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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942ベイルート航空戦7

 こちらを追尾してくる敵戦闘機は、鋭く尖った機首を見るまでもなく液冷エンジンを搭載した機体であることに間違いはなかった。プレー軍曹はひどく剣呑な雰囲気を漂わせているその機体を睨みつけながら、横滑りをやめて再びスロットルを全開まで入れていた。
 たちまちドヴォアチヌD.520の機位は針路と一致したから、後方視界の悪いコクピットからは敵戦闘機は死角に入ってしまっていた。だが敵機の動きは手に取るようにわかっていた。
 今のは牽制のつもりなのだろう。あれだけの密度の銃撃を行なったのは脅威だが、手練の搭乗員が確実に撃墜するつもりならばもっと接近していたはずだ。
 おそらく、もっとも接近していたプレー軍曹による一〇〇式司令部偵察機への襲撃を断念させるために遠距離からの銃撃を行なったのではないのか。そう考えればすでに敵搭乗員はその目的を果たしたとも言えた。
 すでにプレー軍曹は生き残ることを再優先に考えなければならない事態に追いやられていた。

 グローン少尉たちと合流することは最初から諦めていた。今では距離が離れすぎているし、短距離無線機は通話可能距離が恐ろしく短い上に雑音だらけで殆ど使い物にならなかったから、合流しても連携をとることは出来そうになかった。
 それにここから反転していては、敵機の目前で無防備な機体をさらす事になりそうだった。


 出力増強装置による激しい振動に襲われたコクピットで操縦桿を握りしめながら、プレー軍曹は敵機の正体について考え始めていた。この方面では今まで確認はされていなかったが、日本軍には空冷エンジン搭載機と併用して、水冷エンジン搭載の戦闘機も運用していたはずだった。
 だが、識別帳によれば九八式とかいう名称のその機体は旧式化しているから、これまでの戦闘で運用されていた例は殆どなかった。
 それに九八式戦闘機の開発時期はドヴォアチヌD.520と大して違いはなかったはずだが、単葉引込脚のD.520に対して確か九八式戦闘機は単葉ではあっても巨大なスパッツ付の固定脚を備えた古めかしい構造だった。
 だが、先ほど確認した敵機は単葉引き込み脚であったようだし、識別長で見た九八式戦闘機よりもずっとスマートな形状をしていた。

 日本軍に比べて英国軍、あるいは欧州圏の空軍の方が水冷エンジン搭載機の採用には熱心だった。冷却のために機首エンジンをむき出しにする必要のない水冷エンジンのほうが高速指向の空気抵抗の低減に有利な流線型の機体構造をとることが出来るからだ。
 実際に英国空軍の主力戦闘機であるスピットファイアとハリケーンは、共に水冷エンジンを搭載した単発単葉引き込み脚方式の戦闘機だった。特に改良を重ねてエンジンを換装したスピットファイヤは一〇〇式司令部偵察機をも超える毎時六百キロ超の最高速度を誇る高速戦闘機だった。
 旧式化したハリケーンならばともかく、英国空軍のスピットファイアが相手だとすれば、出力増強装置を搭載した改造型のドヴォアチヌD.520であっても振り切ることは出来ないはずだ。
 ドヴォアチヌD.520はハリケーンやスピットファイアと初飛行の時期はそれほど変わらないが、次々と大出力化したエンジンへの換装や機体構造の改良を継続していたスピットファイアに対して、二年前のフランス降伏によって航空機産業が事実上崩壊していたヴィシーフランスではD.520の改良が実施されるはずもないから独英の主力戦闘機と比べればその性能は陳腐化していた。

 だが、先ほど確認した機体はおそらくスピットファイアでは無かった。機体後半部が帆布張りの旧式構造であるハリケーンとも異なっているはずだ。
 戦闘機としてはスピットファイアと同世代のハリケーンだったが、機体構造が古めかしいせいかスピットファイアと比べると改良しても性能は頭打ちらしく、現在では戦闘機としてよりも分厚く頑丈な主翼や木金混合ゆえの耐久性から大口径機銃装備や爆装を施されて専ら攻撃機として運用されているらしい。
 だから一〇〇式司令部偵察機の護衛任務にハリケーンがあたる可能性は低かった。

 一見した限りでは、先ほどの機体の構造はハリケーンよりもスピットファイアに似ていたような気がするが、全体の構造はともかく各部の形状はスピットファイアとはかけ離れていた。
 スピットファイアの特徴である楕円形の主翼よりもずっと角ばった細長い主翼に見えていた。


