挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
117/252

1942ベイルート航空戦13

 並んで歩き出してからも、クロード・リュノ中尉は無言のままだった。片岡中佐はその沈黙に気詰まりを感じて声をかけた。
「例のヴィシー政権軍の新型機はどんな機体だったのかね。やはりドイツ製のBf109GかFw190だったのか」
 リュノ中尉は、わずかに首を傾げると淡々とした口調で言った。
「ドイツ製ではありませんでした。あれはドヴォアチヌD.520でしたよ」

 一瞬、片岡中佐は呆気にとられていた。ドヴォアチヌD.520は今次大戦の開戦直前にフランス空軍に採用された単発単座の戦闘機だった。運動性能や整備性に優れており使い勝手の良い機体だったらしいが、開戦から三年以上過ぎた今では旧式扱いされても仕方がなかった。
 英国のスピットファイアや独国のBf109のようにエンジンや機体の改良を重ね続けていれば、未だに一線級戦闘機としての性能を保持していたかもしれないが、フランス降伏によってドヴォアチヌD.520にはその可能性は断ち切られていたはずだった。
 それにドヴォアチヌD.520は速度性能を重視した機体ではなかったから、制式化された当時から最高速度の点では他国の単発単座戦闘機よりも劣位にあったはずだ。
 それが一〇〇式司令部偵察機に追随出来るだけの高速を発揮するつもりだったということは、かなりの性能向上があったと考えて良いのではないのか。
 つまり、フランス本国の航空技術は国際連盟軍が掴んでいる以上に、フランス降伏時における実質上の崩壊状態から、回復していると考えるべきではないのか。
 見た目でドヴォアチヌD.520と識別できるということは機体構造には大きな変化は無かったのだろう。それで一〇〇式司令部偵察機に追いつこうとすれば、少なくとも大出力エンジンへの換装をしない限り不可能ではないのかと考えられた。

 危機感を抱いた片岡中佐は、思わず眉をしかめていた。
「つまり、ドヴォアチヌD.520はすでに改良型が実践投入可能な状態にあるということか、これは戦略を見なおさなければならないかもしれんな」
 ノルマンディー連隊に限らず、日本陸軍及び、日本製の戦闘機を装備した諸国部隊の主力装備は、対戦闘機戦闘に特化することで軽快な軽戦闘機として成立した一式戦闘機だった。一式戦闘機は機動性には定評があるが、速度や兵装の面では見劣りするところがあるのも事実だった。
 独伊に加えてヴィシー・フランスでも改良された高速戦闘機が次々と戦線に投入されるようでは、一刻も早く一式戦闘機を越える新型機の配備が望まれるのではないのか。

 だが、リュノ中尉は片岡中佐の危惧を一蹴した。
「改良されたのは速度だけでしょう。詳細は不明ですが、不要機材を取り除いて軽量化を図った特別仕様機だった可能性もあります。少なくともエンジンの換装などによる出力の抜本的な増大は図られていないはずです」
 片岡中佐は、再び呆気にとられていた。楽観するのは危険だが、リュノ中尉が言うとおりに投入されたのが一〇〇式司令部偵察機を撃墜するために特に改造された機体であれば戦局に与える影響は小さいものとなるはずだ。
 そのような改造機は性能バランスを崩してもある一点に特化した機体となるから、汎用的に運用することが難しいからだ。おそらく量産配備されるとしても一部の部隊に限られるのではないのか。

 しかし、片岡中佐は航空本部時代に閲覧していたドヴォアチヌD.520の機体性能から改造機の性能を軽く計算してから首をかしげた。
 リュノ中尉の想定には矛盾があった。元々軽快な単発単座戦闘機として開発されたドヴォアチヌD.520の機体重量はさほど大きくはなかった。エンジンや機体強度を負担する構造材などの撤去不可能な部材も少なくないから、軽量化にも限度があるはずだ。そして、その程度の軽量化では機体速度の大幅な上昇が望めるとはとても思えない。
 一〇〇式司令部偵察機はシリア、レバノン方面上空を幾度も偵察飛行を実施しているから、ヴィシー・フランス空軍もある程度の性能は把握しているはずだ。
 高速の偵察機に、その程度の改造機を投入するとは思えなかった。リュノ中尉の言葉を疑うわけではないが、エンジン出力の向上がない限りドヴォアチヌD.520で一〇〇式司令部偵察機を迎撃するのは余程奇抜な戦闘法でもない限り無駄ではないのか。


