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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942ベイルート航空戦9

 ハイファ基地の掘立小屋のような事務所の中で書類仕事に追われていた片岡中佐は、滑走路の方からいつの間にか聞こえてきた爆音に気がつくと、顔を上げて額の汗を拭っていた。
 作業に集中して気が付かなかったが、出撃した部隊が帰還する予定時間になっていたようだ。片岡中佐は決済や確認を待っている書類をうんざりした顔で乱雑に放り投げると、事務所を出て滑走路へと向かっていた。


 束となって机の上に重なっていた書類は、その大半がハイファ港で積卸された物資に関するものだった。中にはハイファではなく、遠く離れたエイラート港で降ろされたはずの物資の書類も混じっていた。
 イラクの反乱軍平定を終えてから新たに編成されたシリア方面軍の補給態勢は、当初から混乱していた。この方面の補給は、北アフリカ戦線などとともに日本本土や解放されたアジア圏の旧植民地、亡命政府が支配を続けている植民地、それにイギリス領インド帝国などが担当していた。
 新たに独立国として再出発を始めたばかりの旧仏領インドシナ諸国などはともかく、日本帝国本土は公式な参戦前から戦時体制への移行を周到に準備していたから、補給態勢そのものに不足は無いはずだった。
 少なくとも現在のように予定された作戦が期日通りに開始できなくなるほど大幅な不足が生じることは考えづらい事態だった。

 実際のところ、補給物資の数量にはさほどの不足は生じていなかった。補給態勢の混乱が生じた理由は、シリア方面軍司令部隷下に配属される予定だった部隊そのものが急遽変更となったためだった。
 これは異様な事態だと言えた。戦闘序列が内部に公表される直前になって部隊の半数以上が全く別の部隊に入れ替えられてしまったのだ。

 だが、この時点でシリア方面軍が消費するはずだった補給物資の大半は、時間の掛かる船便で移送が開始されてしまっていた。
 その結果、シリア方面軍の各部隊への補給物資は、隊編成とつり合わないものが支給されることになってしまったのだ。日本軍向けの味噌や米といった糧食が欧州人の部隊に支給されるのはまだましな方で、日本製の長砲身57ミリ砲弾が、英国製の2ポンド砲を主砲とするバレンタイン戦車を配備された部隊に支給されるといった混乱が続いていた。
 その結果、各部隊には本来必要とされる物資が欠乏し、その代わりに港近くの集積所には使い道のない返却された物資が山積みとなってしまったのだ。その間の物資の集積を待つだけ部隊は駐留するだけで糧食などの給与が必要だったから、全くの無駄な時間と大量の物資が消耗される事態となっていた。


 このような混乱が生じた理由である方面軍の部隊の入れ替えは、軍事的な必要性から行われたものではなかった。
 シリア方面軍に配属されるはずだった部隊は、イラク王国の反乱制圧に投入された英国陸軍指揮下のインド師団を中核に、新たに派遣されたニュージーランド軍一個師団と日本軍の支援部隊が配属された有力な戦力であり、日英からなる航空兵力まで加えればシリア、レバノン方面に展開する枢軸国軍を圧倒できるはずだった。
 これだけの兵力が投入されれば、二ヶ月程度でシリア方面の制圧は完了する。そのように国際連盟軍の上層部は予想していた程だった。

 しかし、今年に入ってヴィシーフランスの宣戦布告が行われたことからそのような思惑は吹き飛んでしまっていた。
 ドイツへの降伏後に表向きは中立を表明していたはずのヴィシーフランス政権が行なった国際連盟諸国への宣戦布告は、軍事的には短期的な効果をもたらすものではなかった。
 すでに仏領インドシナ植民地に駐留していた部隊は降伏するか、自由フランス軍に参加していたし、ドイツへの降伏後にヴィシーフランス政権に残されていた休戦軍はそれほどの大兵力ではないうえに即応性も低かったからだ。
 長期的には第一次欧州大戦による損害から回復しきっていないとはいえ、未だ豊富な人的資源を誇るフランス本国で新たに編制されたヴィシーフランス軍が前線に投入される可能性は高いが、今のところ有力な部隊が新たに敵軍に加わる可能性は低かった。

