ただし、香焼島造船所で一部の装備を省いたまま建造した後に、別の造船所で用途の異なる派生型に改装される例はあったようだ。さすがに専用の貨油移送用ポンプや消火設備の必要な油槽船や、船底の構造を強化された重量物運搬船などはブロック単位で設計が異なるのだが、兵員輸送船型のような簡易ベットや空調設備、烹炊所の増設程度なら改装は容易だから、前線での需要に応じて汎用貨物船から改装されることもあった。
 日本軍の参戦前後は徴用された客船を用いて兵員輸送を行っていたのだが、最近では戦地に派遣される部隊も多いから専用の兵員輸送船も少なくないようだ。

 しかし、香焼島造船所で建造が開始されつつある戦時標準規格船三型はこれまでの二型と比べて船型自体が変更されていた。一応は二型の改設計船となっているのだが、変更点は多く、事実上の再設計だった。
 戦時標準規格船三型の最大の特徴は、従来型の貨客船などと同様の船首尾楼と操船区画や居住区を備えた中央楼からなる三島型構造であった二型に対して、居住区や機関部を後部に一体化して配置した船尾楼形式に変更されたことにあった。
 錨鎖庫や倉庫区画しかない船首楼と大型化した船尾楼との間はデリック以外に遮るもののない船倉区画にあてられていた。
 このような船尾楼形式は、船倉区画をひとまとめにできるという利点はあるものの、空荷の際には重量物が船尾に集中しているために船首尾方向で無視できないトリム差が発生するなどの問題があるため、排水量の小さな貨物船でしか採用例は無かった。

 だが、最近の揚陸艦の一部は海岸に直接座礁して搭載した車両などを直接揚陸させる際に船内のバラストタンクに注排水を行ってトリムの調整を行っていた。
 この注排水システムの大量生産による価格の低下と普遍化によって戦時標準規格船三型でも船倉区画の両舷、下部に備えられたバラストタンクへの注排水によるトリム調整システムを組み込むことがさほど難しくなくなっていたことから船尾楼方式を実用化することが出来たのだ。

 このように船型や搭載された機材が異なるのだから戦時標準規格船二型と三型では設計上の相違点は少なくなかった。だから、戦時標準規格船二型で発生した現象が三型でも同じく発生するとは確かに限らなかった。
 ただし、それは今後建造される船に限った話だった。しかも、施工ではなく設計に原因があると仮定した場合に限られるはずだ。もしもこの工場の施工技術事態に原因があるとすれば、設計が異なる戦時標準規格船三型でも同じような事故が発生する可能性は少なくなかった。


 だが、眉をひそめたままの岩崎技術大尉が安易に納得するつもりがないことを見て取ったのか川南社長は続けた。
「言い忘れておりましたが、この件は東條閣下の承認済みです。それと本船は陸軍の弾薬輸送船として使用されることが決定されておりますので」
 岩崎技術大尉はしばらく呆然としていた。川南社長の言葉が正しければ、陸軍大臣の許可まで得ていることになる。おそらく川南工業と陸軍との繋がりを利用して手を回したのだろう。
 それが本当だとすれば、とてもではないが岩崎技術大尉の手に負える問題では無いのではないのか。

 呆然としている岩崎技術大尉にいささか口調の柔らかくなった川南社長が慰めるように言った。
「東條閣下から海軍大臣にも話を通していただく事になっておりますので、岩崎技術大尉にはこれからの試験のことを考えていただきたいと思います」
「しかし……条件が異なる物を調査しても事故原因が正確に把握できるかどうか……」
 思案顔で岩崎技術大尉がいうと、川南社長は何でもないという様子で言った。所詮は他人ごとなのではないのか。
「それほど悲観的になることはないでしょう。海軍さんでは英国と共同でオペレーションズ・リサーチとかいう新手法の思考法を試しているとか聞いていますが……そういった手順をこういった工学的な試験に導入する方法もあるのではないですか。例えば現在の現象を把握してその次を予想するだとか……」
 そういわれて岩崎技術大尉は思わず苦笑していた。オペレーションズ・リサーチは対潜戦術や船団護衛の手法を考案するのに使われているらしいが、あくまで思考法であると聞いていた。それを工学的な条件に当てはめるのは無理ではないのか。