 だが、片岡中佐がそれを質すと、リュノ中尉は何でもないかのように淡々といった。
「おそらく、改造されたドヴォアチヌD.520は短時間のみの出力向上と割りきって、小容量の水メタノール噴射装置を搭載したものと思われます。自分らが援護にまわった時の敵機の挙動が、水メタノール噴射装置を使用して戦域からの脱出を計った一〇〇式司令部偵察機二型と酷似していましたから」
 それでようやく片岡中佐は納得すると、頷いて見せていた。疑問はそれでとけていた。

 確かに、水メタノール噴射装置であればエンジン本体にさほどの改造を施さずに出力の向上が見込める可能性があった。
 エンジン技術が発展するに連れて、過給された吸気圧の上昇が同時に吸気温度の急激な上昇をも招き、これが異常燃焼などを招くことは古くから知られていた。
 また、これに対する手段として圧縮された吸気に水などの液体を噴射して、気化冷却によって吸気温度を降下させることで吸気圧のさらなる上昇と異常燃焼の低減が図れることも原理的には知られていた。
 だから、ヴィシー・フランス空軍が水メタノール噴射装置を採用している事自体はそれ程驚くことではなかった。実際、日本陸軍でも一〇〇式司令部偵察機の二型では緊急出力向上装置として水メタノール噴射装置を搭載していた。

 ただし、日本陸軍では高過給状態における吸気温度の上昇への対策としての主流は、水メタノール噴射装置ではなく、過給器後方の吸気路に備えた中間冷却器によってシリンダーに流入する前の吸気を冷却する方法だった。
 一式戦闘機二型では、機首下部に滑油冷却器と並べて空冷の中間冷却器を装備していたし、マーリン・エンジンを搭載する三式戦闘機は、スピットファイアと同じく比較的配置位置が自由になる液冷式の中間冷却器を装備する予定だった。
 水メタノール噴射装置の冷却効果は、水メタノール混合液のタンク容量によって作動時間が限定されてしまうが、より重量があっても中間冷却器ならば被弾しない限り半永久的に使用できるからだ。


 それに、吸気温度の上昇に伴う異常燃焼に対しては、自己着火性の低くなる高オクタン価の燃料を使用することである程度回避することが可能だった。そして樺太油田や東南アジア、中東といった有数の油田地帯を勢力下においた国際連盟軍では、そういった高品位の燃料油を安定して戦闘部隊に供給することは難しくなかった。
 低品位の低オクタン価燃料の流通量も少なくないが、そういった燃料はフェリー輸送や訓練時に限定しているから、少なくとも前線の部隊で異常燃焼が起こりやすい低オクタン価の燃料が供給されたことはないはずだった。

 水メタノール噴射装置は日本陸軍では低品位の燃料を高オクタン価燃料使用時と同様の出力を発揮させるための機材として扱われつつあった。一〇〇式司令部偵察機二型で装備された水メタノール噴射装置が、さほどの効果を発揮しなかったからだ。
 確かに緊急出力の上昇は見込めたものの、予想よりも出力の向上値は大きくなかった。搭乗員の中には水メタノール噴射装置は高品位燃料が得られなかった時の代理と割りきって取り外させたものもいるほどだ。不使用時には水メタノール噴射装置は水溶液タンクも含めて死重量にしかならないからだ。
 改造を受けた機体は最高速度はある程度低下したようだが、水メタノール噴射装置本体や水メタノール水溶液タンクの取り外しで機体重量が軽量化されて上昇率はある程度はあがったらしい。

 そういった現場の声は航空本部でも把握しているらしく、開発中の一〇〇式司令部偵察機のさらなる改良型でも水メタノール噴射装置は廃止されて、中間冷却器の搭載が試みられるらしい。
 あるいはその機体は高々度性能を重視して過給器を機械式から排気タービン方式に変更されるという噂もあったから、高度によって性能が左右されやすいという水メタノール噴射装置の不安定さを嫌ったのかもしれなかった。


 だが、枢軸軍の場合は国際連盟軍とは燃料事情が異なるはずだった。欧州圏内に勢力圏を限定された枢軸軍が利用できる油田地帯がドイツの同盟国ルーマニア領内のプロエスティ油田しか無かったからだ。
 ドイツでは豊富な石炭産出量を背景とした石炭液化による代用燃料の製造も行われているらしいが、高品位の燃料が安定して供給される態勢になっているとは思えなかった。
 それに枢軸軍が国際連盟軍が有する油田地帯を攻撃するのは地理上難しかった。少なくとも超長距離を密かに航行できる潜水艦でもない限り、正規軍では油田地帯まで攻撃の手すら届かないだろう。
 だが、その逆は難しくはなかった。すでに先ごろ日英の長距離爆撃機部隊がプロエスティ油田の爆撃を実施していた。機材整備や損耗の関係上、継続した爆撃は出来なかったようだが、それでもプロエスティ油田の産油量はかなりの期間削減させることに成功していたらしい。

