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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942ベイルート航空戦12

 出撃したキ60改の小隊を率いていたクロード・リュノ中尉は、端正な顔立ちをした青年だった。
 片岡中佐は正確なことは聞いていないが、リュノ中尉は空軍士官学校を卒業して数年の正規階級の中尉だから歳はまだ二十代の半ばのはずだ。自由フランス軍に加わる前は、植民地派遣軍の双発機を装備していた独立飛行群の指揮官を務めていたと聞いていた。
 傍流の植民地駐留部隊の双発機乗りだったと聞いていたから、最初は単発機の操縦に向いていないかとも思ったのだが、リュノ中尉はこれまで乗っていた双発のフランス製ポテ630系列よりもキ60改の方が相性が良かったのか、操縦の腕は確かだった。
 そうでなければノルマンディー連隊の虎の子であるキ60改小隊の小隊長に選抜されることなど無かったはずだ。


 フランス空軍植民地駐留部隊に配備された機体がポテ630系列などの双発他座の機体ばかりだったのには理由があった。
 1930年代には、各国の航空部隊で流行のように双発複座の戦闘機が採用されていたが、ポテ630系列もそれに連なる機体だった。
 双発戦闘機は単発機と比べて構造が複雑になることから機体は重くなり鈍重となってしまうが、その一方で二基搭載したエンジンの大出力によって速度は単発機よりも高くなるし、搭載量も一般的に大きくなるから重武装である程度の爆装すら可能な長距離戦闘機が得られる、はずだった。
 しかし、各国で採用された双発戦闘機はいずれも運用者を完全に満足させる性能を発揮することが出来なかった。

 当時の双発機の大半は操縦席の他に偵察員などの同乗席、それに兵装などを配置した主胴体とナセル内にエンジンを備えた両翼で構成されていた。
 だが大重量物であるエンジンが重心からずれた両翼に配置されてしまったことで、予想以上に戦闘機動に重要なロール率が低下してしまうから戦闘機として運用すること自体が難しかった。ロール率が悪いということは、軽快な単発機と比べて横方向の旋回性に劣るということになるからだ。
 それに正面投影面積は、主胴体に加えてエンジン二基分のナセルもあるから空気抵抗は単発機よりも格段に上昇した。だから多発にも関わらず速度面では効率が悪いという事になった。速度を上昇させるにはエンジン出力を単純に増大するよりも、空気抵抗を低減するほうが有利であることは経験則からも知られていた。


 欧州諸国の動静を慎重に見ながら航空技術の育成に努めていた日本陸海軍でも同時期に双発戦闘機を試作開発させていた。

 海軍の一式双発陸上戦闘機は、長距離援護戦闘機として開発された原形が要求性能未達となって一旦不採用となった後に、数々の重量軽減策を経てようやく制式化されたが、自慢の重武装もやや遅れて制式化された零式艦戦33型、44型と大した違いが見いだせずに海軍でも最近では持て余していると聞いていた。
 むしろ単純な戦闘機としてよりも地上部隊の支援や、夜間戦闘機月光、一式陸上偵察機の原形となったことがより高く評価されているほどだった。

 事情は日本陸軍でも似たようなものだった。元々は遠隔式の銃塔を装備した特異な他座戦闘機として開発された一式双発陸上戦闘機と比べれば、二式複座戦闘機は重装備を機首に集中装備した常識的な双発戦闘機としてまとめあげられていた。
 だから戦闘機としての能力は海軍の一式双発陸上戦闘機よりもは勝ってはいたものの、単発単座戦闘機と比べれば程度問題でしか無かった。
 なによりも二式複座戦闘機を装備して新編成された部隊の空中勤務者の飛行分科が戦闘機だけではなく襲撃機からも多く集められていたことで、日本陸軍が完成した二式複座戦闘機をどのように見ていたかがわかるというものだった。


