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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942ベイルート航空戦2

 プレー軍曹が育ったのは、ブルターニュ地方の酪農と農業で成り立っているケルグリというコミューンだった。特に特異なところもない小さく貧しいコミューンで、生産された農作物は近くの港町に出荷されるものが多かった。
 人口はさほど多いとは言えなかったが、プレー軍曹と同世代の子どもたちの数は少なくなかった。それは先の大戦の終結後に復員していた男たちが親となる世代だった。

 だが、プレー軍曹が生まれたのはケルグリではなく、パリの近郊であったらしい。もっともプレー軍曹が父親の顔を見た記憶はなかった。パリ近郊というのも後から母から聞いて初めて知った話で、それまではケルグリで生まれたのだとばかり思っていたほどだ。
 欧州大戦終結後に生まれたのだから、父親が戦死したはずは無いのだが、母が言葉少なに語るには戦場で受けた傷が原因で、プレー軍曹が生まれる前に父は死んだらしい。
 パリの病院に看護婦として務めていた母は、出産を期に離職して、まだ赤子だったプレー軍曹を連れて生まれ故郷のケルグリに帰ってきたのだ。
 その母も、プレー軍曹がまだ子供の頃に流行病であっさりと死んでいた。その後は近所に住んでいた子供のなかった叔父夫婦に引き取られて育ったから、生活の不自由を感じたことはなかったが、ほとんど何も語らずに母が死んだことで、自分のルーツを辿るすべはなくなっていた。


 もっとも当時はともかく、今ではそのことで母を責める気持ちはなくなっていた。先の欧州大戦の戦時中に、母がパリの病院から前線のすぐ後方に設けられた野戦病院に志願して務めていたと聞いていたからだ。
 子供の頃はよく分からなかったが、同じように戦場に立った今では、ケルグリに帰ってきた母がひどく寡黙になっていたと不思議そうに言っていた叔父の言葉が理解できるようになっていた。

 先の大戦では戦車や飛行機といった一見華々しい機械兵器の影で、化学兵器や生物兵器が平然と使用されていた。それに長く続いた塹壕戦の中で、精神を止むものや砲弾で手足を永遠に失った兵も少なくなかった。
 おそらく母は、次々と精神や肉体を永遠に欠損させた患者が送り込まれる野戦病院で、前線の兵達が見たのと同じ地獄を見たのだろう。
 その地獄で知り合った父との思い出は、きっと欧州大戦中も平和に暮らしていたケルグリの人々には話せない、話しても理解してもらえないと思っていたのではないのか。
 もしかすると招集されて前線に送り込まれた青年層だった男たちには何かを話していたのかもしれないが、プレー軍曹達の父親世代に当たる彼らの多くも戦争のことを話したがるものは少なかった。


 ただし、自分の父親が白人ではないことは成長するに連れて何となくわかっていた。あきらかにプレー軍曹の肌は他の子供達よりも浅黒く、顔立ちも母の兄弟である叔父とはかけ離れているような気がしていた。
 それでも叔父は姉の忘れ形見であるプレー軍曹を慈しみ育ててくれた。叔母は何かを言いかけることもあったが、働き者の叔父を手伝うプレー軍曹に人種的な差別を言うような常識のない女性ではなかったから、家の中で肌の色を気にすることはなかった。

 コミューンの大人たちも建前ではプレー軍曹を特別扱いすることはなかったが、幼いがゆえの純粋さと残酷さを併せ持った同世代の子どもたちは別だった。自分たちよりもずっと肌の黒いプレー軍曹のあだ名は、アルジェリア人を思わせるアルジェというものだった。
 彼らの乏しい知識では、フランスが北アフリカにもつ領土であるアルジェリアが黒人の象徴だったのだろう。もちろんそう考えていたのはプレー軍曹も例外ではなかったから、自分の肌の色を揶揄されていることはすぐにわかっていた。

 フランス空軍に入隊した後の一時期、プレー軍曹はアルジェリアにも駐留していたが、同地で暮らす人々は実際には白人種やアラビア系が多く、黒人は殆ど見かけなかったのを逆に奇妙に思っていた。
 それだけプレー軍曹も自分の肌の黒さとアルジェリアを結びつけて考えていたということだった。


