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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943川南工業香焼島造船所4

 経営者の判断で戦時標準規格船建造計画に早くから参加していた川南工業香焼島造船所は、現在では半ば同船の専用工場となっていた。特に計画の中でも標準船と位置づけられていた大型貨物船である戦時標準規格船二型Aの建造では日本国内でも有数の建造量を誇っていた。
 今ではかつての松尾造船所時代の敷地だけでは足りずに、隣接する深堀地区の土地を買収して工場の拡大を行っているほどだった。
 ただし、戦時標準規格船建造計画の関係者の中には川南工業の戦時標準規格船の大量建造に関して疑念を抱くものも少なくなかった。彼らは川南造船所香焼島造船所の技術力に不安を感じていたのだ。

 松尾造船所と呼ばれていた現在の香焼島造船所が川南工業に買収されて、新たな造船所として操業が再開されるまで十年という長い月日が流れていた。だから日本国内の造船所としては比較的長い歴史があるとはいっても、最新の機材と古臭い工場配置が共存する風景に見られるように、造船技術や人材には連続性が絶たれていると言っても良かった。
 篠原工場長ら老齢といってもよい工場幹部はともかく、実際に建造の現場に携わる技術者や工員達の多くは、香焼島造船所が再開されたここ十年の間に雇用された若手の社員ばかりのはずだ。
 それどころか、再開当初は新規に採用された従業員の補充が間に合わずに、川南工業のそれまでの本業であった缶詰工場から人員を割いてやりくりをしていたというが、さすがに造船業の素人である彼らが主力となることはなく、若手工員の増大とともに元の缶詰工場に戻されていったはずだ。
 かつて松尾造船所に努めていた熟練した働き盛りの工員たちの多くは、十年の休眠期間の間に他所の造船所にうつるか、別の職に就いてたはずだ。
 本来であれば彼らの年齢層が現在の工場幹部や現場の指揮官となるべきなのだろうが、十年という期間は技術だけではなく人員構成をも断絶を招いていたものだから、若手の姿ばかりが目立つ工場になっていったはずだ。


 ただし、岩崎技術大尉は彼ら若手工員達の技量そのものはそれ程問題があるとは思っていなかった。別に彼らが特別に優れているというわけではなかった。そうではなく、戦時標準規格船の建造に関してはたとえ古豪の造船所であっても工員の技量差はさほど現れることはないと考えていたのだ。
 戦時標準規格船の建造には、日本国内でもここ十年ほどで急速に進んだ電気溶接やブロック建造法などの新たな建造方式を採用していたからだ。
 特に電気溶接は、軽量化や強靱性を強く求められる軍用艦の高性能化のために艦政本部や海軍技術研究所などで先行して技術開発が進められていたものだったから、民間造船所でそれ程長い使用実績のある会社は少なかったはずだ。
 つまり、香焼島造船所で新たに雇い入れられた若手工員達も、古豪造船所の古手の工員達も、電気溶接やブロック建造に関しては習熟度は大して変わらなかったのだ。
 むしろ、造船技術に関して先入観のない若手工員を多数抱える香焼島造船所の方が、古豪の造船所よりも新たな技術の導入には熱心だったかもしれなかった。
 古豪といえば聞こえはいいが、旧態依然とした手法に拘泥してしまっている造船所も少なくないはずだ。それに対して新規に参入した会社ではそのようなしがらみがないから新技術の導入にも抵抗は少ないし、未熟練者が多数の工場で他社に対抗するには、それが一番手っ取り早かったからだ。

 だが、その一方で川南工業が香焼島造船所の能力以上の受注を行っているのではないのか、そのような疑念は否定できなかった。英国で戦時標準規格船二型の破断事故が発生する前からそのような声が上がり始めていたのだ。
 経営者側では老舗の造船所という自負があるのだが、工場の容量や工員の能力とは受注量が必ずしも釣り合っていないとも言える。
 川南工業香焼島造船所では、一年あたりの建造船舶の合計総トン数だけでいえば近接する古豪の造船所である三菱長崎造船所に匹敵するほどの高操業を記録していたが、工場の規模や工員数からするとその数は過大であるように思えた。
 というよりも、工員数とその稼働率から逆算した概ねの工数と竣工した建造船の数があわないと考えられていたのだ。

 ―――ひょっとすると香焼島造船所では、経営陣が過大な量の受注をしてしまったことで、現場の工員たちに負担がかかりすぎて粗製乱造が起こっているのではないのか。
 岩崎技術大尉らはそう考えていた。