 枢軸軍の燃料供給態勢はそのような不安定な状況だから、実戦部隊でも低品位の燃料が使用されているのではないのか。それならば、水メタノール噴射装置を使用することでかなりのエンジン出力の向上が見込めるのではないか。
 ただし、それは高品位の燃料を使用した本来の性能を取り戻すという意味にしかならないはずだった。

 片岡中佐はそう納得して、ひとりごとのようにつぶやいた。
「だとすれば改造機はさほどの脅威となることはないか……」
 リュノ中尉も頷きながら言った。
「改造されたD.520はエンジン本体は換装していないのではないでしょうか。水メタノール噴射装置作動中の最高速度は毎時600キロ近かったと思いますが、その程度であればキ60改で追随は可能でした。前線に大量投入されたとしても、キ60ならば対応は十分可能と考えます」

 最終的な結論は他の搭乗員からの聞き取りなどを踏まえてからになるが、リュノ中尉の言葉を聞く限りではやはり改造されたD.520が少数配備されている程度であれば、ヴィシー・フランス空軍の戦力想定を見直す必要はあまりなさそうだった。
 その結論に片岡中佐は一応は満足すると話題を変えようとした。
「キ60改で実際に戦闘を行なった様子はどうだったかね。性能面では問題は出なかったようだが、明野学校の教官たちの意見では後方視界が悪いと言ってコクピット配置は不評だったんだがね」
「日本人は視界にこだわりすぎますね。自分にはそれ程後方視界が悪いとは思えませんでした。もっとも、ここでは劣速の敵機を追撃する方が多くなりそうだから後方を警戒する必要もあまりないでしょう。ところで、あのキ60改のエンジンは日本軍の次期主力機で搭載予定のマーリン45に換装されていますが、そうなるとキ60改は、我が連隊にも配備予定の日本製次期主力機と機体性能に差はないと考えて良いのでしょうか」
 片岡中佐はほんの少し首を傾げてからいった。
「どうかな、マーリンエンジンは確かにキ60のマーリン12からマーリン45に換装されているから、エンジン出力自体は三式戦闘機と変わらないと思うが、キ60の実戦投入による戦訓も反映しているはずだから兵装や機体構造には相応の変化はあるのではないかな。いずれにせよキ60改よりも、三式戦闘機の方が実用性の増した機体に仕上がってくるはずだ。キ60は三式戦闘機の増加試作機としての側面もあるのだからそれが当然なのだが……」
「ということは、その三式戦闘機はもっと強力になるということですね……その機体ならば、パリまで行けそうですね」
 そう言いながら、リュノ中尉は笑み、のようなものを見せていた。実際には頬の筋肉がわずかに動いただけなのかもしれない。しかし、それを見ていた片岡中佐は、確かに中尉がどこか狂気に満ちた笑みを浮かべているのを確信していた。

 すぐにリュノ中尉は表情を消したが、片岡中佐はぼんやりとまるで能面のようだったと考え始めていた。決して比喩的な表現ではなかった。
 片岡中佐は、日本の伝統芸能である能で演者が身につける能面は、あえて一見表情の感じられない中性的な表現で造られていると聞いていた。だが、特定の表情を持たず、また硬い木を削って造られただけであるはずの能面は、能舞台の上で優れた演者が用いれば見る角度によって幾つもの表情を見るものに感じさせることが出来るというのだ。
 実はリュノ中尉が一見無表情に感じられるのも、性質は同じなのではないのか。つまり何を考えているのかつかめない曖昧な表情の下には、やはり片岡中佐が睨んだ通り激情が隠されているが、それは観測者の見る角度、感じる角度によって時たま察知されるだけにすぎないのだ。
 片岡中佐は、歩き続けるリュノ中尉の後ろ姿を立ち止まってぼんやりと見つめながら、本当にこの青年を戦場に立たせ続けてもいいものかどうか、判断に困り始めていた。
一〇〇式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr2.html
一式戦闘機一型の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1lf1.html
一式戦闘機二型の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1lf2.html
キ60の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hfp.html
三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hf1.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