 もしも少年時代のケルグリで、ピエール・ル・グローンとクロード・リュノの二人に出会わなければ、プレー軍曹の人生はもっと屈折したものになっていたはずだった。

 ル・グローン少尉は欧州大戦の開戦前生まれで、プレー軍曹たちよりも一回り年長だった。あまり豊かとはいえないケルグリコミューンのなかでも貧農の家に生まれたグローン少尉だったが、子供の頃からの空へのあこがれを諦めることが出来ずに、努力して育英基金を得て進学すると、未だ陸軍の指揮下にあった航空隊へと入隊していた。
 そして陸軍から空軍が独立したのと同じ時期に、ケルグリ出身者で初めての航空機搭乗員になっていたのだ。

 実はプレー軍曹には、ケルグリコミューンに在住していた頃のグローン少尉の記憶は薄かった。小さなコミューンだったから子供の頃に見かけたことは何度もあったはずなのだが、グローン少尉の四角い顔と黒髪はさほど目立つ風体ではなかったし、何よりも年がやや離れていたから、一緒に遊んだといった記憶はなかった。
 だが、プレー軍曹や同世代の少年たちにとってグローン少尉は憧れの存在だった。もう十年近くも前になるが、まだ下士官だったグローン少尉がケルグリの上空で行なった故郷への凱旋飛行の風景は昨日のことのように鮮明に覚えていた。
 そして、グローン少尉が帰省するたびに、プレー軍曹たちは少尉の実家の前で本物の空軍搭乗員をひと目見ようと待ち構えていた。
 グローン少尉はいつも少年たちに気さくだったが、特にプレー軍曹には声を掛けてくれたことがあった。

 多くの少年たちの中のひとりに過ぎなかったプレー軍曹に、グローン少尉が声をかけた理由は単純なものだった。単に周囲の少年たちと肌の色が違っていたから目立ったというだけだった。
 だが、嫉妬を込めた他の少年たちからの視線の中で、純粋に大空とコミューンの先達であるグローン少尉へのあこがれをたどたどしく口にしたプレー軍曹に、グローン少尉ははにかんたような笑みを見せると空軍への入隊を応援してくれた。
 その時だけは、プレー軍曹は周囲と違う自分の肌の色に感謝したものだった。


 もう一人のクロード・リュノは、プレー軍曹とは同い年だった。ただし彼もケルグリコミューンで生まれ育ったとは純粋には言えなかった。パリで生まれ育ったクロードは、十歳の頃にケルグリに引っ越してきたからだ。
 ケルグリへの引っ越しは両親の離婚によるものらしかったが、詳細はプレー軍曹にもよく分からなかった。

 コミューンで唯一つの学校に転入してきたばかりのクロードは、よく目立つ少年だった。田舎のケルグリコミューンに、突然に首都パリから垢抜けた様子の子供が現れたのだからそれも当然のことだったのだろう。
 勉学でもスポーツでも、何をやらせても周りの少年たちよりもうまくやってみせるクロードは、すぐさまコミューンの学校で一番の優秀な成績を示した。その上容姿端麗だったのだから、天は二物を与えずというが、彼にはそれは当てはまらなかったようだ。
 当然のことながらクロードは同世代の女子達の憧れの的となったが、本人はそれを自慢することも、気にすることすらなかった。


 だが、唐突に現れたクロードに、同世代の少年たちは反感を抱いていた。先生の覚えめでたく、女子達の注目の的になったのだからそれも無理のないことだったのだろう。
 彼らのいじめの対象となったクロードだったが、プレー軍曹はその当時は自分には関係ない話だと思っていた。というよりもパリから現れた少年がまるで自分とは別世界の住人のように思えていたからだ。
 だが、クロードの方ではそうではなかった。ケルグリのような田舎ではプレー軍曹の肌の色もからかいの対象になったが、色んな人が集まるパリでは珍しくもない。そういうと彼は友達になろうとプレー軍曹にいった。
 最初はプレー軍曹は彼の言うことを信じられなかった。これまで子どもたちの集団から爪弾きにされていた自分に、まるで別世界から来たような美しい少年が手を差し伸べることなどあり得ないと考えていたのだ。

 だがクロードの方は本気だったらしい。フランスの標語である自由、平等、友愛、この言葉を僕は信じていると真摯な表情で言うと、プレー軍曹に手を差し伸べたのだ。
 もしかすると彼がプレー軍曹の始めての友達だったのかもしれなかった。