 そこまで考えてから、ふと岩崎技術大尉は違和感に気がついていた。川南社長の行動が強引すぎる気がしていたのだ。
 確かに噂を信じれば川南社長の人脈は豊富だというから、陸軍大臣の許可を得ることも可能であるはずだ。しかし、戦時標準規格船二型の破断事故によって本船の工事が中断されてから今日までさほどの時間が経過したわけではなかった。
 この短時間で陸軍大臣の承認まで得るにはかなり強引な手段を用いたのではないのか。ただ一隻の船を就役するためにそこまで川南社長が尽力するのだろうか、岩崎技術大尉は疑問に思い始めていた。

 岩崎技術大尉の怪訝そうな表情に気がついたのか、川南社長がふと真剣な表情になっていった。
「大尉は戦時標準規格船自体にこだわりすぎてはいませんか?」
 川南社長がいきなり何を言い出したのか意味がわからずに岩崎技術大尉は首を傾げていた。
「それは……どういう意味でしょうか」
「重要なのは戦時標準規格船を使用することを前提とした輸送手段なのです。決して戦時標準規格船そのものではありません」

 岩崎技術大尉は眉をしかめていた。戦時標準規格船の大量建造によって欧州までの輸送船団を構成するという前提がある以上は、その二つは不可分のものといってもいいはずではないのか、そう考えていたからだ。
「つまり輸送手段によって物資や人員が十分な量だけ運ばれれば良いのです。極端なことを言えば一回の航海で破損しようとも、十分な荷役量さえ確保できるのであればあれば最終的な被害は許容できます。
 それに今も敵潜水艦による被害が続出していますが、輸送計画は統計的に算出された通商破壊による損害を加味して船団中の輸送船の必要数を算出しています。ですから、すでに数値はあるのですから戦時標準規格船の破損というパラメータを輸送計画に反映させることも容易であるはずです。戦時標準規格船の破断による喪失は数の上から見れば敵潜水艦による損害よりもはるかに少ないのですから」
 川南社長の言うことはあまりにも極論であるように思えた。だが岩崎技術大尉はなんと言えばよいのかまったく考えが思い浮かばなかった。暴論だと思う一方で、もしかすると心のそこでは川南社長の意見にうなずくものがあるのかもしれない。

「しかし……敵潜水艦による被害と破断事故による被害を同一に考えるのは乱暴であるように思えますが」
「そうでしょうか?敵潜水艦の被害も数値として可視化することによって対策を立てられたと聞きます。例の破断事故も統計的にまとめれば何か見えてくるかもしれません。それに敵潜水艦の被害や破損による消耗などよりも戦時標準規格船の建造が遅滞することによって妨げられる流通量のほうがはるかに大きいはずです。
 お叱りを承知で言いますが、事故によって失われる人命は最大でも百名程度のはずですが、輸送手段である戦時標準規格船の建造が遅滞することで物資が欠乏すれば、これで失われる人命は比べ物にならないほど多くなるでしょう」
 あまりに川南社長の言うことは乱暴に聞こえるが、冷徹に感情を廃すれば間違いはないのかもしれない。日本本土から欧州に到着する物資が最小限の労力で最大限となればよいのだ。戦時標準規格船というのはその手段に過ぎないのかもしれない。

 建造に必要な工数や使用資材量を最小限とするように戦時標準規格船は設計したのに、自分はいつの間にかそれを忘れてしまっていたのかもしれない。岩崎技術大尉はそう考え始めていた。
 そして岩崎技術大尉は早くも非破壊検査の結果と設計図によって構築された試験用ブロックによる検査法を考え始めていた。
 いくら建造が続行することが決まったとはいっても戦時標準規格船の不安が払拭されるわけではないのだから、あまり試験に時間をかけるわけにはいかなかった。だか必ず容易に解を求めるための思考法があるはずだ。そう考えていた。

 岩崎技術大尉が考えているのはついさっき否定したはずのオペレーションズ・リサーチ法だった。本当に工学的な条件を模擬的に再現することは不可能なのだろうか、そう考え始めていたのだ。
 そんなことを考え込んでいた岩崎技術大尉は、川南社長の顔に安堵の表情が浮かんでいたことに最後まで気が付かなかった。
戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html
戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html
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