 シリア方面では多少事情は異なっていが、大勢に影響があるほどだとは思えなかった。
 すでにヴィシーフランス政権軍がこの方面には展開していたし、フランス委任統治領であるシリア、レバノン両共和国とも政府はヴィシーフランス支持で固まっていたが、ヴィシーフランスからの増援を含めて、両共和国の国軍を合わせても戦力は大したものではなく、装備もフランス製の旧式化した物に限られていた。
 一部の部隊では第一次欧州大戦時のものを継続して装備しているようだし、部隊によってはかつてこの地域を支配していたオスマン帝国が残していった前世紀の砲を装備したものもあるという話だった。
 それに地勢上ヴィシーフランスやドイツ本国からの大規模な増援も考えづらいから、油断するのは禁物だが純粋に軍事的に見ればシリア方面の戦闘はヴィシーフランスの宣戦布告による影響はそれほどないはずだった。


 ただし、政治的にはヴィシーフランス政権の政策変更は大きな影響を国際連盟軍に及ぼしていた。フランスの降伏後、同国軍人は本国に残ってヴィシーフランス政権につくものの他に、亡命して国際連盟側に立って戦う自由フランスに所属するものに二分されていたからだ。
 ヴィシーフランス政権による国際連盟諸国への宣戦布告は、自由フランスにとって大きな衝撃となっていた。すでに仏領インドシナの解放作戦によって両者は交戦状態に陥っていたが、これからはヴィシーフランスによる自衛戦闘ではなく、本格的な交戦が予想されたから、同胞相撃つ事態もこれから増えるはずだ。
 だが、それ以上に自由フランスの上層部は、フランス人同士が戦闘となることで、国際連盟軍内部の政治的な発言権や信頼が失われることを過剰に恐れているようだった。
 そうでなければ強引に仏領への進攻作戦に自由フランス部隊の参加を押しこむことはなかったのではないのか。


 実際に国際連盟軍の主要国軍の上層部でどのような話し合いが持たれたのかは、片岡中佐には推察するしか無かったのだが、自由フランスを指導するシャルル・ド・ゴール准将はかなり強引にシリア方面軍への自由フランス軍の参加を主張したらしい。
 片岡中佐の見たところでは、ド・ゴール准将の主張は大部分が認められたらしく、シリア方面軍の戦力の大半が日英系の部隊から、自由フランス軍所属のものへと入れ替えられていた。
 国際連盟軍首脳部としては主戦線ではないシリア方面軍の作戦が予定通り進むことよりも、仏領インドシナの解放による義勇軍の参加などによって一躍大兵力なっていた自由フランスの機嫌を損なう方がデメリットが多かったのではないのか。
 あるいはシリア方面軍に所属するはずだった部隊を北アフリカ戦線に投入できる方が喜ばしかったのかもしれない。それとも支戦線に過ぎないシリア方面など自由フランスの好きにやらせようという考えだったのかもしれなかった。

 いずれにせよ、シリア方面軍に所属する支援部隊の将兵たちは、突然の編成替えによる影響を受けて、大混乱に陥ることになった。シリア方面に急遽輸送されてきた自由フランス軍の将兵達よりもその混乱は大きかったことだろう。
 本来は自由フランス軍で再編制中の航空部隊への連絡将校兼顧問であったはずの片岡中佐も、突然の機種変換訓練の大幅な短縮と前線への移動に巻き込まれていた。
 さらに部隊が移動した先のハイファ基地では、連隊の中で唯一の日本人であったものだから、本来日本軍に支給されるはずだった物資に関する大量の書類を押し付けられて、部隊に必要な物資の確保や移送に関する作業を行なっていたのだ。

 だが、片岡中佐に押し付けられた書類の数も最近では大分減っていた。シリア方面軍は部隊入れ替えによる初期の大混乱を超えて、なんとか作戦可能な状態になりつつあった。
 幸いなことに航空部隊では日本製の機材も多かったから、これから先の補給で悩むことはさほど無いのではないのか。
 片岡中佐は、事務所を出る前に机の上に投げ出された最後の書類の束をちらりと見えてそう考えていた。


 事務所を出た途端に、片岡中佐はあまりの眩しさに目を細めていた。わかっていたことだが、中東の昼間の太陽は本土よりもずっと大きく見えるような気がしていた。
 もちろんそれが気のせいだとは分かっているのだが、乾燥した空気は日本本土とはあまりにも違っていたから、そのような感覚を覚えてしまっていたのだ。

 兵舎などに隣接して建てられた事務所は、連隊司令部施設の一つだった。連隊司令などが執務している建物からも、乗り出すように滑走路に顔を向けている幕僚などが見えていた。
 もっとも司令部要員の数は十分とは言えなかった。本来連絡将校であるはずの片岡中佐に事務仕事が大量に押し付けられているのも、日本語が理解できるスタッフがいないというのも確かにあるが、単純に司令部要員の数が足りていないせいでもあった。