 元々、各国が流行りのように双発戦闘機を開発した背景には、世界的な不況を背景とした軍事予算削減の中で、一機でも迎撃、進攻戦闘機、観測機や偵察機といった多用途に使用できる万能機を欲したことにあった。
 そして日本陸海軍以上に、フランス空軍は他座戦闘機にこの多用途性を追求した結果、完成したポテ630系列は結局どの分野でも専門機にはかなわないどっちつかずの半端な性能しか持たない機体に仕上がってしまっていたのだ。
 だが、ポテ630系列にかぎらずに今次大戦に投入された他座戦闘機の多くは、大出力エンジンを搭載して高速化を図った単発単座戦闘機との戦闘では格段に不利であり、長距離戦闘機として投入されたBf110が英国本土上空でスピットファイアやハリケーンに散々に打ち負かされたように純粋な戦闘機として運用することが不可能であることを証明されてしまっていた。
 各国で双発戦闘機が開発されていた時よりも大出力エンジンが開発された結果、以前は単発機では出来なかった高速域の飛行が可能となっていたのだ。だから機動性に続いて速度性能でも双発機のメリットは減少していた。


 しかし、正規軍同士の正面戦闘では、戦闘機として運用できず、観測機などとして用いるには高価過ぎると散々に評価された双発多座戦闘機だったが、決して使い道がなくなったわけではなかった。
 日本陸軍のように地上攻撃用の襲撃機として割り切ってしまえば、元が戦闘機として開発された分だけ対地攻撃機としては機動性も高く、速度も早い為に生存性は以前の襲撃機よりも高かった。
 双発機の大搭載量を活かして爆装することも多く、日本陸軍では襲撃機の他に、損害の大きい軽爆撃機の代替としても運用されることが多くなっていた。

 また、植民地での使用も欧州諸国では盛んだった。植民地駐留部隊が相対する敵は、隣接する他国植民地駐留部隊か現地民の反乱勢力に限られるが、どうせ植民地に配備される部隊の規模などはどの国でもたかが知れているから他国駐留部隊に過度の不安を抱く必要はなかった。
 東南アジアの植民地では、独立国であるタイ王国も脅威となりうるが、その戦力は列強と比べればそれほど大きくはなかった。一方でこの地域の強国である日本帝国に備える必要はそれ以上に無かったともいえた。
 現状の日本帝国政府が政策を変更して植民地に侵攻する可能性は低いし、そもそも強大な戦力を誇る日本帝国軍に備えられるほどの兵力を植民地に配備することなど最初から不可能だったからだ。
 このような環境下では少ない部隊数でも、地上部隊の支援や観測、偵察など多用途に使用できる双発万能機は現地民反乱勢力に対する治安維持に徹すれば使い勝手のいい戦力だといえた。


 このような消極的な理由で配備された双発機部隊などが象徴するように、元々仏領インドシナ植民地に駐留する部隊の戦力は大したものではなかったのだから、国際連盟軍による仏領インドシナへの進攻に対して、現地軍が長時間抗戦しうるわけはなかった。
 そして、実際には国際連盟軍の一部が懸念していた正面戦闘を避けたゲリラ戦に移行することもなく、仏領インドシナ駐留部隊の多くが短時間の戦闘後にあっさりと降伏の道を選んでいた。

 その中でも、クロード・リュノ中尉は部隊を率いて早期に国際連盟軍に降伏し、即座に自由フランス軍への参加を表明したらしい。植民地駐留軍に派遣された将兵の質は必ずしも良好とはいえなかったから、部隊単位の降伏に関しては反発する将兵もあったはずだが、リュノ中尉の統率力が卓越していたのか、現地民の志願兵も含まれていた部隊には降伏から自由フランス軍への参加に至るまでさしたる混乱も無かったとも聞いていた。
 そして降伏したリュノ中尉の部隊の将兵の大半は、そのままノルマンディー連隊に編入されていた。


 人員がノルマンディー連隊に編入された一方で、使用機材の多くは後方で訓練機材として使用されるか、あるいはそのまま用廃となっていた。自由フランス軍にとって飛行可能な機材は貴重なものだったのだが、その一方で本国を失った為にフランス製の機体の補充部品を入手することは難しかったからだ。
 それにノルマンディー連隊にかぎらず自由フランス軍に必要だったのはまず制空権を確保するための戦闘機であり、地上部隊を支援するための軽快な攻撃機であって、万能機ではあっても観測機や偵察機を運用するほどの余裕はなかったのだ。
 だから、双発多座のポテ系列に搭乗していたリュノ中尉達も、ノルマンディー連隊に配属されてからは単発単座戦闘機に搭乗するための機種転換訓練を受けていた。

