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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943川南工業香焼島造船所5

犯人は社長
 川南豊作はどこか得体のしれない行動力を感じさせる奇妙な男だった。実際に目にしたことはなかったが、聞いていた噂通りのただならぬ男のようだった。

 岩崎技術大尉よりもはずっと年上だが、それでも川南社長は40代に差し掛かったばかりのはずだった。何年か前の新聞記事で30代の若手実業家として紹介されていたのを大尉は思い出していた。
 恰幅がよく、仕立ての良い背広を着ているせいで老練な経営者のように見えるが、実際に老年と言っても良い篠原工場長と並ぶとやはり若く見えた。

 その時の記事に略歴も掲載されていたが、確かそれによれば富山の貧乏農家の三男坊に生まれた川南社長は、農業を嫌って東洋製罐に就職した後、30代を手前にして独立、独自の缶詰製法を考案して缶詰の生産を行う川南工業を立ち上げた。
 だが、それに飽きたらずにさらに倒産した松尾造船所の施設設備を買い上げてこの香焼島造船所を再開して造船業界にも乗り出していた。川南工業の急成長は著しく、それが話題となって新聞記事になっていたはずだ。
 今では川南工業は缶詰製造、造船に加えてガラス加工工場まで持つ新進企業となっていた。短時間で会社を急成長させた川南社長の評価は高く、経済産業界では時代の寵児となっているらしい。


 だが、そういった華やかに成功した若手実業家としての印象とは別に、川南社長の周囲では海軍にとってあまり望ましからぬ内容の噂も多かった。川南工業の急成長の影に陸軍の関与があったのではないかというのだ。

 元々缶詰は軍用の保存食として欧州で発明されたもので、日本国内で生産されたものの大半も当初は陸軍に納入されていた。第一次欧州大戦時には国内で生産された缶詰の多くが激戦の続く欧州各国に輸出されていたが、戦後直後は大量生産されていた缶詰が輸出先を失って大量に民間の市場にも流れていた。
 川南工業が缶詰業に算入できたのも、独自の製法を構築したこともあるが、先の欧州大戦時に大量生産するために製造され、その後に余剰となっていた生産機材を安価に取得出来たからではないのか。

 欧州大戦後に軍用余剰品の放出という形で民間に広まった缶詰だったが、余剰となったのは輸出分に相当するものだけで、日本軍向けの缶詰生産量が大きく減少することは無かった。
 むしろ日本陸軍では過剰生産の反動で缶詰製造業者が一斉に撤退するのを恐れていたほどだった。川南工業が生産機材を取得する際にも陸軍省の口利きがあったらしい。
 欧州大戦の戦火で各国が疲弊することで、消極的な理由ながらも当分は大戦争が勃発する恐れの少なくなった欧州と違って、日本周辺では逆に紛争が発生する可能性が高まっていたからだ。


 きっかけとなったのはもちろん欧州大戦終戦に前後するロシア帝国の崩壊と、旧帝国領の欧州側に成立した共産主義を掲げるソビエト、シベリアに逃れたマリア、アナスタシアの2皇女を旗印に反革命勢力が集合したシベリアーロシア帝国という両国の成立だった。
 前ロシア皇帝ニコライ二世の弟であるミハイル大公が後見人となり、マリア皇女を女帝として誕生したシベリアーロシア帝国であったが、その成立にはロシア皇室と王室が姻戚関係にある英国と共に、当時チェコ軍団救出のためにシベリアに出兵していた日本帝国が深く関わっていた。

 立憲君主制とは相容れない政治体制である共産主義国家であるソビエト連邦の膨張は、日英両国にとって大きな脅威であるため、両国は揃ってソビエト連邦に比べて弱体なシベリアーロシア帝国の援助に乗り出すことになった。
 だが、日本帝国政府にはもう一つの思惑があったはずだ。
 日清戦争にせよ、日露戦争にせよ、日本帝国が近代国家として経験した外征戦争は本土を防衛するための縦深地となる朝鮮半島や満州を勢力圏におさめるための戦争だった。少なくとも戦争を指導した政府首脳部の思惑としてはそうであったはずだ。
 つまりシベリアーロシア帝国は対ソ戦を想定した場合、日本帝国から見れば新たな縦深地だったのだ。しかも現地には友好的な政権が誕生しており、日英の支援があれば大規模な自衛戦力をも構築できるのだから、朝鮮半島や満州に比べると条件は格段に良かった。