 増大する日本の海運、造船の育成を目的とした帝国海事協会は、今世紀初め頃にロイド船級協会などと協定を結んで本格的な船級協会としての機能を強化していた。
 戦時中の今でも日本国内で建造される商船の全て、さらには友好国であっても造船所からの承認要請があれば、構造や設計の機能を確認して実船の検査や船級登録を行っていた。
 だから設計が簡略化された戦時標準規格船とはいえ最低限の質は帝国海事協会によって保証はされているはずなのだが、今次大戦開戦前後から日本でも商戦建造量が極端に増加していたから、審査を行う帝国海事協会船級部の能力も限界に達しているはずだ。
 そのような状況で一部の劣悪な船舶も審査を通ってしまって、船級を取得していたのではないのか。


 現在、岩崎技術大尉が篠原工場長の案内で調査に入っているこの船も、英国で真っ二つに折れた事故船と同型の戦時標準規格船二型の貨物船だった。しかも輪番で回っている工員達の組は事故船と同じだった。つまりほとんどの工員は事故船と本船で同じ個所で作業に入っているらしい。
 だから、工事を一時中断させてまで徹底的な調査に乗り出したのだ。事故の原因が工員に起因するものであれば、本船でもその徴候が見られる可能性が高かったからだ。

 しかし、事故船で座屈が始まった個所を目視で確認した岩崎技術大尉は、苦々しい表情になっていた。その箇所は下部居住区と船倉との境目の近くだった。
 この戦時標準規格船二型は船尾に機関部を集中しているから、船橋下部のこの区画は居住区や燃料槽などのタンク区画、倉庫などに割り当てられている。工事中の今は居住区側から船倉に入れるように工事口が開けられているが、竣工前には閉鎖されて工事口も溶接されるはずだった。

 船体の中央部になるから荷重が集中する部分ではあるが、それだけに船体に溶接された補強材の強度は高くとられていた。もちろん予め計画されていたとおりの寸法の補強材がフレームに使用されているようだった。
 手持ちの機材では正確な値までは分からないが、取り付け位置も基準から外れているようには思えなかった。
 周囲の配管も概ね正確に取り付けられているようだった。少なくともブロックの切れ目で大きくずれているのを無理やりつないだということはなさそうだった。

 確かに電気溶接の施工は、荒々しいビードを見る限りそれ程手慣れた様子はなかったが、ここが事故の原因となって破断したとは考えづらかった。
 他の現場を見る限りでは溶接する際の裏当て材の使用なども適切にされているようだし、予め溶接で接合される個所の補強材には開先がとられていた。それに溶接部分の厚みである溶接脚長も十分に取られているように思えた。
 少なくとも電気溶接に習熟した海軍工廠であっても、この現場を担当した溶接員の技量は及第点には達するのではないのか。
 多くの造船所を回ってきた岩崎技術大尉の目から見ても、他の造船所の工員と比べて遜色のあるものではなかった。それどころかもっと酷い電気溶接技量の工員しかいない、旧弊な建造法に拘泥した造船所も少なくないのだ。


 もちろん戦時標準規格船二型の破損事故の原因が溶接部ではないと証明されたわけではなかった。
 やはり溶接部の強度を詳しく調査するためには非破壊検査では限度があるのか。手にした工場事務所から借りだした軽量ハンマーで溶接部付近を軽くたたきながら岩崎技術大尉はそう考えていた。
 少なくとも肉眼の観察や手元の機器での音響観測では、溶接部の強度が落ちているかどうかはまったくわからなかった。音響観測といっても自分の耳で聞くしか無いのだから、よほど顕著な巣でもない限り不具合を明らかにすることは出来なかったはずだ。

 溶接施工が原因ではないとしたらなぜ事故船は座屈したのか……
 岩崎技術大尉の考えは次第に袋小路に入っていた。溶接技術の技量に問題がないのは予め大尉も予想していたが、現場の施工は粗製乱造といえるほど酷いものでもなかった。
 確かに香焼島造船所の建造量は過大に思えたが、工員の数とつり合わない工数は、狭く不自然な配置の工場で発生しがちな手余り状態を局限まで抑えることを目的とした綿密な建造計画と、夜勤や休日出勤の増大による工場稼働率の上昇によるものではないのか。
 少なくとも工員の技量が問題とは思えなかった。もしもこの程度の施工であのような破断現象が発生するのであれば、もっと多くの船で同じ現象が起こっていてもおかしくないはずだ。