 ―――あの敵機は日本軍の新型機なのか……
 そう判断すると、プレー軍曹はそっとため息をついていた。相手がスピットファイアでないのならばまだなんとかなる、そう考えていたからだ。
 あの日本機がどれだけ高速なのかは分からないが、日本軍は戦闘機の性能においては高速度よりも機動性を重要視していると聞いていた。だから、こちらが高速で引き離すことも不可能ではないのではないか。
 さほどの根拠も無いはずだったが、プレー軍曹はそう思い込むとフットレバーを元に戻してスロットルを再び全開まで押し込んでいた。わずかに横滑りを続けていたドヴォアチヌD.520は、機位が安定するとともに順調に加速を開始していた。
 背中を押し込まれるようなその加速度にわずかに満足するとプレー軍曹はピトー管に接続された速度計に目を向けた。それから目線を上げて一〇〇式司令部偵察機を見た。

 僅かな間に一〇〇式司令部偵察機との距離は開いてしまっていた。しかも黒煙をなびかせた一〇〇式司令部偵察機は、速度を上げると同時に高度まで上げていた。
 高度を下げて降下速度を併せることで追撃をかけようとしていたドヴォアチヌD.520改造機の作戦は前提条件からして間違っていたらしい。予想をはるかに超える性能を一〇〇式司令部偵察機は有していたようだ。
 高オクタン価燃料や中間冷却器ではなく、態々水メタノール噴射装置を搭載していたのは意外だったが、日本軍にも軽量化か何かの制限があったのかもしれない。


 プレー軍曹は一〇〇式司令部偵察機から目を離すと素早く気持ちを切り替えていた。とにかく今は生き延びることだけを考えようとしていた。
 敵機から逃れるためには、今以上の高速を出して振り切るのが一番手っ取り早かった。だがすでにエンジン出力は、出力増強装置による向上分を含めても最大まで発揮している。あとは機位を下げて降下角度を挙げるしか無かった。機体強度ぎりぎりまで自重による降下速度を併せることで一気に加速するのだ。
 すでに一〇〇式司令部偵察機を追撃することはないのだから、作戦通りの降下率を保っても意味はなかった。それに一〇〇式司令部偵察機を追撃する素振りを見せなければ、敵護衛戦闘機も護衛任務は果たしたと判断して脅威とならないD.520を無理に追撃せずに早々に離脱するかもしれなかった。

 決断した後のプレー軍曹の行動は迅速だった。操縦桿を素早く操作して水平尾翼の昇降舵を動かして機首を限界まで下げていた。これ以上降下角度を高くしてしまえば、降下速度が過大となりすぎて機体強度限界以上の応力がかかってしまうはずだ。
 プレー軍曹は開戦直前から飛行隊に配備されていたドヴォアチヌD.520での飛行時間は長かったから、機体の限界まで性能を絞り出した機動であっても不安は感じなかった。
 D.520には出力増強装置が取り付けられて多少は空力バランスも変化しているはずだが、これまでの飛行からその程度の誤差は腕で修正できると判断していた。

 プレー軍曹の操縦を受けたD.520は、たちまち機首を下げると降下速度を増していた。通常の動力降下以上に、出力増強装置によるエンジン出力向上分もあって、速度計の針は急速に上がっていた。
 しかし、降下を開始してすぐに無理な応力を受けたのか主翼が軋みながらたわむ気配を感じた。
 慌てて主翼に目を向けると、普段よりも翼端がめくれ上がっている上に強度材の近くではしわが寄っていた。どうやら出力増強装置の効果がありすぎて過速度状態になっているようだった。
 プレー軍曹は今までの加速度とは全く違う浮揚感に少々戸惑いながらも、機体の操作を半ば無意識に行なっていた。巧みに降下角度をやや緩めるように操作したが、スロットルは全開のままでエンジン出力を絞ることはしなかった。
 高速度で逃げ切るのが一番安全なやり方だったからだ。それに背後を追尾しているはずの敵戦闘機の気配も最初のように殺気を感じることはなくなっていた。
 少なくとも急な銃撃を食らうことはないような気がする。敵機の弾薬も無限に続くわけではない。こちらのD.520が改造にあたって防弾板を外していることなど敵戦闘機の搭乗員が知るはずはないのだから、次に発砲することがあったとしても、必中を期して至近距離まで接近してから射撃を行うのではないのか。
 もちろんその時には、プレー軍曹は高速で逃げ切っているはずだ。