 日本陸海軍は少なからぬ戦力をシベリアーロシア帝国に駐留させるとともに、日本製兵器の輸出も盛んに行われた。兵器輸出の実施は英国も同様だったが、英国は加えて有力貴族であり、イギリス王室との血縁も深いルイス・マウントバッテン伯をマリア女帝の王婿としていた。
 大戦で疲弊したドイツに対して比較的英国が温情的な態度を示したのも、ソ連に対する欧州圏の防波堤としての役割に期待してのことであり、日英両国は共産主義国家ソビエトを東西から包囲する体制を築こうとしていたのだ。
 共産主義勢力が狙っていた中国東北地方に先手を打つように、奉天派によって誕生した満州共和国に対する軍事支援も、中国共産党との内戦に明け暮れる国民党政権への兵器輸出も基本的には同一の政策に基づいての行動だったといえる。

 緊張の続くソ連との国境線には、シベリアーロシア帝国成立まで人口の希薄さから殆ど手付かずであったシベリア奥地のツングースカ鉱山などの豊富な天然資源の採掘権や採掘された資源そのものを担保に輸出された多くの日英製の最新兵器が配備されていた。
 両国の誕生直後には、高度な教育を受けた旧ロシア帝国軍の貴族出身士官の多くがシベリアーロシア帝国に続々と集まっていたものだから、兵員数は多くともソ連は安易な軍事行動に出ることは出来なかった。

 シベリアーロシア帝国の脇腹を突くようにコミンテルンが共産主義勢力者を中国東北部に送り込んでいたのも、損耗の大きな正面衝突を避けるためだったのだろう。
 それも日英露三カ国の援助を受けて奉天派軍閥が満州共和国を成立させたことで一時断念せざるを得なかったようだ。ただし中国国内の共産主義勢力が大きく衰退したわけではなかった。中国東北地方から撤退した中国共産党主力は華北や西北部に戦力を集中しているらしい。
 だから満州共和国や日本帝国が軍事支援を続ける国民党政権にとっては油断ならない状況が続いていた。


 日本帝国からシベリアーロシア帝国に輸出されたのは銃砲や戦車などの兵器ばかりではなかった。寒冷地でも容易に暖められる缶詰や野外調理用の携帯燃料といった陸軍糧秣廠で研究開発していた糧食品も少なくない量がシベリアーロシア帝国に輸出され、一部は前線部隊に支給された他、大部分は有事の際に日本本土から増援として送られる部隊用として貯蔵されていた。
 日露戦争やシベリア出兵を経験した日本陸軍は、極寒の中で兵員の士気を保つためには零下環境でも戦闘行動が可能な防寒服など共に、温熱給食が不可欠であるという戦訓を得ており、寒冷地用の糧食開発には熱心だった。
 そして、川南工業が製造していた缶詰も大半は陸軍糧秣廠に納入されて、シベリアーロシア帝国にその多くが送られていたらしい。つまり会社の成立直後から川南工業は陸軍との関係が強かったのだ。

 川南工業が造船業に進出したのも陸軍官関係者からの示唆があったという噂もあったが、真偽はよくわからなかった。だが、川南工業香焼島造船所が再開されてから間もない時期に陸軍の上陸艇母艦である神州丸の建造造船所の候補に上がっていたのは事実であるらしい。
 日本陸軍が独自に開発した大発動艇は船首に道板を設けて迅速に搭載人員、物資を揚陸できる特殊な構造を持っていたが、外洋航行能力が低いために専用の母艦を必要としていた。しかもただ甲板に積載するだけでは数少ないデリックを用いて泛水させる必要があったため効率が悪かった。

 船内に搭載した大発動艇を短時間で発進させることの出来る特異な泛水装置を持つ上陸艇母艦として建造されたのが神州丸だったが、その造船所には結局川南工業香焼島造船所が選ばれることはなく、播磨造船所で建造されていた。
 候補となった造船所は少なくなかったが、兵庫県の相生湾西岸に位置する播磨造船所は先の欧州大戦時に急拡張したこともあって周辺の人家が少なく、地形上機密保持が容易だったのだ。
 だから例え技術力があったとしても、当時は機密度が高かった上陸艇母艦の建造に川南工業香焼島造船所が選ばれる可能性は少なかったはずだが、それでも陸軍にとって重要な特殊船の建造候補に再開から間もない香焼島造船所が上がっていた事自体が川南工業と陸軍との強いつながりを裏付けるものだったのではないのか。