 クロードとの思い出はそれだけではなかった。実は、グローン少尉の凱旋飛行の思い出はクロードと二人で共通のものだった。親たちからケルグリコミューン初のパイロットのことを聞かされた二人は、辛抱できずにケルグリでも一番飛行場に近い丘にまだ暗いうちから走っていった。
 麦畑の中を強引に突っ走った二人が丘についても、まだグローン少尉の機体は見えなかったが、二人は延々と話し合いながら明るみはじめた空を見つめていた。
 そして、まっすぐに伸びた麦の穂の先から、青いフランス空軍の機体が現れた時の感動は忘れられないものになった。
 その時、二人はいつかは自分たちもあそこに行くのだと、お互いに誓い合ったのだ。また、この日の感動を忘れないために、いつか空軍の搭乗員になったら、機体に麦穂の絵を描こうと二人で決めていた。


 それから十年、高校を何とか卒業したプレー軍曹はすぐに空軍に一兵卒として志願して、今では下士官搭乗員として運良く同郷のグローン少尉の下に配属されていた。
 つまり、プレー軍曹はグローン少尉と同じ道を辿ったわけだが、クロードはそうではなかった。
 プレー軍曹よりもずっと学校の成績がよく、また金銭的な面でも家庭事情が良かったから、クロードは高校卒業後にサロン=ド=プロヴァンスの郊外に新たに設けられていた空軍士官学校に入学していた。
 もちろんクロードがケルグリコミューン初の空軍士官学校入校者だった。

 クロードが空軍士官学校の入学試験を合格したことがわかった時には、まるでコミューンはお祭り騒ぎのようだった。プレー軍曹の航空兵採用の通知もついでのように祝福されたが、それも気にならなかった。それよりも親友が士官へと任官しようとしているのが嬉しかったのだ。
 その頃には、同世代の少年たちからプレー軍曹やクロードがからかわれたりすることもなくなっていた。すでに彼らも大人になりかけていたし、プレー軍曹やクロードの努力を知っていたからだ。

 無理に休暇を作ってケルグリまで帰ってきたグローン少尉が、祝い酒で顔を真赤にしながら二人にこういったのをプレー軍曹は覚えていた。
 士官学校を出れば昇進も早い。だからクロードは、早く飛行隊長になって自分とプレー軍曹を部下に選べ。そしてケルグリのこの三人で空を飛ぼう。
 プレー軍曹もクロードも、無理に飲まされた酒でグローン少尉と同じように顔を赤く染めながら、何度も頷いていた。


 だが、その時の誓いは未だ果たされていなかった。下士官搭乗員となったプレー軍曹は、偶然にもグローン少尉と同じ飛行隊に配属されていたが、クロードは現在では行方不明だった。
 空軍士官学校も優秀な成績で卒業したクロードは、しばらくは本国に駐留する戦闘飛行団に配属されていたが、ドイツとの緊張が高まっていた三年前の中尉昇進直後に辞令を受けてインドシナに駐留する独立飛行群の飛行隊長として赴任していった。
 その時期は、大規模な戦力再編成が行われており、海外の植民地に駐留する部隊と本国の部隊とでも盛んに異動が行われていた。
 今次大戦勃発後のまやかし戦争と呼ばれた膠着状態の時期も、クロードは本国に呼び戻されること無く、インドシナ駐留部隊で隊長職を務めていたらしい。何度か軍事郵便を使った手紙のやりとりはあったが、ドイツのフランス侵攻とそれに続くヴィシーフランス政府の樹立後は、それも途絶えがちになっていた。

 そして、日英を中核とした国際連盟軍のインドシナへの侵攻によって、わずかに続いていた本国とインドシナをつなぐ情報網は完全に断ち切られていた。噂ではインドシナ駐留部隊の少なくない数の将兵が自由フランス側に寝返ったというが、プレー軍曹にはとても信じられなかった。
 だが、インドシナ駐留部隊の将兵たちが本当はどうなったのか、正確な情報を掴んでいるものはまだ誰もいなかった。


 プレー軍曹の耳に、唐突に無線からの声が聞こえた。短く見つけたというと、その声は方角と高度を告げた。
 その声は小隊長のグローン少尉の声だった。慌ててプレー軍曹は示された方向に顔を向けていた。そこには日本陸軍の長距離偵察機、一〇〇式司令部偵察機が悠然とその姿を浮かべていた。
一〇〇式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr2.html
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