 降下を開始してからどれくらい経ったのかは分からなかった。まだ出力増強装置は作動していたが、水メタノール混合液は急速に消費されつつあった。プレー軍曹たちのD.520改造機に搭載された出力増強装置は、一〇〇式司令部偵察機に追い付くことだけのために用意されたものだった。
 当初の作戦では、追撃は短時間で終了する予定だった。というよりも長時間出力増強装置を連続稼働させてまで追いかけなければならなかったとしたら、その時点で一〇〇式司令部偵察機による偵察飛行は成功しているだろうから、作戦は失敗しているといっても良かった。
 だから、各機の水メタノール混合液タンクには最小量しか積み込まれていなかった。だが、出力増強装置搭載後に一応は水メタノール混合液の消費率も計測されていたが、高度や作動時のエンジン出力によっても消費量が変化するようだからあくまでも目安にしかならない。
 あとどれくらいまで出力増強装置が作動してくれるかはプレー軍曹にも良くはわからなかった。

 しかし、プレー軍曹はまだ状況を楽観視していた。速度計の針は改造後のD.520の計算上の水平最高速度を優に超えていた。相手が日本陸軍の一式戦闘機と同程度の機体だとすれば、軽く引き離しているのではないのか、そう考えていたからだ。
 ドヴォアチヌD.520のコクピットは操縦席後方から尾翼までがなだらかな曲線を描いてつながるファストバック型だったから、後方視界は悪かった。真後ろを見るには機体を振るしか無いが、そこまですることもないとプレー軍曹は考えていた。
 まずバックミラーを見て、何も映っていないのを確認してから、プレー軍曹は勢い良く振り返っていた。やはりコクピット後方の視界内には敵機の姿は無かった。
 D.520のすぐ後ろを飛行しているのならば、ここからならば死角に入っているだろうが、それでも航跡か何かの気配は感じるはずだ。それも全く感じられなかった。


 だが、敵機の姿が見えなかったにも関わらず、プレー軍曹は急に違和感を感じ始めていた。何かあるべきものが見えなかったような気がしていたのだ。
 プレー軍曹は正面に向き直ってから、唐突に違和感の正体に気がついていた。
 振り返った時に、彼方で交戦中の機体が見えていたがそこに合流しようと反転する敵機の姿もまた見えなかったのだ。それに煙を吐きながら落下していく機体もあったが、その機体は僚機のD.520だったような気がする。
 グローン少尉に率いられた小隊はいずれも手練の搭乗員が特に集められていたはずだ。それが短時間の内に撃墜されたとすると、相手もかなりの技量を有しているのではないのか。もちろん機体の性能も低くはないはずだ。
 だとすると、漫然と高速で直線飛行を続けるプレー軍曹の死角から密かに忍び寄ろうとしているのではないのか。思わずプレー軍曹は身震いしていた。それまでの楽観的な気持ちは吹き飛んでいた。何故かは分からないが、何か得体のしれないものを相手にしているような気がしてきていた。

 次の瞬間、ドヴォアチヌD.520の加速が急に停止した。出力増強装置の水メタノール混合液が尽きたらしい。エンジンはしばらく咳き込んだが、やがて回転数は再び安定してきていた。
 それを確認すると、プレー軍曹は素早く操縦桿を引いて全周警戒の為に旋回しようとした。再び殺気を感じたのは操縦桿に力を込めようとしたその時だった。慌ててロールを始めたD.520の鼻先に、下方から曳光弾が撃ち込まれていた。
 危ういところだった。おそらく敵機はD.520の加速度を考慮に入れて射撃を行なったのだろう。だが、直前に出力増強装置が停止したことから、D.520の新たな速度を読み間違えて射撃は外れたのだ。

 慌てて旋回を開始したプレー軍曹の目の前で、死角となる斜め下方から忍び寄っていたのであろう敵機が突き上げるようにしてその姿を晒していた。もしもドヴォアチヌD.520の機位がそちらを向いていれば絶好の射撃機会だったかもしれないが、さすがに敵機の搭乗員はD.520の真正面を無防備に上昇するほど間抜けではなかった。
 旋回を開始したD.520の翼面に隠れそうなほどの角度に敵機のスマートな機体は見え隠れしていた。プレー軍曹は、コクピットから身を乗り出さんとばかりに敵機を見つめていた。


 例えD.520の機関砲砲身の目の前を敵機が横切ったとしても、プレー軍曹は引き金を引かなかったに違いなかった。
 プレー軍曹は絶句して目の前を上昇する機体を見つめていたからだった。
一〇〇式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr2.html
九八式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/98f.html
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