 上陸艇母艦である特殊船神州丸の建造受注こそ逃したものの、川南工業香焼島造船所では陸軍からの受注が少なくなかったようだ。敵対勢力沿岸への上陸を前提とした上陸艇母艦以外にも、陸軍が必要とする大型船舶は多かった。
 友好国であるシベリアーロシア帝国とソ連との国境線付近を日本陸軍が主戦場と想定する以上は、有事の際に日本本土から何らかの方法で大陸に兵員や物資を送り込まなければならないからだ。
 当然戦時になれば民間商船を徴用して戦時輸送に充てるのだが、民間では需要が無いために保有数の少ない重量物輸送船などは陸軍所属とするか、少なくとも国家予算で建造後に運用を船会社に委託する必要があった。
 それに厳冬期にシベリアーロシア帝国の玄関口であるウラジオストック周辺海域を航行するには砕氷船を伴うか耐氷構造の特殊船とするしかなかった。
 民間商船であれば氷結が激しい際は欠航としても仕方がないが、軍事輸送でそれは許されなかった。だから陸軍は耐氷構造の輸送船を建造させていた。
 そしてその中の何隻かは川南工業香焼島造船所で建造されたものだった。

 これらの経緯から、川南工業の背後には陸軍の影がちらついているのは明らかだった。民間造船所とはいえ、海軍としても扱いに困る存在だったのだ。戦時標準規格船建造計画に参入したのも陸軍上層部による示唆があったからではないのか。
 だから、岩崎技術大尉も警戒しながら近づいてくる川南社長を見つめていたのだ。


 使いの者もよこさずに自分の足で戦時標準規格船二型の船底近くまでやってきた川南社長は、にこやかな笑みを浮かべたまま岩崎技術大尉の話を聞いていた。
 岩崎技術大尉はよどみなく現状を説明していた。イギリス国内で複数の戦時標準規格船二型に発生した破断事故の事、事故が起こった船はすべてこの香焼島造船所で建造されたこと。そして船内に持ち込める機材による非破壊検査だけでは破断個所の十分な調査が出来ないこと。
 それらの現状を十分に説明した上で、岩崎技術大尉はさらに自分の見解を伝えた。
 戦時標準規格船建造計画の海軍担当者としては、事故の発生した船で破断した個所の溶接部における強度検査を実行しなければならなかった。破断事故の原因が解明されない限りは危険すぎてこの船は就役させられないのではないのか。仮に艤装工事を終えたとしても受領を拒否される可能性は高かった。
 当初から戦時標準規格船建造計画に携わってきたものとして、それ以上に一技術者として欠陥の可能性を否定出来ない船舶の引き渡しを許すわけには行かなかったのだ。


 気が付くと言うべきことは全て言い終えていた。少なくとも岩崎技術大尉の判断は全て伝えていた。言い忘れていることはないもないはずだった。ふと寒気を感じて岩崎技術大尉は身震いをしていた。説明に夢中で気が付かなかったが、それなりに長い間ずっとしゃべり続けていたようだ。
 だが、岩崎技術大尉の説明を聞き終えても川南社長の表情に変化はなかった。ひどく曖昧な笑みを浮かべたまま、目だけが冷ややかに岩崎技術大尉を見つめていた。
 その目を見るまでもなく、川南社長が工事の中止に納得したわけではないのは明白だった。川南社長の脇に立つ篠原工場長の方は、困ったような顔で岩崎技術大尉と川南社長の間を視線で行ったり来たりとしていた。それと比べると感情の伺えない川南社長の様子は不気味でもあった。

 岩崎技術大尉の説明が終わってしばらくしてから、川南社長は口を開いた。愛想の良さそうな声だったが、内容は断言的だった。
「まず最初に結論からお伝えしましょう。この船の艤装工事は早い内に再開させます」
 一瞬呆けたような顔になってしまったが、岩崎技術大尉は慌てて抗議の声をあげようとした。
 だが、同時に言いようのない不安をも感じていた。川南社長のいうことが彼の独断によるものかどうか、それが分からなかったからだった。
戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html
神州丸型揚陸艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/lsdshinsyuumaru.html
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