 根本的な原因を探るには、残る手段は溶接部を切断して断面を観察するしかないだろう。溶接部断面の顕微鏡観察や、得られた試験片を強度検査にかければ溶接による鋼材の特性変化が明らかになるはずだ。
 やり方さえ間違わなければこの箇所からはかなりの試験片が得られるはずだから、現在発生している戦時標準規格船二型の破損事故のみならず、日本帝国全体の溶接技術の基礎を大きく進展させることも可能であるはずだ。

 早くも岩崎技術大尉は溶接部の切断に関する具体的な方法や試験内容の検討を始めていた。実際に破滅的な事故が起こっているのだから、本船の就役前の廃船と解体の許可はすぐに下りるのではないのか。
 だが、はやく根本的な原因を明らかにして対策を打たないと戦時標準規格船の信頼性が低下してしまうだろう。それは総動員体制を取りつつある日本帝国全体の足かせとなりかねなかった。

 戦時標準規格船二型の座屈事故の例はまださほど多くはないが、座屈した戦時標準規格船二型がすべてこの香焼島造船所で建造されたものであるという事実は統計上無視も出来なかった。やはり原因は工員の技量以外ではあるが、この工場の中にあるのは確実なのだ。
 だが、その原因を突き止めない限り戦時標準規格船計画そのものを疑いの目で見るものが現れることは避けられなかった。
 岩崎技術大尉は、唐突に得体のしれない妖気がこの工場に漂ってきたような気がして、思わず身震いしていた。


 岩崎技術大尉は、自分では気がつかなかったが、かなり長い間考え事をしていたようだった。いつのまにか篠原工場長が大尉の顔を見つめていた。さっきまで何かを言っていたようだが、大尉は考え事に夢中でろくに返事もしていなかったようだ。

 岩崎技術大尉はバツの悪い顔になっていった。
「ああ、失礼。何でしょうか篠原工場長」
 しばらく口ごもってから篠原工場長は意を決したようにいった。
「ですから……この船の工事はいつになったら再開できるのでしょうか」
 思わず岩崎技術大尉は首をかしげていた。よくは分からないが、大尉と篠原工場長との間にはなにか大きな認識の違いがあるようだ。

 とりあえず溶接部の試験片を得るまでは工事の再開は不可能だろう。もちろん船体中央部のこの箇所を切断した本船を再就役させるには多大な手間がかかるはずだ。
 それに、現状で本船が就役したとしてもこれまでの船と同様の事故が起こる可能性が高いから、海軍や実際に本船を運用する予定の船会社に受け取りを拒否されるだけではないのか。

 だが篠原工場長は岩崎技術大尉の返答を聞いた途端にとたんに慌てた様子になった。
「それは困ります。施工中の船腹を切り裂くなどしたら工期は大幅に狂ってしまいます。今日の検査のための工事中断でさえ工場全体の操業に大きな影響を及ぼしているのですから」
 そういうと篠原工場長は岩崎技術大尉の顔色を伺うように続けた。
「どうにかして艦政本部さんの方で手を回して工事の再開を許可していただけないものでしょうか。この艤装工事用の桟橋をいつまでも占領させておくままにも行きませんし……」

 岩崎技術大尉は眉をしかめていた。篠原工場長の言うこともわからなくはないが、かといって問題が発生する確率の高い船を黙って就役させる許可を与えるわけにはいかない。
 しかし、岩崎技術大尉が何かをいう前に、篠原工場長が怪訝そうな顔で大尉の向こう側に目を向けた。その視線をいぶかしんだ岩崎技術大尉が振り返ると一人の中年男性が近づいてくるところだった。
 振り返った岩崎技術大尉の耳に、篠原工場長のつぶやきが聞こえた。
「社長がこられたのか……そんな予定はなかったはずだが」
 丸顔に笑みを浮かべた香焼島造船所の経営者である川南社長は、岩崎技術大尉に頭を下げていた。

 だが岩崎技術大尉は、川南社長が笑顔を浮かべながらも、その目は全く笑っていないことにすぐに気がついていた。満面に浮かべた笑みの中でその目だけが鋭さを失っていなかった。
 どうやら川南社長が相当のくせ者であるといううわさは本当らしい。そうでなければ川南工業を一代で急速に拡大することなどできなかっただろう。それに川南社長は政財界や陸軍の重鎮と深いパイプがあるらしい。
 だから、川南工業は日本国内の造船所としてはさほど大手ではないのだが、海軍の一部局でしか無い艦政本部にとっては、厄介な相手だったのだ。
 一介の艦政本部部員でしかない自分に、海千山千の川南社長の交渉相手が務まるのだろうか。
 先ほどとは別の意味で岩崎技術大尉は身震いを感じていた。
戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html
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