 双発機を単発機に部隊の機材を入れ替えるのには、他にも多くの利点があった。双発機は単純に部隊規模に比べればエンジンの装備数が多いから、その分だけエンジン整備に携わる整備兵を多く抱えていた。これを単発機に入れ替えれば、それだけ訓練された余剰の整備兵を他隊に回せた。
 これは搭乗員も同じだった。機種にもよるが双発機には空中勤務者以外にも後席の同乗者席でもある程度の操縦が可能なものも少なくない。専門ではないにせよ、やはり多少は訓練を受けた余剰人員が出るから、単発単座戦闘機を装備するノルマンディー連隊にはそれほど数が必要ではない少数の同乗者を除けば、彼らも所要の追加訓練を施して単発単座戦闘機の搭乗員とすることができていた。
 おそらくこの方法ならば新たに募集した素人を一から教育するよりもは短時間で熟練した搭乗員が得られるはずだ。

 元々が多用途性を重視した双発機の搭乗員達が、どれだけ対戦闘機戦闘に特化した単発単座戦闘機の操縦に熟練できるかは未知数だったが、多くの搭乗員たちは教官が驚くほどの短時間で日本製単発単座戦闘機の操縦に慣れていった。
 訓練機としては操縦性には定評のある一式戦闘機が使用されていたから、これまで彼らが操縦していたはずの高等練習機などの単発機に対する勘を取り戻せばそれ程操縦法の取得は困難ではなかったのかもしれない。
 あるいは、厳しい訓練をものともしないほど、彼らの戦意が高かったせいかもしれなかった。特にリュノ中尉は執念じみた様子で訓練に打ち込んでおり、以前は鈍重な双発機の操縦者だったとは思えないほどの技量を示して今では最精鋭のキ60改小隊を率いるまでになっていた。


 だが、片岡中佐がリュノ中尉と面識を得たのは、ノルマンディー連隊の編制が開始された直後だから、もう短い付き合いとはいえないのだが、その間に中尉の笑みどころか、表情を崩したところも見たことが無かった。
 大勢の将兵から歓声を向けられた今でも、リュノ中尉は超然とした様子で何事もなかったかのように機付長と整備の打ち合わせを始めていた。その様子だけを見れば、周囲の環境に全くの無関心としか感じられないが、片岡中佐は必ずしもそうではないことを知っていた。
 リュノ中尉の冷然とした表情の下には、何か熱いものが隠されている、片岡中佐はそう確信していた。

 部下の統率を除けば、リュノ中尉は周囲には無関心を装っているが、その一方で新たな愛機となったキ60改には早々と個人マークである麦穂を描き込んでいた。
 戦闘機に描き入れるには迫力にかけた印象の麦穂の絵だった。だがリュノ中尉は誰にも説明しようとはしなかったが、何かこだわりがあるらしい。周囲に本当に無関心であればそのような強いこだわりを見せることもないのではないのか


 キ60改小隊への配属は、リュノ中尉の強い希望だった。それだけの技量を中尉が有していたのは事実だが、それ以上により強力な機体を求める熱意がなければ最新鋭機が与えられることもなかったはずだ。
 だが、片岡中佐にもリュノ中尉が何を望んでいるのかまではよく分からなかった。
 中尉が所属していた部隊の他の士官から聞いた話では、以前はリュノ中尉も極普通の青年らしさを示していたらしい。空軍士官学校を優秀な成績で卒業しながら植民地駐留軍に配属となったのだから、その環境に腐ってもおかしくないと思うのだが、開戦前までは快活な面倒見の良い将校だったらしい。
 しかし、フランス降伏後しばらくして私信を受け取ってから人が変わったかの様に無表情になっていったらしい。それはまるで余計なものを削ぎ落として、純粋な戦闘機械を自らで作り上げていたかのようだった、片岡中佐に話したその士官は恐ろしそうな顔でそういっていた。


 機付長と短時間で打ち合わせを終えたリュノ中尉は、周囲の騒ぎが目に入っていないかの様子で司令部施設に向かおうというのか、一人歩き始めてから顔を上げて初めて片岡中佐に気がついたのか、ほんの少しばかり会釈をしていた。
 片岡中佐は、周囲の将兵らからもみくちゃになって歓迎されている他の三人の小隊員を一瞬みてから、気が付かれないようにため息をつくと、リュノ中尉に合わせて歩き始めていた。
キ60の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hfp.html
夜間戦闘機月光の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/j1n1.html
零式艦上戦闘機(33型)の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/a6m4.html
零式艦上戦闘機(44型)の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/a6m5.html
二式複座戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
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