 自由フランス軍に所属するノルマンディー航空連隊は、新たに編制された部隊だった。連隊に所属する搭乗員たちは、降伏直後のフランス本国からイギリスに亡命してきたものや、東南アジアの仏領インドシナなどに駐留していて国際連盟軍の進攻時に自由フランスに鞍替えしたものなどを原隊を問わずにかき集めていた。
 それで何とか搭乗員の数は揃えたのだが、地上要員はそう簡単には行かなかったようだ。
 フランス降伏後に抗戦を決意して英国に亡命したフランス空軍の軍人は少なくなかったが、その多くは搭乗員だった。彼らの殆どは、祖国の降伏を察すると同時に愛機に乗り込んで着の身着のまま英国本土まで飛行してきたからだ。
 フランス本国からすれば脱走兵にほかならないのだから、発見されやすくまた飛行準備作業に時間の掛かる大型機が英国本土まで亡命してきた例は殆どなかったらしい。
 中には戦闘機の胴体内にある空いた空間に他の搭乗員や整備員を詰め込めるだけ載せて飛行してきたものもいたらしいが、そんな例は数少なかったはずだ。
 それらの結果、自由フランス軍所属の航空部隊には搭乗員ばかりがあふれる事態となってしまったらしい。

 通常であれば、逆に整備態勢の整った英国空軍などの部隊に搭乗員だけを配属すれば良いようなものだった。実際、亡命ポーランド人部隊などでは、ほとんどが搭乗員だけがポーランド人で編成されているらしい。
 当時はフランスの降伏によって英国本土に航空戦の主戦場が移動していたから搭乗員の損耗も多く、英国空軍の正規搭乗員だけでは足りなかったのだろう。正式参戦前の日本帝国が派遣した義勇航空隊が激戦を続けていたのもその時期だった。
 だが、この場合は指揮系統が英国空軍に完全に組み込まれているから可能な措置だった。単に英国軍部隊に外国人搭乗員を加えるだけならば書類上の手続きもさほど煩雑ではなかった。

 しかし、自由フランスを率いるシャルル・ド・ゴール准将は、あくまで自由フランス独自の航空部隊を編成したかったようだ。
 方面軍などの国際連盟軍の上級司令部指揮下に部隊を配属させるのは仕方がないが、部隊の独自性を維持するには、全員は無理でも地上要員にもフランス人をあてるしかなかった。

 状況が好転したのは、昨年度の仏領インドシナ解放後の事だった。インドシナ植民地に駐留していた部隊の大半は、部隊ごと投降して自由フランスに所属を変えたが、当然のことながら各部隊には整備員などの地上要員が多数含まれていた。
 フランス本国から英国に逃れた極小数の要員と仏領インドシナ駐留部隊の要員を中核として、これに未だ見習い扱いにすぎないが、旧仏領インドシナから志願した現地義勇兵の中から選抜した整備兵を合流させてどうにか一個航空連隊分の整備兵や警備部隊などの地上要員を編成することが出来た。


 ノルマンディー連隊のなかで、最後まで人数が足りなかったのが連隊司令部の要員だった。航空連隊は指揮下に置く飛行隊の数も多く、地上支援任務のみではなく独自の作戦行動をとることもあった。
 自国製の航空機の保有が事実上不可能で、国際連盟加盟国からの供給に頼るしか無い現状では、連隊は戦闘機を中心にしたものになるから、当然任務も防空戦闘か制空権の確保となるが、それでも指揮官の他に幕僚や事務要員がある程度必要だった。
 仏領インドシナ駐留部隊は元々規模が小さかった為、後方の訓練部隊などに残す分を考えると、十分な数の司令部要員を抽出することは難しかった。それに開戦後のフランス軍は、空軍にかぎらずに各部隊を戦域の司令部指揮下にばらばらに配備するケースが多かった。
 フランス降伏時の戦闘では、酷いものになると隣の中隊の原隊が何処なのか全く分からずに戦闘に突入し、相互の連絡も取れずに孤立して戦闘力を残しながらあっさりと降伏した部隊もあったらしい。
 そんな状況だから訓練を受けた司令部要員が亡命した例はあまりなかったようだ。


 結局のところ、新編制のノルマンディー連隊は、自由フランスどころかフランス空軍にとって久々の連隊規模で運用される航空部隊として誕生したが、その構成人員は寄せ集めに等しく、供給される機材も外国製ばかりだった。
 この連隊が真価を発揮することが出来るのか、それを予想出来ているものはまだ誰もいなかった。
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